17.4 トロワの町(2)ベッドフォード公の叙任権闘争
(⚠️背景事情を補足「叙任権闘争」について)
もともと、地域の領主が地元教会の聖職者を任命していた(聖職叙任権)が、教会財産の保護と聖職売買を防止するため、世俗権力を排除して聖職者たちの話し合いで選ぶようになった。
しかし、ペスト流行や教会大分裂、長い戦争の影響で、聖職者不在の教会が増え、冠婚葬祭ができなくなるなど日常生活に不具合が生じると、世俗の権力者が再び叙任権を発動するようになった。
その結果、中世ヨーロッパでは聖職者と王侯貴族が聖職叙任権をめぐり頻繁に争っていた。
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その後まもなく、ベッドフォード公はフランス中の教会すべてから非難を浴びた。
司教たちから、「聖書に記されているもっとも残酷な暴君たち、イスラエルを罰した際にレビ人を赦免したファラオ、ネブカドネザル、アルタクセルクセスよりも悪い」と断罪された。[1387]
彼ら(名前の上がった暴君たち)よりも邪悪で冒涜的だったベッドフォード公は、強硬手段に出た。
(1)聖座に代わって司教たちの後援権を奪い、(2)フランスの聖職者に二重の「十分の一税」を課し、(3)教会関係者が40年間受け取ってきた献金をすべて彼に引き渡すよう命じた。ガリカニスム(フランス国民教会主義)の特権をおびやかしたのである。
ベッドフォード公はローマ教皇の同意を得てから事に及んだが、それにもかかわらず、フランスの司教たちの目から見て、ベッドフォード公は「荒廃をもたらす忌まわしいもの」だった。
(⚠️荒廃をもたらす忌まわしいもの(abomination of desolation):旧約聖書『ダニエル書』第11章31節、預言者ダニエルが最後に見た幻に登場。傲慢な異国の王が「荒廃をもたらす忌まわしいもの」を立てた後、世界は終わるとされる。訳語はさまざまだが、キリスト教の終末論で頻出する)
領主兼司教たちは、フランスの事情にうとい無知な教皇ではなく、もっと広い見識を持つ教皇に訴えることを決めた。彼らは、教皇権は、公会議の権威に比べれば取るに足りないと考えていた。
(⚠️補足:教皇1人の権力よりも公会議(聖職者会議)のほうが権威が高いとする思想。教会大分裂の時代だったので、聖職者たちはローマ教皇をチェンジしたがる)
聖職者たちは、うめき声をあげて嘆願した。
「呪われたもの(ベッドフォード公)は国土を荒廃させるにとどまらず、ガリアにおけるキリスト教をも荒廃させている」
ベッドフォード公は、反乱の声を上げたフランスの教会をなだめるために、パリ、トロワ、オセール、ヌヴェール、モー、シャルトル、オルレアンの司教区を含む、サンスの教区(教会管区、ブルゴーニュの一部)の司教たちをパリに召集した。[1388]
トロワ司教ジャン・レギゼも、この召集に応じてパリの教会会議に出席した。
この会議は、1429年3月1日から4月23日まで、大司教の議長の下、パリのサン・エロワ修道院で開催された。[1389]
出席した司教たちは、それぞれが自分の教区の悲惨な状況をベッドフォード公に訴えた。
兵士に略奪された農民はもはや義務を果たせず(教会への献金も、領主への納税もできない)、教会が所有する土地は荒廃し、公共の礼拝を支える資金がないため祭祀をおこなうこともできない。
彼らは満場一致で、ローマ教皇とイングランド摂政に二重の税金を納めることを拒否し、教皇から公会議に訴えると脅した。
さらに、「聖職者が過去40年間に受け取った献金まですべて奪い取るのは、神を冒涜する不敬虔な行為である」と宣言した。
そして、大きな慈悲をもって、ベッドフォード公に「不敬虔な者には、神の裁きによって定められた運命がある」ことを思い出させた。(歴史上、教会を弾圧した権力者の運命がその後どうなったかを説教した)
「君主は……」
彼らは口々に言った。
「神がご自身の尊い血で贖われた教会を、そのような要求で弾圧した暴君が、のちにこうむった悲惨な運命と悲しみを思い出すべきだ。ある者は剣で殺され、ある者は追放され、またある者は輝かしい権利を奪われた。したがって、神の花嫁である教会を奴隷にしようとする者は、神の神聖な恵み(恩寵)を授かる資格はない」[1390]
トロワ司教ジャン・レギゼの意見も、他の司教たちと同じだった。
とはいえ、トロワ司教が「この罪人(ベッドフォード公)の死を望んでいた」、あるいは「イングランドに敵意を抱いていた」と結論づけるのは間違いだ。[1391]
教会はつねに、世俗の権力(王権)に寄り添い妥協する。
その慈悲は広く、忍耐は大きい。
攻撃(異端宣告や破門など)する前にしばしば脅迫し、罪人が目を覚まして悔い改める兆候を見せたらすぐにそれを受け入れる。教会組織というものは、いつの時代もそうだった。




