55:覇王、武の果てを知る。
拳と拳がぶつかった瞬間、鈍い衝撃が腕を駆け上がった。
剣を受けたときとも、斧を受けたときとも違う。
間に金属がないぶん、相手がどれだけの力を込め、どんな角度で拳を打ち込んできたのかが直接身体へ伝わってくる。
「っ……!」
押し負ける前に腕を外し、身体を半歩だけ横へずらす。
無銘の武神は追ってきた。
右拳を受け流した直後、脇腹へ左の掌底。
腕で防げば、そのまま俺の手首を掴み、身体を沈めて懐へ入ってくる。
「投げか!」
腰へ腕を回される寸前、相手の膝を蹴って軸を崩した。
それでも止まらない。
武神は俺の腕を離すと、今度は肘を顔面へ叩き込んでくる。
上体を反らしてかわす。
鼻先を掠めるほど近くを肘が通過した。
反撃に腹へ拳を入れようとした瞬間、武神の膝が跳ね上がる。
「うおっ!」
攻撃を中断し、両腕で受けた。
身体が浮く。
後ろへ二歩、三歩と下がって着地したときには、もう相手が目の前にいた。
「相変わらず、素手になってからの方が強ぇじゃねぇか」
笑いながら構え直す。
ゲーム時代にも知っていた。
『無銘の武神』の最終形態。
固有領域『武装封絶』によって互いの装備とアイテムを封じ、最後は純粋な肉体と技術だけで決着をつける。
当時は面倒なギミックだと思っていた。
ここまで来れば武器の性能も、付与効果も、装備補正も意味を失う。
どれほど強い武器を集めても、最後に頼れるのは自分自身だけ。
世界一位だった俺も、初見では何もできずに叩きのめされた。
だが、そのたびに動きを覚えた。
拳の角度。
足の運び。
体重移動。
投げへ入る前の僅かな肩の動き。
何度も死んで、何度も挑み直して、最後には素手でも勝てるようになった。
だから今回も――。
「右」
武神が踏み込んだ瞬間、俺は先に身体を動かした。
拳が来るはずだった場所から頭を外し、懐へ潜る。
鳩尾へ掌底を叩き込み、そのまま顎へ肘を跳ね上げた。
だが、武神も俺の攻撃を読んでいた。
身体を捻って掌底を逃がし、肘を肩で受ける。
直後、俺の軸足を刈った。
「まだ!」
倒れながら武神の腕を掴み、勢いを利用して巻き込む。
二人そろって石床へ転がった。
すぐに起き上がる。
距離は二メートル。
武神も立っていた。
その頬に、薄く血が滲んでいる。
「いい顔するようになったな」
返事はない。
ただ、その口元にはもう隠す気もない笑みが浮かんでいた。
ゲームの画面越しでは、一度も気づかなかった顔だった。
「じゃあ、もう少し付き合えよ」
俺は地面を蹴った。
♢
拳だけじゃない。
無銘の武神が極めていたのは、あくまで『武』そのものだった。
殴る。
蹴る。
投げる。
関節を極める。
体勢を崩す。
相手の力を利用する。
こちらが距離を取れば一気に詰め、近づけば身体を密着させて拳を封じてくる。
数分もすれば、俺の全身には細かな傷が増えていた。
それは向こうも同じだ。
俺の拳が頬へ入り、蹴りが脇腹を捉え、投げによって背中から石床へ叩きつけた。
それでも互いに止まらない。
久しぶりだった――。
勝たなければならないから戦うんじゃない。
守るものがあるからでも、何かを救うためでもない。
ただ、目の前に強い相手がいる。
自分がどこまで通用するのか試してみたい。
そんな理由だけで戦うのは、本当に久しぶりだった。
「はっ!」
右拳を囮にする。
武神が外へ流したところで、左肩をぶつけた。
相手の重心が僅かに浮く。
足を掛け、腰を回し、そのまま投げる。
だが背中から落ちる寸前、武神が俺の襟を掴んだ。
「おい!」
視界が反転する。
俺まで巻き込まれ、今度はこっちが下になった。
背中へ衝撃、息が抜ける。
すぐ上から拳。顔を横へ逃がした。
石床が砕け散った。
「危ねぇな!」
肘で武神の腕を押し退け、腹へ膝を入れる。
離れたところで起き上がった。
呼吸が荒い……でも、嫌じゃない。
「やっぱ楽しいわ、お前」
武神は答えない。
それでも、間違いなく聞いていた。
ゆっくり拳を構え直す。
今度は、向こうから来なかった。
「……そういうこと?」
待っている。
なら――行くしかねぇよな。
身体強化を一段階上げた。
脚へ魔力を集め、踏み込む。
