48:覇王、休めと言われる。
目を覚ますと、ベッドの上だった。
正直昨日の夜の記憶があまりない。
「えぇ……俺いつ寝たんだ……?」
寝台の上で身体を起こし、首を傾げる。
昨日の夜、王城の屋上で煙草を吸った。
ヘレナへ報告して。
返事がないことに、初めて安心できた。
そこまでは覚えているんだけどなぁ……。
そのあとは……部屋に戻った後。
確か、今日から始める仕事を整理しようと思って――。
机を見る。
広げたままの地図。
書きかけの復興計画。
武器の設計図。
領内に残る未調査地域の一覧。
そのすべてが、昨夜のまま置かれていた。
「寝落ちした?いや、それだったら机で寝てるはずだよな」
ベッドへ移動した記憶はねぇな。
服も着替えてるし……。
上着は椅子の背へ掛けられ、靴もきちんと揃えられていた。
「……ザフィラか?」
自分でやった可能性も、なくはないが……。
ないけどだなぁ……。
寝ぼけながら、ここまで几帳面に片づける自信はねぇな。
ベッドを下りる。
身体が、妙に重い。
昨日までの疲れが残っているだけだろう。
鎖の戒壇までの往復。
ヘレナとの戦い。
破邪の短剣の鍛造。
七日間にわたる奴隷紋の解除。
休む暇など、ほとんどなかった。
だが、国の復興は待ってくれない。
奴隷紋を消したからといって、全員が今日から何の不安もなく暮らせるわけじゃない。
住むところに食事、住人の仕事、けが人の治療。
元奴隷の戸籍作成、周辺地域の調査。
やることはいくらでもあるんだよなぁ。
まぁ一国崩してこの程度で済んでるのは、ミラが優秀だからってことにしとこう。
「よし」
顔を洗い、新しい服へ着替える。
まずは領内の被害状況を確認。
そのあと工房へ顔を出し。
午後から周辺地域の巡回計画を――。
とりあえず、一個ずつ片付けていきますかね。
会議室の扉を開ける。
「おはようございます」
目の前に、ミラが立っていた。
手には、分厚い書類の束。
「……なんでいるんだよ」
「お待ちしておりました」
「いつから?」
「一時間ほど前からです」
「待つくらいなら起こせよ……」
「必要ありません」
ミラは俺の顔を一度見たあと。
無言で、手にしていた紙を差し出した。
「なんだ?これ」
「本日の予定表です」
「もう作ったのか。助かる」
受け取り、紙へ視線を落とす。
そこには、大きな文字でたった一言だけ書かれていた。
『休養』
「……」
紙を裏返す。
何も書かれていない。
見間違えかと思い、もう一度表へ戻す。
『休養』
「予定は?」
「記載されています」
「休養って……これだけ?」
「はい」
「領内調査は?」
「ありません」
「復興会議」
「ありません」
「工房での確認は?」
「ありません」
「装備の整備は……?」
「ありません」
「何もねぇじゃねぇか!」
「ですから、本日の予定は休養です」
「そんな予定入れた覚えねぇぞ。それに休んでる暇なんかねぇだろ」
「私が入れました」
「本人の意思確認は?」
「現在のあなたに、適切な判断能力はないものと見なしました」
「横暴すぎるだろ」
判断能力がないって……。お前は警察か何かかよ。
「昨夜、机へ突っ伏したまま眠っていた方の判断力を信用しろと?」
「ベッドで起きたけど?」
「ザフィラ様が運びました」
「やっぱりかよ……」
「着替えも、です」
「そこまで聞いてねぇ」
「必要な情報かと」
「必要ねぇよ」
眉間を押さえる。
ミラは表情を一切変えない。
こいつほんま……。
本気で今日一日何もさせないつもりだな?
