12:覇王、黒豹と約束を交わす
次の瞬間、黒塗りの投げナイフが俺の首筋へ飛んできた。
紙一重で身を逸らす。
だが、それは俺の意識を逸らすための牽制だった。
直後、闇から飛び出してきた影が短剣を振るう。
俺はミスリルの長剣を引き戻し、その一撃を受け止めた。
「王家の犬が、こんなところまで何の用だ」
「人を勝手に犬扱いすんな。こっちは今日からここで暮らそうとしてただけだ」
襲撃者は、黒豹の特徴を持つ獣人の女だった。
褐色の肌に、夜の闇へ溶け込むような短い黒髪。頭上から伸びた二つの獣耳は警戒するように伏せられ、その下では黄金の瞳が鋭く俺を射抜いている。
身体を覆うのは、金の装飾が施された黒い軽装。腰から伸びた長い尻尾が、獲物を狙う獣のようにゆっくりと揺れていた。
整った顔立ちをしているが、今はその美しさよりも、獲物の喉笛を狙う黒豹のような凄みのほうが勝っている。
構えにも隙がない。
こいつ、ただ廃村に隠れていた一般人じゃねぇな。
女は地面を蹴った。
黒い影が、視界から消える。
次の瞬間には廃屋の壁を蹴り、俺の斜め上から短剣を振り下ろしてきた。
ミスリルの長剣を引き戻し、その刃を受け止める。
金属音が響いたときには、女はもう俺の間合いから離れていた。
速い。
単純なステータスだけじゃない。地面、壁、廃屋の屋根まで、周囲のすべてを足場として使っている。
俺が剣を投げれば軌道から外れ、召喚する瞬間を見て再び踏み込んでくる。
モンスターのような決まった攻撃パターンはない。
こいつは俺の動きを見て、考え、その場で戦い方を変えている。
――面白い。
だが、何度目かの踏み込みで違和感に気づいた。
右足へ体重を乗せるたび、身体の軸が僅かにぶれる。
腹部を覆う布も、夜の闇より濃い色に染まっていた。
血だ。
しかも、俺がつけた傷じゃない。
「もういい。やめだ」
俺はミスリルの長剣の切っ先を下げた。
「……何のつもりだ」
「手負いの猫を追い回す趣味はねぇよ」
「貴様、私を侮辱するか!侮るなよ、人間が!」
「侮ってねぇよ。怪我してなきゃ、もっと面倒だったと思ってる」
実際、嘘ではない。
レベルは俺と大差ないはずだが、対人戦の経験はかなり積んでいる。
傷さえなければ、俺も無傷では済まなかったかもしれない。
女が距離を取る。
その時、胸元に刻まれた黒い紋様から、微かな魔力が漏れているのがわかった。
傷痕じゃない。
契約を強制する類の術式――。
ただし、魔力の流れは途中で無理やり断ち切られている。
契約自体は破壊されているようだが、刻まれた紋様までは消えていないらしい。
「それ、奴隷紋か?」
「っ……見るな!」
女は胸元を手で隠す。
本当に、この世界には奴隷ってやつがいるんだな。
「お前のそれ……契約の紋章だろ」
「お前には関係ない!」
「関係あるかどうかは、話を聞いてから決める」
そして自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
「お前を奴隷にしたのは、どこのどいつだ」
「知って……どうする」
「どうもしねぇよ。ただ、今後そいつらと会ったときに、殺していい相手か確認してる」
女は俺の目を探るように見つめていた。
そこに好奇心や侮蔑ではなく、純粋な怒りしかないと感じ取ったのか、やがて重い口を開いた。
「……十年前だ」
女の声から、先ほどまでの鋭さが消えた。
「アルセディアの騎士と奴隷商が、私たちの村へ来た」
伏せられた金色の瞳は、目の前の廃村ではなく、十年前に焼かれた故郷を見ているようだった。
「税を納めていない。反乱の疑いがある。そんな理由だった」
女の手が、胸元の奴隷紋を強く握りしめる。
「村は焼かれた。抵抗した者は殺され、生き残った者は首輪をつけられた」
