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REMNANT RECORD~ストーリー未読の世界一位の廃ゲーマーは、倒した敵の物語を知らない~  作者: 霜月ルイ
第二章:鎖の聖女『ヘレナ』編

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40:覇王、国を動かす。

 翌朝。

 俺は王城の食堂で、盛大な欠伸を噛み殺していた。


「ずいぶん眠そうですね、リンドウ様」


 向かいに座ったミラが、パンをちぎりながら俺を見る。


「誰かさんが、一晩中離してくれなかったからな」


「り、リンドウ……!」


 俺の隣で、ザフィラの黒い耳がぴんと立った。

 席なら他にいくらでも空いている。

 それなのに、こいつは俺のすぐ隣へ腰を下ろし、身体が触れそうな距離を保っている。

 それどころか、卓の下では黒い尻尾が俺の足へしっかり絡みついていた。


 朝から妙に機嫌がいい。

 髪には艶があり、耳はまっすぐ立ち、時折こちらを見ては満足そうに目を細めている。


 対する俺は、少しばかり寝不足だ。

 別に体力が尽きたわけじゃない。

 寝てからも、こいつが俺を抱き枕みたいに離さなかっただけだ。


「なるほど」


 ミラがすべてを察したように頷く。


「昨夜はお楽しみだったようですね」


「主に楽しんだのは、こいつだけだけどな」


「……言うな」


 顔を真っ赤にしたザフィラが、俺の脇腹を小突いた。

 口では怒っているくせに、尻尾は離れない。


「そうか……」


 アウラが腕を組み、しみじみと頷いた。


「ザフィラにも、ようやく春が訪れたのだな」


「春ですか?」


 カレンが首を傾げる。


「今は秋ではありませんでしたか?」


「そういう意味ではないんだが……」


「では、どういう意味ですか?」


「カレンは、そのままでいてくれ」


 アウラが遠い目をした。


 何も知らないってのも、一つの才能だな。


「一晩中付き合ってあげたんですか……」


 今度はノアが、感心したように俺を見る。


「リンドウさんって、すごいんですね」


「何を想像してんだ、お前は」


「抱き枕としてです」


「そっちかよ」


 ノアは何事もなかったようにスープを口へ運ぶ。


 分かっているのか、本当に分かっていないのか。

 こいつも判断に困るな。


「それで、どうでした?」


 ミラが涼しい顔で尋ねる。


「あ?」


「抱き心地です」


 視線だけで、俺の隣にいるザフィラを示す。


「見りゃ分かんだろ」


「愚問でしたね」


「このむっつりエルフが……」


「誰がむっつりですか」


 ミラの目が細くなる。

 それに合わせて、ザフィラの尻尾が俺の足を締めつけた。


「痛ぇって」


「自業自得だ」


 昨夜まで、国の存亡を懸けて戦っていたとは思えない会話だった。


 だが、こうして全員で飯を食える朝が来た。

 それだけで、少し笑えた。


「そういや、テオは?」


「昨夜も街の裏側を巡回していました」


 ミラが答える。


「逃亡した奴隷商の捜索と、夜間の警備を続けていたそうです。明け方に戻ってきましたので、今は休ませています」


「一晩中か?」


「止めても聞かなかったそうです」


「あいつらしいな……」


 今は寝かせておこう。

 寝ている間くらい、街のことを忘れても罰は当たらない。


 俺がパンへ手を伸ばしたところで、ミラが隣の椅子から書類の束を持ち上げた。

 どさり、と嫌な音を立てて卓の上へ置かれる。


「……なんだ、それ」


「本日中に確認していただく案件です」


「多くない?」


「国を一つひっくり返したのです。これでも少ないとお思いですか?」


「思わないけどよ……」


 戦闘より面倒な時間が始まりやがった。


「まずは、臨時評議会の設立宣言です」


 ミラが書類を一枚、俺の前へ滑らせる。


「署名を」


「おう」


 羽根ペンを取り、名前を書く。


「次に、食料配給に関する緊急法令です」


「あい」


「旧貴族の権限停止命令」


「はいよ」


「王都復旧計画の承認」


「はい」


「国外および各地方領への通達」


「ほら」


