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第7話 一度だけの嵐

待っていた雨が、家を叩きます。嵐は、一度だけです。

 獣のあと、十日と少し。空が、やっと低くなった。


 数え七つの細い秋は、雨なしでここまで来た。来た雨は、優しい水ではなかった。谷の上で雲が割れ、風が一本ではなくなった。向きが、分からなくなる。山火事の日の谷風は、道だった。今日の風は、道を忘れる。


「中だ」


 父が言った。槍ではない。戸だ。母が竿の布を抱き、井戸の蓋を足で押さえる。俺は柵の外へ出なかった。出ないことは、獣の日から変わらない。ただし、家の中も安全ではない。茅が鳴る。梁が鳴る。炉は消してある。熱を回す夜ではない。付けると、煙の行き場がない。


 窓の布が、裏表なく叩かれた。外の借りる相手は、大きい。大きすぎる。端に乗る、が、乗る端が多すぎる。一度に全部は持てない。持てないなら、家に来る一本だけを見る。屋根を剥がす向き。母の背を押す向き。それ以外は、捨てる。


 母が、戸の隙間から外を見た。見たまま、竿が飛んだ。布ではない。竿そのものだ。井戸のほうへ走る。走るな、とは、声が届かない。嵐が食べる。俺は戸の陰に屈んだ。屈んで、竿を追う風の端だけに乗った。押して止めない。止める力はない。横へ落とす。井戸の石から、家の壁側へ。竿が、壁に当たった。割れなかった。母がそれを拾って、戻ってきた。顔が濡れている。濡れているだけだ。血はない。


「風が、よれた」


 母は、俺を見て言わなかった。空を見て言った。空でいい。光は、空に渡せばいい。俺は口を開けなかった。開けた息は、外の嵐に溶ける。溶ける前に、屋根へ行く一本を見た。茅の端が、めくれかけている。めくれたら、冬の前に家が開く。開いた家は、守れない。


 俺は梁の下で、上へ逃げる熱のない夜に、外の流れの端を屋根の内側へ薄く返した。返す、に近い。自前ではない。ある嵐の一部を、茅の上で寝かせる。一度目は、めくれたまま。二度目、端が戻った。三度目、戻らない。四度目、戻った。再現は、まだ半分だ。半分を、屋根の一枚だけに使った。村全部は見ない。見ると、前に出る。一枚でいい。母の頭の上の一枚だ。


 父が裏へ回った。回って、薪棚を縄で巻く。穴の日の棚だ。棚は、今日は中の風ではない。外の殴りだ。父の背中に、枝が飛んだ。枝は、俺の届く場所ではない。届かない場所は、捨てる。捨てる練習も、守りだ。全部を守ろうとすると、名前が要る。名前は、まだ付けない。


 雨が、横から入った。床が黒い。母が鍋を伏せた。伏せた鍋の陰に、俺は座った。座ったまま、戸の隙間の流れだけを見る。隙間から入る雨を、全部は止めない。止められない。入る量を、母の足から、すでに黒い床へ落とす。落とす、だけだ。母は「置き方」とは言わなかった。言う暇がない。


 一番強い音のあと、谷が一本に戻った。道が、思い出した。雨は残る。殴りは、一度で終わった。一度でよかった。嵐を待つ仕事にはしない。待てば、俺は嵐の子どもになる。嵐の子どもは、目立つ。目立つと、守れない。


 明け方、男たちが屋根を見た。爺さんが、空を見た。


「一度、逸れたな。茅が残った家がある」


 うちだ、とは言わない。言われなくていい。逸れた、で止める。父は縄の手を見て、俺を見た。見たまま、顎で家の中を示した。中にいた、と確認する目だ。俺は頷いた。中にいた。陰にいた。竿は壁に当たった。屋根の一枚は、戻った。戻した、とは言わない。


「家、のこった」


 火の夜と、獣の夕方と同じ言葉だ。母は短い息を吐いた。吐いて、俺の濡れた髪を一度だけ押さえた。上手い、とは言わなかった。見方が上手い、とも言わなかった。押さえて、終わった。


 裏の小屋は、水を吸っていた。扉を閉めると、やはり無風だ。割れ目はない。嵐の端は、閉めた扉の向こうへは来ない。来ない場所は、今も無理だ。無理な夜に母が小屋へ入っていたら、俺は鍋の陰から動けなかった。動けないことを、忘れない。


 いい。急がなくていい。


 借りる相手が暴れる日は、一本だけ見る。全部は見ない。次の嵐は、待たない。待たずに、谷の一本が戻った朝を使う。母の茅も、父の棚も、一度逸れた空も、残ればいい。名前のないままでいい。嵐が逸れた、でいい。


 窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。殴りではない。道だ。俺は口を閉じた。閉じたまま、屋根の音を聞いた。音は、もう剥がれない。剥がれなければ、家が残る。


 それが、続きだった。

嵐は一度だけでした。竿は壁に当たり、茅は残りました。俺は戸の陰にいました

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