52:覇王、最果ての夢跡へ。
アルセディアを出たのは、まだ空が白み始めたばかりの時間だった。
西門の前。
見送りに来ていたのは、ミラとザフィラ。
ほかの連中には、昨日のうちに話を済ませてある。
「何度も申し上げますが」
ミラが、俺の前で指を一本立てる。
「目的は『ドライ』の製作素材です」
「分かってるよ」
「必要以上の寄り道は禁止」
「分かってるって」
「珍しい素材を見つけても?」
「……必要なら拾う」
「リンドウ様」
「拾うだけなら寄り道じゃねぇだろ」
「その理屈で予定を一週間延ばす未来が見えます」
「大丈夫だよ」
「まったく安心できません」
朝から細かい。
今回持っていくのは、野営道具、保存食。水、携帯鍛冶道具、採掘用の装備一式。
街でも使う鉱石があるから、空にしておいた倉庫魔道具。
それから、必要最低限の回復薬。
食材の祠とはわけが違う。
今から向かう場所は推奨レベル九十以上。
この世界で言えば、そこらの冒険者が観光気分で足を踏み入れていい場所じゃない。
「本当に、一人で行くのか?」
ザフィラが聞く。
人前だからいつもの落ち着いた口調だ。
「ああ」
「私が行っても――」
「駄目」
「まだ最後まで言ってないだろ」
「どうせ、一緒に行くって言うんだろ」
「……そうだが」
「国を頼む」
俺が言うと。
ザフィラは、不満そうに耳を伏せた。
「それを言われたら、何も言えない」
「だから言った」
「ずるいな……」
「帰ってくるって」
「一か月?」
「くらい」
「その『くらい』が怖いの」
「素材の機嫌次第だな」
「素材に機嫌なんてあるのか?」
「レアドロップにはある」
「ないだろう」
「あるんだよ。出ない日は本当に出ない」
ゲーム時代。
何時間、何日と同じ場所を周回して、結局目当ての素材が一つも落ちなかった。
そんなことは珍しくないし、ざらにある。
今回は、それを現実でやる。
少し考えると、我ながらどうかしてる気はする。
「毎日、連絡しろ」
「通信が届けばな」
「届かなかったら?」
「届く場所まで戻ったときにする」
「忘れるな」
「分かったよ」
ザフィラが、俺の袖を少しだけ掴む。
だが、すぐに離した。
人前だからこれ以上はしないらしい。
「ちゃんと帰ってきて」
「ああ」
「絶対」
「分かってる」
「約束」
「約束だ」
ようやく、黒い耳が少しだけ上を向く。
「では」
ミラが俺とザフィラの間へ何でもない顔で割り込んできた。
「もう出発してください」
「空気読めよ」
「少し前から読んでおります。そのうえで申し上げています」
「はいはい」
「それと、リンドウ様」
「まだあんの?」
「帰還予定を過ぎましたら、探索隊を編成します」
「来なくていいって、来ても全滅するぞ?」
「これは連絡ではなく決定事項です」
「……分かったよ」
俺は軽く手を振り西門を出た。
♢
アルセディアから、『最果ての夢跡』まで。
徒歩ならおよそ四日、馬を使えばもっと早い。
ただ、今回は途中から山道へ入る。
馬を連れていく方が邪魔になるため、最初から歩くことにした。
初日は何もなかった。
街道を西へ進み、途中で小さな村を抜け、日が暮れる前に野営。
夜になって、ザフィラから通信が入った。
『どこまで行った?』
「まだ半分も行ってねぇよ」
『遅い……』
「歩きなんだから仕方ねぇだろ」
『それなら今からでも追いつけるわね』
「……来るなよ?」
『冗談よ』
「絶対半分本気だったろ」
『……半分だけね』
「ほら」
通信越しでも少し不満そうなのが分かる。
「そっちは?」
『問題ないわ、今日の巡回も終わったし』
「そうか」
『アウラが訓練場を壊した』
「……なんで?」
『新しい技を試したらしい』
「俺いなくても普通に問題起きてんじゃん」
『だから早く帰ってきてね、ご主人様』
「一日目だぞ」
『……知ってるわよ』
「先は長ぇぞ」
『私はもっと長く感じてるのに……』
「……はいはい」
『適当ね』
「帰ったら聞くよ」
『約束』
「ああ」
通信を切る。
静かな夜に、焚き火だけが小さく音を立てていた。
昔なら、一人で何日歩こうが何も思わなかった。
目的地へ着くまでただ移動するだけ。
それだけだった。
「……焼きが回ったかねぇ、俺も」
誰に聞かせるでもなく。
小さく呟いた。
♢
二日目、三日目。
景色は少しずつ変わっていった。
草原が減り、岩肌が増える。
人の通る道もなくなり、獣道に近い細い道だけが続く。
そして、四日目の昼。