「子どももか?」
聞き返した声が、自分でも驚くほど低かった。
「子どもだから、だ。獣人の子どもは高く売れる」
気づけば、爪が掌へ食い込み、握りしめた拳から血が滴っていた。
押さえ込んだつもりの殺気が、周囲へ漏れ出す。
草木が風もないのに揺れ、夜の虫の声が止まった。
女の獣耳が伏せられる。
長い尻尾が反射的に身体へ巻きつき、僅かに後ずさった。
奴隷だった頃、怒りを向けてくる人間に何をされたのか。
その反応だけで、嫌でも想像できた。
「悪りぃな。別にお前に怒ってるわけじゃねぇ」
「……何に」
「全部だよ」
そう、全部だ。
俺が築き上げたものを冒涜する全てが許せなかった。
村を焼いた騎士も。
子どもを値札で数えた奴隷商も。
それを認め、利益を得ている王家も。
そして、俺が守れなかった120年という時間も。
全部が許せなかった。
本当に、この国は奴隷なんてものに手ぇ出してんだな……。
ゲームだった頃の『レムオン』に、奴隷制度なんてものは存在しなかった。
人間、獣人、エルフ――種族は、プレイヤーが自由に選べる個性の一つでしかない。
得意な能力や固有特性に違いはあっても、どの種族が上で、どの種族が下なんて決まりはなかった。
プレイヤーもNPCも、誰かの所有物として売り買いされるような仕組みは存在しなかったはずだ。
少なくとも、俺が築いたアルセディアでは、誰もが自分の意思で生き、好きな技術を学び、努力した分だけ上を目指せた。
それが120年後には、人の身体へ服従を強いる術式を刻み、子どもにまで値段をつける国になっている。
俺が知っているアルセディアとは、あまりにもかけ離れていた。
同情より先に、腹の底から激しい怒りが込み上げてきた。
「なら、もう遠慮はいらねぇな……今の王家は、俺が必ず潰す……!」
女は目を見開いた。
「口だけなら何とでもいえる!」
「あぁ、口だけにするつもりはねぇよ。今のアルセディアにはほとほと愛想が尽きてんだ。俺が作った国が120年で好き勝手されて腐りきってるんだぞ。許せるはずもねぇだろ」
そこまで口にしてから、余計なことまで喋ったと気づいた。
まぁ、いいか。
どうせこいつらと手を組むなら、いつまでも正体を隠してはいられない。
「……何の話をしている。お前が作った国だと?世迷言を!」
「世迷言じゃねぇ、俺がアルセディアの初代覇王――リンドウだ」
「それを信じろと……?」
「信じろだなんて言わねぇさ。エルフなんかの長命種じゃねぇ俺が120年後も生きてるってのもおかしな話だからな」
「それなら、その初代覇王がこんなところにいる理由はなんだ!王家を潰すなどとほざく人間がどうしてこんなところにいる!」
「国一つ落とすんだ、準備だよ準備。そのために人目につかないところに来たってんだ。そしたらお前が襲ってきたんだろう?」
「侵入者が来たのなら迎撃するのは当然だろう!」
「逆に聞くがな、なんでお前は奴隷紋を付けたままこんな場所にいる?俺は話したぞ、今度はお前の番だ」
女はしばらく考え、その口を開いた。
「私は、奴隷として売られる者たちを助けている」
女はそう口にしながらも、俺から視線を外さない。
話していい相手なのか。
仲間の存在を知られても問題ないのか。
今も迷っているのだろう。
「攫われた獣人や子どもたちを乗せた馬車を襲い、奪い返す。助けた者たちは、各地の隠れ家で匿っている」
「なるほど。それで王家から見れば野盗ってわけか」
「指名手配も受けている。黒豹のザフィラ。その名くらいは聞いたことがあるだろう」
「いや、ないな」
ザフィラの眉がぴくりと動いた。
「それで?ザフィラさんとやら。ここで何してたんだ?」
「どこまでも人を馬鹿にして……。この村には置いてある物資を取りに来ただけだ」
