100:覇王、冥王を生み出す。
「失礼します」
「お、来た来た」
声に振り返ると、工房の入口にノアが立っていた。
呼びに行ったのは俺だけど、まさか本当にその日のうちに来てくれるとは思っていなかった。相変わらず隙のない格好をしていて、その片手には見覚えのある黒い長杖が握られている。
『冥杖ウロボロス』。
何度見ても、いい武器だと思う。
「お呼びと聞きましたが」
「あぁ。悪いな、急に」
「いえ、急ぎの仕事はありませんでしたので」
ノアはそう答えながら工房へ入り、俺の背後へ視線を向けた。
そこには、完成したばかりのフュンが作業台の横へ立てかけてある。
「……そちらは?」
「ああ、できたてほやほやだ」
俺はフュンを持ち上げて見せる。
「例の魔杖ですか?」
「そう。『フュン』」
ノアの視線が、黒い大杖の先端から柄までゆっくりと下りていった。
「……随分、大きいですね」
「お前も同じこと言うのな」
「杖、なのですよね?」
「まごうことなき杖だろ」
「失礼しました」
「絶対ちょっと疑ってんだろ」
「そのようなことは」
いや、顔がもうジンと同じなんよ。
どうせ「これで殴った方が強いのでは」とか思ってんだろ。
「まあ、フュンはあとでいい。今日はそっち」
「そっち?」
俺は、ノアが持っているウロボロスを指差した。
「貸してくれ」
「ウロボロスを?」
「あぁ」
ノアは少しだけ首を傾げたものの、特に拒むこともなく杖を差し出してくる。
「どうぞ」
「ありがと」
受け取ったウロボロスを軽く持ち上げ、まずは重さと重心を確認し、それからゆっくり魔力を流す。
「…………」
やっぱり――改めて触っても、この杖はおかしい。
もちろん、悪い意味じゃない。
むしろその逆だった。
「どうでしょう?」
「完成してる」
「……はい?」
「だから、こいつ」
ウロボロスを軽く持ち上げ、そのままジンたちにも見えるよう作業台へ置く。
「もう完成してるんだよ」
ノアが少し不思議そうな顔をする。
「カレンの『望月』と『朔月』は違った。あれはカレン本人が昔の武器を追い越してたから、設計そのものを今のカレンへ合わせ直す必要があった」
「ですから、一から作り直したのですね」
「そう。でも、ウロボロスは違う」
柄へ指先を滑らせながら、内部を流れる魔力へ意識を向ける。
「今のノアに合ってないわけでもないし、構造にも大きな欠点がない。魔力の入り方も、循環も、術式への送り方も綺麗だし、性能だけ見ても今の時点ですでに十分おかしい」
「おかしい……」
「褒めてるって」
「そうですか」
「だから、こいつを一度壊して別の武器へ作り直す意味がねぇんだよ」
「…………」
ノアが、作業台に置かれた自分の杖を見る。
「でしたら、なぜ私を?」
「完成してるからだよ」
俺は笑った。
「『神化』する」
「……神化?」
予想通り、ノアの表情に疑問が浮かぶ。
まあ、知らなくて当然だろう。
「鍛冶師Lv100で使える極致技能。この前、ようやくこの世界でも使えるようになった」
「そう、ですか……」
「そう。それを、ウロボロスに使う」
視界へ『神化』の情報を呼び出す。
使い方なら覚えている。
ゲーム時代にも何度も使った技能だから、何ができて、何ができないのかも分かっている。
『神化』は、適当な武器を何でも強くしてくれるような便利な技能じゃない。
元になる装備の完成度、その武器がすでに持っている性質、どこまでそれが形になっているのか、そして神化先に応じて要求される素材。
それらが揃って、初めて成立する。
「『神化』は、武器ごとに必要な素材が違う」
「決まっているのですか?」
「ある程度はな。元の材質や性能、それと何を伸ばすかで要求が変わる」
ウロボロスを対象に指定すると、視界の中へ必要素材が表示された。
「……やっぱり」
予想していた通りだった。
高純度オリハルコン。
それから、ごく少量のヒヒイロカネ。
「いけるな」
「材料はあるのですか?」
「オリハルコンなら腐るほどある」
「では、もう一つは?」
「ヒヒイロカネ」
「…………」
ノアの動きが止まった。
「リンドウさん……」
「何?」
「今、ヒヒイロカネと仰いました?」
「言ったな」
「必要なのですか?」
「あぁ」
「でしたら――」
「あるぞ?」
「いえ、そうではなくて……」
ノアが珍しく、少し困ったような顔をした。
「そこまでしていただく必要はありません」
「なんで?」
「ヒヒイロカネなのでしょう?」
