34:覇王、国を取り戻す――黒豹
「ようやく見つけたぞ、サイラス」
『クロノア』を石畳から引き抜く。
砕けた石の破片が、騎士たちの足元へ転がった。
市場の入口に立つ男。
黒い鎧に、血のように赤い外套。
右手には、王家の紋章が刻まれた長剣。
何度、夢の中でその顔を斬ったか分からない。
燃える家、逃げ惑う人々、背中へ突き立てられた槍。
鎖でつながれ、連れていかれる仲間たち。
そして、馬上からすべてを見下ろしていた男。
騎士団長サイラス・グランツ。
「貴様は……」
サイラスが私を見た。
驚きはない、怯えもない。
ただ、記憶を探るように目を細めている。
「どこかで会ったか?」
その一言で、胸の奥が熱くなった。
この男は覚えていない……!
私の村を焼き、家族を殺し……。
私たちの人生を奪っておきながら……!
この男にとっては、思い出す価値すらない出来事だった。
今すぐ斬りたい……この距離なら届く。
地面を蹴り、『クロノア』を横へ振り抜けばいい。
首を落とすまで、三秒もかからない。
だが――。
「全班、状況を報告しろ」
私はサイラスから目を逸らさず、通信を開いた。
「何?」
サイラスが眉を寄せる。
構わず続ける。
「アウラ」
『西門は維持している』
通信の向こうから、市民を誘導する声が聞こえた。
『避難者はクライブ伯爵の倉庫へ向かわせている。班員六名、全員行動可能だ』
「門を閉じようとする動きは?」
『今のところない。投降した守備兵も誘導へ加わっている』
「そのまま維持しろ」
『了解した』
「テオ」
『通信塔は無事』
短い返答。
『北門、東門、南門の開閉機構も固定した。三人とも塔へ戻る途中だ』
「敵の増援は?」
『王城と騎士団本部から動こうとしてる。ただ、どこへ向かうべきか決まってない』
通信を奪った効果が出ている。
命令が届かない。
警鐘も鳴らない。
兵士たちは、何が起きているのかすら把握できていない。
「塔を守れ。深追いするな」
『分かってる』
「カレン」
『騎士団本部、武器庫、指揮官室を制圧しました』
「負傷者は?」
『治療中ですが、六人とも動けます』
「投降した兵は?」
『武器庫前へ集めています。『白銀剣』アルドも拘束しました』
「メルディアは王城へ向かった。追う必要はない」
『はい』
最後に、背後へ視線を向ける。
市場ではノアたちが、解放した者を出口へ誘導している。
奴隷紋の光は消えていた。
それでも、歩けない者は多い。
泣き崩れている者。
急に自由になれと言われても、どこへ行けばいいのか分からず立ち尽くす者。
「ノア」
『はい』
「避難状況は?」
『歩ける人から西門へ向かわせています。重傷者と子どもは、まだ市場内です』
「中枢魔道具は?」
『遠隔命令機能だけを停止しました。奴隷紋そのものは残っていますが、外から発動させることはできません』
「よくやった」
『……はい』
声が僅かに震えていた。
エルネスを殺したことを、気にしているのだろう。
だが、今それを慰めている時間はない。
「立ち止まるな。残った者を全員外へ出せ」
『分かりました』
通信を切る。
西門は維持されている。
通信塔も無事。
騎士団本部は制圧。
奴隷市場の避難も始まった。
私の役目は、まだ終わっていない。
四つの班すべてを見なければならない。
何か一つでも崩れれば、すぐに動く必要がある。
だが――
「待たせたな」
『クロノア』を構える。
「私の役目は終わっていない」
サイラスを真っすぐに見据えた。
「だが、お前を討つ時間はできた」
「随分と余裕だな」
サイラスが長剣を持ち上げる。
「反逆者が寄せ集めを率いただけで、将にでもなったつもりか?」
「将かどうかは知らん」
私が背負っているのは、肩書きではない。
二十四人の命。
逃げている市民。
市場から解放された者たち。