「それで、誰にその傷を負わされた」
「アルセディアの騎士団長『サイラス』だ……!」
あぁ、例の団長さんか。
騎士団は奴隷商とともに獣人の村を襲い、生き残った者を捕らえている。
さらには団長自ら、逃げた奴隷や、それを助ける者を狩っているという。
つまり、一部の騎士が勝手にやっているわけじゃない。
アルセディア騎士団そのものが、奴隷狩りを行う組織に成り下がっている。
なら、全員ギルティだ。
まともな人間が混じっている可能性を考えて、手加減してやる必要もない。
「いいこと聞いた。面倒ごとが一つ省けたよ」
「何を言っている……?」
「騎士団にもまともな奴がいるなら、そいつらは見逃してやるつもりだった。だがそんなことする必要がなさそうだなと思っただけだよ」
「あのバケモノに勝てるとでもいうのか!」
「たかがレベル50程度の人間だろう?負けるほうが難しい。ちなみにザフィラ、お前の今のレベルは?」
「32だ……」
「お前が匿ってるやつの中に戦えるのは何人いる」
「なぜそんなことを教える必要がある……?」
「お前らを鍛えるためだよ」
「鍛える……だと?」
「あぁ、この国の頭を潰すだけならどうとでもなる。だがな、それだけじゃ何も変わらん。そのあとの立て直しに頭数が必要になるんだよ」
「本気で言っているのか…?」
「本気も本気だ。だから俺が今ここにいるんだろうが」
「……戦えるのは私を含めて、25人ほどだ」
25人。
国を正面から攻め落とすには、あまりにも少ない。
だが、全員を高レベルまで引き上げ、王家側の指揮官と要所だけを潰すなら話は別だ。
雑兵の相手をさせる必要はない。
王城、騎士団本部、奴隷商の拠点。
必要な場所へ必要な戦力をぶつければいい。
25人もいる。
俺にとっては、十分すぎる人数だった。
「それだけ居りゃぁ十分だ。お前ら、この国を自分たちの手で変えてみねぇか?」
「できるのならばもうやっている!」
「話聞けよ、鍛えるってさっき言っただろ……。一か月だ」
「何がだ……」
「一か月でお前含めた25人、全員レベル50以上にしてやる」
「不可能だ!お前の戯言に付き合うほど私たちは愚かではない!」
「なら四日間でいい、お前だけ付き合え。レベル60まで上げてやる」
「私がどれだけ努力してここまでレベルを上げたと思っている……!それを四日で倍にするだと?バカも休み休み言え!」
ザフィラが疑うのも当然だ。
この世界の人間にとって、レベルは何年も命を懸けて積み上げるもの。
四日で28レベル上げるなど、正気の沙汰ではない。
だが俺は、その正気ではないレベリング方法をいくつも知っている。
「馬鹿な話かどうかは、実際に体験してから決めろ。やるのか、やらないのか。お前にあるのはその二択だ」
「……本当にレベル60まで上がるんだろうな?」
「あぁ、覇王に二言はない。その前に、その傷をどうにかしろ。話はそれからだ」
「……なぜ、お前が私の傷を気にする」
「四日後にレベル60にする相手に、今夜死なれたら困る」
俺は『インベントリ』から布と薬を取り出し、ザフィラの足元へ放り投げた。
「治療が終わったら、もう一度話を聞かせろ。お前たちが助けた奴隷のことも、この国のことも全部だ」
ザフィラは足元の薬と、俺の顔を交互に見る。
警戒は、まだ消えていない。
それでも、先ほどまで俺へ向けられていた明確な敵意だけは、少し薄れていた。
「……四日だけだ」
「その答えが聞けただけで十分だ」
黒豹のザフィラ。
こいつが俺を信じるかどうかは、四日後に決めればいい。
その代わり――俺も四日で証明する。
俺が、ただ覇王を名乗るだけの馬鹿じゃないことを。
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