「臨時評議会議長の就任承諾書」


「あいよ~……って」


 そのまま署名しかけ、寸前で手を止めた。


「待て」


「何でしょう」


「最後のは、お前が書く側だろ」


「リンドウ様が勝手に任命されたのですから、責任を持って承認してください」


「勝手じゃねぇよ。民主的な採決だっただろ」


「事前説明も本人の同意もない採決を、民主的とは呼びません」


「でも満場一致だったぞ?」


「その件については、あとで全員と個別にお話しします」


 食堂の空気が凍りついた。

 アウラは突然パンへ強い興味を示し。

 カレンは天井を見上げ。

 ノアは無言でスープを飲み始めた。

 ザフィラに至っては、俺からほんの少し身体を離した。


「怖ぇよ……」


「誰のせいですか」


「いたって公平な多数決の結果だな」


「元凶はあなたです」


 仕方なく、就任承諾書にも署名する。


 ミラは満足そうに書類を回収した。


「各地区からの暫定代表については、昨日出席した者を中心に選出を進めます」


「職人、商人、冒険者だけに偏らせるなよ?」


「承知しております」


「農業をやってる奴、元奴隷、種族ごとの代表も必要だなぁ」


「会議の内容と決定事項も、すべて公開いたします」


「それでいいぞ」


 王が変わっただけじゃ意味がない。

 誰が何を決めたのか。

 国の金を何に使ったのか。

 国民が確認できる仕組みを、最初から作っておく必要がある。


「クライブ伯爵たちには、領政官への移行準備を進めてもらっています」


「各領地の兵士は?」


「私兵という扱いを停止し、国の治安維持組織へ再編します。ただし、地方の防衛が空白にならないよう、段階的に進める必要があります」


「そりゃそうだな」


 いきなり全部を取り上げて、魔物に村を滅ぼされましたじゃ笑えない。


 制度は変える。

 だが、そこで暮らす奴らの安全を犠牲にはできない。


「王都では、昨日の戦闘で住居を失った者が三百名を超えています」


「空いている宿と倉庫を避難所として開けろ」


「既に進めています」


「旧貴族の屋敷は?」


「所有者が拘束されているものについては、臨時評議会の管理下へ置く予定です」


「なら、使える屋敷は元奴隷たちの住居へ回せ」


「よろしいのですか?」


「空き家に家具だけ置いてても、腹は膨れねぇだろ」


 奴隷だった者たちは、自由になったところで家も仕事もない。


 放り出しただけじゃ、また誰かに食い物にされる。


「住居だけじゃなく、仕事もだ。何ができるかを一人ずつ確認してくれ」


「承知しました」


「学びたい奴には、読み書きから教えろ。費用は国で出す」


 ミラが一瞬、目を丸くする。


「相当な予算が必要になりますよ」


「ラングレイの野郎が溜め込んでた金があるだろ」


「それでも限りはあります」


「金が足りねぇなら稼ぐ。国ごと立て直すんだ、そのくらい俺がどうにかする」


「……あなたは本当に、何でも自分で背負おうとなさいますね」


「何でもじゃねぇよ」


 書類の山を指差す。


「面倒な仕事は、お前が背負ってるんだ」


「誰のせいでしょうか」


「はいはい。助かってますよ、議長殿」


「後で覚えておいてください」


 ミラが怖い……。

 よし、話題を変えよう。


「公開裁判の準備は?」


「本日より、罪状と証拠資料の掲示を始めます」


 ミラが別の書類を開いた。


「被害申告の受け付け、証言者の保護、市民からの陪審員選出も進めます。被告側にも、弁明の機会は与えます」


「いいと思うぞ」


「裁判は明朝、王都中央広場で開廷する予定です」


「早いな。むしろもう少し時間がかかるもんだと思ってた。」


「証拠は既に十分すぎるほどありますから」


 ミラの声から、わずかに温度が消えた。

 こいつが長年、どれだけの記録を集め続けたのか。

 その重さを、俺はまだすべて知らない。


「あと、鎖の聖女について調べてほしいことがある」


「攻略情報ではなく、ですか?」


「ああ」


 俺は食事の手を止めた。


「鎖の聖女に関する伝承、教会の記録、過去の目撃証言。集められるものは全部集めてくれ」


 ザフィラが俺を見る。


「特殊勝利条件は知っているのだろう?」


