64:覇王、知らない地下室へ。
第四章『天鯨の帰る空』開幕です。
【お知らせ】
本日より、18:10に毎日一話ずつの投稿へ変更させていただきます。
ご容赦ください。
それでは、本編どうぞ。
その日の夜。
俺は自室の長椅子に座りながら、これ以上ないくらい平和な時間を過ごしていた。
「……ご主人様」
「んー?」
「もう少し」
「さっきからそればっかりだな」
「だって気持ちいいんだもの」
膝の上にはザフィラの頭がある。
昼間、一日中街を歩き回ったせいなのか、それとも単純に甘えたいだけなのか。部屋へ戻ってからというもの、こいつは俺の膝を占領したまま動こうとしなかった。
黒い耳の根元を指先で軽く掻いてやる。
「ん……」
すぐに耳がぴくりと動いた。
分かりやすいなぁ、ほんと。
「お前さ」
「なに?」
「指輪渡してから、ほんと遠慮なくなってんな……お前」
「前から遠慮してなかったと思うけど?」
「それもそうか」
「それに」
ザフィラが薄く目を開ける。
「今日は一か月と三日分、甘やかしてもらう日だから」
「まだ言ってんのかよそれ……」
「忘れたの?」
「忘れてねぇよ」
一か月以上『最果ての夢跡』へ籠もっていたことを、こいつは当分のあいだ擦るつもりらしい。
まあ、俺も悪いとは思ってんだけどな……。
帰ってきてから工房へ三日間籠もったのも含めれば、文句を言われても仕方ねぇとは思う。
それに、こうして何もせず過ごす時間も前ほど落ち着かなくはなった。
昔なら、こんな時間があるなら武器の調整でもするか、素材整理でもするか、次に狩るボスのルートでも考えていた。
何の成果も出ない時間は、ただの無駄。
ゲームをやっていた頃の俺なら、間違いなくそう思っていた。
今は……まあ、そうだなぁ。
膝の上で気持ちよさそうにしている黒猫を見るくらいなら、悪くねぇかなとは思う。
「そこ」
「ここか?」
「もう少し後ろ」
「注文が多い」
「ご主人様、上手くなったから」
「何のスキルだよ」
「耳のお手入れ」
「熟練度とか出たら嫌だな……」
「最大まで上げてね」
「絶対上げねぇわ」
「えー?……ふふっ」
不満そうに尻尾が揺れる。
その尻尾の先が、俺の腕へ絡んだ。
完全に逃がす気がない。
「お前もう、実は眠いんだろ」
「眠くないわよ」
「目閉じてるじゃん」
「集中してるだけ」
「何にだよ……」
「幸せを噛みしめてるのよ」
「……便利な言葉覚えたな」
答えながら、もう一度耳の付け根を掻いてやる。
ザフィラが満足そうに喉を鳴らした。
こいつ、本当に黒豹獣人なんだよな?
猫じゃないよな……?
そんなことを考えた、そのときだった。
コン、コン。
扉が叩かれる。
「……」
「……」
俺とザフィラが同時に扉を見る。
こんな時間に誰だよ……ったくよぉ。
「リンドウ様。起きていらっしゃいますか」
聞こえてきた声で、嫌な予感しかしなくなった。
「ミラ?」
「はい」
俺の膝の上で、ザフィラがものすごく嫌そうな顔をした。
「……居留守使って」
「時すでに遅しだ、あほ」
「もう寝たって」
「今返事したじゃんか」
「ご主人様が悪いわ」
「何で俺?」
仕方なく立とうとする。
しかしザフィラの尻尾が腕へ巻きついたままだ。
「離せって」
「やぁだぁ……」
「ミラ来てんだぞ」
「だから?」
「いや、だからって……」
「お取り込み中でしたら、後ほどでも構いませんが」
扉の向こうからミラの声。
絶対構わない奴の声じゃない。
「取り込んでねぇわ」
反射的に言い返すと、膝の上のザフィラが吹き出した。
「入っていいぞ~」
「失礼いたします」
扉が開き、ミラが入ってくる。
そして、時が止まった。
俺を見て、次に俺の膝を見る。
正確には、まだ俺の膝へ頭を乗せたままのザフィラを見る。
俺の手を見る。
ザフィラの耳を見る。
それから腕へ絡みついている尻尾を見る。
「……」
「……んだよ」
「いえ」
「その顔何?」
「何も」
「絶対何かあんだろうが」
ミラは小さく息を吐いた。
「お二人のプライベートへ口を出すつもりはございません」
「あん?」
「ですが、節度はお持ちください」
「何の話だよ!」
俺が声を上げる。
ザフィラは膝の上で肩を震わせている。
笑ってやがる……こいつ。
「ただ耳触ってただけだぞ?」
「私は何も申し上げておりません」
「言っただろうが今」
「耳を触っていたことについては、一言も」
「じゃあ何について言ったんだよ……」
「さて」
「さてじゃねぇよ……。ほんまお前さぁ……」
何なんだよ……。
最近のミラ、俺に対する扱いが雑になってないか?
