第5話 階層の主と黒い扉
北浜D級ゲートが閉じたという知らせが、昼前の協会のモニターで流れていた。
『ゲートの主を討伐した探索者は、現在も確認されておらず――』
ざわつくロビーの隅で、俺はそっと身体を小さくした。夜明けの崖の下で拾った大魔石は収納の奥で、まだ青白く脈打っている。売れば、凛の薬代を何年分も賄える額になるだろう。けれど、そんなものを荷物持ちが持ち込めば出処を探られる。
「……売れるわけないよな」
それより、あの声が気になった。
俺の名前を知っていた。「最後尾」とまで、呼んだ。霧はそれきり何も言わずに、朝の光に溶けていった。
考えても答えは出ない。小さく首を振って、画面を開いた。
【本日の日課】
【第四迷宮の階層主を倒す】
【凛に会って、笑う】
【難易度:D】
「階層主……最深部まで行けってことか」
新人は誰も行けない場所だと、昨日思ったばかりなのに。
受付の前を通りかかると、職員に呼び止められた。
「灰原さん。昨日、第四迷宮の見張りから報告が来ていましたよ。荷物持ちが一人で地下3階まで降りたって」
「…素材が欲しくて…」
「無茶はしないでくださいね。荷物持ちが一人で迷宮に入るなんて、本当に危険なんですから」
職員は本気で心配そうな目をしていた。笑って誤魔化しながら、それが本当の心配だと分かるぶん、少し胸が痛んだ。
スマホが震えた。凛からだった。
『ニュース見た? ゲート閉じたって。お兄ちゃん今日は潜らないよね?』
少しだけ迷って返事を打った。
『荷物持ちは潜らないよ。家で休むつもり』
嘘をつくのは、慣れない。送信ボタンを押した指が、わずかに汗ばんでいた。
第四迷宮は昨日とはまるで別の場所に見えた。
地下1階のゴブリンは俺の姿を見ただけで棍棒を取り落とした。
逃げるのかと思ったが、追いかけるのも面倒で、放置した。2階のスライムは足の運びだけで核を踏み潰せた。
もう作業みたいなものだった。
3階、4階。昨日は夕方までかかった道のりを、昼までに駆け抜けていた。
5階の入口は他の階とは違って、巨大な石の扉で閉ざされていた。押し開けると、広い空洞が眼下に広がる。入口から、すり鉢状の広間へ向かってなだらかな斜面が降りていた。
底にゴブリンがざっと30匹。そして、奥の石を積んだ高台に、1匹だけ人間より大きい影が座っている。
「うわ〜……」
金属を継ぎ合わせた鎧に、旗竿ほどもある大剣を担いだ"ゴブリンキング"取り巻きの背中越しに、こちらをじっと眺めていた。
30匹を抜けて、あれの前に立てる新人なんていないだろう。
斜面の上から、広間の配置を目で追った。取り巻きは高台の前を囲むように、半円に固まっている。左の端が薄くみえた。
正面から行ったら囲まれる。左の壁沿いから斜面を駆け下りた。
最初の1匹が、棍棒を振りかぶる。
「遅い!」
足を払って倒れたところへ返す刃で突いた。壁沿いに走りながら、1匹、また1匹と数を減らしていく。
左右から迫ってくる。
挟まれる前に身体を沈めて、2匹の間をすり抜けた。背を向けた相手の首筋をすれ違いざまに斬る。
気づけば足が止まらなくなっていた。レベル17の身体は、昨日の俺よりずっと戦い方を覚えている。
【経験値 +96】
最後の取り巻きが崩れ落ちたとき、高台の上から重い足音が降りてきた。
「待たせたな」
ゴブリンキングが大剣を引き摺りながら立ち上がった。
1撃目は地面を割った。2撃目は髪を掠めた。
「おっも! 当たったら終わりだな」
大きな剣は遅いが重い。受ければ骨ごと持っていかれる。
3撃目の振り下ろしを、半歩だけ外へ逃げて、その剣の側面に手を押し当てた。
「収納!」
大剣が黒い波紋の中へ吸い込まれて消えた。
ゴブリンキングの手が空を切る。何が起きたのか分からない顔で自分の手のひらを見つめていた。
「悪いな、もう俺のもんだ!」
その隙に懐へ入った。鎧の継ぎ目に刃を深く沈める。
断末魔が洞窟の天井に反響した。巨体が膝を折って崩れ落ちる。
【日課達成:階層主の討伐】
【経験値 +750】
【レベルアップ:Lv.17 → Lv.19】
「…やった。倒せたぞ」
息を整えながら、収納の中身を確かめる。ゴブリンキングの大剣が増えていた。俺に振れる重さじゃないが、売れば、まとまった金になるはずだ。
ゴブリンキングの身体が霧状になって消えたあと、小さな黒い鍵が1つ落ちていた。
「……鍵?」
拾い上げた瞬間、画面が切り替わった。
【あなた専用の扉が開きました】
「専用の、扉……?」
夕方、病院へ向かった。
通話口の受話器を取ると、凛は先に口を開いた。
「先生に聞いたよ。新しい薬のこと」
「300万円、なんでしょ?」
「……凛、それは」
「お兄ちゃんが、なんとかするつもりなのは分かってる。でもさ」
ガラスに額を寄せて小さく言った。
「私のために、お兄ちゃんが傷だらけになるのは結構きついんだよ」
何も言い返せなかった。収納の中には、売れば300万を超える魔石が眠っている。けれど、それを凛には言えない。
「……ごめん」
「謝らせたいわけじゃないんだけど」
凛が困ったように笑った。
「大丈夫だ。ちゃんと、帰ってくるから」
笑ってみせた。ぎこちなかったけれど、凛はガラスの向こうで小さく頷いた。
【日課達成:凛に会って、笑う】
【経験値 +40】
昨日の朝、凛に言われた「ちゃんと生きて帰ってきてよね」を、思い出していた。
アパートへ戻って鍵を開けた。
「……ただいま」
部屋に上がったところで足が止まった。
部屋の一番奥の壁に、見覚えのない黒い扉が立っていた。
「……なんだよこれ」
収納にしまっていた鍵が、目の前に現れて、鍵穴に入っていく。