最初の違和感が現れた。
「……」
足を止める。
目の前には一本の枯れ木。
枝が三つに分かれ、西側だけが不自然に焼け焦げている。
「やっぱり残ってるな」
ゲーム時代と同じだ。
俺は枯れ木を左へ回り込む。
そこから、山へ向かわず一度南へ進んだ。
どう見ても目的地から遠ざかる道だ。
百歩ほど進むとそこには白い岩。
そこを通り過ぎ、今度は来た道をそのまま戻る。
「……相変わらず性格悪い入口だな」
何も知らない奴がこんな動きをするわけがない。
そもそも、ここまで来た時点で普通の人間なら違和感を覚え始める。
いや……違和感すら覚えない。
「この先には、何もない」
ふと、そんな考えが頭へ浮かんだ。
山しかない、進んでも意味はない。
戻ったほうがいい、別の道を探せばいい。
自然に、本当に自然にそう思う。
「来たな」
認識阻害だ。
視界を惑わせる幻術とは違う。
何かを見せるわけじゃない。
そこにあるものを、強制的に意識から外す。
目の前に入口があっても気づかない。
道があってもそこを道だと思わない。
仮に偶然近づいても、理由をつけて別方向へ進む。
「この先には何もない」
また頭に浮かぶ。
「何もないなら、確認しに行けばいいだろ」
独り言を返す。
もちろん、こんな程度で認識阻害が消えるわけじゃない。
攻略手順が必要だ。
白い岩まで戻り、そこから北西へ十三歩。
次に目を閉じる。
「七……八……九……」
足元の感覚だけを頼りに、西へ二十歩。
途中で地面の傾きが変わる。
だが目は開けない。
「十八……十九……二十」
止まって右へ向く。
今度は目を開けずに手を伸ばした。
指先が何もないはずの空間へ触れる。
冷たい石の感触だ。
「……見つけた」
目を開ける。
だが目の前には何もない。
ただの空気、それでも手のひらは確かに石へ触れている。
俺はそのまま、前へ体重をかけた。
その瞬間、視界が歪んだ。
「――っ」
空間そのものが水面みたいに揺れる。
一歩、前へ踏み出す。
世界が、反転した。
♢
「……何度見ても、馬鹿でかいな」
思わずそんな言葉が漏れた。
さっきまでは、ただの山だった。
だが、認識阻害を抜けた先には巨大な谷が広がっている。
いや、谷と呼ぶにはあまりにも広すぎる。
左側に空まで届きそうな黒い山。
山肌を赤い溶岩が流れている。
そこから、絶え間なく黒煙が上がっていた。
右側には、どこまで続いているのか分からない地下森林。
巨大な樹木が、地下だというのに青白い光を放っている。
さらに奥、岩盤が空中に浮かんでいた。
上へ落ちていく滝。
横向きに伸びる木。
空中を漂う巨石。
重力異常区画。
その向こうには、円形の巨大建造物。
武極の闘場。
さらに、山そのものを削って作ったような巨大洞窟。
龍骸晶窟。
もっと奥には、景色が何度も途切れて見える場所がある。
一秒前と一秒後が、重なっているみたいな空間。
時蝕回廊。
そして、それ以外にも俺の知らない建造物がいくつも見えた。
「……増えてる?」
『レムオン』時代に俺が確認したことのない区域。
いや、最初からあったのかもしれない。
当時の俺が素材集めに必要な場所しか見ていなかっただけで。
視界の端に文字が浮かぶ。
『最果ての夢跡』
『推奨Lv:90~』
『分類:超大型複合ダンジョン』
『踏破率:不明』
「踏破率、不明か」
ゲーム時代でも、このダンジョンの全貌を把握していたプレイヤーはいなかった。
正確には攻略する意味が薄かった。
内部が広すぎるんだ。
ボスも、素材も、区域ごとに独立している。
だから必要な場所だけ回ればいい。
実際俺もそうしていた。
ヒヒイロカネが欲しければ、神鉄鉱脈。
武神の魂なら、武極の闘場。
特殊鉱石なら、龍骸晶窟。
それ以外は効率が悪いから無視。
「……昔の俺なら」
小さく呟き、谷へ続く石段を下りようとして、そこで止まった。
入口だ。
少し離れた場所に石碑が立っている。
苔、ひび、削れた文字。
ゲーム時代、何度もここへ来たことがある。
同じ石碑の横を、何十回、何百回と通り過ぎた。
でも――。
「読んだこと、なかったな……」
昔なら、視界に入っていても背景の一部だった。
イベントアイコンもない、アイテムももらえない、攻略に必要な情報もない。
だから読む理由がなかった。
少し前までなら――。
今だって、同じことをしていたかもしれない。
でも、ヘレナの顔が……一瞬頭に浮かんだ。
「……読むか」