「知ってるぞ」


「なら、なぜわざわざ調べる?」


「……条件だけじゃ足りねぇからだ」


 俺は、あいつの倒し方を知っている。


 どの鎖を破壊し。どの攻撃を避け。


 最後に何をすれば、特殊勝利になるのかも覚えている。


 だが――


「俺は、あいつがどうして鎖に繋がれてるのかを知らねぇ」


 ゲームだった頃は、知ろうともしなかった。


 表示されたボスの名前。

 攻略手順。経験値。ドロップする素材。


 俺が見ていたのは、それだけだった。

 だが、この世界へ来て嫌というほど思い知らされた。

 俺がただの設定だと思って読み飛ばしていたものは、この世界では誰かの人生だ。


 ザフィラがこれまで耐え続けた人生も。

 ミラが国を取り戻すために積み重ねてきた時間も。

 奴隷紋を刻まれた子どもたちの痛みも。

 攻略情報のどこにも載っていなかった。


 それでも、確かに存在していた。


 だったら、鎖の聖女も同じかもしれない。


「それにな」


 俺は円卓に広げられた、スペルブレイカーの設計図へ目を落とした。


「人を鎖から解放する短剣を、鎖に繋がれた聖女の素材で作るんだぞ」


 特殊勝利条件を満たせば、鎖の聖女は完全に討伐される。


 もう一度立ち上がることはない。


 ゲームのときみたいに、失敗したから次でいいとはならない。


「何も知らずにあいつを終わらせて、素材だけ持ち帰る。それじゃ、昔の俺と何も変わらねぇ」


 別に、すべての敵を救いたいなんて綺麗事を言うつもりはない。


 必要なら倒す。


 欲しい素材だって、きっちり持ち帰る。


 だが――


 なぜ戦っているのかも。

 何を望んでいるのかも。

 何一つ知らないまま終わらせるのだけは、もうやめたい。


「今回は、戦う前に知っておきたいんだ。鎖の聖女が何者で、どうして今も戦い続けてるのかを」


 俺の言葉を聞き、ミラは静かに頷いた。


「承知しました。教会の記録を中心に、可能な限り集めておきます」


「頼んだ」


 攻略方法だけを知って、相手を理解したつもりになる。


 そんなことは、もうしない。


 今度こそ――


 敵の物語を知らないまま、終わらせたくはない。


 ♢


 朝食を終えると、俺たちはそれぞれの持ち場へ散った。

 俺が最初に向かったのは、王都の東側を流れる生活水路だった。

 昨日の戦闘で水道橋の一部が崩れ、周辺の地区へ水が届かなくなっている。


「ここの接続がずれてる」


 俺は破損した魔導管を指で叩いた。


 周囲には、ジンが集めた職人たちが並んでいる。


「外側だけ塞いでも、魔力が漏れ続ける。まず内側の導線をつなぎ直せ」


「内側を?」


「ああ。見てろ」


 魔導管を切り開き、露出した回路へ工具を差し込む。

 絡まった魔力線を一本ずつ解き。

 焼けた部分を取り除き。

 新しい導線をつなぐ。

 職人たちは、息をするのも忘れたように手元を見つめていた。


「これで終わりだ」


 管を閉じると、水路へ魔力が戻る。

 少し遅れて、乾いていた水道口から勢いよく水が噴き出した。


「おお……!」


「すげぇ!」


「喜ぶのはまだ早いぞ」


 俺は道具を、近くにいた若い職人へ押しつけた。


「次はお前がやれ」


「お、俺がですか!?」


「俺が全部直して回ったら、お前らは何も覚えねぇだろ」


「ですが、失敗したら……」


「失敗しろ」


 若い職人が目を見開く。


「最初から成功する奴なんていねぇよ。壊したら、直し方も一緒に覚えられる」


「は、はい!」


「ただし、街全部を吹っ飛ばす失敗はすんなよ?」


「加減が分かりません!」


「そこからかい!」


 周囲から笑いが起きる。


 俺は一人目の手元を見ながら、次の職人へ声をかけた。

 俺の技術を見せる。

 だが、俺がいなくても使えるようにする。


 国を取り戻したのは、俺たちだ。

 これから国を作り直すのは、こいつら自身なんだからな。


 水路の修復を職人たちへ任せ、次は西地区へ向かった。

 そこでは、奴隷市場から救出された者たちが、旧貴族の屋敷の前で立ち尽くしていた。


「本当に……私たちが、ここへ入ってよいのですか?」


 痩せた女性が、怯えた声で尋ねてくる。

 腕には消えない奴隷紋。