「俺が休んでる間、誰が仕事すんだよ」
「私たちが行います」
「ミラ一人で全部できるわけじゃねぇだろ」
「当然です。各部署へ分担済みです」
「俺の確認が必要なものもあるだろうが」
「明日へ回します」
「急ぎの案件は?」
「ありません」
「本当かよ」
「リンドウ様へ見せなければ、すべて急ぎではなくなります」
「それ隠してるだけじゃねぇか!」
「休養とは、仕事から隔離することです」
言い切りやがった。
別にこれくらいの作業、ゲーマーにはなんでもねぇのに……。
「だいたい、一日くらい休んだところで――」
「一日も休めない方が、今後この国を継続的に運営できるとお考えですか?」
「……」
「一週間後に倒れるより、今日一日休むほうが効率的です」
「効率で説得しようとすんなよ……」
「では、命令とお考えください」
「誰の?」
「臨時評議会の総意です」
「俺、覇王なんだけど……」
「知っております」
「忘れてない?」
「覇王であっても、休養は必要です」
正論パンチ!
正論だからこそ腹立つな……。
ほんまこいつ、言うようになりやがって……。
「それで?」
俺は予定表をひらひらと振る。
「一日中、部屋にいろって?」
「それでは、あなたは窓から抜け出します」
「しねぇよ、俺をなんだと思ってんだ」
「工房の屋根から侵入した前例があります」
「あれは扉が閉まってたからだ」
「普通の方は、開くまで待ちます」
「時間がもったいねぇだろ。タイパって言葉知らねぇのか。」
「知りません。そもそも、その発想が問題なのです」
ミラが一歩、横へずれる。
その後ろから、壁へ背中を預けていたザフィラが姿を現した。
「というわけで」
腕を組み、黒い耳を立てたまま俺を見る。
「今日は私が監視する」
「監視って言うなよ」
「じゃあ、見張る」
「同じだろうが!」
「逃がさない、と言えば分かりやすいか?」
「俺、囚人か何か?」
「自覚のない重病人だよ、まったく」
「元気だよ」
「昨日、食事の途中で船をこいでただろ」
「目を閉じて考えてただけだ」
「箸を落としながら?」
「……」
「そのあと机で寝た」
「寝落ちはよくあることだ」
「ベッドへ運んでも起きなかった」
「疲れてただけだってば」
「だから休めと言っている」
逃げ道がねぇ……!
ミラだけなら、何だかんだ仕事を見つけて振り切れる自信があるんだが……。
だがザフィラを監視役に置かれるとほんっとうに面倒だな。
こいつは俺がどこへ行くのか察して、先回りできるくらい妙に勘がいいからな……。
「はいはい、分かったよ。分かりました」
「本当か?」
「休めばいいんだろ休めば」
「あぁ、休め」
「じゃあ部屋に戻って、設計図でも――」
「それは仕事だ!馬鹿!」
「じゃあ、本読むわ」
「何の本だ?」
「古代魔導回路の――」
「仕事じゃないか!」
「武器の手入れ」
「何度言えばわかる!」
「ステータス確認」
「仕事ではないが、そこから何か始めるつもりだろう」
「疑いすぎじゃねぇの?ザフィラちゃんよぉ」
「信用の結果だ」
「悪い意味でしか使われてねぇな、それ」
ミラが小さく息を吐く。
「部屋に閉じ込めておくと、余計なことを考えそうですね」
「余計とはなんだ。ほんとにお前らは俺をなんだと思ってるんだ」
「では、外へ出てください」
「いいのか?」
「ただし、ザフィラ様と一緒に」
ザフィラが俺の腕を掴む。
「街を歩くくらいなら構わないそうだぞ?」
「俺の許可は?」
「今取った」
「何も言ってねぇけど……」
