33:覇王、国を取り戻す――鎖
奴隷市場へ踏み込んだ瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの叫び声が押し寄せた。
「出口を開けろ!」
「商品を逃がすな!」
「王家が倒れるなんて嘘だ!」
「助けてください!」
逃げようとする買い手。
奴隷を檻へ押し戻そうとする商人。
鎖を引きずりながら、どこへ行けばいいのか分からず立ち尽くす人たち。
市場の至るところに置かれた告知用魔道具からは、ミラさんの声が流れ続けている。
『奴隷狩りによって捕らえられた住民は、ヴァンデル侯爵の管理する商会へ引き渡されていました』
「でたらめだ!」
商人の一人が叫ぶ。
「王家へ逆らう反乱者の放送だ! 奴隷どもを檻へ戻せ!」
彼が手にした杖を掲げる。
その瞬間、近くにいた獣人の男性が首を押さえて倒れた。
「ぐっ……ああああっ!」
首元に刻まれた黒い奴隷紋が赤く光っている。
「逆らえばどうなるか、分かっているだろう!」
「やめてください!」
私は『冥杖・ウロボロス』を掲げた。
白い花弁が舞い、苦しむ男性の身体を包む。
奴隷紋そのものは消せない。
それでも、流れ込む魔力を外側から抑えることはできる。
「魔法盾を!」
「はい!」
班員の女性が男性の周囲へ障壁を張る。
「治癒術師は状態を確認してください!」
「ノアさん!」
別の方向から声が飛ぶ。
「南側の檻に、意識のない子どもが三人!」
「こちらでは女性が腕を切られています!」
「奴隷紋が光っている人が、ほかにも五人!」
一度に声が押し寄せる。
どこを見ても、助けを求める人ばかりだった。
倒れている人。
泣いている子ども。
鎖で壁へつながれた老人。
血を流しながら、それでもほかの誰かを支えている女性。
全部へ行かなければ。
そう思った。
「私が治療を――」
「隊長!」
弓使いの声で、伸ばしかけた足が止まる。
「指示をください!」
五人が私を見ている。
私が走れば、一人は助けられるかもしれない。
けれど、残る五人は何をすればいいのか分からなくなる。
全員を助けようとすれば、最後には誰も助けられない。
伏魔殿で何度も言われた言葉が、頭へ浮かんだ。
今、一番危険な人を選ぶ。
「魔法盾は、奴隷紋が発動している人を一か所へ集めてください!」
「分かりました!」
「治癒術師は出血している人を優先! 意識があって歩ける人は、まだ治療しなくて大丈夫です!」
「はい!」
「弓使いは檻を開けて、動ける人を西門へ誘導してください!」
「子どもたちは?」
「拘束魔術師と一緒に運んでください! 歩けない人と子どもを優先します!」
魔導士の班員が私を見る。
「私は?」
「奴隷紋を発動させている商人を止めてください!」
「了解!」
指示を受けた五人が散る。
目の前にいる全員を、自分一人で見る必要はない。
五人の目を借りればいい。
「奴隷紋が光っている人は、こちらへ!」
障壁の中へ、苦しむ人たちが運ばれてくる。
私は杖を地面へ突き立て、『冥華の加護』を展開した。
白い花を胸へ咲かせた骸骨兵が現れる。
「驚かないでください! この子たちは皆さんを守ります!」
骸骨兵を見て悲鳴を上げかけた者もいた。
それでも、死霊が商人から放たれた魔法を受け止めると、すぐに意味を理解してくれた。
「檻が開いたぞ!」
「西門へ行け!」
「走らないでください!」
人が一斉に出口へ押し寄せようとする。
「歩ける人は、自分で西門へ向かってください!」
私は声を張り上げた。
「負傷者と子どもを先に通してください! 出口は閉じません! 全員、必ず外へ出します!」
本当に全員を助けられるのか。
そんな不安が胸をよぎる。
でも、それを声に出すわけにはいかない。
私が迷えば、逃げる人たちはもっと怖くなる。
「西門にはアウラさんたちがいます!」
それだけは自信を持って言える。
「道は、必ず守ってくれています!」
♢
避難の流れが整ったところで、私は散っていた五人を呼び戻した。
まだ市場の混乱は続いている。だが、奴隷紋を止めなければ、救助そのものが終わらない。
「動くな!」
市場の奥にある管理棟。
私たちが扉を開けると、肥えた男が奴隷の少女を抱え込んでいた。
少女の首元には太い金属輪。
男の手には、奴隷紋を操作するための魔道具が握られている。
「近づけば、この娘の紋を発動させる!」
「その人を離してください」
「黙れ!」
ゲオルグ・ヴァンデル侯爵。
王都の奴隷市場を管理し、人を商品として売ってきた男。
机の上には、分厚い帳簿が何冊も積まれていた。
名前。種族。年齢。買い取った金額。売却先。
一人一人の人生が、商品の記録として並んでいる。
「私が誰か分かっているのか!」
「分かっています」