石床が砕けた。
一瞬で距離を潰し、真っ直ぐ顔を狙う。
武神は避けない。
正面から拳を合わせてきた。
衝突。
骨まで響く。
互いに引かず、二発目。
三発目。
受け、流し、返す。
武神の拳が俺の頬を打ち抜く。
頭が揺れた。
それでも一歩だけ踏ん張り、同じ場所へ拳を返した。
武神もよろめく。
「まだだろ!」
腹へ。胸へ。顎へ。
最後の右拳。
武神が腕を上げる。
だが――ほんの僅か。
遅い。
「もらった!」
拳が顎を捉えた。
巨体が浮き、背中から石床へ落ちた。
……音が消えた。
『武装封絶』の領域が、ゆっくりと薄れていく。
俺は肩で息をしながら、その場へ立っていた。
「……勝った」
武神は動かない。
やがて身体が淡い光へ包まれる。
見慣れた光景。
ゲーム時代と同じ――討伐、消滅、そしてドロップ。
床にいくつかの光が落ちた。
『極技の欠片』
『武錬晶』
『無銘の布』
「……ない」
目的の名前。
『武神の魂』。
それが……ない。
「まあ、一発で出るわけねぇよな」
0.02%。
そんなもんだ。
俺は落ちた素材を回収し、アイテムボックスを確認する。
武装封絶も解除されている。
フィーアもツヴァイも使える。
そして、闘場中央へ光が集まり始めた。
「やっぱ復活するか」
粒子が人の形を作る。
数十秒後。
そこには、さっき倒したはずの無銘の武神が立っていた。
傷はない、全てが元通り。
「さて」
俺は首を鳴らす。
「次、行くか」
♢
二戦目、武神の魂は出なかった。
三戦目、出ない。
四戦目も、五戦目も、期待した名前は表示されなかった。
戦闘そのものは長い。
剣から始まり、槍、斧、弓、双剣、大剣、鎌、棍。
最後は武装封絶。
一度倒すだけでもかなりの時間がかかる。
だから、採掘と同じ速度では周回できない。
それでも、俺は続けた。
「次」
再構成された武神へ向かう。
戦い、倒し、ドロップを見る。
なかったら、休む。
食べて、眠って、起きて、また戦う。
ゲーム時代なら、これを何百回でも繰り返した。
0.02%。
数値だけ見れば、五千回に一回。
もちろん確率なんてものは、五千回やれば必ず出るという意味じゃない。
一発で出ることもあるし、一万回やっても出ないこともある。
それでも、出るまで続ければいい。
俺は、そういう遊び方をしてきた。
七戦目が終わった夜、安全区画まで戻ったところで、通信魔道具が光った。
『まだ闘場?』
「まだだよ」
ザフィラだった。
『何回倒したの?』
「七回」
『七回も?』
「まだ七回だろ」
『その感覚がおかしいのよ』
「超低確率だからな」
『聞くたびに嫌になる数字ね……』
「俺は好きだけど?」
『どうして?』
「出たとき嬉しいじゃんか」
『それまでずっと苦しいでしょう?』
「だから嬉しいんだろ」
通信の向こうから、長い溜息がした。
『私には分からないわ……』
「分からなくていいさ」
『あと何回?』
「出るまで」
『……一か月』
「分かってるよ」
『今日は何日目?』
「九日目」
『覚えてるじゃない』
「お前が毎日聞くからな」
『私は数えてないけど』
「まだ言うのか?」
少し笑う。
『怪我は?』
「多少」
『多少って?』
「普通に殴られてる」
『治して』
「もう治したよ」
『顔も?』
「顔?」
『顔を殴られたって昨日言ってた』
「覚えてんの?」
『覚えてないわ』
「もう無理あるって、その言い訳」
『……ちゃんと帰ってきてね』
急に、少しだけ声が柔らかくなる。
「ああ」
『素材が出なくても』
「それは困る」
『……ご主人様?』
「冗談だよ」
半分くらいはな。
『明日も連絡して』
「分かった」
『おやすみ』
「おやすみ」
通信を切った。
明日も、また戦う。
そのときの俺は。
まだ……そう思っていた。
♢
十戦目。
違和感を覚えたのは、剣だった。
「……ん?」
いつもなら、三連撃、横薙ぎ、刺突。
そこから一歩下がって構え直す。
俺は、その刺突へ合わせて懐へ入るつもりだった。
だから先に踏み込んだ。
なのに――刺突が来ない。
「――!」
無銘の武神は。
俺が踏み込んだ瞬間、剣を手放した。
空いた左手で、俺の手首を掴む。
「は?」
引かれ、体勢が崩れる。
