13:覇王、黒豹と火を囲む
「その薬、毒じゃないだろうな……?」
ザフィラは俺を睨みつけ、警戒を解こうとしない。
「てめぇを殺すつもりなら、最初に切り捨ててるわ」
彼女はしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて地面に転がっている小瓶を拾い上げた。
中の液体を月明かりへ透かした瞬間、その黄金の瞳が大きく見開かれる。
「こ、これは中級ポーションじゃないか!こんな高価なものを軽々と……」
「まぁ、確かに高かったが俺が使う予定は当分ないからな。予備で買っておいて正解だった」
ザフィラは中級ポーションを握ったまま固まっている。
「いいから、はよ使え。傷が塞がらなきゃ明日から動けねぇぞ」
ザフィラは俺に背を向けると、腹部を覆っていた布を僅かにずらし、傷口へポーションを流しかけた。
淡い光が脇腹を包み込む。
裂けていた皮膚が繋がり、止まらなかった血も徐々に収まっていく。
さすがに失った血や体力まで一瞬で戻るわけではないが、傷そのものはほとんど塞がったようだ。
「その奴隷紋、見せてもらってもいいか?」
「こ、断る!女性の胸を見せろとは破廉恥な奴め!」
「ちげぇよ、契約が破棄されてるっぽいから確認したかっただけだ」
ザフィラは警戒するように胸元を押さえた。
「嫌ならいい。無理に見せろとは言わねぇよ」
「……あっさり引くんだな」
「見せたくないもんを、無理やり見たって仕方ねぇだろ」
もっと食い下がられると思っていたのか、ザフィラは僅かに目を瞬かせた。
しばらく沈黙したあと、胸元を隠したまま重い口を開く。
「……契約そのものは、もう切れている」
「そうなのか?」
「逃げたとき、仲間の魔術師に術式を焼き切ってもらった。だが、紋は消えなかった」
「なるほどな。服従の命令は届かないが、刻印だけ身体に残ってるってわけか」
契約から解放されても、過去の印だけは残り続けるのか……。随分と悪趣味な話だ。
契約から逃れたあとも、紋が残っていれば、周囲は勝手にザフィラを元奴隷だと判断する。
自由になったはずなのに、過去だけは身体へ焼きついたまま。
こいつがこれまでどんな視線を向けられてきたのか、想像するのは難しくなかった。
「その奴隷紋、そのうち消す方法を探してやる」
胸元を押さえていたザフィラの指が、僅かに止まった。
だが、すぐにいつもの険しい表情へ戻る。
「はっ、これは一種の呪いを用いた契約だ。そう簡単に消せるものではない」
呪い?だったら思ったより簡単そうだな。
「それ、ちゃんと消すアテはあるぞ」
「寝言は寝て言え。この契約はな――」
ザフィラは呆れたように鼻を鳴らし、胸元に残った紋様を手で覆った。
どうやら、この奴隷紋はどうやっても消せないものだと思い込んでいるらしい。
だが、呪いだというのなら話は早い。
俺はザフィラの言葉を遮り、ゲーム時代に使っていた装備の一つを思い浮かべる。
「呪いを完全に破壊する武器がある。破邪の短剣つってな、呪い限定ではあるが、どんなに強力な呪いでも一発で無効にするやつがあんだよ。ただ、こいつはリーチが短いことが難点でな……だから超至近距離じゃないと――」
そこまで説明したところで、ザフィラの様子がおかしいことに気づいた。
伏せられていた黒い獣耳がぴんと立ち、黄金の瞳が信じられないものを見るように見開かれている。
俺にとっては、対呪術用の装備として何度も使ったことのある短剣だ。
だが、この世界では存在そのものが知られていないらしい。
「そんな武器が存在するだと?聞いたこともない!お前は本当に一体何なのだ!なぜそんな誰も知らない知識ばかり持っている!!」
「だから言っただろ、俺がアルセディアを作った初代覇王だって」
ザフィラは何か言い返そうと口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。
疑ってはいる。
だが、完全な戯言として切り捨てることもできなくなってきた。
そんな顔だった。
「まぁ、傷が治ったんなら次は飯だ。食うか?」
「誰が施しなど受けるか……」
「あそ、じゃあ勝手に作って食うわ」
