57:覇王、時間を狩る
『龍骸晶窟』を出たあと、俺は予定どおり最短経路で出口へ向かう――はずだった。
少なくとも、ザフィラにはそう言った。
ミラにも、必要な素材を集めたら余計なことをせず帰ると約束している。
そして今――俺が歩いているのは、《最果ての夢跡》の出口とは正反対の方向だった。
「……国防だからな」
誰もいない地下道を歩きながら、もう一度だけ自分へ言い聞かせる。
ドライに必要な素材は、すべて揃った。
神鋼・ヒヒイロカネ。
星骸鉄。
そして、禍津武から託された『武神の魂』。
本来なら、ここで帰ればいい。
というより、帰るべきだ。
それでも簡易地図に表示されていた『時蝕回廊』という名前を見た瞬間、真っ先にザフィラの大鎌が頭へ浮かんでしまった。
『クロノア』。
あいつが長く使い続けている、黒い大鎌だ。
今のままでも十分すぎるほど強い。下手に別の装備へ持ち替えさせれば、むしろ弱体化する可能性すらある。
だから、新しい武器を与えるつもりはない。
今のクロノアを、そのまま一段上へ持っていく。
「ヒヒイロカネにも余裕あるし」
当初は十個の予定だったところを、十二個まで確保できた。
ドライに必要な分を差し引き、フィーアの将来強化分を確保しても、まだ多少は余る。
そこへ『時蝕回廊』のボス素材を組み合わせれば、クロノアへ新しい能力を付与できるはずだ。
しかも、あいつの戦い方にも間違いなく合う。
「間違いなく戦力強化だろ」
自分で口にした瞬間、少しだけ苦しくなった。
確かに、クロノアを強化すれば国の戦力は上がる。
でも、それだけが理由なら、アウラやカレンの武器を先に考える選択肢だってあった。
「……まあいい」
今は考えない。
考え始めたら、何のために寄り道しているのか、自分でも分からなくなりそうだった。
♢
『時蝕回廊』の入口へ近づくにつれ、最初に異常を見せたのは音だった。
一歩、石床を踏む。
靴底が石へ触れた感触は確かにあるのに、足音だけが聞こえない。
そのまま二歩、三歩と進んだところで、今度は背後から乾いた音が響いた。
コツ、コツ、コツ。
さっきまで自分が立てたはずの足音が、数秒遅れてまとめて追いついてきた。
「相変わらず気持ち悪いな」
ゲームでは、画面に軽いノイズが入るだけだった。
時間異常フィールド。
当時の俺にとっては、その程度の認識でしかなかった。
けれど実際に自分の身体で体験すると、想像以上に感覚を狂わされる。
入口の石碑には、簡素な警告が刻まれていた。
『この先、時は一つではない』
『昨日を追うな』
『明日を待つな』
『今を見失った者から、時に喰われる』
俺は、以前なら確実に読み飛ばしていたその文字を、今回は最後まで目で追った。
「今を見失うな、ね」
少なくとも、ここへ来た者たちは時間そのものを研究していたらしい。
永遠を得たかったのか。
過去へ戻りたかったのか。
それとも、まだ誰も知らない未来を見たかったのか。
そこまでは分からない。
ただ、入口から数十歩進んだだけで、そいつらがまともな領域へ手を出していなかったことだけは理解できた。
天井から、一滴の水が落ちてくる。
俺の目の前まで来たところで、その水滴は不自然に宙へ静止した。
「……」
透明な水滴が、何にも支えられず浮かんでいる。
重力異常ではない。周囲の埃は普通に地面へ落ちているのに、水滴だけが完全に止まっていた。
試しに指先を近づける。
触れる寸前、水滴が突然百近くに分裂した。
「うおっ」
細かな水が一斉に地面へ落ち、石床の上へ広がる。
ところが次の瞬間、今度はその水が逆向きに集まり始めた。
無数の粒が一つの滴へ戻り、そのまま天井へ向かって昇っていく。
「やっぱ嫌いだわ、ここ」
先へ進む。
壁際には、小さな植物が生えていた。
葉は茶色く枯れ、茎も今にも折れそうなほど萎れている。
その横を通り過ぎようとした瞬間、枯れていたはずの根元から若葉が芽吹いた。
芽が伸び、茎になり、葉を広げる。
数秒で蕾ができ、そのまま花が満開になった。
けれど、それも長くは続かない。
咲いたばかりの花は一気に萎れ、花弁を落とし、腐って土へ還っていく。
そして、何もなくなったはずの場所から、また新しい芽が顔を出した。
「こいつだけ、何年繰り返してんだろうな」