……いや、そうでもないな。前からか?
「ミラ」
ザフィラがようやく身体を起こす。
「心配しなくても大丈夫よ」
「何がだよお前まで……」
俺だけ話についていけない。
ザフィラは髪を整えながら、何事もなかったように俺の隣へ座った。
左手の薬指では、あの指輪が小さく光っている。
ミラが一瞬だけそこへ視線を落とした。
さらに何とも言えない顔になる。
「……んだよ。悪ぃか」
「いえ。人物評価について、もう少し慎重に調査すべきだと再認識しただけです」
「人物評価?」
「こちらの話です」
「怖ぇんだけど……?」
「お気になさらず」
「気になる言い方すんなよ……」
ミラはそれ以上説明する気がないらしい。
手には何枚かの書類を抱えている。
この時間にわざわざここまで来た以上、さっきの話が本題じゃないことくらいは俺にも分かった。
「……で?」
俺は姿勢を直す。
「何があった」
そこでミラの表情が変わった。
さっきまでの呆れたような顔が消える。
「はい」
短い返事。
「テオから緊急の報告が入りました」
「テオ?」
「旧王城地下の調査中、未登録の区画が発見されたそうです」
「……旧王城地下?」
「はい」
「そんな場所あったか?地下水道じゃなくて?」
素で聞き返した。
ミラがこちらを見る。
「ご存じなかったのですか?」
「知らねぇよ」
「この城を築いたのは、初代覇王だと聞いておりますが」
「俺の時代の王城に地下資料室なんてなかったぞ」
少なくとも俺の記憶にはない。
倉庫。
宝物庫。
地下牢。
転移設備。
隠し通路。
俺が使っていた頃のアルセディア王城なら、かなり細かいところまで覚えている。
というか、覚えていなければ国を運営できなかった。
でも資料室?
そんなものを地下に作った記憶はねぇんだがなぁ……。
「百二十年あるんだぞ」
俺は言った。
「俺がいなくなったあとに増築されたんじゃねぇの?」
「私もその可能性が高いと考えています」
「で、それが緊急?」
「発見したこと自体は、そこまでではありません」
ミラが書類を握り直す。
「問題は、中から見つかったものです」
「……何が出た」
「それを直接見ていただきたいと、テオが」
「……テオが?」
少しだけ引っかかった。
あいつは必要以上に人を呼ぶタイプじゃない。
自分で確認できることなら、自分で調べる。
判断材料が足りないなら集める。
それでも分からなければ初めて持ってくる。
そのテオが、こんな時間に俺を呼ぶ。
「今から?」
「はい」
「分かった」
立ち上がる。
するとザフィラも当然のように立とうとした。
「お前は寝てろ」
「行く」
「今日は休む日だったろ」
「緊急なんでしょ?」
「だから俺が見てくる」
「でも――」
「ザフィラ」
少しだけ声を落とす。
「たぶん資料を見るだけだ。危険なものなら呼ぶから」
ザフィラは俺を見る。
少し迷ったあと、息を吐いた。
「……分かった」
「うん」
「ちゃんと戻ってきてね」
「城の地下だぞ?」
「ご主人様、城の地下でも平気で三日くらい帰ってこなさそうだから」
「俺を何だと思ってんの?」
「前科持ち」
「反論できねぇ……」
ザフィラが笑う。
その顔を見てから、俺はミラと一緒に部屋を出た。
♢
夜の王城は静かだった。
昼間なら役人や兵士が行き交っている廊下も、この時間になると人影が少ない。
ところどころに置かれた魔導灯だけが、長い廊下を照らしている。
「……で?」
歩きながら俺はミラへ聞いた。
「どこで見つかったんだ?」
「旧王族専用区画の地下です」
「まだ未調査の場所あったの?」
「ありました」
「三か月経ってんのに?」
「三か月しか経っていない、と言っていただきたいですね」
「あぁ~……」
「国政、住民登録、食料、治安、旧貴族の資産調査、土地所有権の確認、各地の復興。優先順位の高いものから処理しております」
「……すまんな」
「ご理解いただければ結構です」
怒られた。
今日で何回目だろうなぁ。
「そもそも旧王族区画は、隠し部屋が多すぎます」
