第4話 森が降ってくる
【第一形態を撃破しました】
【経験値 +400】
【レベルアップ:Lv.11 → Lv.14】
「第一形態……?」
流れた文字を声に出して読んだ。
砕けていたはずの肋骨の痛みが薄れていく。
視界の隅の数字も赤から頼りない橙色に戻っていた。
【HP:58/132】
【日課の難易度が上がります:E → D】
「いや、今それどころじゃ……」
言いかけた俺の前で、倒れた巨体が黒い霧を噴き上げながら立ち上がった。
肩の筋肉が波打ち、さっきより一回りも二回りも大きくなっている。
赤かった目は濁った黒に変わっていた。
頭の中で、あの平坦な声が続いている。
『排除を継続』
画面の文字とは明らかに別の誰かの声だった。
「冗談だろ。まだあるのかよ」
ミノタウロスの変異体。そうとしか呼べない何かがゆっくりと首をこちらに向けた。
次の瞬間視界から消えた。
「速っ――!」
脇腹が焼けるように熱くなった。避けたつもりの爪の先が浅く肉を裂いていく。
さっきまでの動きが子供の遊びに思える。短剣を構え直す前に、2撃目が風を巻いて迫っていた。
「こんなの勝てるわけないだろ!」
俺は背を向けて走り出した。
変異体は立ちはだかる木々を薙ぎ倒しながら追ってくる。幹の裂ける音が背中のすぐ後ろで続いた。
「うわっ!」
足がもつれて思わずすぐそばの太い幹に手をついた。
「ミノタウロスも"収納"出来たら楽なのにな!」
その時、手をついた木が根元から消えた。
たたらを踏んで、振り返る。
手のひらの下にあったはずの樹皮が、跡形もなく消えている。
【収納中:大木×1】
【収納容量:残り91%】
「……は? 木が消えた?」
触れたものをしまえる。牙や粘液だけの話じゃなかった。大人が10人でも抱えきれない木が丸ごと収納された。
背後で咆哮が上がった。
これ…使えるんじゃないか?
走りながら、見かけた木に片っ端から手を伸ばした。1本、2本。幹が音もなく消えるたびに、森の中に不自然な空白ができていく。
「この森全部持ってってやる!」
7本目を収納したとき、ふと思い出した。
このゲートに入ったとき、森の奥に切り立った崖が見えていた。
崖へ続く細い斜面を迷わず駆け上がった。
崖の上は、地面から10メートルほどの高さがあった。
縁に立って見下ろすと、変異体が斜面の下で足を止めていた。跳べば届くと考えたのか、膝を沈めて、一気に飛び上がる。
黒い手が崖の縁の岩を掴んだ。
爪が石を削る音がする。
「来いよ。登れるもんなら、登ってみろ」
身を乗り出して、その真上に手のひらをかざした。
「取り出し!」
黒い波紋から大木が1本、まっすぐ落ちていった。鈍い、肉を叩く音がして、変異体の手が縁から外れる。巨体が崖の下へ落ちて地面を震わせた。
「まだだ!」
立ち上がろうとしたところへ、続けざまに2本目を落とす。
3本目、4本目。幹が肩を打ち、背中を砕き、角に当たってへし折れた。最後の1本を頭上から落とす。
地響きが収まる頃には、崖の下に倒れた木々の小さな山ができていた。
その下から、黒い霧が細く立ち昇って、やがて消えていく。
「……今度こそ倒したろ」
手のひらを下ろして深く息を吐いた。
【緊急クエスト達成】
【経験値 +1000】
【レベルアップ:Lv.14 → Lv.17】
やった、という言葉が声にならなかった。レベル17。D級なら、もう上のほうだ。
膝から力が抜けて、その場に座り込んだ。
木の山の隙間から、人の頭ほどもある魔石が青白い光を放っているのが見える。
ゲートの主が落とした大魔石だ。
這うように降りて収納に押し込んだ。
倒れた木々も、ついでに全部収納に戻しておく。
足元の岩が微かに揺れた。
ゲートが閉じ始めている。
空に、薄く光が滲んでいった。
その光の中に、黒い霧がひとかたまり浮かんでいる。
霧は形を持たないまま、俺の目の前まで漂ってきた。
『……ようやく、会えた』
さっきの感情のない声とはまるで違う。
どこか疲れた人間の声だった。
「誰だ」
『…君は"最後尾"の灰原悠だろ』
最後尾。3年間、胸の奥で、自分にだけ使ってきた言葉だ。