少しだけ足を止めた。
この花自身に、その自覚はあるのだろうか。
時間を巻き戻され、何度も芽吹き、何度も咲き、そして何度も枯れていく。
それを、生きていると言っていいのだろうか。
「……考えすぎか」
今は、ヘレナのときみたいに、何でもかんでも人の物語へ結びつけるつもりはない。
ただ、以前なら気にも留めなかったものが、妙に引っかかるようになった。
それはきっと、悪い変化ではないと思う。
♢
回廊の内部には、時間異常へ適応した魔物が生息している。
最初に姿を現したのは、犬によく似た細身の四足獣だった。
けれど、その走り方がおかしい。
「来るな」
前方、十メートル。
そこにいたはずの獣が、次の瞬間には三メートルまで迫っていた。
八メートル、六メートル、四メートルと距離を詰めたわけじゃない。
その間だけが、丸ごと抜け落ちている。
「っと」
振るわれた爪を身体を横へずらして避ける。
獣はそのまま俺の横を通り過ぎた――はずだった。
ところが次の瞬間、背後から魔力の気配が膨らんだ。
「そこか!」
振り返りざまにツヴァイを振るう。
刃は確かに四足獣の肩口を捉えた。
なのに、すぐには血が出ない。
一秒、二秒。
それだけ遅れて、ようやく傷口が開いた。
「……本当に面倒だな」
こいつらは、身体の一部だけ時間の流れがずれている。
ゲームでは、単に攻撃判定が遅延する敵という感覚だった。
けれど現実になれば、これほど戦いにくい相手も少ない。
目で見た結果と、実際に起きたことが一致しないからだ。
「慣れればどうってことない」
なら、視覚に頼らなければいい。
魔力感知へ意識を切り替える。
時間がずれても、存在している魔力そのものまで完全に消えるわけじゃない。
次の攻撃が来る。
目で確認するよりも先に、背後で魔力が動いた。
位置まで分かる。
「そこ!」
振り返らず、ツヴァイを後ろへ突き出した。
刃が肉を貫く。
今度は傷が遅れて開く前に、そのまま魔力核まで破壊した。
四足獣の身体が光へ変わって消滅し、その場へ素材だけが残る。
『時蝕毛皮』
『遅延魔晶』
「いらねぇわけじゃないけど」
とりあえず回収する。
ザフィラの武器へ使うなら、もっと格のあるものが必要だ。
♢
回廊の奥へ進むほど、時間異常は露骨になっていった。
空中には火の玉が燃えたまま静止している。
近づいても熱を感じない。
けれど指先で触れた瞬間、停止していた時間が一気に動き出し、炎が爆発するように燃え広がった。
「危なっ」
慌てて後退し、風魔術で消火する。
別の場所では、崩れかけた石柱が何度も倒れる寸前まで巻き戻り、また同じように落ちようとしていた。
それだけなら、まだいい。
問題は、自分自身にまで異常が及び始めたことだった。
普通に歩いていたはずなのに、気づけば数歩先へ移動している。
「……今、飛んだな」
瞬間移動じゃねぇ。
歩いた感覚そのものは、微かに残っている。
ただ、その途中だけを思い出せない。
三歩か、四歩。
ほんの数秒。
自分の時間だけを抜き取られたような感覚だった。
「ボスの影響か?」
以前ここへ来たときは、まだこの辺りまで強い異常は出ていなかったはずだ。
となれば、近い。
『時喰いの黒獣』――クロノヴォア。
この区域における、最上位の捕食者。
「いたな」
前方の空気が、わずかに重くなる。
回廊を抜けた先には、円形の広場が広がっていた。
その中心に、黒い影がいる。
最初に見た瞬間、なぜかザフィラの姿が頭に浮かんだ。
もちろん、似ているわけじゃない。
ザフィラは獣人であり、人の姿を基本として黒豹の耳と尾を持っている。
目の前にいるのは、完全なモンスターだ。
四足で立つその体長は、五メートルを軽く超えている。
黒豹に似たしなやかな身体は漆黒の毛で覆われ、その隙間からは青白い結晶が骨のように突き出していた。
銀色の瞳。その中心には、縦に細い瞳孔がある。
『時喰いの黒獣クロノヴォア』
『Lv99』
『特殊個体』
「九十九ね……」
無銘の武神と違い、レベルそのものは確認できる。
だからといって簡単な相手という意味ではない。
むしろ単純なステータスだけなら、この『最果ての夢跡』でも最上位に入る。
「クロノアの素材にするには」