 隣にいる少女も、母親の服を強く握っていた。


「いいに決まってるだろ」


「ですが、私たちは許可を――」


「誰かの許可がないと眠れねぇ生活は、昨日で終わりだ」


 屋敷の扉を開く。

 元の所有者は、奴隷商と結託していた貴族らしい。

 なら、遠慮する必要もない。


「今日からしばらく、ここがお前らの家だ」


「家……」


 女性が、初めて聞いた言葉のように繰り返した。


「ずっとここへ住むかは、あとで自分で決めろ」


「自分で……」


「ああ」


 少女が、恐る恐る屋敷の中を覗き込む。

 やがて母親の手を引き、少しだけ前へ進んだ。


「ほら。子どものほうが先に進んでるぞ」


 女性は唇を震わせ、深く頭を下げようとする。


「頭は下げなくていい」


「ですが……」


「礼を言いてぇなら、今度困ってる奴を助けてやれ」


「……はい」


 今度は顔を上げたまま、女性が答えた。

 それでいい。


 昼を過ぎた頃。

 中央通りでは、昨日に引き続き炊き出しが行われていた。

 大鍋から立ち上る、竜肉のスープの匂い。

 子どもたちは器を抱え、夢中になって肉を頬張っている。


「おかわり!」


「私も!」


「並べ並べ! まだあるぞ!」


 アウラが大鍋をかき混ぜながら、子どもたちを整列させていた。

 盾を持つより似合って見えるのは、黙っておこう。


「リンドウ」


「ん?」


「あれを見ろ」


 アウラが指差した先。

 警備を終えて目を覚ましたらしいテオが、椅子へ座って黙々と肉を食っていた。

 空になった器が、既に十枚ほど積み上がっている。


「あいつ、寝起きだよな?」


「起きてすぐ、匂いにつられて来たらしい」


「まるで獣だな……」


 テオが一瞬だけこちらを見る。


「まだ食うのか?」


「食べてる」


「見りゃ分かる」


「昨日食べてないから」


「好きなだけ食え」


 テオは頷き、十一杯目へ手を伸ばした。


 あいつが食ってる姿を見て、周囲の子どもたちも笑っている。


 悪くない。

 戦争の次の日に、街中へ笑い声が戻っている。

 まだ壊れた家もある。

 消えない傷もある。

 失ったものは戻らない。


 それでも、昨日より少しだけ、前へ進んでいる。


 ♢


 夜。


 一日の報告を終え、ようやく寝室へ戻った。


 扉を開けると、俺の寝台の上にザフィラが座っていた。


「……何してんだよ、お前」


「待ってたの」


「見りゃ分かるよ」


 昼間は復旧作業全体の指揮を執り、何十人もの兵士や職人へ迷いなく命令を出していた女だ。


 その面影は、今はない。

 黒い耳は少し伏せられ。

 尻尾は落ち着きなく、寝台の上を左右へ往復している。


「今日は自分の部屋で寝るんじゃなかったのか?」


「そのつもりだったんだけど……」


「だったが?」


「……言わせるの?」


 素直すぎる答えに、思わず笑ってしまう。


「なんだ。昨日だけじゃ足りなかったのか?」


「別にいいでしょ?」


 ザフィラが唇を尖らせた。


「……だめだった?」


「ダメじゃねぇよ」


 隣へ腰を下ろすと、待っていたように身体を寄せてくる。


 俺の肩へ額を押しつけ。

 腰へ腕を回し。

 尻尾まで、逃がさないとでも言うように俺の足へ絡めてきた。


「あの脳筋黒猫がなぁ、ここまで男に弱いとは……」


「いいでしょ別に……」


 そう言いながらも、顔を擦り付けるのをやめない。


「昼間と違いすぎるだろ」


「昼間は、私がしっかりしないといけないから」


「今は?」


 ザフィラが、さらに身体を寄せてくる。


「……リンドウしかいないから、いいの」


 小さな声だった。


 だから、俺もそれ以上はからかわなかった。

 伏せられた耳の間へ手を置き、黒い髪をゆっくり撫でる。


「ん……」


 喉の奥から、微かな音が漏れた。


「お前、今ゴロゴロ言ったか?」


「言っていない」


「いや、言っただろ」


「その辺の猫と一緒にしないで」


 ザフィラが顔を上げて睨んでくる。

 だが、撫でる手を止めると、すぐに頭を俺の手へ押しつけてきた。


「だめ、もっと」


「はいはい」


「適当に撫でないで」


「注文が多い猫だな」


「豹だって言ってるでしょ」


