30:覇王、国を取り戻す――狼煙
『魔術通信塔を制圧した』
テオから届いた報告を聞き、俺は王都の中央へ伸びる大通りを見据えた。
夜の街には、まだ普段と変わらない時間が流れている。
営業を終えた店が戸を閉め。
仕事帰りらしい男たちが、酒場へ入っていく。
家々の窓からは明かりが漏れ、どこかの家から子どもの笑い声まで聞こえていた。
誰も知らない。
たった今、王家が命令を伝えるために使ってきた魔術通信塔が、六人の元奴隷に奪われたことを。
王都を守る警鐘が、もう鳴らないことを。
「テオ。ミラが通信を始めるまで塔を死守しろ」
『分かってる』
「各門へ向かった三人は?」
『まだ移動中。連絡役は塔と三人の間に置いた』
「無理に開閉機構を押さえる必要はねぇ。見つかったら戻せ」
『それも分かってる』
「本当に?」
『通信を切るぞ』
反抗期かよ……まったく。
まぁ、報告ができているなら問題ない。
俺はパーティーメニューを開き、全員へ通信を繋いだ。
『ザフィラ、アウラ、テオ、カレン、ノアとの広域通信を開始します』
「テオ班が通信塔を押さえた」
『こちらも西門付近へ到着した』
アウラの声。
『騎士団本部の裏手で待機しています!』
カレン。
『奴隷市場の南側へ着きました』
ノア。
『全班の位置を確認した。いつでも動ける』
最後にザフィラ。
二十五人全員が、それぞれの位置についている。
昨日までは、同じ火を囲んでいた。
今はもう、王都の各所へ散らばっている。
通信越しの声しか聞こえない。
顔も見えない。
何が起きても、俺がすぐ助けに行けるわけじゃない。
……胃が痛くなってきたな。
『レムオン』の時代、レイドの指揮を取ったことなら何度もある。
百人以上を動かしたことだってある。
だが、あの頃はあくまでもゲームの中だ。
誰かが倒れても、復活させられた。
失敗すれば、作戦を組み直してもう一度挑めた。
今回は違う……。
声が途切れたら次に聞こえるのが、仲間の死を知らせる報告かもしれない。
怖くないわけがない……。
それでも、俺が迷えば全員が止まる。
俺は一度だけ深く息を吸った。
「始めろ」
たった一言。
それだけで、二十五人が王都の各所へ散った。
アウラ班は西門へ。
カレン班は騎士団本部へ。
ノア班は奴隷市場へ。
ザフィラは四つの戦場をつなぐ中央区画へ。
そして、六つ目の戦場では――すでにミラが動き始めていた。
♢
同じ頃。
冒険者ギルド本部は、いつもと変わらない夜を迎えていた。
一階の受付では、依頼を終えた冒険者が報酬を受け取っている。
酒場からは笑い声。
掲示板の前では、明日の依頼を探す者たちが肩を並べていた。
その中を、ミラは普段と変わらない足取りで歩いていた。
「ミラさん、お疲れさまです」
「お疲れさまです。夜間受付をお願いいたします」
若い受付嬢へ微笑み、受付台の下へ一枚の紙を滑らせる。
紙には、短く二つの言葉だけ。
――資料庫封鎖。
受付嬢の表情が一瞬だけ強張った。
それでも、何事もなかったように紙を制服の袖へ隠す。
「お任せください」
ギルド内にいる協力者は多くない。
長く信頼できる者だけを選んだ。
資料庫を管理する職員。
夜間警備を担当する冒険者。
会計帳簿を扱う事務員。
王家やギルド総長へ情報を売る者が、一人でも紛れればすべてが終わる。
だから、最後の瞬間まで目的は伝えていない。
ミラは二階へ上がり、総長室へ続く廊下へ入った。
背後で、階段の扉が静かに閉じられる。
協力者の一人が鍵をかけた。
「資料庫の封鎖、完了しました」
「総長室の護衛は?」
「二名です。こちらへ向かっています」
「怪我をさせる必要はありません。抵抗するなら拘束してください」
「はい」
ミラは総長室の前で足を止めた。
扉の向こうから、何かを動かす音が聞こえる。
引き出し、紙。
そして、火打ち石を擦る音。
「……随分と判断がお早いですね」
扉を開ける。
執務机の向こうに立っていたのは、大柄な男だった。
冒険者ギルド総長ドレイク・ボルザ。
その手には、火のついた紙。
机の上には、古い依頼書と複数の帳簿が広げられている。
「ミラ……!」
「こんばんは、総長」
「何のつもりだ!」
「それはこちらの台詞です」