「行くぞ」
そのまま引っ張られる。
後ろから、ミラの声が飛んできた。
「復興作業への参加は禁止です」
「聞こえなかった」
「聞こえているでしょう」
「風が強くてな」
「ここは会議室ですが?」
俺は答えず、ザフィラと一緒に王城を出た。
♢
午前の王都は、すでに多くの人間で賑わっていた。
瓦礫を運ぶ者。
壊れた屋根を直す者。
新しい店を開く準備をしている商人。
井戸の周りで洗濯をする人々。
少し前まで、この街は王家と貴族に支配された場所だった。
道を歩く人々の顔には、常に怯えがあった。
誰が見ているのか。
何を言えば罰せられるのか。
どこまでなら自由に動けるのか。
誰もが、見えない線の内側で生きていた。
今、その線はもうない。
「……ちょっと変わったな」
俺が呟く。
「何が?」
「空気。活気があるだろ?」
ザフィラが、街を見渡す。
「そうね」
建物は、まだ壊れたまま。
道路にも傷が残っている。
復興が終わったなんて、到底言えない。
それでも――人々の声は、以前より大きかった。
笑い声。喧嘩する声。値段を交渉する声。子どもを叱る声。
痛みを恐れて絞り出した返事じゃない。
自分たちが出したいから、出している声だ。
「覇王様!」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、広場の端から小さな子どもが走ってくるのが見えた。
「おい、走ると転ぶぞ?」
「大丈夫!」
言った直後、石につまずいた。
「うわっ!」
転ぶ寸前、ザフィラが素早く身体を支える。
「大丈夫ではないな。気をつけろ」
「……大丈夫」
「説得力がないぞ?」
子どもは、少し恥ずかしそうに笑った。
「レオ」
後ろから、支援員の女性が呼ぶ。
「勝手に走っていかないの」
その声に、子供がすぐに振り返った。
「はーい!」
自分の名前を呼ばれ、それが自分のことだと分かり、当たり前のように返事をする。
「覚えたんだな」
俺が言うと、レオが嬉しそうに胸を張った。
「俺、レオだから」
「ああ」
「もう二十九号じゃないんだ!」
「ああ。お前はレオだ」
俺が頭を撫でると、レオはくすぐったそうに笑った。
「レオ、今日は何してるんだ?」
「お店、手伝うんだ!」
「何の店?」
「パン!」
「食べるほうじゃなくて?」
「作るほう!」
少し考え。
「食べるのもするけどね!」
「正直でいいな」
支援員の女性が苦笑する。
「本人が、パン屋で働いてみたいと言いまして」
「働かせても大丈夫なのか?」
口に出した瞬間、隣から鋭い視線を感じた。
ザフィラだ。
「まぁ……手伝うだけならいいか」
「はい。粉を運ぶのはまだ難しいので、今日は店先の掃除を」
「そうか」
レオが、自分でやりたいと言ったんだ。
なら、俺が止める理由はないな。
「頑張れよ」
「うん!」
レオは、また走り出そうとして、一度立ち止まる。
今度は、転ばないようにゆっくり歩いていった。
「今、仕事を取り上げようとしたでしょ?」
ザフィラが言う。
「心配しただけだ」
「今日は何もしない日よ」
「普通に会話しただけだろ」
「パン屋が少し崩れてるの見てたでしょ」
「……よく見てんな」
「今日の私は監視役だから」
ザフィラが、俺の腕を掴む。
「次に行くわよ」
「どこ行くんだ?」
「別に決めていないけど?」
「それでいいのか?」
「今日は、何もしない日だから。ね?」
こいつ……。
ミラに随分と吹き込まれてるな。
俺の言いくるめ方まで教わったな……?