「少なくとも、お前よりは後ろにいる者を見ている」
サイラスの表情が歪む。
「市場を焼け!」
奴が左手を上げた。
後ろに並ぶ騎士たちが火矢を構える。
「証拠も奴隷も残すな! 反乱者に利用される前に、すべて処分しろ!」
「正気か!」
騎士の一人が声を上げた。
「市場には、まだ子どももいるんですよ!」
「だから何だ」
サイラスが振り返る。
「王家へ牙を剥いた奴隷は、既に国民ではない」
「ですが――」
「命令だ」
騎士の首元へ、サイラスの剣が突きつけられる。
「放て」
それでも騎士は弓を引かなかった。
「できません」
「そうか」
次の瞬間。
サイラスの剣が振るわれた。
騎士が地面へ倒れる。
「命令に従えない兵は必要ない」
残る騎士たちの顔が強張った。
「もう一度言う。火を放て」
誰も動かない。
「お前たちは、それでも騎士か!」
「それを決めるのは、お前ではない」
私は一歩前へ出た。
「武器を置け」
騎士たちへ告げる。
「市場の人間を焼くつもりがないなら、戦う必要はない」
「反乱者の言葉を聞くな!」
「今夜、王家が倒れたあとも、自分がしたことは残る」
奴隷狩りへ参加した者もいるだろう。
命令に従い、人を捕らえた者も。
だからといって、今ここで全員斬るつもりはない。
「武器を置いた者は攻撃しない」
最初に一人が弓を下ろした。
「申し訳ありません、団長……」
続いて、隣の騎士も。
「子どもを焼く命令には従えません」
「貴様ら……!」
半数以上が、武器を石畳へ置いた。
残った者も、サイラスではなく互いの顔を見ている。
王家への忠誠ではない。
命令へ逆らったあとの処罰を恐れているだけだ。
「市場の避難を手伝え」
私は武器を置いた騎士へ指示する。
「信用できると思うか?」
サイラスが笑う。
「つい先ほどまで敵だった者たちだぞ」
「完全に信用する必要はない」
リンドウの言葉を借りる。
「武器を預かって、働いてもらう」
サイラスの額に青筋が浮かんだ。
「奴隷の分際で!」
石畳を蹴る。
一瞬で距離を詰めてきた。
速い……!
長剣が、首へ向かって横薙ぎに振るわれる。
『クロノア』の柄を立てて受ける。
金属がぶつかり、火花が散った。
長剣とは思えない衝撃が、腕から肩まで突き抜ける。
「力任せか」
「獣人に言われる筋合いはない!」
サイラスが剣を返す。
速さも重さも、王家の騎士団長を名乗るだけはある。
私は大鎌の柄で受け流し、刃の内側を剣へ絡ませる。
「ふっ!」
捻る。
剣を奪うつもりだった。
だが、サイラスは柄から手を離さない。
逆に身体ごと引き寄せられた。
「浅い!」
肩がぶつかる。
鎧の重さに押され、足が石畳を滑った。
追撃の剣が迫る。
身を沈めて避け、『クロノア』を足元へ振るう。
サイラスが跳ぶ。
空中へ逃げた身体を追い、大鎌を振り上げた。
「ちっ!」
剣で刃を受け、サイラスが後方へ着地する。
互いに距離を取った。
「貴様のような獣人を捕らえた記憶はない」
「だろうな」
「村の名は?」
答える。
私が生まれた村。
家族と暮らした場所。
燃やされるまで、当たり前に明日が来ると思っていた場所。
サイラスは少し考えたあと、首を振った。
「知らんな」
分かっていた。
それでも、実際に言われると胸が軋む。
「獣人の集落など、いくつも処分した」
「処分……?」
「奴隷狩りではない」
サイラスは、当然のことを説明するように続ける。
「税を払わず、王家の調査を拒み、森へ隠れて暮らす者たち。反乱の芽を摘んだだけだ」
「子どももいた……」
「成長すれば反乱者になる」
「武器を持たない老人も……!」
「反乱者を育てた者だ」
「抵抗しなかった者まで、奴隷へ売った……!」
「労働によって罪を償わせた」
何を言っているんだ、こいつは……。
本気で、それが正しいと思っているのか……?
