38:覇王、帰還を告げる。
悪政に覆われたアルセディアを取り戻す戦いは、終わった。
だが、本番はここからだ。
昨日まで信じていた王が捕らえられ。
従うべきだと教えられていた貴族が罪人となり。
絶対だと思われていた国の仕組みが、一晩で崩れた。
王都の民は、自由になったと言われても、今日をどう生きればいいのかすら分からないだろう。
だったら、最初にやることは決まってる。
「お前ら、住民たちのことは任せたぞ」
俺は『フィーア』を肩へ担ぎ直した。
「ここからは、俺の仕事だ」
「リンドウ、何を――」
ザフィラが言い切るより早く、『フィーア』を魔術通信塔へ向かってぶん投げる。
「――『座標転移』!」
視界が反転した。
夜明け前の王都が一気に遠ざかり、通信塔の外壁が目の前へ迫る。
「……やっべ」
投げることしか考えてなかった。
着地地点、決めてねぇ……。
「どうすんだ、これ!?」
『フィーア』が通信室の壁を突き破る。
俺は空中で召喚を解除し、身体を捻って衝撃を逃がした。
石壁を一枚、机を一つ、ついでに椅子を二脚ほど巻き込み、床へ転がる。
土煙の向こうで、誰かが激しく咳き込んでいた。
「ごほっ……リンドウ様!?」
疲れ切った顔で腰を下ろしていたミラが、目を見開いている。
「よう、ミラ。久しぶり!」
「……」
「少し痩せたか?」
ミラのこめかみに青筋が浮かんだ。
「久しぶりの再会で、最初におっしゃることがそれですか?」
「元気そうで何よりだ」
「あなたのせいで、目に見えて痩せましたよ。ええ。それはもう、見事なほどに」
「苦労かけたな!」
「軽いですね……!」
「それはそれとして、この設備借りるぞ」
「それはそれとしてで流さないでください。あと、壁の修理費はリンドウ様へ請求いたします」
「国の経費で落とすわ」
「個人負担です」
「初代覇王なのに?」
「初代覇王だからです」
そりゃねぇぜ、ミラえもん……。
相変わらず手厳しいやっちゃ。
だが、こうして言い合えるのが妙に懐かしかった。
俺は通信装置の前へ立つ。
王都全域へつながる魔力回路へ手を触れた。
「リンドウ様、何をなさるおつもりですか?」
「決まってる」
この国には今、命令が必要なんじゃない。
――進む方向だ。
俺は通信を王都全域へ接続した。
『あー、あー。テステス』
自分の声が、魔術通信塔から王都中へ広がっていく。
『聞こえてるか、アルセディアの民よ』
通りを走っていた兵士が足を止める。
避難所で食料を受け取っていた者が顔を上げる。
消火作業をしていた冒険者も。
奴隷市場から救い出された者たちも。
王城の前へ集まり始めていた市民も。
誰もが、魔術通信塔を見上げた。
『改めて名乗るぞ』
一度、息を吸う。
『俺の名はリンドウ』
『今日、偽りの王家からアルセディアを取り戻した男だ』
王都が静まり返る。
『聞き覚えのある名前だろ?』
『お前らが初代覇王と呼んできた男の名だ』
『偶然でも、名前を借りた偽物でもない』
『百二十年前に死んだ、初代覇王リンドウ本人だ』
ざわめきが広がっていく。
信じられない者もいるだろう。
当然だ。
昨日まで死者だった男が、急に帰ってきたと言われたんだからな。
『信じられないなら、今すぐ信じなくていい』
『王城も、資料も、百二十年前の記録も、全部これから公開する』
『自分の目で見て、自分の頭で考えろ』
『それができる国へ戻すために、俺は帰ってきた』
通信装置の向こう。
どこかで、誰かが息を呑む気配がした。
『ラングレイ王家が何をしてきたのかは、ミラが流したとおりだ』
『二代目覇王を殺し、歴史を書き換え、技術を奪い、人を身分で分けた』
『村を焼き、生き残った者を鎖につなぎ、人間を商品として売った』
