第23話 来ない荷
音のあと、夏の前です。男は、来るかどうか分からない、と言っていました。
口で斧を聞いてから、十日と少し。土の筋が、隣村のほうまで乾いた。乾いた轍の上に、車輪の音はない。ない日が、続いている。続いていることを、父が朝、窓で数えた。数えて、
「夏の前だ。男は、来んかもしれん」
と言った。来んかもしれん。冬の前にも言った。言ったあと、一度来た。一度来た男が、次は分からない、とも言った。分からない話は、塩のときと同じだ。同じでいい。来たら、また後ろに立つ。来なくても、鍋に白が残っている。残っている家で、俺は袋を持つ。持つ役は、子どもでもできる。できる役を、待たない。待たない、は、嵐の夜に決めた。今日決めるのは、荷を待たない、だ。
数え七つの春は、二度目の荷を見た春だ。見た荷のあと、蓋は持たなかった。持たない蓋を、男に聞きに行かない。聞きに行く足は、境の先だ。先は、だめだ。だめは、荷の夜に足された。足された線を、来ない朝でも守る。
母が、棚の塩を掌に乗せた。乗せて、まだ白い。白い粒は、底ではない。底ではない鍋を、急がない。急がない母が、俺の靴を見た。見た靴は、動かさない。動かさないことが、今日の許可だ。許可のない日は、口まで一人、ではない。ではない、ではない。口は、いい。いい日でも、境の先で男を探さない。探さない位置が、村の壁だ。
「口は、いい。境は、いい。先で待つのは、だめだ」
父は短く言った。先で待つ。境の石で釘を待った日とは違う。違う待ち方を、今日はしない。しないで、畝の端へ行く。行く先に、緑がある。緑は、芽の日より太い。太い芽の横で、袋を持ち直す。持ち直す手が、荷の日と同じだ。同じでいい。前ではない。車輪がなくても、後ろだ。
隣の子が、轍を指して聞いた。
「車、来ないの?」
母が、先に答えた。
「来ん日もある。来たら、後ろだよ」
後ろだよ。光は、母の口にある。俺は短く言った。
「袋」
袋、で足りる。町へ行く、とは言わない。蓋を聞きたい、とも言わない。言わない子の袖を、母が引いた。引いて、畝へ戻った。戻る道に、爺さんが立っていた。空は高い。見るものがある日の、見る人だ。俺と目が合う。合わせない。合わせないまま、袋の紐を直す。爺さんは、陰の話をしない。しないで、乾いた轍を顎で示した。
「来ん日は、空だ。来た日も、空だ。子どもは、どちらでも前に出るな」
どちらでも。来ても、来なくても、前ではない。前ではない位置を、空を見る人が、来ない朝にも置いてくれた。俺は頷かなかった。頷くと、待っていた側になる。ならない。ならないことが、守りだ。爺さんは、頷かない俺を見て、短い息を吐いた。吐いて、
「町の蓋も、来ん日は聞けん。聞けんでいい。辺境は、鍋だ」
と言った。鍋だ。蓋の朝と同じだ。同じを、来ない荷の日にも置いてくれた。俺は短く言った。
「鍋」
鍋、で足りる。空気が入らん、を、今日は繰り返さない。繰り返さない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。
午後、口まで歩いた。許可どおりだ。奥は見ない。見るのは、一本の道と、乾いた轍だ。轍の先に、男はいない。いない石の上で、葉を一枚、壁側へ寄せた。一度目、寄る。二度目、寄る。三度目、寄らない。四度目、寄る。再現は、まだ半分だ。半分のまま、戻る。戻ることが、来ない日の仕事だ。帰り、境のほうは見ない。見ない線は、境の日からある。ある線を、車輪のために動かさない。
隣の男が、井戸で水を飲んでいた。屋根の日に竿を突いた男だ。飲んで、轍を見た。見て、
「夏の前は、来ん年もある。来ん年は、自分の塩だ」
と言った。自分の塩。底の冬に分けた白だ。分けた白が、今日は棚にある。ある塩で、町へ行かない。行かないことを、男の口が先に置いてくれた。俺は袋を持ち直した。持ち直して、目を合わせない。
家に戻ると、父が棚の縄を直していた。俺は枝を見せない。見せる相手が、今日はいない。いない荷の横で、父が言った。
「来んなら、来んでいい。塩は、持つ。持つあいだ、外は早い」
早い。荷の夜も、山の日も、同じだ。同じを、来ない日にも置いてくれた。俺は頷いた。頷いても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。位置は、村だ。村の後ろだ。
裏の小屋の扉を開けた。谷の端が入る。芋が動く。閉めた。止まる。来ない荷を待っても、閉めた小屋は無風だ。無風の場所で、蓋は作れない。作れないものを、男が来なくても急がない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、車輪がなくても減る。減るものと、止まる息を、混ぜない。母が、閉めた扉を見て言った。
「中、また止まるね。男が来ても、止まるとこは同じだ」
同じだ。来ても、来なくても、小屋は閉めたら止まる。止まる壁が、村の壁だ。壁のこちらで、袋の紐を直す。
夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、音の夜と同じ太さだ。太い鍋の前で、母が碗を置いて、
「後ろにいるの、今日も上手いね。待たなかった」
と言った。上手い、の中身は、境の先で立たなかったことだ。来ん日もある、と言った母の口に、光はある。俺は碗を持った。
「うん」
父が、窓の外を見て言った。
「夏の前に、来んこともある。来たら、荷の後ろだ。来んなら、畝だ」
畝だ。来ない日の仕事が、緑だ。緑の横で、俺は碗を置いた。置く役は、子どもでもできる。できる役だけする。母が、碗を下げて聞いた。
「行きたくなかった? 男のところ」
俺は棚の塩を見た。見たまま、
「鍋」
と言った。鍋、で足りる。町、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は鍋、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。
夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。膨らんだ布の外に、乾いた轍がある。ある轍の上に、車輪はない。ない、が、今の事実だ。ない日を、嵐のように待たない。待たない家に、塩がある。芽がある。あるものを、明日も後ろで数える。俺は端に座った。座ったまま、荷の縄を一度だけ思った。思って、辿らない。辿らないことが、来ない荷での、残った仕事だ。袋の紐を直して、寝た。
夏の前に、男は来ませんでした。塩は持っています。俺は境の先で待っていません。小屋は、閉めたら今も無風です。