フィーアを抜く。
「悪かないな」
クロノヴォアの頭部にある突起が、耳のようにわずかに動いた。
次の瞬間、姿が消える。
「来る」
右側で魔力が膨らんだ。
身体を捻る。
黒い爪が頬を浅く切り裂き、血が飛んだ。
「っ」
見えなかった。
けれど、攻撃の直前に魔力の気配だけは確かにあった。
「時間だけをすっ飛ばしたか?」
クロノヴォアは、すでに離れた場所へ移動している。
いや、移動したんじゃない。
奴が俺の近くまで走ってきた数秒間を、丸ごと食ったんだ。
だからこちらから見れば、位置だけが突然変わったように見える。
「瞬間移動とは違うな」
瞬間移動なら、空間そのものが変化する。
術式や転移先、魔力の揺らぎからある程度読むことができる。
でも、こいつは本当にその距離を走っている。
ただ、その過程だけがこちらの時間から抜け落ちる。
「……面白い」
フィーアを投げる。
巨投剣が真っ直ぐクロノヴォアへ飛ぶ。
命中する――はずだった。
けれど次の瞬間、刃だけが何もない空間を通過し、クロノヴォアは数メートル右へ移動していた。
「自分の時間も食えるのか」
攻撃を受ける直前、その瞬間そのものを削り取っている。
傷つくはずだった時間を消せば、攻撃された事実だけを飛ばすことができる。
「じゃあ」
フィーアを転移させ、手元へ戻す。
「一回じゃ足りねぇな」
再び投擲。
同時にツヴァイを抜き、左右から挟み込むように攻撃する。
クロノヴォアが時間喰いを使い、一つ目の攻撃を回避した。
その直後、俺自身が一気に距離を詰める。
「連続では使えないってことか」
予想は当たった。
クロノヴォアは今度こそ普通の速度で身をかわそうとする。
「取った!」
ツヴァイが肩口を切り裂き、黒い毛の下から血が流れた。
今度は遅れない。
低い咆哮が広場へ響き、空気が震える。
「怒ったか?」
クロノヴォアが身体を沈める。
「来いよ、犬畜生が!」
俺も武器を構え直した。
♢
数分後。
俺は最初の予想を修正することになった。
「……こいつ」
頬だけじゃない。
肩や腕にも浅い傷が増えている。
時間喰いは、単なる回避技じゃなかった。
クロノヴォアは、相手の時間まで食える。
さっきまで俺はフィーアを振っていた。
そこまでは覚えている。
なのに次の瞬間には、地面へ片膝をついていた。
腹が痛い。
正面には、クロノヴォアがいる。
「三秒くらいか?」
その間、何をされたのかまったく分からない。
おそらく相手からすれば、俺だけが止まって見えていたのだろう。
いや、正確には停止させたんじゃない。
俺の時間そのものを奪った。
「これは……」
ゆっくり立ち上がる。
「食らう側は最悪だな」
自分が確かに存在していたはずの数秒。
そこで何をしていたのか、まるで分からない。
その間、敵だけが自由に動ける。
強いな……これをクロノアへ上手く落とし込めれば――。
「ザフィラなら」
大鎌の長い間合い。
それを自在に振るう速度。
そして、ほんの僅かな隙さえあれば、あいつは確実に首を落とせる。
「一秒でも十分だな」
さすがにユニークボス相手へ三秒も止められたら強すぎる。
格上や、強い魔力抵抗を持つ相手なら0コンマ数秒。
ほんの一瞬でいい。
ザフィラなら、その一瞬を確実に致命傷へ変えられる。
「……やっぱ欲しいわ」
これで目的は決まった。
クロノヴォアが、また視界から消える。
今度は動かない。
「そこだろ」
見るべきなのは、目の前じゃない。
空間、時間――そして魔力。
奴が自分の時間を食ったとしても、次に現れる場所そのものまで完全に消えるわけじゃない。
背後。
「読めた」
振り向きざまにフィーアを横薙ぎに振るう。
クロノヴォアが時間喰いで回避した。
「分かってるぞ」
それこそが狙いだ。
回避を使わせた。
なら、次は使えない。
ツヴァイを抜き、一気に踏み込む。
クロノヴォアが爪を振るう。
それを受け流し、そのまま首へ刃を走らせた。
「浅い」
確かに切れた。
だが、致命傷には遠い。
クロノヴォアが咆哮し、銀色の瞳が青白く光る。
「まずっ」
相手の時間を喰う攻撃。
今度は回避するんじゃない。
「させねぇ」
フィーアを地面へ突き刺す。
魔力を流し、自分の周囲へ固定術式を展開する。
転移術式の応用だ。