「そうだけど」
「非常に希少な素材だと聞いています」
「希少だな」
「でしたら――」
「ほんのちょっとしか使わないぞ」
「量の問題ではありません」
「俺にとっては量の問題なんだけども……」
「リンドウさん……」
「サービスだよ」
「…………サービス?」
「あぁ」
ノアの眉がわずかに寄る。
「何のサービスでしょうか……?」
「誕生日だよ」
「…………」
今度こそ、完全に止まった。
「……はい?」
「今日、誕生日だろ?」
「…………」
珍しい。
あのノアが、本気で言葉を失っている。
「知って、いたのですか?」
「何が?」
「……私の、誕生日です」
「あぁ」
俺は素材棚へ向かい、高純度のオリハルコンを取り出しながら答えた。
「ザフィラから聞いた。少し前に、今日がお前の誕生日だって」
「ザフィラ様が……」
「それで、ちょうど鍛冶師もLv100になったし、お前のウロボロスを『神化』するなら今日がいいかなって」
オリハルコンを作業台へ置き、続いて小さな保管箱から必要量だけヒヒイロカネを取り出す。
「誕生日プレゼントだ」
「…………」
「何その顔」
「いえ……」
ノアはヒヒイロカネを見て、それから俺を見た。
「でも、なぜヒヒイロカネまで……」
「必要だから?」
「そうではなくて」
「女の子がプレゼントの値段とか気にすんなって」
「値段の問題でもありません!」
「じゃあなんだよ」
「…………」
ノアは少しだけ視線を伏せた。
「そこまでしていただけるとは、思っていなかったので」
「そこまでってほどじゃないだろ」
「……リンドウさんにとっては、そうなのでしょうね」
「まぁな」
「……そういうところです」
「何が?」
「……いえ」
なんなんだ。
最近、みんな最後まで言わないこと多くない?
「とりあえず」
俺は軽くウロボロスへ触れた。
「誕生日おめでとう、ノア」
「…………」
一拍だけ間があって。
「ありがとうございます」
返ってきたのは、いつも通り落ち着いた声だった。
ただ、その響きだけは、普段よりほんの少し柔らかかった。
♢
『神化』を始める前に、まずウロボロスを必要な範囲まで分解した。
もちろん壊すためじゃない。
外装を一部だけ開き、内部構造を直接確認し、どこへ新しい素材を組み込むべきなのかを決めるためだ。
「ハル、ここ見てみろ」
「はい。魔力路ですか?」
「そう。それで、ここは触らない」
「……何故です?」
「完成してるから」
ウロボロスの内部へ通された魔力経路には、ほとんど無駄がない。
「普通の魔杖なら、ここをもう少し太くした方が一度に通せる魔力量は増える」
「なら、太くした方がいいのでは?」
「駄目なんだよ」
「どうしてです?」
「通る量は増えるけど、その分だけ戻りが遅くなる」
「あ……」
「この杖のいいところは、魔力を流し込んで終わりじゃない。内部へ入った魔力が循環して、次の術式へ戻ってくるところまで含めて完成してるんだ」
だから、余計な回路は足さない。
目新しい機構も、必要以上には組み込まない。
『神化』なんて名前だけを聞けば、派手な能力をいくつも付け足したくなるかもしれない。
でも、それでは違う。
「今あるものを、そのまま強くする」
誰かへ説明するというより、自分自身へ確認するように呟く。
魔力が流れるなら、さらに滑らかに。
受け止められるなら、さらに多く。
術式を支えられるなら、もっと安定して。
ウロボロスが元から持っていた良さを壊すことなく、そのまま限界の向こう側へ押し上げる。
それが、今回の『神化』だった。
「オリハルコン」
「ほらよ」
ジンから高純度オリハルコンを受け取り、慎重に加熱してから鍛造し、限界まで薄く伸ばしていく。
「……紙みたいですね」
横から見ていたエッダが呟いた。
「これくらいでいい」
「強度は大丈夫なんですか?」
「単体で受けるわけじゃない。ヒヒイロカネと噛ませる」
今回、ヒヒイロカネは主材として使うわけじゃない。
必要なのは本当にごく少量だけだ。
ただ、そのわずかな量があるかどうかで、魔力経路全体の繋がりが大きく変わる。
オリハルコンが大量の魔力を受け止め、元からあるウロボロスの回路がそれを内部へ巡らせ、その二つの流れをヒヒイロカネが結び合わせる。
「ノア」
「はい」
「魔力、貸してくれ」
「私のですか?」
「お前の専用武器だろ」
「……はい」
ノアがウロボロスへ手を添える。
静かな黒い魔力が、杖の中へ流れ込んだ。