そこへ、剣を持っていた右手の肘。
顔面へぶち込まれる。
「ぐっ!」
まともに受け、後方へ飛ばされる。
「……今の」
頬を押さえる。
武神は、落とした剣を拾わない。
新しい剣を形成し、構える。
「そんなパターン、あったか?」
知らない――少なくとも、俺が覚えている攻略パターンにはない。
「偶然か?」
戦闘を続ける。
槍。こちらは大きな変化なし。
斧。同じく変化なし。
弓の時。
「……まただ」
いつもなら、俺が矢を弾く。
その隙に武神が距離を詰めてくる。
だから、今回は先に迎撃するつもりでフィーアを出現させた。
だが、来なかった。
武神は距離を取ったままもう一射。
俺が用意していた迎撃は空振り。
その瞬間だけを狙い、矢が飛んできた。
「俺の動きを見た?」
矢を弾く。
無銘の武神を見る。
何も言わない。
「……いや」
まだ、決めつけられない。
ボスに複数の戦闘パターンがあるなんて珍しくない。
ゲーム時代、俺が見たことのない行動があっただけかもしれない。
でも、十一戦目、十二戦目。
続けていくうちに、明らかになった。
武神は、俺が前の戦いで使った技を避け始めた。
こちらが棍を使ったときに盗んだ。
握りを滑らせ、先端速度を上げる打撃。
最初は当たった。
二度目も。
だが、三度目。
無銘の武神は、俺の手が滑る瞬間に棍の内側へ入ってきた。
先端が最も速くなるなら、根元は逆に遅い。
そこを狙われた。
「……おい」
脇腹へ武神の棍が叩き込まれる。
身体を飛ばされながら確信した。
「お前」
着地。
「覚えてやがるな?」
無銘の武神は何も答えない。
ただ、笑った。
今までで、一番はっきりと。
「……まじかよ」
心臓が、少しだけ速くなる。
ゲーム時代、こいつと何度も戦った。
当時も周回するほど行動が微妙に変わることはあった。
俺はそれを、学習型の戦闘AIだと思っていた。
プレイヤーの行動傾向を読み、攻略を単調にしないためのシステム。
面白いボスだと思った――それだけだった。
「違ったのか?」
剣を交える。
「お前が」
槍をかわす。
「ずっと」
斧を弾く。
「覚えてた?」
問いかけても、返事はない。
でも、もう――答えなんて必要なかった。
目の前にいるこいつは前の俺を知っている。
今の俺を見ている。
そして、戦うたびに俺への対策を積み重ねている。
そういう相手だ。
「ははっ」
笑った。
「いいね!」
素材集め。
そのつもりだった。
素材が出るまで何度も倒すだけ。
でも――違う。
「なら俺も、同じ戦い方してる場合じゃねぇな」
ツヴァイをしまうと、武神の目が動く。
「お前が覚えるなら」
フィーアを構える。
「俺も変える」
その日の戦いは。
今までで一番長くなった。
♢
そこから、周回という言葉は少しずつ似合わなくなっていった。
戦うたびに武神は変わる。
そのたびに俺も変える。
前に見せた動きは使わない。
使うならその対策まで利用する。
こちらが誘えば、向こうも誘う。
フェイント。読み合い。技の潰し合い。
一戦ごとに、前の戦いが次へ残る。
十六戦目、槍で負けかけた。
十八戦目、素手の状態で初めて関節を取られた。
二十戦目、俺が武神の新しい投げを盗んだ。
二十一戦目、その投げを次の戦いで武神に返された。
「お前、性格悪いな!」
叫ぶと、武神が笑う。
本当に笑うようになった。
そして――二十四戦目。
最初から空気が違った。
闘場の中央。
無銘の武神はこれまでのように、俺が舞台へ上がるまで待ってはいなかった。
すでに剣を持って構えている。
「……待ってたか?」
武神は笑う。
返事はない。
「いいだろう」
俺も、フィーアを抜く。
今回も、攻略パターンは使わない。
何をしてくるのか本当に分からない。
だったら――真正面から。
「やろうぜ?」
戦闘が始まった。
♢
剣から槍へ、いつもの順番。
そう思った瞬間、槍と剣を同時に持った。
「二本ありだったのかよ!」
剣の斬撃をフィーアで受ける。
その下から槍が腹を掠める。
後退するも武神は追う。
瞬間、槍を投げた。
「!」
頭を避ける。
その隙に、剣が肩を掠め、血が飛び散る。
「やるな!」
俺もツヴァイを追加。
フィーアを投げ、ツヴァイで接近。