ま、それもいいか。
♢
市場の近くへ向かう。
通りの角で、一人の男が荷車へ木材を積んでいた。
見覚えがある。
奴隷紋の解除を、一度拒んだ男。
長く命令され続け。
自由になったあと、何をすればいいのか分からないと言っていた。
四日後、自分で決めてみたいと、もう一度俺のもとへ来た。
「おい」
声をかけると男が顔を上げた。
「覇王様」
「何してんだ?」
「見れば分かるでしょ、ばか」
ザフィラに脇腹を小突かれる。
「いや、そうだけど」
男は、荷車の上にある木材を見る。
「大工の手伝いを」
「大工?」
「若い頃、少しだけ教わったことがあります」
「覚えてたのか?」
「ほとんど忘れていましたが」
男が、少し困ったように笑う。
「ですが、槌を持つと、不思議と手が動きました」
「そうか……」
「まだ、一人で家を建てられるほどではありません」
「最初からできる奴はいねぇよ」
「毎朝、何時に起きればいいのかも、自分で決めています」
「……どうだ?」
「難しいです……」
男は、正直に答えた。
「昨日は、早く起きすぎました」
「今日は?」
「少し寝過ごしました」
「いいじゃねぇか」
「いいのでしょうか……?」
「誰かに迷惑かけたか?」
「親方に、少し笑われました」
「なら、それで終わりだろ」
男は、しばらく俺を見ていた。
やがて、小さく頷く。
「明日は、ちょうどいい時間に起きてみます」
「そうしろ。もう、お前は誰にも縛られるこたぁねぇんだから」
男が荷車を押し始める。
その方向を見て、俺は道の先で傾いている足場へ目を向けた。
「ありゃまずいな。組み方が甘い」
歩き出そうとすると腕を引かれた。
「どこいくの?」
「足場の組み方が危ねぇんだ」
「作業してる人に伝えればいいじゃない」
「俺が直したほうが早いって」
「今日は何もしない日だって言ったでしょ?」
「崩れたらどうすんだよ」
ザフィラが作業員を呼ぶ。
「そこの足場、組み方が甘い。崩れるから見直してくれ」
作業員たちが確認し、すぐに組み直し始めた。
「これでいいでしょ?」
「俺がやれば一瞬だった」
「あなたが全部やる必要ないでしょ?」
「……」
「人へ任せるのも、覇王の仕事」
「今日は休めって言ってなかったか?」
「今、仕事の話してないわ」
「都合がいいこって」
だけど、ザフィラの言うことも分かる。
俺一人で国中の建物を直せるわけじゃない。
仮に直せたとしても、俺がいなくなったあと誰も何もできない国になっちまう。
それじゃあ国を取り戻した意味がねぇ。
「……分かったよ」
「ほんとに?」
「多分な」
「そんなだから信用がないのよ、あなた」
♢
昼前。
クライブが管理している屋敷の前を通った。
庭先には、何人かの使用人が集まっている。
その中に、奴隷紋を解除したあとも、自分の意思で屋敷へ残ることを選んだ女性がいた。
「あら、リンドウ様」
「仕事中か?」
「いいえ」
女性が笑う。
「今日は休日です」
「屋敷にいるけど?」
「ほかの方と、明日の買い物について話していました」
「休日なら、どこか行けばいいだろ」
「その、どこかを考えているところです」
女性たちの手には。
市場の店を記した簡単な地図がある。
「今まで、休みの日なんてなかったので」
「何をすればいいか分からないか?」
「少しだけ」
女性はそう言って、地図に記された一か所を指差す。
「でも、近くにお菓子を売っている店があるそうです」
「お菓子?」
「自分のお給金で、買ってみようかと」
「いいじゃねぇか」
「何を選んでもいいのでしょうか……」
「金が足りるならな」
「では、一番高いものを!」
「最初から飛ばすな、あほ」
周囲の女性たちが笑う。
「何がおすすめですか?」
「俺に聞かれてもなぁ……」
店の位置を見る。
王都西側かぁ……そこなら。
「果物を煮詰めたお菓子があっただろ、たしか」
「ご存じなのですか?」
「あー……ちょっと昔な。料理効果の確認で一回食った」
「味は?」
「覚えてねぇ」
「では、参考になりませんね」
「効果は魔力回復量が――」
ザフィラが俺の腕を引く。
「休日の菓子選びに、効果量の話をするな」
「重要だろうが」
食事効果は馬鹿にできんぞ?