「なら、武器を捨てろ! 私は侯爵だぞ!」
侯爵。
そんな肩書きがあれば、人を盾にしても許されると思っているのだろうか。
「最後に警告します」
私は杖を構えた。
「その人を離してください」
「できるものなら助けてみろ!」
ヴァンデルが魔道具へ力を込める。
少女の奴隷紋が赤く光り始めた。
「お願い……助けて……」
震える声。
正面から魔法を撃てば、少女にも当たる。
ヴァンデルも、それが分かっている。
だから、私だけを見ていた。
自分の背後に生まれた影には気づいていない。
「お願いします――」
私ではなく、足元へ呼びかける。
「その人を離してあげてください!」
「何を――」
床から伸びた骸骨の腕が、ヴァンデルの手首をつかんだ。
「なっ!?」
さらに二体。
片方が魔道具を持つ手を押さえ。
もう片方が少女を引き離す。
「今です!」
拘束魔術の光がヴァンデルの身体へ巻きついた。
「離せ! 私は侯爵だ!」
「少女をこちらへ!」
治癒術師が少女を受け止める。
私はヴァンデルの手から魔道具を取り上げた。
「貴様らなど、王家がすぐに処刑する!」
「その王家を、私たちは止めに来ました」
「奴隷風情が……!」
少女の身体が強張る。
私はヴァンデルの前へ立ち、彼女から見えないように遮った。
「売買台帳は、これですべてですか?」
「誰が答えるものか!」
「なら、自分たちで探します」
班員たちが机と棚を確認する。
隠し金庫。
地下へ運ばれた者の名簿。
騎士団から引き渡された村人の記録。
ヴァンデル侯爵の印が押された売買台帳が、次々と見つかった。
「台帳を確保しました!」
「写しを作って、ミラさんへ送ってください」
「はい!」
ヴァンデルは生きたまま拘束する。
国民の前で、何人を売ったのか答えさせるために。
「地下へ行きます」
管理棟の奥。
厚い鉄扉の向こうから、嫌な魔力を感じる。
地上で奴隷紋を発動させている力の元。
中枢魔道具がある。
♢
地下研究施設には、窓がなかった。
白い石壁、薬品の匂い。
棚へ並べられた魔石と、無数の研究記録。
部屋の中央には、人の背丈を超える黒い魔道具が置かれていた。
幾つもの魔力線が壁や床へ伸びている。
その一本一本が、市場にいる奴隷たちの紋へつながっているのだろう。
「ようやく来たか」
中枢魔道具の前に、一人の男が立っていた。
細い身体に、灰色の髪。
黒い法衣の胸には、王家の紋章が刺繍されている。
「宮廷魔導師団長、エルネス・ヴォルフ」
私が名前を呼ぶと、男は薄く笑った。
「奴隷に名を覚えていただけるとは光栄だ」
「全員の奴隷紋を止めてください」
「断る」
「なら、止める方法を教えてください」
「それも断る」
エルネスの指が、中枢魔道具へ触れる。
「私を殺せば、装置を維持している魔力が途切れる」
黒い魔道具の表面へ、赤い術式が浮かび上がった。
「その瞬間、登録されているすべての奴隷紋が発動する」
班員たちの表情が変わる。
地上には、何百人いるか分からない。
ここで間違えれば、その全員が死ぬ。
「嘘だと思うなら、殺してみるがいい」
できない。
少なくとも、仕組みが分からないまま攻撃はできない。
「研究記録を確認してください」
私は小さな声で班員へ指示した。
「何?」
エルネスが眉を上げる。
「あなたが話してくれるまで、待つことにします」
「時間稼ぎのつもりか?」
「そちらもですよね」
私たちをここへ引きつけている間に、王家の援軍が来る。
あるいは、地上の奴隷を処分する準備をしている。
「中枢魔道具を止める方法は、必ず記録してあるはずです」
「素人が見て理解できるものか」
「一人では無理かもしれません」
魔導士と拘束魔術師が研究記録をめくる。
魔法盾の女性は、中枢魔道具から伸びる回路を確認する。
私はエルネスから目を離さない。
「でも、私たちは六人います!」
「くだらない……」
エルネスが鼻で笑う。
「奴隷は命令されるために存在する。考える必要などない」
その言葉に、胸が冷たくなる。
以前の私なら、怖くて何も言えなかったかもしれない。
死霊術を持っているだけで避けられ。
役に立たなければ捨てられると思っていた。
だから、誰にでも従った。
「私たちは、もう奴隷ではありません……!」
「紋が残っている限り、所有者の命令からは逃げられない」
「なら、今夜終わらせてみせます!」
班員が一冊の記録を掲げた。
「ノアさん! 緊急停止術式の記録があります!」
エルネスの表情が変わる。
「読んでください!」
「中枢核の維持回路と、命令回路は分離されています!」
「つまり?!」
「維持回路を残したまま、遠隔命令だけを遮断できます!」
殺されれば発動する。
それは完全な嘘ではないのかもしれない。