『お前らにとって、この百二十年がどれほど長かったのか』
『俺には、分かったなんて言えねぇ……』
俺にとっては、目を覚ますまではゲームだった。
一日眠って。
目を覚ましたら、百二十年が過ぎていた。
その年月を、軽々しく理解したふりなんかできない。
『だから、これだけ言わせろ』
『よく生き抜いた』
王都に、俺の声だけが響く。
『奪われても』
『踏みつけられても』
『明日が今日より悪くなると分かっていても』
『それでも今日まで生きた』
『よく耐えた』
『よく残ってくれた』
『俺に……帰る場所を、残してくれてありがとう』
言葉にした瞬間。
胸の奥に、遅れて何かが込み上げてきた。
ここは、俺たちが作った国だ。
だが、百二十年間、この国を残したのは俺じゃない。
今ここにいる奴らだ。
『お前らに問う』
『お前らは、弱かったから踏みにじられたのか?』
返事はない。
それでいい。
『戦う力がなかったからか?』
『知識がなかったからか?』
『技術を持たなかったからか?』
『人間だったからか? 獣人だったからか? エルフだったからか? 魔族だからか?』
『平民だったからか? 奴隷だったからか?』
握っていた拳へ、自然と力が入る。
『――違う!』
声を叩きつけた。
『お前らが弱かったんじゃねぇ!』
『弱くさせられてたんだ!』
『学ぶ場所を奪われ!』
『武器を奪われ!』
『技術を奪われ!』
『声を上げれば家族ごと殺される恐怖を植えつけられた!』
『立ち上がれなかったんじゃない!』
『立ち上がるたびに、踏み潰され続けてきたんだ!』
王都のあちこちで、俯いていた者が顔を上げる。
『だがな』
『奪われたものなら、取り戻せる』
『忘れさせられたものなら、思い出せる』
『……アルセディアにはな、王命より古く、爵位より重い言葉があるんだよ』
百二十年前。
世界一を目指して。
何度負けても挑み続けた、俺たちの言葉。
『――恐れるな』
声を落とす。
『恐怖を感じるなって意味じゃねぇ』
『怖くても、自分で選べって意味だ』
『――前を向け!』
『王も、貴族も、俺にさえ首を垂れる必要はない』
『見上げるなら、次に自分が進む場所を見ろ』
『――立ち止まるな!』
『学びたいなら学べ』
『作りたいなら作れ』
『強くなりてぇなら鍛えろ』
『誰かに許可されるのを待つな』
『――進み続けろ!』
『一度失敗したくらいで諦めるな』
『何度負けても、昨日より一歩先へ行け』
通りのどこかから、小さな声が聞こえた。
「恐れるな……」
年老いた男の声だった。
続いて、別の場所から。
「前を向け」
「立ち止まるな」
「進み続けろ……」
百二十年間、忘れ去られていた言葉が。
一人ずつ。
人から人へ伝わり始める。
『そうだ……』
『それがアルセディアだ!』
『身分も、種族も、年齢も関係ねぇ!』
『好きなことを、好きなだけ極めろ!』
『昨日まで奴隷だった奴も聞け!』
『お前らはもう、誰の所有物でもない!』
『今日、この瞬間をもって、アルセディアの奴隷制度は廃止する!』
『人の売買、拘束、奴隷契約による命令をすべて禁ずる!』
『奴隷商ども。聞いてるよな?』
少しだけ声を低くする。
『隠した奴隷契約書も、命令具も、全部差し出せ』
『一人でも隠したら――俺が直接取りに行く』
王都のどこかで、何かが落ちる音がした気がする。
『そして、まだ身体に奴隷紋が残っている奴ら、よく聞け!』
『今すぐ全部消してやる、とは言えねぇ』
『下手に壊せば、お前らの身体まで壊れる』
都合のいい嘘はつかない。
『だが、必ず壊す……!』
『人間じゃなく、術式だけを切り離す道具を、俺が作る!』
『神匠として』
『初代覇王として』
『必ず、お前らの身体から最後の鎖まで消してやる』