「どっちでもいいだろ」


「よくない」


 文句を言いながらも、ザフィラは俺の胸へ頬を寄せた。

 耳の後ろを指で撫でると、今度は明らかに喉が鳴る。


「鳴ってんじゃねぇか」


「気のせい」


「無理があるだろ」


「聞かなかったことにして」


「へいへい」


 俺が撫で続けると、ザフィラは満足そうに目を細めた。

 普段のこいつからは想像もつかない顔だ。

 甘えた言葉遣いだってそうだ。

 誰かが見たら、偽物だと疑うだろう。


「……ねぇ、リンドウ」


「なんだよ」


 胸元へ頬を寄せたまま、ザフィラが俺を見上げる。


「今日も……ね?」


「昨日の今日だぞ」


「嫌なの?」


 黒い耳が、分かりやすく伏せられた。

 帰るとは言わない。

 俺の服を掴んだ指も離れない。

 なのに、こちらの返事を待つ金色の瞳だけは、少し不安そうに揺れている。


「誰も嫌だとは言ってねぇだろ」


「じゃあ、いいの?」


「……はぁ。一服してからな」


「本当に?」


「ああ。ちょっと待ってろ」


 返事を聞いた途端、伏せられていた耳がぴんと立つ。

 尻尾も嬉しそうに寝台を叩いた。

 顔は平静を装っているくせに。

 獣人ってのは、顔より耳と尻尾のほうが正直らしい。


 俺は寝台から立ち上がり、バルコニーへ出た。

 夜の王都には、まだいくつもの灯りが残っている。


 夜通し瓦礫を片づける者。

 炊き出しの火を守る者。

 警備のために通りを歩く兵士。


 国を取り戻したからといって、すべてが元に戻ったわけじゃない。

 それでも昨日までとは違う。

 あの灯りは、王に命じられて点いているんじゃない。

 この街に住む奴らが、自分たちの明日を作るために灯しているものだ。


 煙草を一本取り出す。

 街の住民から礼だと押しつけられたものだ。

 オイルライターで先端へ火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込む。


「……ふぅ」


 やっぱり美味くはない。


 苦い煙が喉を通り、肺の奥へ沈んでいく。


「まずいのに、それ吸うの?」


「……うぉっと」


 すぐ隣から声をかけられ、思わず煙草を落としかけた。


 ザフィラが、何食わぬ顔で俺の横に立っている。


「待ってろって言っただろ」


「待ってるじゃない」


「隣に来たじゃねぇか」


「隣で待ってるの」


「屁理屈だろ、それ」


 ザフィラは気にした様子もなく、俺の腕へ尻尾を巻きつける。

 寝室にいたときよりも強く。

 逃がさないとでも言うように、二重に絡めてきた。


「んだよ。ほんと、お前って甘えただよな」


「悪い?」


「悪いとは言ってねぇよ」


「なら、いいでしょ?」


 肩まで寄せてくる。

 煙草の匂いが嫌なのか、わずかに鼻を動かした。

 それでも離れようとはしない。


「近ぇ……」


「離れたくないの」


「さっきから随分と素直だな」


「二人きりのときくらい、いいでしょ?」


「まあ、俺は困らねぇけど」


 紫煙を吐き出しながら、王都へ視線を戻す。

 ザフィラも同じように街を眺めている。

 しばらくの間、二人の間に会話はなかった。

 聞こえるのは遠くから届く作業の音と、夜風に揺れる旗の音だけ。


「……離したら」


 ザフィラが、不意に口を開いた。


「……ん?」


「離したら、リンドウがまたいなくなる気がして」


 冗談を言っている声ではなかった。


 腕に巻きついた尻尾へ、さらに力が入る。


「またって、俺はどこにも行ってねぇだろ」


「昨日もそうだった」


「昨日?」


「私が止める前に、突然フィーアを投げて通信塔へ飛んでいった」


「……あれかよ」


「着地地点のこと、考えてなかったでしょ」


「なんで分かるんだよ」


「見れば分かるわ」


 ぐうの音も出ない。

 結果的には無事だった。

 通信塔の壁を少しばかり壊しただけだ。


「それだけじゃない」


 ザフィラが俺の肩へ額を寄せる。


「あなたは、いつもそう……。勝つためなら、自分が傷つくことを何とも思っていない。誰かを助けると決めたら、平然と一番危険な場所へ行く。それで……私たちが追いつく前に、全部終わらせようとする」