石碑へ近づき、表面の苔を払う。
古い文字だったが意味は読み取れる。
『ここは、夢の果て』
最初の一文。
『力の極みを求めた者』
『星の鋼を求めた者』
『永遠を知ろうとした者』
『時を越えようとした者』
『理の先へ手を伸ばした者』
文字は途中で何度も欠けている。
それでも残っている部分を、一つずつ読む。
『多くは届かなかった』
『多くは帰らなかった』
『それでも』
『彼らは夢を捨てなかった』
『果てへ至れぬなら』
『果てそのものへ、夢を残した』
風が谷の底から吹き上がる。
石碑の最後。
そこだけは、不思議なほど綺麗に残っていた。
『ゆえに、この地を夢跡と呼ぶ』
『諦められなかった者たちの、最後の夢が残る場所』
「……なるほどな」
最果ての夢跡。
名前だけはずっと知っていた。
でも、どうしてそんな名前なのかは考えたこともなかった。
攻略サイトには書いてあったのかもしれない。
NPCが説明していたのかもしれない。
知らないんだ、俺は。
今まで何も、読まなかったから――。
「強さを求めた奴」
武極の闘場を見る。
「最高の武具を求めた奴」
火山の奥の神鉄鉱脈。
「時間を越えようとした奴」
景色の途切れた時蝕回廊。
その全部が、ただのステージじゃなかった。
誰かが、何かを求めてここまで来た。
そして、届かなかったものが今も残っている。
「ゲームじゃねぇんだもんな」
もう分かっている。
モンスターには名前がある。
場所にはちゃんと理由がある。
アイテムにもそこへ残された意味がある。
もちろん、全部が悲しい話だとは限らない。
全部を救えるとも思っていない。
それでも――。
「知らないまま、掘って帰るのはなしだ」
俺は石碑へ手を触れる。
「……来たぞ、お前ら」
誰に言うでもなく、呟く。
「今度は、ちゃんと見てくから」
返事はない、当然だ。
でも、それでいい。
石碑から手を離す。
そして、谷へ続く階段を下り始めた。
♢
内部へ入った瞬間、空気が変わった。
「暑っ」
最初の区域は灼熱地帯。
地面の隙間から赤い光が漏れている。
岩肌は触らなくても熱が分かるほど赤く、遠くでは溶岩が川のように流れている。
進むこと数分。
前方の岩が動いた。
『灼岩獣 Lv91』
全身を黒い岩で覆った四足獣。
口の隙間から炎が漏れている。
「レベル九十一か」
灼岩獣が地面を蹴った。
瞬間、その巨体がこちらへ突っ込んでくる。
「遅いな」
フィーアを抜く。
一閃。
首を落とす。
灼岩獣は、そのまま数歩走り地面へ倒れた。
身体は光へと変わる。
『灼熱核』
『黒岩皮』
「いらねぇな」
それでも拾い、インベントリへしまう。
「まあ、持って帰ればジンか誰かが使うか……」
さらに進むと、溶岩から人型のゴーレムが現れる。
『溶炉兵 Lv93』
「お前もいたな、そういえば」
振り下ろされた拳を避け。
腹へフィーアを突き刺す。
転移し、背後から刃を引き抜き、そのまま核を破壊する。
「……」
もちろん弱くはない。
ここのダンジョンは推奨レベル九十以上。
普通なら一体倒すだけでも数人がかりになる。
だが今は――。
「採掘の邪魔なんだよな」
目的はこいつらじゃない。
『神鉄鉱脈』、それだけだ。
♢
灼熱地帯をさらに奥へ進んでいく。
途中で、火山の斜面に巨大な穴が見えてきた。
入口には黒い鉄の門。
その上に古代文字で名前が刻まれている。
『神鉄鉱脈』
『推奨Lv:94~』
「や~っと着いた……。クソ暑いことこの上ないな……」
俺はインベントリから、採掘用の槌を取り出す。
目的は神鋼・ヒヒイロカネただ一つ。
ゲーム時代でも出現率は0.02%。
そして。今回欲しい量は最低でも――。
「……十以上、か」
自分で言って少しだけ笑う。
「まぁ……」
黒い坑道を見据える。
「出るまで掘ればいいだけだろ!」
そうして俺は。
誰も近づかない、最果ての夢跡。
その最初の地獄へ、一人足を踏み入れた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回から本格的に、『最果ての夢跡』編が始まりました。
かつてのリンドウにとっては、必要な素材だけを回収するための場所。
ですが今は、そこに残された名前や意味にも目を向けようとしています。
まず狙うのは――神鋼・ヒヒイロカネ。
出現率0.02%。
……まあ、本人はいつもどおりです。
出るまで掘れば100%。
次回、覇王の採掘地獄が始まります。