王都のどこかで、泣き声がした。
『俺が戻ったから、もう安心だ――なんて言うつもりはねぇぞ』
『国は一晩で取り戻せても、暮らしは一晩じゃ戻らねぇ』
『食料が足りない日もあるだろう』
『復旧に時間もかかる』
『今日より明日のほうが、苦しいことだってあるかもしれねぇ』
『それでもだ』
『もう、お前らの未来を王家が決めることはねぇ!』
『誰が学ぶか』
『誰が作るか』
『誰を愛し』
『どこで生きるか』
『自分たちで選べ!』
俺が国を動かすんじゃない。
玉座へ座った誰か一人が、全部を決めるんでもない。
『この国を動かしてきたのは、最初から俺じゃなかった』
『武器を作った職人だ!』
『街を広げた建築士だ!』
『畑を耕した奴だ!』
『魔物と戦った冒険者だ!』
『傷ついた者を治した奴だ!』
『そして、今日まで生き延びた――お前らだ!』
人々の声が、少しずつ大きくなる。
『俺の背を追いかけてこい!』
『世界最強の初代覇王が、先頭を走ってやる!』
『だが、いつまでも俺の後ろを歩くな!』
『学んで! 鍛えて! 作って!』
『いつか俺へ追いつけ!』
『俺を追い越せ!』
『そのとき、アルセディアは百二十年前より、もっとデカくなる!』
声が返ってきた。
「恐れるな!」
今度は、一人じゃない。
「前を向け!」
別の通りからも。
「立ち止まるな!」
王城の前からも。
「進み続けろ!」
獣人も。
人間も。
エルフも。
兵士も。
冒険者も。
元奴隷も。
同じ言葉を叫んでいる。
俺は通信装置へ身を乗り出した。
『最後に』
王都中が、次の言葉を待っている。
『百二十年も待たせて、悪かったな』
一度、目を閉じる。
仲間たちの顔が浮かぶ。
二十五人。
ミラ。
クライブ伯爵。
そして、今日までこの国を残したすべての人間。
目を開く。
『――待たせたな、アルセディア』
『お前らの覇王は――帰ってきたぞ!!』
一瞬。
王都から、すべての音が消えた。
静寂の中。
誰かが、小さく呟いた。
「覇王……」
その声が、呼び水になった。
「覇王!」
「初代覇王!」
「リンドウ様!」
声が重なり。
膨れ上がり。
やがて、王都そのものを揺らすほどの咆哮へ変わる。
「ウオォォォォォォオオオオオオッ!!」
通信塔の窓が震えた。
石壁まで震えている。
俺の声じゃない。
王の命令でもない。
百二十年間、奪われ続けた国民自身の声だった。
その歓声をしばらく聞いてから、俺は通信装置へ向かって片手を上げた。
『――まだ終わりじゃねぇぞ!』
声を張り上げる。
王都を満たしていた歓声が、少しずつ静まっていった。
兵士も。
職人も。
冒険者も。
元奴隷たちも。
次の言葉を待っている。
『さぁ、下を向くのはおしまいだ!』
『失ったものを数えるのも、今日で終わりにしろ!』
『焼かれた村もある!』
『奪われた工房もある!』
『帰ってこなかった家族もいる!』
『忘れろとは言わねぇ!』
『許せとも言わねぇ!』
『全部覚えてろ!』
『俺たちが、何を二度と繰り返しちゃならねぇのかを忘れないためにな!』
王都のあちこちで、唇を噛む者がいる。
涙を拭い、顔を上げる者がいる。
『だが、いつまでも奪われたものだけを見て生きるな!』
『明日からは、取り戻したものを数えろ!』
『壊された工房を建て直せ!』
『閉ざされた書庫を開け!』
『奪われた技術を、もう一度この国へ取り戻せ!』
『学びたい子どもには学ばせろ!』
『作りたい職人には作らせろ!』
『挑みたい冒険者には、好きなだけ挑ませろ!』
『種族も!』
『身分も!』
『生まれも関係ねぇ!』
『才能がある奴だけじゃない!』
『才能がなくても、諦めの悪い奴が上を目指せる国にする!』
誰かが拳を掲げた。