「そんなに?」
「ええ。金庫が三つ、隠し書斎が二つ、脱出用の通路が四本」
「逃げる気満々じゃん」
「さらに酒蔵が一つ」
「それは普通じゃね?」
「壁の裏に隠す必要がありますか?」
「……よっぽど高い酒だったんだろ」
「中身はすでに空でした」
「それは残念」
「残念なのですか?」
「ちょっとだけな」
そんな話をしながら階段を降りる。
王城の地下へ来るのは久しぶりだった。
俺が知っている構造なら、この先は備蓄倉庫になっている。
けど。
「こっちです」
ミラが曲がった場所は、記憶にない。
「……マジで知らねぇ道だな」
「壁で塞がれていたそうです」
「誰が見つけた?」
「テオの班員二名です」
少し進むと、廊下の先に人影が見えた。
「リンドウ」
壁際に立っていたテオがこちらを見る。
「悪い。夜に呼んだ」
「別にいいけど。何見つけたんだよ」
「その前に」
テオが横へ視線を向ける。
二人の若い男女が立っていた。
見覚えはある。
二十四人の中でも、テオについて動くことが多い奴らだ。
「カイとリタ」
テオが紹介する。
カイは短く切った茶髪の青年で、普段からあまり喋らない。戦闘訓練でも正面から殴り合うより、相手の死角へ回るのが妙に上手かった。
リタは灰色がかった髪を肩の辺りで切り揃えた少女だ。こっちは逆に目についたものを片っ端から調べたがる性格で、以前も訓練場の古い排水路を勝手に調べてミラに怒られていた。
「見つけたのは、この二人」
「どうやって?」
俺が聞くと、リタが少しだけ得意そうに前へ出た。
「壁の音が違いました」
「音?」
「はい。旧王族区画を調べていたとき、カイが壁を叩いていて」
「何で叩いてたの?」
「癖です」
カイが答える。
「変な癖だな」
「役に立ちました」
「そうだけど」
テオが壁を見る。
そこだけ石材が外され、奥に暗い通路が現れていた。
「中が空洞だった。調べたら、後から壁を作って塞いだ跡が出た」
「罠は?」
「確認した範囲ではない。ただ」
テオが少し間を置く。
「部屋そのものを隠したかったらしい」
「……へぇ」
俺は穴の向こうを覗く。
階段が続いている。
明らかに、俺が知っている王城の設計にはない。
面白いねぇ。
いや……今はそういう気分で来たんじゃなかったわ。
「行くか」
俺を先頭に、ミラ、テオ、カイ、リタが続く。
石の階段を下りる。
思ったより深い。
「これいつ頃作られたか分かる?」
「まだ」
テオが答えた。
「ただ、壁の補修跡は新しい。少なくとも部屋より後」
「つまり、作ったあとに隠した?」
「多分」
「ますます怪しいな」
地下へ降りきると、短い通路の先に扉があった。
……古い。
金属部分には錆が浮いている。
ただ、扉そのものはかなり頑丈そうだ。
「鍵は?」
「開けました」
カイが平然と答える。
「どうやって?」
「鍵で」
「鍵あったのか?」
「作りました」
「……作った?」
「形を見て」
「お前、思ったより器用だな」
「ありがとうございます」
こいつ、もっと喋らせたら面白いタイプかもしれんぞ。
「最初は壊そうとしたんですけど」
リタが口を挟む。
「テオに止められました」
「まぁ、そりゃそうだわな」
「中の資料まで壊れたら困るから」
「そっちかい」
扉はすでに開いている。
中へ入った。
「……うわ」
思わず声が出た。
部屋自体は、それほど広くない。
ただし、壁一面に……。
棚。
棚。
棚。
古い書類や本、巻物、それから木箱。
全部ぎっしり詰まっていた。
「資料室か」
「そう見えます」
ミラが周囲を見回す。
「王城の公式記録庫とは別系統でしょうね」
「何でこんなとこ隠すんだよ」
「見られたくないものがあったからでは?」
「身も蓋もねぇな……」
「事実です」
棚の一部には番号。
年代らしき数字。
地名や軍事記録。
税。
周辺国。
モンスター。
統一感があるようで、ない。
誰かが必要なものだけ集めて放り込んだ。
そんな印象だった。
「これ、全部見たんか?」
「まだ一部だけ」