「秩序には犠牲が必要だ」
サイラスが剣を構え直す。
「王家へ従わない者を放置すれば、国は崩れる」
「違うな――」
「何がだ」
「お前たちが守ってきたのは国ではない」
王家へ従う者だけを残し。
逆らう者を殺し。
弱い者を奴隷にした。
「王家にとって都合のいい秩序だ!」
「それの何が悪い」
話すだけ無駄だ。
サイラスの言葉で、怒りが消えたわけではない。
むしろ、胸の奥では燃え続けている。
だが、不思議と頭は冷えていた。
怒りに任せて振るった刃では、この男には届かない。
ならば、勝つために振るう。
『クロノア』を低く構えた。
「もういい……」
「何がだ?」
「お前が何を覚えているかも、何を言い訳にするかも」
地面を蹴る。
「何もかも、どうでもよくなった」
サイラスの間合いへ入る直前、急停止する。
大鎌の重さだけを前へ流し、刃を横へ振り抜いた。
サイラスが後方へ跳ぶ。
予想どおり。
着地地点へ、鎌の柄を突き出す。
「ぐっ!」
鎧の胸へ直撃した。
体勢を崩した身体へ踏み込み、石突きを膝へ叩き込む。
サイラスの身体が沈む。
首へ刃を回す。
「甘い!」
長剣が内側から『クロノア』を弾いた。
強引に間合いへ入り、肘が腹へ突き刺さる。
「っ……!」
肺から空気が抜ける。
サイラスの剣が振り上げられた。
『ザフィラさん!』
ノアの声が通信へ割り込む。
『市場の北側で火災です! 避難路が塞がれました!』
剣が迫る。
私は『クロノア』を地面へ突き立て、その柄を軸に身体を回した。
刃が頬を掠める。
距離を取る。
「戦いの最中によそ見か!」
サイラスが追ってくる。
「黙れ!」
大鎌を横へ振り、近づかせない。
「ノア、状況を言え!」
『倒れた荷車に火が移っています! 奥に四十人ほど残っています!』
「奴隷紋が発動している者は?」
『いません! ですが、煙で動けない人が――』
「骸骨兵を一列に並べて、火と人の間へ壁を作れ!」
『はい!』
「歩ける者へ、負傷者を一人ずつ運ばせろ。班員だけで全部運ぼうとするな!」
『ですが、煙が――』
「魔法盾を天井へ広げろ! 煙を左右へ逃がして道を作れ!」
『分かりました!』
続けて全班通信を開く。
「テオ!」
『聞こえてる』
「予備の一人を奴隷市場北側へ向かわせろ。最短の路地を案内させろ」
『すぐ送る』
「アウラ!」
『どうした!』
「市場から四十人追加だ。西門内側へ受け入れる場所を空けろ」
『任せろ』
「カレン!」
『はい!』
「騎士団本部で投降した兵の中に、消火魔法を使える奴がいないか確認しろ」
『探します!』
「ザフィラさん」
ノアの声。
『指示どおり、道を作ります』
「全員連れてこい」
『はい!』
通信を終える。
サイラスは、少し離れた場所から私を見ていた。
口元に、嘲るような笑みを浮かべている。
「復讐より、仲間を選ぶのか」
「何?」
「私を殺すために来たのだろう」
サイラスが剣を肩へ担ぐ。
「だが、命乞いする奴隷の声を聞くたびに手を止める。そんな甘さで私を討てると思うか?」
甘さ……か。
以前の私なら、そう思ったかもしれない。
目的を一つに絞れず。
何も捨てられず。
すべてを抱えようとしていると。
だが、今は違う。
「仲間を選んだわけではない」
『クロノア』を握り直す。
「何?」
「仲間を守ったうえで――」
地面を蹴った。
「お前も討つ」
サイラスの剣と大鎌がぶつかる。
何度も真正面から力をぶつける。
奴の意識が、私の刃へ集中する。
その瞬間、鎌を手放した。
「なっ――」
想定していなかったのだろう。
私の武器は巨大だ。
大鎌を失えば、戦えないと思っている。
だから、空いた両手でサイラスの腕をつかんだ。
「離せ!」
「嫌だね」
身体を捻り、鎧ごと地面へ投げる。
