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オーガの脅威を退け、命を助けた商人たちとのやり取りは、まさにカディルという男の底抜けの人柄の良さや、謙虚で素直で嘘のつけない性格と、それが商人として決定的な致命傷となることを象徴していた。
「いやあ! 本当に助かりました、カディルさん! お礼と言ってはなんですが、我が商会が扱っているこの『ルビアの絹織物』をお受け取りください! 定価は金貨一枚ですが、王都なら品薄でプレミアがつき金貨五枚以上で売れる高級品です!」
商人たちの代表である小太りの男が、感極まった様子で豪華な木箱を抱えて持ってきた。
ルビアの絹織物──紅く鮮やかな染料を使用して、丁寧に染め上げ、魔力を込められた、この世界では非常に貴重なアイテムだ。
そして、その価格が一反、金貨五枚──金貨一枚=銀貨百枚、銀貨一枚=銅貨百枚となるため、とても高額である。
助けられたお礼としては十分すぎる品である。アストリッドも(ふむ、素晴らしい品だ。命を救われたのだからそれくらいは当然だな)と腕を組んで頷いていたのだが、カディルは「いやいや」と慌ただしく手を振った。
「め、滅想もありません! お礼だなんてそんな! ……あ、でも……そう言う事ならば、せっかくなので定価に少し上乗せして、その絹織物一反を金貨一枚と銀貨五十枚で買わせていただきます!」
「えっ……買い取る、ですか?」
「はい! この先のランベルは大きな交易都市ですから、そこでこの素晴らしい絹織物を売れば、ちょっとだけ利益を乗せられるはずです! ええと、仕入れが金貨一枚足す銀貨五十枚として……ランベルまでの運賃と僕の手数料を引いて、そこに二割の利益を乗せると……うん! 全てお譲りいただけるなら、全部で金貨一枚の儲けになります!」
カディルは懐から算盤弾き用の羊皮紙を取り出し、楽しそうに数値を書き込んでいく。
しかし、その横で計算のメモを盗み見たアストリッドは、自分の目を疑った。
(な……なんだこの雑な計算は……!?)
ランベルでの関税など税金の支払いが含まれていない。自身の宿泊費や食費の経費計上すら忘れられている。
(お前……それでは売れば売るほど赤字になるのでは!? どこで金貨一枚分の利益が出ることになった!? 利益どころか、自分の財布から身銭を切ってボランティアで荷物を運ぶだけではないか!!)
思わず声に出して突っ込みそうになったアストリッドだったが、商人の方が「いやいや! それでは申し訳ないから、ただで差し上げますよ! 命を助けていただいたお礼です」と苦笑いし、カディルが「いえ! 私も商人としてただで品物を譲り受けるわけにはいきません!」と謎のこだわりを発揮して押し問答を始めたため、アストリッドは頭を抱えた。
(だめだ……この男、商人としての才能が壊滅的だ……)
結局、商人たちの強烈な感謝の押し売りに負け、カディルは「でも……こんな高価な品物を頂くわけにはいかないので」と、定価より少しだけ安く買い取り、モンスター討伐代として銀貨二十枚を受け取る形で決着がついた。
街道を再び歩き出し、夕闇が本格的に降りてくる頃。アストリッドは溜息交じりに尋ねた。
「なあ、カディル」
「なんですか、アストリッドさん」
「お前……なぜそこまでして商人になりたいんだ? さっきの戦いを見たが、あれほどの戦闘技術と規格外の腕力があれば、一流の冒険者や王国の騎士団長にでもなって、一生遊んで暮らせるだけの富と名声を得ることも出来るだろうに……」
アストリッドの問いは、至極真っ当なものだった。
あのような圧倒的な戦闘力を持ちながら、なぜ雑な計算(所謂、どんぶり勘定)で赤字を叩き出す貧乏行商人に固執するのか。
カディルは少し照れくさそうに頭を掻き、沈みゆく夕日を見つめた。
「えーと……僕、幼い頃に村へやってくる行商人の人たちが大好きだったんです。遠い街の珍しい食べ物や布地を持ってきてくれて、大人も子供も、みんなが目を輝かせて笑うんですよ。お金を払って品物を受け取った人も、お金をもらって品物を渡した商人も、どっちも幸せそうに『ありがとう』って言い合うんです」
カディルは足を止め、優しく微笑んだ。
「商売って、人と人を笑顔で繋ぐ、世界で一番温かい仕事だと思うんです。だから僕も、いつか立派な商人になって、色んな街の人たちに笑顔と幸せを届けたいなって……」
「……」
アストリッドは言葉を詰まらせた。
純粋すぎる。純粋であまりにもまっすぐな情熱。
自らの欲望や打算ではなく、「人を笑顔にしたい」というその一点だけのために、彼は不器用ながら商人を目指しているのだ。
(こんな……こんな温かい理由で夢を追っている人間が……将来、次元を穿ち、私の母国を焦土に変える『絶壊の魔王』になるだと……?)
