第26話 雨
乾いた風のあと、雨が来ます。嵐ではありません。落ちる水です。
乾いた布を取り込んでから、五日と少し。窓の外の音が、変わった。羽ではない。斧でもない。落ちる水だ。落ちる水は、谷の流れを太くする。太くなっても、殴る風はない。ない雨が、火の次の夏の入口を一度、閉じる。閉じる雨を、待っていた、とは言わない。待たない、は、嵐の夜に決めた。荷の日にも決めた。今日の雨は、待たずに来た。来た雨に、乗らない。乗る相手は、先にある流れだけだ。落ちるものに、端はない。端がない相手は、借りられない。
数え七つの夏が、足元から来た。来た夏は、火の次だ。次の夏に、山を黄にしない。しないために、昨日まで足さなかった。足さない日に、雨が来た。来た日も、足さない。足す必要がない。必要は、袋だ。袋は空だ。空なら、七つでも持てる。持てる重さだけ持つ。前に出て雨を呼ぶ、とは言わない。言うと、名前が付く。付く前に、戸の陰に立つ。立つ位置は、嵐の夜と同じ種類の陰だ。ただし、殴る風はない。あるのは、落ちる水だ。
「嵐じゃねえ。雨だ。子どもは、中だ。溝は、おれだ」
父は短く言った。中だ。高いところ、の仲間だ。水の筋の日に、高い石へ上がった。今日は、家の中だ。中でいい。中の袋を持つ。持つ役は、子どもでもできる。できる役を、雨に足さない。母が、竿の布を外へ出さない。出さない布が、乾いた朝と逆だ。逆でも、火に足さない、は同じだ。同じを、雨の朝にも守る。
隣の子が、敷居で手を出した。出した手に、水が当たる。当たる音も、空気だ。空気は、雨の中でも動く。動く音に、乗らない。乗る日ではない。母が袖を引いた。引いて、
「畝を見るな。踏むな。雨は、土が見る」
と言った。土が見る。種の日の、土が持った、に似ている。似ていても、今日は手が畝に入らない。入らない線は、芽の日からある。ある線を、雨のために動かさない。俺は短く言った。
「中」
中、で足りる。呼んだ、とは言わない。言わない子の横で、父が戸を開けた。開けた先に、溝がある。水の筋の日に切った溝だ。切った溝が、家を外している。外している水が、井戸のほうへ落ちる。落ちる向きは、手だ。手の仕事に、息を足さない。足すと、名前が付く。付く前に、陰へ下がる。
窓の布が、雨で重くなる。重くなっても、膨らまない。膨らまない日は、谷風が弱い。弱い日に、寄せる端はない。ない日は、無理に乗らない。乗らないことも、仕事だ。仕事を捨てる練習は、乾いた朝にした。今日もする。する相手が、落ちる水だ。水の中は、だめだ。だめは、水の筋の日から動いていない。動いていない線を、雨でも守る。
爺さんが、戸口に立っていた。空は見えない。低い。見る役の人が、今日は蓑を持っている。持っている人の後ろで、俺は袋を持ち直した。持ち直す手が、井戸の日と同じだ。同じでいい。前ではない。爺さんは、陰の話をしない。しないで、雨を顎で示した。
「雨は、空だ。風じゃない。足さんでよかった」
足さんでよかった。乾いた朝に頷かなかったことの、別の言い方だ。別なのに、前に出さない、は同じだ。同じを、俺は頷かなかった。頷くと、足さない側ではなく、知っている側になる。ならない。ならないことが、守りだ。爺さんは、頷かない俺を見て、短い息を吐いた。吐いて、
「溝は、手だ。子どもは、中だ。中で、鍋だ」
と言った。中だ。鍋だ。乾いた日の、家だ、と同じだ。同じを、雨の日にも置いてくれた。俺は短く言った。
「鍋」
鍋、で足りる。呼んだ、とは言わない。言わない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。
午後、雨が細くなった。細くなった畝を、母が戸の隙間から見た。見た緑は、白い土の下より太い。太い葉が、水を持っている。持っている理由は、雨だ。雨が持った、でいい。光は、空に渡す。渡す相手が、今日は爺さんの空そのものだ。そのものでいい。俺は隙間から畝を踏まない。踏まないことが、芽の日の残りだ。
父が戻って、靴の泥を払った。払って、
「溝は、持った。井戸は、増えた。山は、明日だ。今日は、滑る」
と言った。明日だ。乾いた日の、雨までだ、が、今日は明日になった。なった許可を、今日は使わない。使いきらない。使いきると、急いだ側になる。ならない。裏の小屋の扉は、開けない。開けても、足元が濡れている。濡れた小屋は、閉めたら止まる。止まる小屋に、雨は入らない。入らないことを、忘れない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、雨が増えても減る。減るものと、止まる息を、混ぜない。母が、閉めた扉の横で言った。
「中、また止まるね。雨でも、同じだ」
同じだ。乾いた風でも、雨でも、閉めた小屋は無風だ。無風の克服は、今日もしない。しない日が、続く。続くことを、忘れない。
夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、乾いた夜より太い。太い鍋の前で、母が碗を置いて、
「後ろにいるの、今日も上手いね。中にいた」
と言った。上手い、の中身は、溝へ出なかったことだ。雨が持った、は、空の仕事だ。俺は碗を持った。
「うん」
父が、窓の外を見て言った。
「雨は、火を消す。消す雨を、待たねえ。来た日は、溝だ。お前は、中だ」
待たねえ。嵐の夜と同じだ。同じを、雨にも置いてくれた。俺は短く言った。
「中」
中、で足りる。呼んだ、とは言わない。母が、碗を下げて聞いた。
「口、寄った?」
俺は袋のほうを見た。見たまま、
「端、ない」
と言った。端、ない、で足りる。乗らなかったことを、下手、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は端、ない、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。
夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の外は、水の音が残っている。残っている音の中で、山羊が一度鳴いた。鳴いて、止まった。止まった柵の外に、太い緑がある。ある緑を、明日も後ろで数える。数える夏は、火の夏よりまだ手前だ。手前で、足さなかった。足さなかったあとに、雨が来た。来た、が、今の事実だ。俺は端に座った。座ったまま、落ちる水を一度だけ思った。思って、入らない。入らないことが、雨の日の、いちばん大きな仕事だ。小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けない家に、水がある。塩がある。芽がある。あるものを、明日も後ろで数える。袋の紐を直して、寝た。
雨が来ました。嵐ではありません。溝が家を外し、畝は残りました。俺は中にいました。谷風には乗っていません。