「そのまま」
俺も反対側から魔力を重ねる。
俺とノア、二つの魔力が衝突しないよう、ウロボロスが元から持っている経路に沿わせながら、ゆっくり内部へ巡らせていく。
「…………」
ここだ。
「ジン」
「分かってる」
加熱したヒヒイロカネを、ごく細い一本の線になるよう慎重に流し込む。
赤金色の光がウロボロスの内部へ入り込み、薄く組み込んだオリハルコンと既存の魔力回路を繋いだ瞬間、杖全体から濃い黒色の魔力が立ち上った。
「……っ」
ノアが小さく息を呑む。
「そのまま!」
「はい!」
強い。
予想していたよりも、ずっと。
けれど、まだ終わりじゃない。
「まだ流して!」
ノアの魔力を保ったまま、俺もさらに魔力を重ねる。
高純度オリハルコンが淡く光り、その光を受けるようにヒヒイロカネも赤金色の輝きを増していく。
赤金色と黒。
それに、ウロボロスそのものが長い時間をかけて馴染ませてきた魔力。
それぞれが混ざって消えるのではなく、自分の役割を保ったまま一本の大きな流れへ変わっていく。
「…………来る」
――分かる。
ゲーム時代、何度も見た感覚だ。
「『神化』」
技能を発動した瞬間、工房を満たしていた魔力そのものが大きく揺れた。
「っ!?」
「おい!」
ハルたちが思わず一歩下がる。
けれど、俺はその光景を見ながら笑っていた。
「……これだ」
懐かしい。
ゲーム時代にも何度も見た、『神化』が成立する瞬間。
ただ、画面の中でエフェクトとして眺めていた頃とは比べ物にならない。
今は、自分の手の届く場所で、本物の武器そのものが変わっていく。
濃い黒色の魔力がウロボロス全体を包み込み、その内側を赤金色の細い光が走る。
新しく加えたオリハルコンは既存構造へ馴染み、ヒヒイロカネは必要な経路だけを繋ぎながら、元からあった魔力の流れを何倍も滑らかにしていく。
それでも、形そのものはほとんど変わらない。
それでいい。
変える必要なんてない。
ウロボロスは、ウロボロスのままでいい。
今まで完成していたものを壊すのではなく、その完成度のまま、ただもっと上へ押し上げる。
「……すごい」
誰かの呟きが聞こえた。
やがて、工房を満たしていた光がゆっくりと収まっていく。
作業台の上には、一本の長杖が残った。
「…………」
元のウロボロスを知っている奴が見れば、すぐに同じ武器だと分かる。
黒を基調とした長杖であることも、全体の輪郭も、持ち手の形も、意匠そのものもほとんど変わっていない。
ただ、黒が以前より深い。
その表面にはヒヒイロカネ由来の赤金色の細い線が、ごく控えめに血管のような模様を描いている。
派手な変化じゃない。
けれど、魔力を流せば一瞬で分かる。
「……イカれてんな」
思わず口から漏れた。
「成功ですか?」
ノアが聞く。
「大成功だ」
本当に、想像していた以上だった。
新しい能力を十個も付けたわけじゃない。
今まで使えなかった魔法が突然使えるようになったわけでもない。
それなのに、魔力を流した瞬間の立ち上がり、内部を巡る速度、術式へ送り込むときの損失、そのすべてが明らかに一段どころではなく上がっている。
「元々おかしい性能だったのに、さらにおかしくなったな……」
「おかしい、ですか?」
「褒めてるんだよ」
「先ほどから、褒め方がおかしくありませんか?」
「最高に褒めてるよ」
「そうですか」
ノアが、変わらない調子で杖へ手を伸ばす。
「持ってみて」
「はい」
ウロボロスを受け取った瞬間、ノアの目がほんのわずかに見開かれた。
「どう?」
「……軽い」
「重量はほとんど変わってないぞ」
「重さの話ではありません」
「魔力のほうか?」
「はい」
ノアが試すように、ほんの少しだけ魔力を流す。
たったそれだけで、黒い魔力が杖の内部を一瞬で巡った。
「…………」
「分かる?」
「今までなら、もう少しだけ……私の方が杖へ合わせる感覚がありました」
「今は?」
「違います」
ノアが、自分の手にあるウロボロスを静かに見つめる。
「私が求めるより先に、杖の方が応えてくる」
「そうなるようにした」
「…………」
「気に入ったか?」
「はい」
返事は迷いのない即答だった。
「……とても」
「ならよかった」
その瞬間、視界へ新しい文字が浮かんだ。
『神化が完了しました』
『対象――『冥杖ウロボロス』』
『神化段階への移行を確認』
続いて。
『神化武器の銘を設定してください』
「あぁ、そういえばあったなぁ~……」