俺は『インベントリ』から鍋や食器、買い込んだ食材を取り出した。
廃屋の近くで火を起こし、鍋へ水を張る。
干し肉と乾燥豆を放り込み、塩と胡椒、それから香りの強い乾燥香草を少し加えた。
豪華な料理ではない。
だが、固いパンと干し肉をそのまま齧るよりは、遥かにまともな食事だ。
米でもあれば、もう少し腹に溜まる料理にできるんだけどな。
煮込み始めてしばらくすると、肉と香草の匂いが廃村へ広がっていく。
少し離れた場所に座っていたザフィラの獣耳が、ぴくりとこちらへ向いた。
視線は逸らしているが、鼻だけは正直らしい。
俺は自分の椀へスープを注ぎ、固焼きパンを浸しながら口へ運んだ。
「おい」
「なんだ」
「食いにくいだろ。こっち来て一緒に食え」
「だから、施しは受けないと言っている!」
「施しじゃねぇよ」
もう一つの椀へスープを注ぎ、ザフィラとの中間へ置く。
「明日から四日間、死ぬほど働いてもらうんだ。前払いの飯だと思って食え。借りだって言うなら、働いて返せばいい」
ザフィラは湯気を立てる椀を見つめた。
それから俺の顔へ視線を移し、何かを見極めようとするように目を細める。
俺はそれ以上勧めず、自分の食事へ戻った。
やがて衣擦れの音が聞こえ、ザフィラが焚き火の向こう側へ腰を下ろす。
椀を手に取り、恐る恐るスープへ口をつけた。
「……美味いな」
「そうだろう、そうだろう。何せ俺が作ったんだからな。味わって食えよ?」
「調子に乗るな」
そう言いながらも、二口目からは明らかに食べる速度が上がっている。
相当腹が減っていたらしい。
そこを指摘すればまた怒りそうなので、気づかなかったことにしておいた。
しばらく、薪が爆ぜる音と食器の触れ合う音だけが続いた。
やがてザフィラが、椀を見つめたまま口を開く。
「仮に……仮にの話だ。お前が本当に初代覇王だとして……なぜアルセディアを作った」
「好きなことを、好きなだけ極められる場所が欲しかったからだ」
「それだけか?」
「それだけで十分だろ」
剣を振りたい奴は、誰にも止められず剣を振る。
鍛冶を極めたい奴は、一日中炉の前に立って鉄を叩く。
商売がしたい奴は店を開き、研究がしたい奴は好きなだけ研究へ没頭する。
「お前が統治していたころの国はどうだったんだ……?」
「みんな好き勝手に、一番を目指してたよ」
鍛冶師は、いつか俺より優れた武器を作ると炉へ籠もった。
戦闘職の連中は、今度こそ俺を倒すと毎日のように決闘を申し込んできた。
生産職も商人も研究者も、それぞれの分野で誰より上へ行こうと競い合っていた。
「うるさくて、騒がしくて、面倒な奴ばかりだったよ」
あの頃の光景を思い出し、自然と口元が緩む。
「皆が俺の背を追いかけ、追いつこうと研鑽を積んでいたよ。国中が活気にあふれ、笑顔が絶えなかった。どんな逆境にも立ち向かい、どれだけ打ちのめされても立ち上がる。それが世界最強の男の国だ」
「今の国とは、まるで違うな……」
「だから取り戻すんだよ」
ザフィラは、焚き火の炎を見つめたまま黙り込んだ。
揺れる火が、黄金の瞳へ映り込んでいる。
「子どもの頃……建国神、初代覇王リンドウ様の物語が好きだった」
建国神。
どうやら120年の間に、俺は人間を卒業していたらしい。
「巨大な竜を一太刀で倒したとか、百万人の兵を一人で相手にしたとか。そんな、おとぎ話だ」
ザフィラは自嘲するように、僅かに笑った。
「こんな世の中だったからこそ、そういう英雄譚が心のよりどころだった。私も強くなれば、いつか誰かを助けられると思えた」
胸元の奴隷紋へ触れながら、それでもザフィラは顔を上げる。
「奴隷になってからも、諦めずに強くなろうと思えたのは……あの物語があったからだ」
「全部事実だぞそれ」
「……は?」
「実際に天災級モンスターは何度も一人で倒してるし、お祭りの時100万対1で戦ったこともある。もちろん俺の勝ちだ」
「何を言って……」
俺は自分を指差し、呆れたように笑った。
「さっきから言ってるだろ。仮でも何でもなく、俺がその初代覇王様だ」
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