「世界一位だからな」


「そうやって誤魔化さないでよ……」


 弱々しい声で叱られた。

 顔を向けると、金色の瞳がまっすぐ俺を見ている。


「私は、あなたが強いことを疑ってるわけじゃないの。だけど、強いことと死ぬことは別でしょ?」


「……まあな」


「ようやく頼ってもいい相手ができたのに……」


 そこで一度、言葉が止まる。


 ザフィラは俺の服を掴み、わずかに俯いた。


「また突然、私の手が届かないところへ行かれたらって思うと……怖いの」


 その言葉を聞いて、煙草を持つ手が止まった。


 こいつが弱いわけじゃない。

 昼間は大勢の前に立ち、誰より冷静に命令を出していた。

 戦場では、俺の背中を任せられる。

 敵が何人いようが、怯むような女じゃない。


 そんなザフィラが。

 二人きりのときだけ、俺がいなくなることを怖がっている。


「いなくならねぇよ」


 煙草を灰皿へ押しつける。

 ザフィラの背中へ腕を回し、その身体を抱き寄せた。


「無茶はするかもしれねぇけどな」


「するかもしれないじゃなくて、するんでしょ?」


「そこは否定できねぇけど」


「もう……」


「でも、帰ってくる」


 伏せられた黒い耳へ触れる。


「少なくとも、黙っていなくなることはねぇ」


「……本当に?」


「ああ」


「どこかへ行くときは、私に言ってくれる?」


「言う」


「一人で全部背負わない?」


「善処はしよう」


「約束して……」


「分かったよ」


 俺はザフィラの顔を覗き込む。


「約束だ」


 しばらく俺を見つめたあと、ザフィラがようやく小さく笑った。


「……ん。今日もたくさん可愛がってね?」


 ザフィラの耳は機嫌よく立っている。


 腕へ巻きついていた尻尾も、今度は締めつけるのではなく、ゆっくりと俺の手首を撫でていた。


「もう煙草はいいの?」


「まずかったからやめた」


「そのうち慣れるって言ってなかった?」


「お前が待ってんのに、わざわざ慣れる必要もねぇだろ」


 ザフィラが目を丸くする。


 それから、照れたように視線を逸らした。


「……そういうことを、平然と言うのはずるい」


「何がだよ」


「別に……」


 そう言いながら、俺の胸へもう一度顔を擦りつけてくる。

 俺はその腰を抱き、寝室へ戻った。


「ねぇ、リンドウ」


「今度はなんだよ」


 ザフィラは俺の腕の中で顔を上げる。


 戦場では決して見せない、熱を帯びた金色の瞳。


「……愛してる」


 一度、恥ずかしそうに唇を噛み。


 それでも逃げずに、俺を見つめたまま続ける。


「私の、ご主人様」


「……その呼び方、外では絶対すんなよ?」


「二人きりのときだけよ」


「なら好きにしろ」


「ふふっ。はい、ご主人様」


「調子に乗るな、黒猫」


「豹だって言ってるでしょ」


 扉を閉める直前。

 バルコニーから見えるアルセディアの灯りが、夜風の中で静かに揺れていた。


 国を取り戻して、二日目の夜。

 ザフィラは俺の腕から、最後まで尻尾を離さなかった。


 ♢


 その翌朝。

 王都中央広場には、夜明け前から大勢の人々が集まっていた。


 広場の中央。

 鉄格子に囲まれた被告人席へ、元王と罪を犯した貴族たちが並べられている。