「どうしました?」
「名前」
「名前?」
「神化したから、銘が変わる」
これも懐かしい。
ゲーム時代、性能調整より最後の名前を決める方が長かった武器まであった。
「どうする?」
「私が決めるのですか?」
「持ち主はお前だし」
「ですが、作ったのはリンドウさんでしょう?」
「…………」
「でしたら」
ノアが、ほんの少しだけ笑った。
「リンドウさんが付けてください」
「俺が?」
「はい」
「……後悔しないか?」
「しません」
「プレッシャーかけるなぁ……」
もう一度、杖を見る。
『冥杖ウロボロス』。
死と冥府を思わせる名を持ちながら、同時に円環や循環、終わることなく巡り続けるものを意味する名でもある。
「…………」
だったら、分かりやすいくらいでいい。
神化した武器は、それまでの完成形を越え、さらに上へ踏み込んだ存在になる。
なら。
「……王でいくか」
「王?」
「うん」
覇王が、この世界で最初に完成させる神化武器。
その一本目なら。
「『冥王』」
視界へ新しい銘を入力する。
『冥王・ウロボロス』
『銘を確認』
『神化武器――『冥王・ウロボロス』』
「…………」
悪くない。
いや、かなり好きだ。
「『冥王・ウロボロス』……」
ノアも、自分の新しい杖の名前をゆっくり口にする。
「どう?」
「少し……大仰ですね」
「え……マズった?」
「ですが」
ノアは新しく生まれ変わったウロボロスを、大事そうに胸元へ抱える。
「好きです」
「……よかった」
「ありがとうございます、リンドウさん」
「誕生日おめでとう」
「はい」
ノアは一度だけ頷いてから、もう一度。
「ありがとうございます」
今度の声は、さっきよりも少しだけ嬉しそうだった。
♢
「ところで」
しばらく『冥王・ウロボロス』を眺めていたノアが、ふと顔を上げた。
「ん?」
「これは、どこで試せばよろしいのでしょうか」
「…………」
「工房の裏で?」
「それはやめとこう」
「なぜです?」
「昨日、フュン試しただけで的を五個壊した」
「…………」
「ジンに怒られた」
「でしょうね」
「ノアまでそっち側?」
「当然かと」
酷い。
でも、俺自身もフュンについてはまだ試したいことが山ほど残っている。
昨日やったのは、低級魔術を連続で展開し、回路の再収束速度を確かめただけだった。
あれはフュンの本領なんかじゃない。
もっと複雑な術式を連続して繋ぎ、属性を切り替え、近距離から遠距離まで全部魔法だけで戦ったときに、初めてこいつの本当の性能が分かる。
「なあ、ノア」
「はい」
「今日、時間ある?」
「ありますが」
「なら、久しぶりに行くか」
「どちらへ?」
俺は作業台へ立てかけていた黒い大杖を手に取った。
俺には、完成したばかりの『フュン』。
ノアには、今この場で神化した『冥王・ウロボロス』。
どちらも本気で試すには、工房の裏なんかじゃ狭すぎる。
「ちょうどいい場所を知ってる」
「訓練場ですか?」
「もっと広い」
「では、王都の外でしょうか」
「あぁ」
フュンを肩へ担ぎながら、懐かしい場所を思い浮かべる。
この世界へ来たばかりの頃、まだ何も持っていなかった俺が潜った場所。
装備も、仲間も、今とは比べ物にならないほど少なく、俺自身もずっと弱かった頃に戦った場所。
あそこなら、多少派手に魔法を撃ったところで困る奴はいないし、相手にも困らない。
「今ならちょうどいいだろ」
「何がです?」
「フュンも、お前のウロボロスも、遠慮なく試せる」
ノアが、自分の新しい杖へ視線を落とした。
その表面を走る赤金色の細い線が、魔力へ反応して微かに光る。
「では」
「あぁ」
俺はフュンを背負い直し、工房の出口へ向かった。
「久しぶりに行くか」
「どちらへ?」
振り返って笑う。
「『亡者の地下墓地』だよ」
昔は、生き残るために潜った場所だった。
今度はそこで。
俺とノアの、新しい魔杖を試す。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、ノアの『冥杖ウロボロス』を初めての『神化』へ。
完成しているものを作り直すのではなく、その良さを残したまま、さらに上へ。
そして誕生日プレゼントとして生まれたのが――
『冥王・ウロボロス』です。
次回は、完成した『フュン』と『冥王・ウロボロス』を携えて、久しぶりの『亡者の地下墓地』へ。
今度こそ、本気の魔法戦闘です。
次話もよろしくお願いします。