時間そのものを守ることはできない。
でも、俺という存在の位置と魔力だけなら、ある程度この空間へ縫い付けられる。
クロノヴォアが吠えた。
視界が揺らぐ。
一瞬だけ記憶が途切れかける。
「っ……!」
踏ん張る。
意識は消えない。
全部は持っていかれなかった。
「効く!」
次の瞬間、クロノヴォアが正面から飛び込んでくる。
俺は地面からフィーアを抜いた。
「終わらせるぞ!」
走る。
クロノヴォアも来る。
途中で時間喰いを使い、その位置が一瞬で飛んだ。
俺の左。
そこまでは予測済みだ。
転移させたフィーアを右側へ出現させ、退路を塞ぐ。
クロノヴォアの動きがほんの一瞬止まった。
「そこ!」
ツヴァイを投げる。
刃が前脚へ突き刺さり、その巨体が崩れた。
さっき時間喰いを使ったばかりだ。
連続では使えない。
「もらった!」
フィーアを手元へ戻し、両手で一気に振り下ろす。
黒い首を覆っていた装甲のような結晶が砕け、その下へ刃が深く食い込んだ。
クロノヴォアが激しく暴れる。
「まだ!」
さらに魔力を流し込む。
フィーアの刃が、もう一段深く沈む。
魔力核の位置は胸部。
「座標転移!」
一度フィーアを消す。
次の瞬間、クロノヴォアの体内。
魔力核のすぐそばへ刃を直接出現させた。
「終わりだ」
刃が核を貫く。
クロノヴォアの身体が完全に止まった。
銀色の瞳が、一度だけこちらを見る。
やがて全身から力が抜け、巨大な身体が地面へ倒れた。
黒い毛並みが、ゆっくり光の粒子へ変わっていく。
「……」
禍津武のときとは違う。
クロノヴォアは、このダンジョンに生きる魔獣だ。
その消滅へ、何か特別な言葉をかけるつもりはない。
ただ、長い年月をこの異常な環境で生き抜き、ついには時間そのものを喰うまでに適応した。
それはそれで、とんでもない生き物だったのだと思う。
光が消えたあと、地面へいくつかの素材が残った。
『時蝕黒毛』
『時喰牙』
『刻蝕晶核』
「はぁ……一発で出たな」
最後の素材へ目を向ける。
黒い結晶。
その中心だけが青白く、ゆっくりと明滅している。
手へ取った瞬間、指先へ伝わる感触が一秒ほど遅れた。
「こいつだな」
『刻蝕晶核』
『希少度:EX』
『時間異常環境へ長期適応した特殊魔獣が形成する晶核』
『蓄積された時間干渉性を持つ』
「十分だろ……」
すぐに頭の中で、クロノアの強化案を組み立てる。
既存の大鎌を基礎に、ヒヒイロカネで負荷の大きい部分を補強する。
そこへ『刻蝕晶核』を組み込み、時間干渉を一つの能力として成立させる。
「最大三秒」
格下なら、そのくらい。
同格なら、一秒か二秒。
格上になれば、0コンマ数秒。
ユニーク級なら、本当に一瞬しか止められないかもしれない。
それでも――。
「ザフィラなら、それで十分だろ」
連続使用は不可。
時間を巻き戻すこともできない。
当然、死者を蘇らせるようなこともできない。
ただ、ほんの少しだけ対象の“今”を止める。
「『零刻』」
口に出してみる。
悪くない名前だ。
「帰ったら作るか」
『刻蝕晶核』をインベントリへ収納する。
そこでふと、新しいクロノアを手にしたザフィラの姿を想像した。
あいつは喜んでくれるだろうか。
「……まあ」
多分、喜ぶ。
そう思うと、何となく気分がよかった。
♢
その夜。
『時蝕回廊』を出てすぐの安全区画で、久しぶりに少しまともな野営をした。
明日からは本当に帰る。
今度こそ寄り道もしない。
そう決めて、倉庫魔道具やインベントリの中身を整理していく。
「ヒヒイロカネ」
十二個。
まずはドライ。
将来的にはフィーアやほかの武器。
そして今回、クロノアにも使う。
それぞれに必要な量を頭の中で計算していくと、それでもまだ少量は余りそうだった。
「……余るな」
もう一本大きな武器を作れるほどではない。
でも、小さな部品や装飾品程度なら、いくつか作れる。
普通なら予備素材として、そのまま保管しておく。
ヒヒイロカネは、神鋼鉱脈そのものを0.02%という確率で引かなければ手に入らない超希少素材だ。
何日も掘り続けて、ようやく手に入れた。
世界最高峰の武器にだって使える。
「……」
手の上へ、小さな端材を一つ取り出す。
