18.12 ブルゴーニュ公の使節(1)二通目の手紙
6月27日ごろ、乙女はジアンで、ブルゴーニュ公に宛てた手紙を書かせ、シャルル王の戴冠式に来るよう呼びかけていた。
返事がなかったため、ジャンヌは戴冠式の日に、公爵に宛てて2通目の手紙を口述した。その内容は次のとおりだ。
「†ジーザス・マリア
高く、大いに畏れられる君主、ブルゴーニュ公よ、
ジャンヌ・ラ・ピュセルは、
彼女の正当な主君である天の王の名において、
あなたとフランス王が末長く続く
良い和平を結ぶようあなたに求めます。
善良なキリスト教徒として、
心から完全にお互いを許し合いなさい。
もし戦争をやりたいなら、
サラセン人(イスラム教徒)に立ち向かいなさい。
ブルゴーニュ公よ、私はあなたに乞い願い、
私の力でできる限り謙虚に懇願します。
聖なるフランス王国に対して
これ以上戦争を仕掛けないでください。
あなたの兵士たちを、聖なる王国の要塞や砦から
ただちに速やかに撤退させてください。
そして、美しいフランス王の名において、
もし必要ならば、王は名誉を守りながら、
あなたと和平を結ぶ用意があります。
天の王、私の至上の主君の名において、
あなたの利益と名誉と命のために言います。
あなたは忠実なフランス人との戦いで
絶対に勝てません。
聖なるフランス王国と戦う者はすべて、
天と地の王、私の正当な主君である
ジーザス王と
戦うことになります。
私は手を合わせて、あなたに乞い願い、
懇願します。
あなた自身も、あなたの人々と臣民も、
私たちに戦いを仕掛けたり、
戦争を始めたりしないでください。
あなたが私たちに対して
どれだけの数の人々を差し向けようとも、
何も得られません。
私たちに立ち向かう者たちの間で流される
大いなる戦いと血は、
痛ましい哀れみとなるでしょう。
3週間前、私はあなたに手紙を書き、
使者を派遣して、国王の戴冠式に来るよう伝えました。
国王の戴冠式は、今月17日の日曜日、
今日、ランス市で行われますが、
手紙の返事はなく、使者の消息も届きません。
私はあなたを神に委ねます。
もしそれが神の意志ならば、
神があなたを守ってくださいますように。
私は神が平和を確立するよう祈ります。
上記のランス市から、上記の7月17日に記す」
宛先:「ブルゴーニュ公爵へ」[1537]
*
もし、シエナの聖カタリナがランスにいたとしても、これ以上のことは書けなかっただろう。
(⚠️シエナの聖カタリナ(Santa Caterina da Siena):14世紀後半にイタリアで活動した在俗修道女。著名な文学者で教会博士。中世カトリック教会の傑出した人物の一人で、アヴィニョンからローマへの教皇帰還(アヴィニョン捕囚の終焉)の黒幕といわれている。ジャンヌのところに来る聖カタリナこと「アレクサンドリアの聖カタリナ」とは別人なので注意)
ジャンヌはブルゴーニュ人を好まなかったが、彼女なりにブルゴーニュ公との和平がどれほど望ましいかを強く理解していた。ジャンヌは手を合わせて、フランスとの戦争をやめるよう公爵に懇願している。
「もし戦争をやりたいなら、サラセン人に立ち向かいなさい」
すでにジャンヌは、イングランドに対して「フランスと協力して十字軍に参加するように」と勧めていた。
当時、異教徒の滅亡は、平和を愛する穏やかな人たちの夢だった。多くの敬虔な民衆は、ニコポリスで打ち負かされた騎士の息子が、かつての勝利に対する代償をトルコ人に高く支払わせるだろうと信じていた。[1538]
この手紙の中で、ジャンヌは天の王の名において、フィリップ公(ブルゴーニュ公)に「シャルル王と戦えば敗北するだろう」と告げている。
ジャンヌの「声」は、フランスがブルゴーニュに勝利すると予言していた。
だが、ジャンヌがこの手紙を口述していたまさにその瞬間、フィリップ公の使節がランスに来ていることを一言も告げなかった。これは紛れもなく事実である。[1539]