それこそ回復量が変われば、効率だって変わる。
なんならLUK値が上がるものだって……
「美味いかどうかのほうが重要だ」
「食ってみなきゃ分かんねぇよ」
「だから、自分で選ぶんだろう」
女性が、静かに笑った。
「そうですね」
地図へ視線を落とす。
「自分で選んでみます」
仕事を続けることも。
休みの日に何をするのかも。
何を買うのかも。
誰かに決めてもらう必要はない。
当たり前のことだ。
だが……この国ではその当たり前を取り戻すだけでも時間がかかる。
「楽しんでこいよ」
「はい!」
女性たちと別れる。
歩き出して少ししてから、ザフィラが俺の横顔を見る。
「嬉しそうね」
「そう見えるか?」
「えぇ、とっても」
「別に……そんなんじゃねぇ」
「別に、でその顔はしないわ」
「どんな顔だよ」
「少しだけ、安心している顔」
言われて見りゃぁ、そうかもしれねぇ……。
奴隷紋を消したあと、本当にこいつらが生きていけんのか。
正直、心のどっかで不安だったんだ。
自由にして、あとは好きにしろ。
それだけでは、無責任だと思っていた。
だけど、少しずつ。本当に少しずつ。
自分で決めようとしている。
失敗しながら、迷いながら。
それでも――。
「終わったんじゃ、ねぇんだな」
「何が?」
「自由になったあとの生活が、だよ」
ザフィラが前を向く。
「当たり前じゃない。鎖を切れば終わりじゃないわ」
「そう、だな」
「そこから始まるのよ」
国に住む奴らが、自分で選びながら生きる国。
それを作るってんなら、まだやるべきことは多い。
「よっしゃ。午後から生活支援制度の見直しを――」
耳を引っ張られた。
「痛ぇって!何すんだよ!」
「今の話を聞いて、なんで仕事に戻ろうとするのよ!」
「やること山積みだからだよ!」
「今日は、何もしない日!」
「明日の準備だけだって」
「駄目!」
「少しくらいいいだろ!」
「駄ぁ目!」
「頑固だな……」
「あなたに言われたくないわ」
♢
昼食は、市場の食堂で取った。
俺が厨房へ入ろうとしたところをザフィラに襟を掴まれた。
「何するつもりよ」
「客が多いから手伝おうかと」
「いいから座って!」
「料理くらい仕事じゃねぇだろうが」
「この店の仕事を奪っちゃダメ」
「言い方何とかならんの?」
仕方なく席へ座る。
出てきたのは硬いパン、豆と干し肉のスープ、少量の野菜。
不味くはないけど、量が少ない。
「足りねぇな……」
俺が呟く。
「何が?」
「いや」
周囲を見る。
食堂は混んでいる。
だが、客の何人かはパンを半分だけ食べ、残りを布へ包んでいた。
あとで食べるためか、家族へ持ち帰るためか……。
厨房の奥にある食材も以前より気持ち少ない気がする。
「どうしたの?」
「何でもねぇよ」
今日は休養日だ。
今考える必要はない。
明日、ミラへ確認すればいい。
「本当に?」
「ほんとだって」
スープを口へ運ぶ。
味は悪くない。
ザフィラはこちらを疑うように見ていたが、やがて自分の食事へ戻った。
ただ……俺の頭の隅には小さな違和感が残っていた。
♢
午後。
俺たちは、街の南側まで歩いた。
途中で井戸の滑車が軋んでいるのを見つけ、直そうとして止められた。
崩れかけた壁を見つけ、補強しようとして止められた。
迷子の子どもを見つけたときだけは、ザフィラも何も言わなかった。
親を探して、無事に引き渡す。
「これは仕事じゃねぇよな?」
「そうね」
「ならいいだろ」
「でも、そのあと親子の家の修理まで始めようとしたのはいただけないわね」
「屋根に穴が開いてたからさ……」
「修繕班へ報告したでしょ?」
「俺が直せば――」
「同じことを何度も言わせないで」
ザフィラが、俺の手首へ尻尾を巻きつける。
「今日は何もしない日よ」
「……分かったって」
「何回目?」
「数えてねぇ」
「十二回よ」
「暇なの?」
「あなたを見張るだけで忙しいわ……」
夕方にはさすがに身体が重くなってきた。
足が痛いわけじゃないし、魔力が尽きているわけでもない。
ただ、瞼が妙に重い。
「そろそろ戻るわよ」
ザフィラが言う。
「まだ日が落ちてねぇだろ」