 豪奢な衣服は脱がされ。

 爵位を示す装飾も外され。

 今の彼らは、ただ裁きを待つ罪人だった。


 周囲を囲むのは、再編された王都の警備兵。

 その外側には、市民から選ばれた陪審員。

 被害を訴える者たちのための席。

 そして、誰でも確認できるよう、押収された証拠資料が広場の掲示板へ並べられていた。


 王家が隠してきたものを。

 今度は、国民の前ですべて明らかにする。


「リンドウ様」


 評議台に立つミラが、中央に用意された椅子を示した。


「こちらへ」


「座らねぇよ」


「しかし、あなたは初代覇王です」


「だからだ」


 俺は評議台へ上がらず、市民たちが集まる広場へ立った。


「俺が一人で判決を決めたら、王が変わっただけだろ」


 被告人席から、元王が憎しみに満ちた目で睨んでくる。


 構わず、周囲を見回した。


「裁くのは俺じゃねぇ」


 ここへ集まった者たち。

 家族を奪われた者。

 村を焼かれた者。

 奴隷として売られた者。


 それでも、今日まで生き抜いた者。


「百二十年間、この国で生きてきた――お前らだ」


 ミラはしばらく俺を見つめたあと、小さく息を吐いた。


「では、始めましょう」


 広場が静まり返る。


 ミラが、一冊目の記録を開いた。


「被告、アルフレッド・ラングレイ」


 かつて王だった男の名前が、罪人として呼ばれる。


「あなたには、ラングレイ王家による第二代覇王暗殺の隠蔽および歴史記録の改竄」


「違法な人体実験」


「複数の集落に対する焼却命令」


「人身売買および奴隷制度の組織的運用」


「反対者への不当な拘束、拷問、処刑――」


 読み上げられる罪状は、途切れない。


 一つ、また一つ。


 王家が百二十年間積み重ねてきた罪が、白日の下へさらされていく。


 元王は、何も答えない。

 ただ俯き、歯を食いしばっていた。

 ミラは記録を閉じる。


「最初の証言者を、こちらへ」


 集まった人々の間から、一人の少女が歩み出た。

 痩せた身体。

 震える足。

 それでも、少女は自分の意思で一歩ずつ前へ進んでくる。


 その首には――消えない奴隷紋が、深く刻まれていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


国を取り戻した翌日。

リンドウたちは、壊れた街を直し、住む場所を失った人々を支え、新しい国の仕組みを少しずつ作り始めました。


戦いに勝てば、すべてが元通りになるわけではありません。

むしろ、国を本当の意味で取り戻すための戦いは、ここから始まります。


そして次なる目的は、奴隷紋を断ち切る『破邪の短剣』の製作。

その素材を持つ『鎖の聖女』について、リンドウは初めて攻略方法だけでなく、彼女が歩んできた物語を知ろうとしています。

これまで読み飛ばしてきた物語と、今度こそ向き合うために。


次話では、ラングレイ王家による百二十年間の悪政を裁く、公開裁判が始まります。

そしてザフィラさんは、二人きりになると完全に黒豹ではなく甘えん坊な黒猫になりました。

今後も二人の関係を温かく見守っていただけると嬉しいです。


次話もよろしくお願いいたします。

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