ドレイクが火のついた紙を、机上の資料へ落とす。
炎が一気に広がった。
「燃やしたところで、もう遅いですよ」
ミラは炎を見ても動かなかった。
燃えているのは、強制依頼の控え。
報酬の帳簿。
王家からの命令書。
そう見えるように作った、ただの写しだった。
「何……?」
「そちらにあった原本なら、昨日のうちに移しておきました」
ドレイクの顔から血の気が引く。
「馬鹿な! あの金庫は私の魔力でしか開かない!」
「金庫しか確認されなかったのですか?」
「どういう意味だ……」
「あなたが総長になられるより前から、私はこのギルドの書庫を管理しております」
ミラは壁際に並ぶ本棚へ近づいた。
三段目。
王都周辺の魔物分布を記録した、分厚い資料集。
その背表紙へ指をかけ、僅かに押し込む。
低い音と共に、本棚が横へずれた。
壁の奥から、小さな隠し部屋が現れる。
「隠し部屋の場所を、私が知らないとでも思われましたか?」
「なぜ……お前が……」
「この部屋を作る際、収納する記録の分類を任されたのが私だからです」
百年以上、このギルドで働いてきた。
建物が改修されるたび。
総長が代わるたび。
規則が変わるたび。
ミラは受付の向こう側から、そのすべてを見てきた。
若い職員たちが知らない通路も。
総長だけが知っているつもりの保管庫も。
廃棄されたことになっている旧書庫も。
すべて、覚えている。
「原本はどこだ!」
「既に三か所へ分けてあります」
「返せ!」
ドレイクが机を蹴り、ミラへ向かってくる。
腰に差した剣へ手を伸ばした瞬間、左右の扉から二人の冒険者が飛び込んだ。
「総長。武器から手を離してください」
「貴様らまで裏切るのか!」
「裏切ったのは、あんたのほうだ」
片方の冒険者が低く告げる。
「天鯨へ送られた連中に、俺の兄貴がいた」
ドレイクの動きが止まった。
「危険度を知っていたんだろ」
「国を守るために必要な犠牲だった!」
「報酬を横流しすることもか?」
「黙れ!」
ドレイクが剣を抜く。
だが、振るうより早く、冒険者の拳が腹へ突き刺さった。
「ぐっ……!」
身体が折れたところへ、もう一人が腕を取り、床へ押さえつける。
「離せ! 私はギルド総長だぞ!」
「その肩書きも、もう終わりです」
ミラは机の上で燃える偽の帳簿へ、水差しの中身をかけた。
火が消え、黒い煙だけが残る。
「ドレイク・ボルザ。強制依頼への加担、報酬の横領、証拠隠滅の現行犯として拘束します」
「受付嬢ごときに、何の権限がある!」
「ございません」
ミラは穏やかに答えた。
「ですから、あなたの処遇は証拠と共に、これから皆様へ判断していただきます」
そのとき。
ミラのパーティーメニューへ通知が表示された。
『テオからパーティー通信の申請があります』
「繋いでください」
『ミラか』
「はい」
『通信塔は押さえた。王都への放送も使える』
「ありがとうございます」
『どれを流す?』
「すべてです」
ミラは隠し部屋から、一冊の古い記録を取り出した。
その表紙には、二代目覇王の死に関する警護記録。
次に、偽造された継承文書の写し。
奴隷狩りの出動命令書。
天鯨討伐の強制依頼。
王家とギルド総長の承認印。
「準備はできています」
『なら、始める』
♢
王都の街路には、王家からの命令を伝えるための告知用魔道具が設置されている。
緊急時の避難命令。
税率の変更。
王家からの布告。
これまでは、すべて魔術通信塔から流されていた。
その魔道具が、一斉に淡い光を放つ。
『王都の皆様へ、お伝えしなければならないことがあります』
響いたのは、王でも。
騎士団長でも。
貴族でもない。
冒険者ギルドで長く受付に立ち続けてきた、エルフの声だった。
俺は大通りへ出る直前の路地で、その声を聞いた。
「始まったか」
近くの家で窓が開く。
酒場から人が出てくる。
巡回していた兵士たちも足を止め、街路の魔道具を見上げた。
『最初に、二代目覇王様の死についてです』
警護責任者の突然の交代。
地方統治官たちによる秘密会合。
ギルベルト・ラングレイ派の私兵への資金移動。
診断を行った医師へ与えられた領地と爵位。
そして、国民投票もないまま決められた三代目覇王。
