17.5 トロワの町(3)シャルル七世の情報戦
しかし、トロワ司教と聖堂参事会の聖職者たちが心の中で本当に恐れていた事態は、イングランド摂政ベッドフォード公との叙任権闘争ではなかった。
万が一、シャルル・ド・ヴァロワが王権を獲得して、シャルル七世として即位し、国王としてフランスの教会を保護する意志を表明した場合、(かつてトロワ条約を締結して王太子シャルルを廃嫡した)自分たちの運命がどのように処されるかだろう。
(トロワ条約を根拠に)シャルル王を拒絶するのは、神そのものを拒絶することを意味するのではないか? なぜなら、すべての力は、権力を委譲する神からもたらされるからである。
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当のシャルル七世は、安全策を講じないままでシャンパーニュ地方に踏み入るような危険は冒さなかった。
シャルル王は、トロワの町で「頼れるものは何か」をよく知っていた。
彼は、トロワ市民の一部——有力者から《《取るに足らない》》下級市民に至るまで——と、ずいぶん前から秘密の通信を維持しており、彼らから情報提供と約束を取り付けていた。[1392]
5月の最初の2週間、ひそかに王のもとへ向かう途中だった王室公証人と書記官(聖職者)10人、そして商人ギルドの幹部が、パリ街道沿いの城壁のすぐ外で、イングランド軍を率いるシャトーヴィラン隊長によって逮捕された。[1393]
しかし、王に謁見する使命は、幸運にめぐまれた別の人々によって果たされた。
この秘密の謁見で、どのような問題が話し合われたかは容易に推測できる。
商人たちは、シャルル王が彼らの領主として君臨した場合、商取引の絶対的な自由を保証するかどうかを尋ねただろう。書記官(聖職者)たちは、教会の財産を尊重する約束を求めただろう。
そしてシャルル七世は、トロワ住民の要求を受け入れて、約束を守ることを惜しまなかった。
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(⚠️補足:5月の最初の2週間、ひそかにシャルル七世のもとへ向かう)
オルレアン包囲戦は5月8日に終結。
つまり、トロワ市民は早くも終戦直後からシャルル七世に接触しようと行動し、使者たちがイングランド軍に捕らわれてもなお、危険な賭けを試みていたことがわかる。
なお、ベッドフォード公が招集したパリの宗教会議の日程は3月1日から4月23日まで。包囲戦のさなかに2カ月近く開催されており、トロワ司教は自分の叙任にかかわる案件なので当然ながら出席している。
当時の伝達速度を考えると、トロワ市民の驚異的な速さの「てのひら返し」にある種の感動すら覚える。
また、ジャンヌと軍隊の動きは派手でわかりやすいが、このころのシャルル七世は水面下での動きが非常にめまぐるしい。王は軽薄で遊んでばかり…というイメージに反し、見せかけの姿と、本当の姿に大きなギャップがある。そこがいい。