テオが首を振る。
「カイとリタが見つけて、俺を呼んだ。俺たち三人で入口周辺だけ確認した」
「それで緊急?」
「これ」
テオが一番奥の机へ歩いていく。
そこには、すでに数枚の紙が広げられていた。
古いもので、端が変色し、ところどころ擦れている。
ただ、文字は読める。
「リタが見つけた」
「たまたまです」
「何?」
「表紙に『天鯨』と書いてあったので」
俺の足が止まる。
「……天鯨?」
嫌でも頭に浮かぶ。
『天渦鯨ゼフィロス』。
現在、この世界で『五災』の一つとして恐れられている存在。
そして十二年前。
突然進路を変えたことで、一つの港町を地図から消した。
救援に向かった冒険者も、百人以上戻らなかった。
俺がこの世界へ来て間もない頃、ミラから聞いた話だった。
「これを見てくれ」
テオが一枚の紙を俺へ差し出す。
受け取る。
上部には、『天鯨進路変更事件に関する報告』、と記されていた。
その下には、発生日。
被害地域。
推定死者数。
港湾設備の損壊。
救援部隊についての記述。
俺はゆっくり目を通した。
『天鯨、予定航路を離脱』
『南西方向へ進路を変更』
『港湾地区への接近を確認』
『住民避難、間に合わず』
既に知っている話だ。
十二年前、ゼフィロスが突然進路を変えた。
その結果、港町が一つ消えた。
救援へ向かった冒険者百名以上も死亡。
何もおかしくない。
少なくとも――ここまでは。
「これだけなら、聞いてた話と同じだな」
「下」
テオが言う。
「もう少し、下を見てくれ」
「下?」
視線を動かす。
被害報告のさらに下。
そこには、事件の経過が時刻ごとに記録されていた。
天候。
風向。
天鯨の高度。
進行方向。
観測地点。
やけに細かいな……。
その中に一つ、妙な記述があった。
『第二誘導塔――稼働確認』
俺の目が止まった。
「……ん?」
読み間違いかと思って、もう一度見る。
誘導塔。
さらに下には、『第四誘導塔、出力正常』。
次に、『第六誘導塔、起動』。
そして――『天鯨、南西方向への進路変更を確認』。
「……」
俺は黙った。
ミラも何も言わない。
テオたちも、俺の反応を待っている。
もう一度、最初から読む。
『天鯨、予定航路を離脱』
その少し前。
『第二誘導塔――稼働確認』
その後、第四、第六。
そして進路変更。
「ミラ」
「はい」
「十二年前の話って」
紙から目を離さず聞く。
「天鯨が突然、進路を変えたんだよな?」
「そのように伝わっています」
「塔については?」
「少なくとも、私は聞いたことがありません」
テオも首を振る。
「一般の記録にも出てこない」
「……そうか」
もう一度紙を見る。
誘導塔。
何を誘導する塔だ?
物流?
船?
魔力?
それとも……こいつが名前通りなら。
「……何だよ、これ」
十二年前、天鯨は突然進路を変えた。
そう聞いていた。
災害だった。
予測不能だった。
だから港町は消えた。
そういう話だったはずだ。
なのに、進路が変わる直前。
何度も何かの塔が起動している。
俺は紙を持つ手へ、少しだけ力を込めた。
そして初めて。
十二年前の『天鯨進路変更事件』の中に、災害だけでは説明できないものを見つけた。
――人の手が入った跡を。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
せっかくの休息を邪魔されたリンドウでしたが、王城の地下から見つかったのは、十二年前の『天鯨進路変更事件』に関する記録でした。
「突然進路を変えた」と伝えられてきた天鯨。
けれど、その直前に何度も起動していた『誘導塔』とは何なのか。
ここから少しずつ、十二年前に起きた事件を追っていきます。
そして今回から、テオ班のカイとリタも登場しました。
二人とも今後ちょこちょこ活躍してもらう予定です。
第四章『天鯨の帰る空』も、引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。