『これらは、冒険者ギルド旧書庫に残されていた原本を基にしております』
「嘘だ!」
通りにいた男が叫ぶ。
「王家が二代目様を殺したっていうのか!」
「反乱軍の作った偽物だろ!」
「でも、話してるのはギルドのミラさんじゃないか?」
「声なんて魔法で真似できる!」
当然だ。
百二十年間教えられてきた歴史を、数分の放送だけで捨てられるはずがない。
ミラも、信じろとは言わなかった。
『次に、初代覇王リンドウ様がラングレイ家へ国を託したとされる継承文書についてです』
使用されている紋章は、俺の死後八年経ってから作られたもの。
署名は『初代覇王リンドウ・アルセディア』。
当時の正式文書に必要だった、内政官や職業代表者の連名もない。
「リンドウ・アルセディア様じゃないのか?」
「学校で、そう教えられたぞ」
「初代覇王様に名字はなかったって……本当なのか?」
知らん名字を勝手につけんな。
アルセディアは俺の国名であって、名字じゃねぇっての。
今すぐ訂正しに行きたい、が。
……いや、駄目だ。
正門へ向かうのが先だ。
『奴隷狩りとして襲撃された村の一覧を読み上げます』
村の名前が、一つずつ夜の街へ流れる。
その中には、ザフィラの故郷もある。
「その村……」
道端にいた獣人の女が、自分の口元を押さえた。
「姉さんが嫁いだ村だわ……盗賊に襲われたって……」
『襲撃を命じた文書には、騎士団長サイラス・グランツの署名があります。拘束した住民の人数に応じ、奴隷商から騎士団へ金銭が支払われていました』
兵士たちが互いの顔を見る。
「聞くな! 王家に対する扇動だ!」
隊長らしい男が怒鳴る。
「持ち場へ戻れ!」
部下は動かない。
「ですが、隊長……俺の故郷も今、読み上げられました」
「偶然だ!」
「村が消えたのは、反乱を起こしたからだと聞いていました」
「黙れ!」
疑いは、まだ小さい。
だが、一度生まれた疑問は簡単には消えない。
『天鯨討伐へ送られた百名の冒険者についても、王家とギルド総長は討伐不能であることを事前に把握していました』
拒否すれば資格剥奪。
家族の財産を没収。
抵抗すれば反逆罪。
その内容が、承認印と共に読み上げられる。
酒場の前に集まっていた冒険者たちから、怒号が上がった。
「俺の親父は志願したんじゃなかったのかよ!」
「報酬は遺族へ払われたって……」
「うちは一ゴールドも受け取ってないぞ!」
窓が次々と開いていく。
人が外へ出てきて、眠っていた王都がミラの声で目を覚まし始める。
それでも、王家の旗はまだ城壁の上にある。
王城も。
騎士団も。
奴隷市場も残っている。
真実を伝えただけで、支配が終わるわけじゃない。
百二十年間積み重ねられた嘘は、放送一つでは崩れない。
だから、俺たちが動く。
『アウラ班、西門へ接近する』
『カレン班、騎士団本部への侵入を開始します!』
『ノア班、奴隷市場の入口を確認しました』
『全班、そのまま進め』
ザフィラの声が通信へ流れる。
俺も路地から大通りへ出た。
正面には、王都の中央へ続く長い道。
その先。
高い城壁と無数の灯りに囲まれ、王城が聳えている。
百二十年前。
俺たちが国の拠点として築いた城。
今はラングレイ家が王を名乗り、俺の名前を使い続けている場所。
「ようやくだな」
フィーアを肩へ担ぐ。
近くにいた市民が、俺の姿を見て道を開けた。
まだ、俺が誰なのかは知らない。
ただ、巨大な武器を持った見知らぬ少年が、王城へ向かって歩き始めたことだけは分かったらしい。
王都の四方で、二十五人が動き始めた。
そして中央では。
百二十年前、この城を築いた男が、正門へ向かっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
王家が百二十年間隠し続けてきた真実が、ついに王都中へ放たれました。
ですが、証拠を公開しただけでは王政は終わりません。
西門、騎士団本部、奴隷市場、そして王城――二十五人が、それぞれの戦場へ動き始めます。
次話は、アウラ班による西門制圧。
王都から逃げる市民を守るための戦いが始まります。
第一章完結まで、ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。