武神が、斧、剣、槍と、次々と形成する。
もう武器ごとの段階なんてない。
生涯で覚えたものを、全部混ぜている。
「こっちも!」
フィーアで転移。
背後では回避される。
だからそこへ俺自身が踏み込む。
ツヴァイで右からの攻撃を受けられる。
左からの攻撃は肩へ入った。
武神は膝をつき。
俺は腹に一撃をもらう。
「ぐっ!」
互いに傷が増える。
時間が経つと、武装封絶がようやく発動する。
すべての武器が消える。
「こっからだぞ……気合入れろ!」
でも、これまでとは違う。
俺も、こいつも。
もう相手の癖を知りすぎている。
拳は読まれる。
なら途中で掌底へ。
武神は避ける。
奴の足払いは跳んで避ける。
着地を狙う膝。
俺は空中で身体を捻り、武神の肩を踏む。
「!」
初めて、奴は驚いた顔をした。
「それは知らねぇだろ!」
頭上を越え、背後へ着地。
そして振り向きざまに拳。
武神も振り向き、拳を打ち込んでくる。
衝突。
互いの皮膚が裂ける。
痛い……、だけど楽しい!
「まだ!」
肘を受け。
膝は外す。
武神の手が俺の首へ。
掴まれる前に腕を絡める。
そして投げ技。
今まで二十戦以上して、こいつとの戦いの中で覚えた形。
武神が投げられながら、こちらの腕を取る。
「分かってる!」
それも前にやられた。
だから途中で手を離す。
武神だけが地面へ落ちる。
でも、それで終わらない。
起き上がり顔面へ拳が撃ち込まれる。
「ぐっ!」
俺も返す。一発、二発。
防御なんてどこかへ行った。
最後は意地だった。
どちらが立っていられるか。
武神の右拳が頬へ、俺の視界が揺れる。
俺の左が腹へ、武神が僅かに沈む。
「ここ!」
右で顎に入った。
武神の身体が後ろへ傾く。
――それでも、倒れない。
最後の拳が、俺へ伸びてくる。
避けずに一歩前へ、相手の拳が肩を掠める。
俺の拳は胸、心臓のすぐ上。
「終わりだ!」
魔力を、全部乗せる!
衝撃。
無銘の武神の身体が、数メートル吹き飛んだ。
石床を滑り、何度も跳ね、止まる。
今度こそ――立たなかった。
「……」
俺も膝へ手をつく。
「きっつ……」
呼吸が整わない。
全身が痛い。
でも……勝った。
武神を見る。
倒れたまま、こっちを見ていた。
そして――。
「……ようやく」
「……え?」
声だ――初めて、声を聞いた。
低く、少し掠れた人の声。
無銘の武神が、笑っている。
「ようやく、見つけた」
俺は、息を整えながら、ゆっくり近づいた。
「……喋れたのかよ」
「……必要が、なかった」
「今まで?」
「ああ」
「ずっと?」
「長い間」
武神は、空を見上げる。
誰もいない観客席、静かな闘場。
「俺は、強者を探した」
声は弱い。
でも……満足そうだった。
「剣を学んだ」
「槍も」
「弓も」
「拳も」
「知ってる。嫌ってほど食らったからな……」
「そうか」
武神は笑う。
「一つを極めれば、その先に強き者がいると思った」
「だが、いなかった」
「次を学んだ」
「また、いなくなった」
国を渡った。海を越えた。名のある武人を訪ねた。
戦場へも赴いた。
勝って、また勝った。
そして、勝つほどに……戦ってくれる者がいなくなった。
「俺は、最強になりたかったわけではない」
武神が、こちらを見る。
「負けたかったのか?」
「……少し、違う」
「じゃあ……」
「本気で、戦いたかった」
その言葉で、分かった。
「勝てるか分からない相手と?」
「ああ」
「すべてを出し切って?」
「ああ」
「……なるほどなぁ」
そのために強くなった。
でも、強くなるほど目的から遠ざかった。
まったく……皮肉な話だよ。
「最後に聞いた」
武神が、ゆっくり話す。
「世界の果てには、まだ見ぬ強者がいると」
「それで、ここへ?」
「ああ」
「いたのか?」
武神は、目を閉じる。
「いなかった」
小さく笑う。
「だから、待った」
肉体が朽ちても、夢だけを――ここへ残した。
いつか、自分より強い者がこの闘場へ来る。
そう信じて。
「……何年待った?」
「知らん」
「百年以上かもしれねぇぞ」
「構わん」
武神が、また俺を見る。
「だが……待った甲斐があった」
胸が、少しだけ熱くなる。
