29:覇王、国を取り戻す――帰還
王都が見えたのは、日が沈み始める少し前だった。
「……あれが、アルセディア」
ノアが小さく呟く。
森を抜けた先。
緩やかな丘の向こうに、巨大な外壁が広がっている。
東西へ延びる石造りの城壁。
空へ突き出す監視塔。
そのさらに奥には、王城を囲む尖塔と、魔術通信塔の細長い影。
百二十年ぶりに見る、俺の国だった。
「ようやく着いたな」
口から出た声は、自分で思っていたより軽かった。
もっと込み上げるものがあると思っていた。
懐かしいとか。
帰ってきたとか。
そういう、胸を締めつけるような感情が。
だが、実際に浮かんだのは――。
「……随分、趣味の悪い壁を足したな」
「最初に言うことがそれか?」
隣に立つザフィラが呆れた顔をする。
「仕方ねぇだろ。俺が知ってる城壁は、あんな金ぴかじゃなかった」
王都の正門には、巨大なラングレイ家の紋章が掲げられている。
門そのものも、昔より厚く高く作り直されていた。
見張り台には王家の旗。
外壁には、貴族の家紋を並べた装飾。
防衛設備として必要な補強なら、まだ分かる。
だが、あれは違う。
誰が支配している国なのかを、門をくぐる前から見せつけるための飾りだ。
「人の建築物を勝手に改造しやがって……建築主の許可取ったのかよ」
「百二十年前に死んだとされる建築主へ、どう確認を取るんだ」
「夢枕に立つとかあるだろ」
「立ったところで、お前なら文句しか言わん」
まぁ、そりゃそうだ。
だが、笑っていられたのはそこまでだった。
街道を進む馬車が、正門の前で二つの列へ分けられている。
一方は、装飾の施された馬車が並ぶ広い通路。
門兵は中を確認するだけで、ほとんど止めずに通している。
もう一方は、荷車や徒歩の者が並ぶ狭い通路。
一人ずつ身分証を確認され、荷物を開けられ、通行税を払わされていた。
通路の上には、それぞれ文字が刻まれている。
――貴族・王家関係者用。
――平民・亜人用。
「……なんだ、あれ」
自分の声が低くなったのが分かった。
「身分によって、入口を分けているのだろう」
ザフィラが答える。
「見りゃ分かる」
俺が作ったのは、こんな門じゃない。
種族も職業も関係なく、誰でも入れる街だった。
人間も。獣人も。エルフも。
戦闘職も、生産職も、遊びに来ただけの奴も。
門の前で分けられることなんかなかった。
プレイヤーが夜通し騒いで。
職人が勝手に露店を広げて。
祭りの日には、衛兵役のサポーターまで仕事を放り出して酒を飲んでいた。
よく怒られてたなぁ。
イベントの後は、街中にゴミが残った。
修理費も馬鹿にならなかった。
それでも、あの国が好きだった。
見覚えのある城壁なのに、知らない国を見ている気分だった。
「リンドウ」
アウラの声で、意識を戻す。
「大丈夫か?」
「何が?」
「怖い顔をしている」
「元からだよ」
「普段は、もう少し馬鹿そうな顔をしているぞ」
「誰が馬鹿だ」
言い返すと、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
今、怒りに任せて正門へ突っ込むわけにはいかない。
まぁ……できるはできる。
ぶっちゃけ、フィーアを投げて門ごと吹き飛ばせば入れるんだけど……。
それをやったら、市民まで巻き込んじまう。
俺たちが壊すのは国じゃない。
何度も自分へ言い聞かせる。
「予定どおり、日が落ちるまで待つ」
全員へ告げた。
「ここから先は、班ごとに動け。余計な戦闘はするな」
王都を見下ろす丘から離れ、街道の脇にある林へ入る。
クライブ伯爵から受け取った地図には、外壁の南西に古い排水路が記されていた。
百二十年前、俺たちが街を拡張したときに作った地下水路だ。
……作った覚えはある、が。
ぶっちゃけ、正直なところ構造までは全部覚えてねぇんだよなぁ……。
国づくりをしていた頃の俺は、王都の設計より武器の試作へ夢中だったからな。
細かい部分は建築職の連中へ丸投げ……ゲフンゲフン、じゃなくて、任せていた。
適材適所ってやつだわな。
「本当に、ここで合ってるのか?」
テオが茂みを掻き分けながら尋ねる。
「地図ではな」