「歩きながら寝そうな人の言うセリフじゃないわね」
「瞬きだろ」
「五秒以上目をつぶってる人は瞬きとは言わないの」
「考え事してたんだよ」
「何の?」
「……覚えてない」
「帰るわよ、ばか」
今度は反論できなかった。
王城へ戻る。
部屋へ入った瞬間、俺は机へ向かおうとした。
「待って」
ザフィラが、前へ回り込む。
「何だよ」
「なにしようとしてるのよ」
「今日気づいたことだけ、書いておこうと思って」
「明日でいいわ」
「忘れるかもしれない」
「私が覚えてるから大丈夫よ」
「食料のことも?」
「……やっぱり、気づいてたのね」
ザフィラも分かっていたらしい。
「少し減ってる」
「そうね……」
「ミラに伝えなきゃいかんだろ」
「把握だけならしてるわ」
「確認だけでも――」
「明日!」
「じゃあ、何すりゃいいんだよ」
ザフィラが、寝台を指差す。
「何もしないで」
「何もしないって、何すりゃいいんだよ」
「だから、何もしないで!」
「無理だろ、今日一日でもかなりあったぞ」
「寝て!」
「まだ夕方――」
肩を掴まれ。
ベッドへ押し倒された。
「……おい」
「寝なさい」
「子どもじゃねぇんだぞ」
「子どものほうがまだ素直よ」
「比較対象がおかしいだろ」
「眠くない……?」
「……別に」
「嘘ね」
ザフィラが、俺の上へ毛布をかける。
「五分だけでいいから、目を閉じて」
「五分?」
「えぇ」
「それなら……」
枕へ頭を預ける。
思ったよりも身体が沈んだ。
ザフィラがベッドの端へ腰掛ける。
「ちゃんと眠るまで、ここにいるわ」
「……監視か?」
「私がそうしたいだけ」
「……そうかよ」
「そうする」
目を閉じる。
まだ食料のことを確認しなければならない。
復興計画も、工房も、周辺地域の調査も。
やるべきことは、たくさん――。
「リンドウ?」
返事をしようとしたが、声が出なかった。
意識が一気に遠くなった。
♢
「……本当に、限界だったんじゃない」
ザフィラは、ベッドで眠るリンドウを見下ろした。
目を閉じてから十秒も経っていない。
呼吸は深く、多少揺すった程度では起きそうになかった。
「元気だ、かぁ」
呆れたように呟き、毛布を肩まで掛け直す。
眠っている顔は普段より、ずっと幼く見えた。
鎖の聖女と向き合い、その記憶を背負い。
戻ってきたあとも、国中の奴隷紋を一人ずつ解除し続けた。
誰かが自由になれば、次の誰かのところへ向かい。
最後の一人が終わるまで、立ち止まらなかった。
そのあとですら、自分が休むことなど少しも考えていなかったのだろう。
「馬鹿ね、ほんと……」
小さく言う。
それでも、声には怒りよりも優しさが混じっていた。
ザフィラは、リンドウの前髪を指で整える。
「今日は、もう何もしなくていいからね」
眠るリンドウから返事はない。
「明日から、また好きに暴れればいいわ」
黒い耳を少しだけ倒して、リンドウの横へと潜り込む。
そのまま、リンドウの寝顔を見ながら。
「おやすみ、リンドウ――愛してるわ」
そう、静かに告げた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!。
今回から、第三章「技神国再興編」スタートです。
アルセディアを取り戻し、奴隷紋もすべて解除されました。
ですが、国というものは敵を倒せば元通りになるわけではありません。
住む場所。
仕事。
食事。
そして、自分で何かを選んで生きていくこと。
これまで誰かに命じられて生きてきた人たちにとっては、むしろ「自由になったあと」からが本当の始まりなのかもしれません。
そしてリンドウもまた、少しずつ「全部自分でやる」のではなく、誰かに任せることを覚えていきます。
……まあ、休めと言われて素直に休める日は、まだまだ遠そうですが。
第三章は、戦いだけではなく、アルセディアがもう一度“国”になっていく過程を描いていく章になります。
そして最後に、リンドウが気づいた小さな違和感。
次回、その問題が少しずつ表に出てきます。
引き続き楽しんでいただけたら嬉しいです。
☆、感想、レビューをいただけると、とても励みになります。