サイラスの背中が石畳へ叩きつけられた。
長剣が手から離れる。
そのまま胸へ膝を落とした。
「ぐっ!」
サイラスが私の喉へ手を伸ばす。
頭突きを入れ、動きを止める。
「獣人が……!」
「獣人だからどうした」
私は『クロノア』へ手を伸ばす。
大鎌の柄が手の中へ戻る。
立ち上がろうとするサイラスの肩へ、石突きを振り下ろした。
鎧がへこむ。
「私たちは、お前に許されなければ生きられない存在ではない」
もう一撃。
長剣へ伸びた手を、刃で石畳へ縫い止める。
「ぐああああっ!」
サイラスが叫ぶ。
それでも、目には反省も恐怖もなかった。
「王家は滅びん!」
「そうか」
「貴様ら奴隷が何をしようと、秩序は――」
「もう聞いた」
『クロノア』を引き抜く。
サイラスが長剣を拾い、最後の力で立ち上がった。
「死ねぇぇぇっ!」
正面から突っ込んでくる。
速い。
だが、もう見切っている。
剣が届く直前、半歩だけ左へずれる。
長剣が脇を通り抜けた。
空いた首元へ、『クロノア』の刃を滑らせる。
「終わりだ、サイラス」
振り抜いた。
黒い刃が、夜の中へ長い軌跡を残した。
サイラスの身体が、その場へ崩れ落ちる。
『騎士団長サイラス・グランツを討伐しました』
『ザフィラのレベルが81へ上がりました』
『ザフィラのレベルが82へ上がりました』
通知が流れる。
私は動かなくなった男を見下ろした。
これで終わった――。
ずっと討ちたいと思っていた相手を、ようやく討った。
だが、胸の中が晴れることはなかった。
故郷は戻らない。
死んだ者も帰らない。
燃えた家も。
家族と過ごした時間も。
この男を殺したからといって、なかったことにはならない。
復讐を果たせば、すべてが終わると思っていた。
でも、違った。
終わったのは、サイラスの命だけだ。
私の人生は続く。
「……それでいい」
故郷を取り戻すことはできない。
だが、これ以上奪われる者を増やさないことはできる。
サイラスへ向けていた視線を、市場へ戻す。
火災は抑えられ始めていた。
骸骨兵が炎を受け止め。
投降した騎士たちが負傷者を運び。
ノアたちが一人ずつ、西門へ送り出している。
「ザフィラさん!」
ノアが駆け寄ってくる。
「北側の避難路を確保しました!」
「残っている者は?」
「あと十二人です。全員、運び出せます」
「そうか」
「サイラスは……」
「討った」
ノアは一瞬だけサイラスへ目を向け、それ以上は何も聞かなかった。
「市場の証拠をまとめろ。ヴァンデル侯爵も生きたまま連れていけ」
「はい」
通信を開く。
「全班、状況を報告しろ」
『西門、問題ない』
『通信塔も維持してる』
『騎士団本部、完全に制圧しました』
『奴隷市場も、間もなく避難が終わります』
四つの班。
二十四人。
まだ全員の声が聞こえる。
私は『クロノア』を背負い、王都中央へ聳える城を見上げた。
残っている王家の旗。
その下では今、リンドウが一人で戦っている。
「全班へ」
息を整え、告げる。
「残る目標は、王城のみだ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、ザフィラと騎士団長サイラスの戦いに決着がつきました。
故郷を奪った相手を前にしても、ザフィラが最初に確認したのは、四つの班と仲間たちの状況でした。
復讐だけを目的に生きていた黒豹は、今では二十四人の命を背負う総指揮官になっています。
サイラスを討っても、失われた故郷や家族は戻りません。
それでも、これ以上奪われる者を増やさないために、ザフィラは前へ進みます。
西門、通信塔、騎士団本部、奴隷市場。
残る目標は、王城のみ。
次話――百二十年前に城を築いた初代覇王が、正門から帰還します。