俺にとってこいつは、ゲーム時代素材を落とすボスだった。
強くて、楽しい。
でも、倒したらドロップを見る。
出なければまた戦う。
それだけ。
何度も戦った。
なのに、何を待っていたのかは、知らなかった。
「なあ……」
武神が言う。
「お前の名を聞かせろ」
「……リンドウだ」
「リンドウ……」
一度、確かめるように口にする。
「そうか」
武神が、満足そうに笑った。
「覚えた」
「今度は俺の番だ」
「……?」
「お前は?」
ゲームでは。
『無銘の武神』。
石碑には、名を知る者はいないとあった。
「名前だよ」
俺は聞く。
「本当は、あるんだろ?」
武神は、少し驚いたように目を開いた。
それから、笑った。
「禍津武」
「マガツタケ?」
「ああ」
「俺の名は――禍津武」
その名前を頭へ刻む。
「覚えた」
「そうか」
禍津武の身体が、少しずつ光へ変わり始める。
「おい」
「もういい……」
「まだ復活するだろ?」
何度もそうだった。
倒すと消える。
そしてまた、闘場の中央へ戻ってくる。
でも、禍津武は――首を横へ振った。
「リンドウよ」
「んだよ……」
「いい、戦だった」
本当に、嬉しそうに笑った。
そして――消えた。
光が、ゆっくりと一つへ集まる。
俺の前。
小さな、黄金色の結晶。
視界へ表示が出る。
『特殊報酬を獲得しました』
『武神の魂』
『希少度:EX』
「……」
一瞬。
頭が何も考えられなくなった。
それから――。
「出た……」
思わず、結晶を拾う。
「マジか……」
ゲーム時代、一度しか取れなかった素材。
ドライに必要な、最大の難関。
「出たぞ……!」
普通に喜んだ。
でも、数秒して。
「……あれ?」
闘場中央を見る。
いつもなら、もう再構成が始まっている。
光の粒子、人の形。
それが――ない。
「……おい」
待つ。一分、二分と。
しかし何も起こらない。
「おい、禍津武?」
呼ぶも、返事はない。
当たり前だ、闘場には俺一人。
そして、そこでようやく気づいた。
「確率ドロップじゃ……なかった?」
いや、ゲームの攻略情報としてはそうだった。
何度倒しても『無銘の武神』は復活した。
何千、何万というプレイヤーの討伐記録から、ドロップ率は0.02%とされていた。
俺も、そう信じていた。
ただの超低確率素材。
でも――違った。
手の中にある、黄金の結晶を見る。
「お前の……魂だったのか」
これを、何度も落とすわけがない。
禍津武は――ずっと戦い続けていた。
相手を見て、覚えて、学んで、求めていた。
自分を超える相手を。
――そして。
見つけたときだけ。
最後に、自分の魂を託す。
「一点ものかよ」
笑いが少しだけ漏れる。
「そんなもん、攻略情報だけじゃ分かんねぇよ……ばかやろう」
『武神の魂』。
欲しかったし、ドライを作るには必要だ。
だから、使う。
それでも――もう、ただの素材には見えなかった。
「ちゃんと使うよ」
誰もいない闘場へ向かって言う。
「お前の魂」
手の中の結晶を、インベントリへ大切にしまう。
「世界最高峰の武器にしてやる」
返事はない。
もう、禍津武はここにはいない。
でも……それでいい。
「楽しかった」
俺も、少し笑う。
「いい戦いだったよ、禍津武」
その日。
『武極の闘場』から、『無銘の武神』は消えた。
残ったのは、壁や床に刻まれた数え切れない戦いの跡。
そして――
俺の手の中に残った、たった一つの魂だけだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『無銘の武神』――その本当の名は、禍津武『マガツタケ』。
リンドウにとっては、何度でも復活する0.02%の素材ボス。
けれど彼はずっと、戦った相手を覚えながら。
自分のすべてをぶつけられる、たった一人を待ち続けていました。
そして最後に残された『武神の魂』。
もう、ただの素材ではありません。
禍津武から託されたその魂を使って、リンドウは『ドライ』を鍛えることになります。
でもその前に――素材は、あと一つ。
次回、『龍骸晶窟』へ。
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。