「自分で作ったんじゃないのか」
「国王が下水道の位置まで覚えてると思うな」
「初代覇王は、随分と無責任だったんだな」
「当時は国王じゃなくてギルドマスターみたいなもんだったんだよ!」
テオが地図と周囲を見比べる。
やがて、蔦に覆われた石壁の前で足を止めた。
「ある」
蔦を払い除けると、人一人が屈んで通れるほどの鉄格子が現れた。
錆びついているが、魔力式の錠前はまだ生きている。
「壊しますか?」
カレンが『双月』へ手を伸ばす。
「待て」
錠前へ触れ、魔力を流す。
古い術式。
基本構造は、百二十年前のままだ。
登録された管理者権限へ、自分の魔力を重ねる。
『管理者認証を確認しました』
『排水路南西区画を解錠します』
鈍い音を立てて、鉄格子が開いた。
全員の視線が俺へ集まる。
「……本当に、お前が作った国なんだな」
ザフィラが呟く。
「今さらかよ……?」
「信じていなかったわけではないんだが……。でも、目の前で見せられると……」
「感動した?」
「少しだけな」
「もっと褒めてもいいぞ」
「中へ入るぞ!」
「流すなよ、今いいとこだろ!」
♢
地下水路は、思っていたよりも状態がよかった。
石壁には亀裂がある。
水も濁っている。
だが、通路そのものは崩れていない。
俺たちは足音を立てないよう、一列で進んだ。
先頭はテオ。
少し離れてザフィラ。
その後ろに四班。
俺は最後尾から、全員の背中を見る。
二十五人。
誰も口を開かない。
緊張しているのが分かる。
呼吸が浅い奴。
武器の柄を何度も握り直す奴。
足元ばかり見ている奴。
昨日までは、拠点で訓練していた。
死ぬ可能性があると分かっていても、どこか現実味がなかったのかもしれない。
だが、今は王都の真下だ。
この石壁一枚の向こうに、騎士団がいる。
王家直属の冒険者がいる。
失敗すれば、本当に誰かが死ぬ。
……くっそ、俺まで緊張してどうすんだよ。
ゲームだった頃なら、失敗してもリスポーンできた。
装備を落としても、回収へ行けた。
全滅したって、次はどう攻略するか笑いながら話せた。
今回は違う。
一度失えば、戻らない。
世界一位だろうが、レベル100だろうが、二十五人全員の命を保証できるわけじゃない。
「リンドウ」
前を歩くザフィラが振り返る。
「顔がうるさいぞ」
「顔がうるさいってなんだよ」
「考えていることが全部出ている」
「ちっ、エスパーかよ」
「お前が分かりやすいだけだ」
俺は小さく息を吐く。
心配してる暇があるんなら、成功させろ……。
そのために一か月かけたんだ。
武器を作ってレベルを上げた。
作戦だって、綿密に組んだ。
できることは、全部やったんだ……。
あとは――信じるしかない。
♢
水路を抜けた先は、使われていない倉庫の地下だった。
地上の気配を探る。
人はいない。
外から聞こえるのは、荷車の音と、遠くを歩く兵士の靴音。
日が完全に沈むまで、あと僅か。
俺たちは倉庫内で最後の確認をした。
「テオ班は通信塔」
「ああ」
「アウラ班は、テオから制圧完了の連絡が来るまで西門近くで待機」
「了解した」
「カレン班は騎士団本部の裏通り。ノア班は奴隷市場南側」
「分かりました」
「ザフィラは中央区画で、全班の通信を受けろ」
「お前に言われるまでもない」
最後に、五人の顔を見る。
アウラ。
テオ。
カレン。
ノア。
ザフィラ。
昨日、言うべきことは全部言った。
作戦も。
役目も。
何を守るのかも。
今さら格好つけた演説を重ねても、緊張が増えるだけだ。
「死ぬな」
カレンが目を瞬く。
「それだけですか?」
「ほかは昨日全部言った。帰ってきたら、また聞いてやる」
「何をです?」
「自慢話でも、失敗談でも、愚痴でも何でもだ」
全員で帰ってくれば、いくらでも聞ける。
「だから、生きて戻れ」
アウラが盾を背負い直す。
「お前もな」
「俺は死なねぇよ」
「そう言う奴が一番危ない」
テオが真顔で言う。
「お前までザフィラみたいなこと言うようになったな」
「正しいことを言っただけだ」
「腹立つガキだな」
ノアが小さく笑った。
その笑いで、全員の肩から少しだけ力が抜ける。
「リンドウ、時間だ」