だが、彼の命が装置そのものを支えているわけではない。
緊急停止の手順は存在する。
「回路の場所は?」
「裏側です! ただ、操作には管理者の魔力鍵が必要です!」
全員の視線が、エルネスの右手へ向く。
指には、赤い魔石を埋め込んだ指輪。
「それが鍵ですね」
「……近づくなぁあああ!」
「指輪を渡してください」
「断る!」
エルネスの手が、中枢魔道具の操作盤へ伸びた。
赤い術式が一気に広がる。
「ノアさん!」
「一斉発動術式です!」
考える時間はなかった。
一人を殺さなければ、大勢が死ぬ。
正しいことだとは思えない。
命を奪うことを、正しいなんて言いたくない。
それでも。
選ばなければならない。
支援役は、戦場のすべてを救える神様ではない。
だからこそ。
「今、助けるべき人を選びます」
杖を振り下ろした。
エルネスの足元から、骸骨兵が飛び出す。
一本の剣が、操作盤へ伸ばされた腕を貫いた。
「ぐっ……!」
エルネスが振り返る。
その胸へ、もう一体の骸骨兵が刃を突き立てた。
「貴様……奴隷の分際で……」
「私は、ノアです」
杖を握る手は震えていた。
それでも、目は逸らさない。
「もう……誰の所有物でもありません!」
骸骨兵が刃を引き抜く。
エルネスの身体が、操作盤の前へ崩れ落ちた。
『宮廷魔導師団長エルネス・ヴォルフを討伐しました』
息を止めて、中枢魔道具を見る。
赤い術式は、まだ完全には広がっていない。
「指輪を!」
魔導士がエルネスの指から魔力鍵を外す。
「緊急停止を開始します!」
「維持回路には触らないでください!」
「命令回路を切り離します!」
私は『ウロボロス』から魔力を送り、中枢核の揺れを抑える。
白い花弁と紫色の炎が、黒い魔道具を包んだ。
一つ、二つ、三つ。
赤く光っていた魔力線が、順番に暗くなっていく。
「最後です!」
魔力鍵が操作盤へ差し込まれる。
中枢魔道具から、低い音が響いた。
『奴隷契約管理装置の遠隔命令機能が停止しました』
『登録された奴隷紋への命令伝達が遮断されました』
完全に壊したわけではない。
奴隷紋も、まだ身体に残っている。
それでも、遠くから苦痛を与え、身体を止め、命を奪うための鎖は――もう届かない。
「……止まりました」
膝から力が抜けそうになる。
ですが、まだ終わっていない。
「研究記録をすべて回収してください」
「はい!」
「地上の人たちへ、遠隔命令が止まったと伝えます!」
エルネスの亡骸を見る。
私が殺した……。
その事実は消えない。
でも、今は立ち止まれない。
選ばなかったのではない。
地上にいる大勢を助けるために、今はそちらを選んだ。
後悔するのは、全員を安全な場所へ届けたあとでいい。
♢
地上へ戻ると、奴隷紋の光は消えていた。
「痛くない……」
首を押さえていた男性が、呆然と呟く。
「命令が……聞こえない」
誰かが泣き始める。
誰かが、隣の人を抱き締めた。
「まだ奴隷紋そのものが消えたわけではありません!」
私は市場全体へ声を張る。
「ですが、遠隔で命令する力は止まりました! 歩ける人から西門へ向かってください!」
「自由に……行っていいのか?」
「はい」
その一言を口にするだけで、胸が熱くなった。
「どこへ行くかは、自分で決めてください」
市場の外から、鎧の音が聞こえた。
一人や二人ではない。
まとまった数の騎士が近づいてくる。
「ノアさん!」
弓使いが入口から戻ってくる。
「騎士団です! 市場を包囲しようとしています!」
先頭に立つ男が、長剣を抜いた。
黒い鎧。
血のように赤い外套。
騎士団長サイラス・グランツ。
「反乱者どもを逃がすな!」
サイラスが叫ぶ。
「市場の出入口を封鎖しろ! 帳簿も研究記録も、奴隷ごと焼却する!」
騎士たちが火矢を構える。
逃げている人たちを、証拠を……。
すべて一緒に消すつもりだ。
「骸骨兵を入口へ!」
私が杖を掲げた、その瞬間。
巨大な漆黒の刃が、サイラスと市場の間へ振り下ろされた。
石畳が砕ける。
騎士たちが足を止める。
黒い尻尾が、夜の中で低く揺れた。
大鎌『クロノア』を引き抜きながら、ザフィラさんが顔を上げる。
「ようやく見つけたぞ、サイラス!!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
王都の奴隷市場へ突入したノア班。
助けを求めるすべての声へ向かおうとしたノアは、仲間へ役割を託し、今助けるべき命を選びました。
奴隷紋そのものは、まだ消えていません。
それでも、遠くから人を苦しめ、命を奪っていた命令の鎖は止まりました。
そして市場へ現れたのは、ザフィラの故郷を奪った騎士団長サイラス。
次話――『黒豹』ザフィラが、長い復讐に決着をつけます。