続いて、隣の者も。
通りを埋める人々の腕が、次々と空へ上がっていく。
『百二十年前のアルセディアは、世界一を目指してた』
『だけどな――昔へ戻すだけじゃ足りねぇ!』
『俺たちは、百二十年前を取り戻すんじゃない!』
『あの頃より、もっと強く!』
『もっと自由で!』
『もっと面白ぇ国を作る!』
胸の奥から、笑いが込み上げる。
国を作った頃。
誰もが世界一なんて無理だと笑った。
それでも、俺たちは挑んだ。
負けて。
壊して。
作り直して。
何度でも前へ進んだ。
『俺一人じゃできねぇ!』
『二十五人だけでも無理だ!』
『この国にいる全員の力が必要だ!』
『だから立て!』
『顔を上げろ!』
『胸を張れ!』
『恐れるな!』
「恐れるな!」
王都から声が返ってくる。
『前を向け!』
「前を向け!」
『立ち止まるな!』
「立ち止まるな!」
『進み続けろ!』
「進み続けろ!」
声がそろっていく。
最初はばらばらだった叫びが。
通りから通りへ。
人から人へ伝わり。
やがて、王都全体を一つにする。
『そうだ!』
『それがアルセディアだ!』
『王に守られるだけの国民になるな!』
『自分たちの手で、この国を作り直せ!』
『俺が先頭を走る!』
『倒れそうな奴は支えてやる!』
『立ち止まった奴がいたら、背中を蹴飛ばしてでも連れていく!』
『だから、お前らも俺についてこい!』
通信装置へ拳を叩きつける。
『さぁ――始めようぜ、アルセディア!』
『百二十年間奪われ続けたものを、全部取り戻す!』
『技術を!』
『知識を!』
『自由を!』
『そして、お前ら自身の誇りを!』
一度、大きく息を吸った。
王都中が静まり返る。
誰もが、その言葉を待っていた。
『技術超大国――』
『アルセディアを取り戻すぞ!!』
一瞬遅れて。
王都が、爆発した。
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
それは歓声なんて生易しいものじゃなかった。
何万人もの足が石畳を踏み鳴らす。
拳が空へ突き上げられる。
兵士が。
冒険者が。
職人が。
商人が。
人間が。
獣人が。
エルフが。
昨日まで奴隷だった者たちが。
同じ言葉を叫んでいる。
「アルセディア!」
「アルセディア!」
「アルセディア!」
地面が震えた。
王城の窓が鳴り。
通信塔そのものが揺れる。
それは、初代覇王へ向けられた歓声ではない。
百二十年間、声を奪われてきた者たちが。
自分たちの国を、もう一度その手へ取り戻すと誓う声だった。
隣を見ると、ミラが目元を押さえていた。
「泣いてんの?」
「……土埃です」
「まだ舞ってる?」
「壁を壊したのは、どなたでしたでしょうか」
「俺だけども……」
「修理費は個人負担です」
「感動の余韻くらい残せよ!」
ミラは涙を拭いながら、ほんの少しだけ笑った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第二章、開幕です。
偽りの王家を倒し、百二十年ぶりにアルセディアへ帰還したリンドウ。
しかし、国を取り戻しただけでは、そこで暮らす人々の日常までは戻りません。
百二十年間奪われ続けた技術、知識、自由、そして誇り。
リンドウは初代覇王として、国民と共にそれらを取り戻すことを宣言しました。
そして、身体に残された最後の鎖――奴隷紋。
魔術で解くことができないのなら、神匠として壊すための道具を作る。
次話から、国を取り戻したあとの一週間と、新たな目標へ向けて動き始めるリンドウたちを描いていきます。
第二章も、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