ザフィラの声。
倉庫の外は、既に夜へ変わっていた。
「行け!」
俺の言葉を合図に、二十五人が動き出す。
最初にテオ班。
次にアウラ班。
カレン班とノア班が別々の出口へ向かい、最後にザフィラが闇へ消えた。
倉庫へ残ったのは、俺一人。
王都の奥から聞こえる鐘は、まだ平穏な夜を告げている。
あと少し。
次に鳴るはずの警鐘を止めれば、すべてが始まる。
♢
テオ班は、屋根の影を縫うように進んでいた。
俺はパーティー通信を通じて、届く声だけを聞く。
『前方、巡回兵が四人』
テオの低い声。
『右の路地に二人。塔の入口に六人いる』
『予定より多いな』
班員の一人が答える。
『交代直後のはずだろ』
『遅れた旧番が残ってる』
『どうする?』
少しだけ沈黙があった。
テオなら、一人で行ける。
『影渡り』で巡回兵の背後へ回り。
気づかれる前に全員を倒すこともできる。
以前のあいつなら、迷わずそうしただろう。
自分だけで処理できるなら、報告する必要もないと思っていた。
『……全員、聞け』
テオの声が通信へ流れる。
『入口に六。右路地に二。巡回が四。巡回は三十秒後に塔の裏へ回る』
『正面は避けるか?』
『いや。巡回が裏へ入ったら、煙玉を使う。三人で入口を眠らせる』
『残りは?』
『俺と二人で裏へ回る。旧番を止める』
自分一人で決めない。
敵の数、位置、動く時間。
全部、班員へ渡している。
……ちゃんと覚えてんじゃねぇかよ。
『開始』
短い合図。
通信の向こうで、何かが地面へ転がる音がした。
直後、兵士たちの咳き込む声。
『侵入者――』
叫びは最後まで続かなかった。
物が倒れる音が六つ。
『入口、制圧』
『裏へ行く』
テオたちが塔の内部へ入る。
階段を上がる足音。
扉が開く。
短い打撃音。
剣戟はほとんど聞こえない。
できる限り殺さず、眠らせるか気絶させている。
『二階、三人拘束』
『三階へ上がる』
『待て』
テオの声が鋭くなる。
『警鐘係がいる』
塔の最上階。
異変へ気づいた兵士が、壁際の太い綱へ走る。
あれを引かれれば、王都中の鐘が鳴る。
『俺が行く』
テオの声。
一瞬だけ、通信から気配が消えた。
『影渡り』
次に聞こえたのは、兵士の背後からだった。
『なっ――』
鈍い音。
綱へ伸ばされた手が届くより早く、テオの『影縫』が兵士の影を床へ固定する。
動きを止めた首筋へ、短剣の柄を打ち込んだ。
兵士が崩れ落ちる。
『警鐘、阻止』
『通信室は?』
『奥に四人!』
『殺すな。出口を塞げ!』
班員たちの声が重なる。
数十秒後。
『通信室、制圧』
『負傷者は?』
『一人、腕を切られた。動ける』
『回復薬を使え。ここで温存するな』
テオが指示を出す。
少し前なら、自分の傷すら黙っていた奴が……。
今は、班員の状態を確認している。
『リンドウ』
通信が俺へ向けられる。
「聞こえてる」
『魔術通信塔を制圧した』
俺は倉庫を出て、夜の王都へ目を向けた。
遠くに見える細長い塔。
王家の旗は、まだ掲げられたままだ。
だが、その内部はもう俺たちが押さえている。
「次の手順へ移れ」
『俺と一人は塔へ残る』
「残る四人は?」
『三人を北門、東門、南門へ向かわせる。一人は連絡役兼予備』
「見つかったら戦うな。固定できなくても戻れ」
『分かってる』
「警鐘は?」
『綱を切った。鐘は残してある』
「よし」
通信を切り、耳を澄ます。
王都には、まだ何も起きていない。
兵士の怒号も。
市民の悲鳴も。
王家が反乱を知らせる警鐘も、鳴ることはない。
「一つ目」
百二十年間、王家の命令を伝え続けた塔が沈黙する。
俺は王城へ続く大通りを見据えた。
「まずは、目と耳を奪った」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、王都奪還戦が始まりました。
最初の目標である魔術通信塔を制圧し、王家の目と耳を奪ったリンドウたち。
ここから二十五人がそれぞれの戦場へ散り、一夜限りの国取りが本格的に動き始めます。
次話――王家が隠してきた真実が、王都中へ放たれます。
第一章最大の山場、最後まで見届けていただけると嬉しいです。




