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第24話 煙の蜂

来ない荷のあと、軒に蜂が来ます。火ではありません。煙です。

 車輪のない轍から、四日と少し。軒の下で、音が変わった。斧ではない。鶏でもない。細い羽だ。細い羽が、家の入口を行き来する。行き来する先に、泥の巣がある。小さい。塩の袋より小さい。小さい巣を、母が敷居から見て、口を結んだ。結んだ口が、熱い日の隣に似ている。似ていても、熱はない。あるのは、刺す口だ。


 数え七つの春は、来ない荷を越えた春だ。越えた朝に、蜂が来た。来た蜂を、前に出て払わない。払う肩は、足りない。足りない場所は、捨てる。捨てたまま、戸の陰に立つ。立つ位置は、嵐の夜と同じ種類の陰だ。ただし、殴る風はない。あるのは、羽の音だ。音も空気だ。空気は、軒でも動く。


「子どもは、下がれ。煙を出す。巣は、おれだ」


 父は短く言った。下がれ。火の日と同じ種類だ。同じを、蜂でも繰り返す。繰り返す人が、短い枝に火を付ける。松明ではない。穴の日と同じ種類の枝だ。煙が、すぐに顔の前で揺れる。外なら、谷が持っていく。軒の下では、持っていく相手が少ない。少ない相手を、探す。探す役は、陰でもできる。


 母が、隣の子の袖を持った。持って、


「上を見るな。刺さる」


 と言った。上。屋根の日の上とは違う。違う上へ、俺も行かない。行かない位置は、戸の陰だ。袋だ。前ではない。隣の女も来た。来た手が、水の袋を持っている。持っている水を、巣にはかけない。かけると、蜂が家のほうへ落ちる。落ちる向きは、氷の日の滑りに似ている。似ている相手に、端はない。端がない相手は、借りられない。借りられない朝は、煙が仕事だ。


 父が枝を、軒の下へ近づけた。近づけた煙が、巣の前で止まる。止まって、散らない。散らない煙は、井戸の氷の上と同じだ。通り道が、弱い。弱い通り道は、壁沿いの漏れだ。炉の熱が、隙間を探している。探している漏れに、俺は乗った。煙を飛ばさない。飛ばす力はない。揺れる向きだけ、巣の入口のほうへずらす。一度目、ずれない。煙は足元へ落ちた。二度目、巣の縁が曇った。曇りは、熱ではない。煙だ。三度目、曇らない。四度目、縁が白くなった。再現は、まだ半分だ。半分で、蜂が巣から出た。出た羽が、家の戸ではなく、空のほうへ上がった。上がった理由を、煙にしておく。


 父は振り返らなかった。振り返らなくていい。光は、煙に渡す。渡す相手が、今日は空を見ない。見ない日は、枝が空だ。爺さんが、後ろから短く言った。


「今の、煙がよかった。穴の日と同じだ」


 穴の日と同じ。表向きは、穴の風だった。今日は、煙がよかった、でいい。俺は口を閉じた。閉じていることが、子どもが前に出ない、だ。出ない子の袋に、落ちた泥が入らない。入らない役は、できる。できる役だけする。


 子が、軒を見ようとした。見るな、とは言わない。言うと、前に出る。出ないで、見た。見た袖を、母が引いた。引かれた子が、巣へは近づかなかった。近づかなかった理由は、母の手だ。手でいい。俺は袋を持ち直した。持ち直して、巣を見ない。見ないことが、覗かない、の残りだ。父が、長い竿で巣を外した。外した泥を、水の袋へ落とした。落とした先で、羽の音が遠くなる。遠くなる音も、空気だ。空気は、煙のあとも届く。届く先へ、足は出ない。


「今の、父さんの煙だ。上手かったね」


 母は空を見ない。見ないで、子の頭を押さえる。父さんの煙、でいい。俺は戸の陰から出ない。出ないまま、敷居の白を払う。払う役は、子どもでもできる。


 午後、軒は静かだ。静かな軒の下で、父が言った。


「口は、いい。境は、いい。巣の中は、だめだ。蜂の奥も、穴だ」


 穴だ。中は無風ではない。中は、刺す口だ。刺す口へ一人は、守りではない。俺は頷いた。頷いても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。位置は、陰だ。陰の袋の紐を直す。


 隣の子が、外した泥を遠くから見た。見て、


「痛い?」


 と聞いた。父が、先に答えた。


「近づくと、痛い。陰にいろ」


 陰にいろ。俺の位置を、子にも置いてくれた。置いてくれる人が、家にも外にもいる。俺は短く言った。


「陰」


 陰、で足りる。煙をずらした、とは言わない。


 裏の小屋の扉は、開けない。開けても、閉めたら止まる。止まる小屋に、煙は持っていけない。持っていけば、芋が焦げる。焦げるものと、外した巣を、混ぜない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、蜂が来ても減らない。減らないものと、止まる息を、混ぜない。爺さんが、戸口で一度だけ止まった。空は高い。見るものがある日の、見る人だ。俺と目が合う。合わせない。合わせないまま、袋の紐を直す。爺さんは、陰の話をしない。しないで、


「煙は、火だ。風じゃない。それでいい」


 と言った。風じゃない。氷の日と同じだ。同じを、俺は頷かなかった。頷かない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、来ない荷の夜と同じ太さだ。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね。上を見なかった」


 と言った。上手い、の中身は、巣に近づかなかったことだ。煙がよかった、と言った爺さんの空に、光はある。俺は碗を持った。


「うん」


 母が、碗を下げて聞いた。


「中、見た?」


 俺は袋のほうを見た。見たまま、


「陰」


 と言った。陰、で足りる。ずらした、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は陰、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。父が、窓の外を見て言った。


「巣は、外した。羽は、残っとらん。お前は、戸だ」


 戸だ。下だ。石だ。同じ種類の言葉だ。同じを、碗の湯気の向こうで繰り返す。前ではない。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の外は、羽の音がない。ない音の中で、山羊が一度鳴いた。鳴いて、止まった。止まった家の軒は、空いている。空いているものを、数えられる春だ。俺は端に座った。座ったまま、曇った縁を一度だけ思った。思って、巣へは行かない。行かないことが、煙の蜂での、いちばん大きな仕事だ。小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けない家に、乾いた軒がある。ある、が、今の事実だ。俺は口を閉じた。閉じたまま、煙の匂いを残さない。残さないで、寝た。

軒の巣を、煙で外しました。俺は戸の陰にいました。巣の中は見ていません。火ではありません。

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