赤金色のそれを眺めていると、頭の中へ最初に浮かんだものがあった。
自分で思いついておいて、少しだけ引く。
「……いや」
別に変じゃない。
小さいし、加工もそこまで難しくない。
何の機能もつけなければ、すぐに終わる。
「……」
なぜか周囲を見回す。
誰もいない、当たり前だ。
ここは『最果ての夢跡』の安全区画。
高ランクダンジョンの奥地で、俺の作業を見ている奴なんているわけがない。
「何の確認してんだよ、俺」
自分で呟いてから、少しだけ呆れる。
それでも、もう作る気にはなっていた。
携帯鍛冶道具を取り出し、簡易小型炉へ火を入れる。
その中へヒヒイロカネの端材を入れた。
当然、普通の火程度では簡単に柔らかくなってくれない。
直接魔力を流し込みながら炉の温度を上げていくと、赤金色の金属がようやく加工できる程度まで軟化し始めた。
「武器より緊張するの、何なんだろうな」
もちろん、誰も答えない。
小さな金属を丁寧に細く伸ばし、ゆっくりと丸めていく。
端と端を接合し、形を整え、最後に表面を磨いた。
装飾はないし、宝石もない、魔術式も刻まない。
何か特別な効果を付与することもしなかった。
本当に、ただの輪だ。
「……地味だな」
見た目だけなら、ごく普通の指輪だった。
赤金色というヒヒイロカネ特有の色合いが少し目を引く程度で、それ以外に派手な部分は何もない。
『ヒヒイロカネの指輪』
『希少度:EX』
『付与効果:なし』
『特殊能力:なし』
『耐久性:極めて高い』
「希少度EXで、効果なし……か」
思わず笑ってしまった。
「馬鹿みてぇだな」
ゲーム時代の俺なら、絶対にやらなかった。
ヒヒイロカネほどの貴重素材なら、武器か防具へ使う。
性能を上げるため。
数値を伸ばすため。
装備を強化するため。
それ以外へ使う理由なんてなかった。
まして、アクセサリーとして指輪を作っておきながら、付与効果もステータス上昇も特殊能力も一切ないなんて、当時の俺なら完全な無駄だと切り捨てていただろう。
ただ、異様に壊れにくい。
それだけの指輪。
「……何作ってんだ、俺」
本当に、自分でもよく分からない。
誰かへ渡すため。
理由は、それだけだ。
ゲームなら無駄だった。
でも今は、不思議と無駄だとは思わない。
「……」
手のひらの上で、指輪を転がしてみる。
大きさは、多分合っている。
昔、クロノアの柄を調整したときに手の大きさを見た。
その感覚が、まだ残っていた。
「何で覚えてんだよ……キモいな」
また自分へ突っ込む。
少しだけ恥ずかしくなった。
それでも、捨てる気にはならない。
インベントリを開き、いつもの素材の中へ入れようとして――手を止めた。
「……こっち」
普段あまり触らない奥の区画。
大事なものや、絶対になくしたくないものを入れている場所。
そこへ指輪をしまった。
小さく、『ヒヒイロカネの指輪』という表示が浮かぶ。
「帰ったら」
そこまで言って、止まる。
「いや……まあ、そのうち」
何のために作ったのか。
誰へ渡すのか。
そして、そこにどんな意味があるのか。
今はまだ、わざわざ言葉にする気はなかった。
それでいい。
焚き火の炎が、夜風に揺れている。
長かった、本当に。
ヒヒイロカネを掘り。
禍津武と戦い。
星骸鉄を手に入れ。
最後にはクロノヴォアまで倒した。
欲しかったものは、全部揃った。
あとは、本当に帰るだけだ。
「明日からは……」
毛布へ横になり、目を閉じる。
「本当に帰る」
その夜。
ザフィラから届いた通信に、『時蝕回廊』へ寄ったことだけは――最後まで言わなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は『時蝕回廊』への寄り道回でした。
目的はあくまで――国防のためのクロノア強化。
……本人はそう言い張っています。
『刻蝕晶核』も無事に手に入り、ザフィラの大鎌には新たな力を与えられそうです。
そして、もう一つ。
ゲーム時代のリンドウなら絶対に作らなかった、
何の効果も持たないヒヒイロカネの指輪。
強さにも、効率にもつながらないものを作ったこと自体が、今のリンドウらしい変化なのかもしれません。
次回、ようやくアルセディアへ帰還です。
……今度こそ、本当に帰ります。