胸の奥が、ぎゅっと苦しく締め付けられる。
歴史の記録に残る冷酷無比な魔王の影と、目の前で「いつか立派な商人になりたいんです」と少年のように笑う青年。そのあまりのギャップに、アストリッドの心は激しく揺さぶられていた。
「まあ……現実は厳しくて、全然儲からないんですけどね……」
カディルは苦笑いしながら言った。
「騙されちゃったり、仕入れ値を間違えたりで、いつもお金がなくなっちゃって……だから、道中で依頼されるモンスター退治とか用心棒で、なんとか旅費を稼いでる状態なんです」
「……お前が強い理由って、もしかして……」
「僕が強いのかは分かりませんが、商売が上手くいかなくて、生活のためにいろんな討伐依頼を受けざるを得ないんです。中には聞いていたよりずっと強いモンスターが出てくることもあって……一生懸命戦っているうちに、いつの間にか身体が勝手に動くようになっちゃったんですよね。本当はもっと商売の勉強をしなきゃいけないのに……ははは……」
(……そりゃ強くもなるわけだ!!)
アストリッドは心の中で叫んだ。
通常の冒険者なら命の危険を感じて避けるような危険な依頼を、この男は「生活費がないから」という理由で受けまくり、幾多の死線を潜り抜けてきたのだ。知らず知らずのうちに積み重なった超人的な経験値。それこそが、彼の圧倒的な強さの正体だった。
交易都市『ランベル』に到着したのは、それから二日後のことだった。
巨大な石造りの城壁に囲まれたランベルは、活気と熱気に溢れていた。行き交う馬車、呼び込みをする商人たちの威勢の良い声、露店から漂う芳しい料理の匂い。
「うわあ! すごい人ですね、アストリッドさん! よし、僕も負けていられません!」
ランベルの露店地区に小さなスペースを借りたカディルは、気合十分で露店を開いた。
並べたのは、道中で採取した薬草や、小さな木工品、そして例の商人から買い取ったルビアの絹織物だ。
「さあさあ! 安くて良い品ありますので見ていって下さい!」
声を張り上げるカディル。しかし──。
「おさ兄さん、この薬草、隣の店より銅貨二枚高くない?」
「えっ!? あ、本当ですか? ……ええと、じゃあ半額にします!」
「この木彫りの像……その辺で拾ったやつじゃないの? もっと安くしてよ」
「うっ……そうですよね、すみません、じゃあタダであげます!」
一時間後。
カディルの店には売り上げどころか、商品をただで持っていかれたり、押し売りの口車に乗せられて怪しげなガラクタを高値で買わされたりと、カディルの惨めな姿だけが残されていた。
「……うぅ……やっぱり商売は難しいなぁ……」
売り上げゼロ、むしろマイナス。地面に膝をついて落ち込むカディルを見て、アストリッドは深く深く溜息をついた。
「……カディル……お前、もう商人は諦めて冒険者になった方がいいよ……」
「うぐっ……」
結局、その日の夕方。
カディルはトボトボと冒険者ギルドへ向かい、ギルド職員から「最近、街の近郊の鉱山に凶暴な『アースシェイカー(地響き巨獣)』が出没して誰も手を出せないで困っている」というB級の依頼をあっさりと引き受けた。
報酬は金貨三十枚だ。
そして、一人で街を出てから、わずか一時間後にギルドへと戻ってきたカディル。
「ただいま戻りましたー! アストリッドさん、討伐終わりましたよ!」
全身に汚れひとつつけず、ニコニコ顔で金貨の詰まった袋を受け取るカディルを見て、ギルド中の猛者たちが白目を剥いて腰を抜かしていた。
「なぜ素直に剣士か冒険者にならないんだ、お前は……」
「じゃあ、行きましょうか!」
「えっ!? どこへ?」
頭を抱えるアストリッドの手を「いいから、いいから」と言って引っ張り、街で一番高級な料理店へと向かった。
「さあ! 今日の報酬で美味しいものをお腹いっぱい食べましょう! アストリッドさん、何がいいですか?」
通された個室で運ばれてきたのは、ジューシーに焼き上げられた最高級の赤身肉のステーキと、濃厚なクリームソースがたっぷりかかった焼き野菜、そして焼き立ての香ばしいパンだった。
「く……くそ……! 私はお前の命を狙う刺客だぞ……ターゲットからの施しなど受けるものか……!」
そう言いながらも、我慢できずにステーキを一口頬張ったアストリッドの瞳が、カッと見開かれた。
「美味い……! 肉汁が……口の中で溢れる……! な、なんだこの柔らかさは!?」
「でしょう! ランベルの名物料理なんですよ! たくさん食べてくださいね! アストリッドさんはちょっと痩せすぎですから」
「うぐっ……モグモグ……よ、余計なお世話だ……モグ……」
夢中で肉とパンを平らげていくアストリッド。
カディルはその姿を、まるで生き甲斐を見つけたかのような満足気な笑みで見守っていた。
(……悔しいが、美味い。そして……悔しいが、心地よい……)
アストリッドの胸の中に、温かい温もりが広がっていく。
カディルが稼いだ金で食べるご飯は、どれも信じられないほど温かくて、美味しかった。




