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第22話 届く音

芽のあと、谷の口で音を数えます。音も、空気です。

 芽を数えてから、五日と少し。父が、朝、斧を見た。見た斧は、山の日に下ろしたままだ。下ろした斧を、今日も持つ。持つ日に、俺の靴も見た。見ることは、今日の許可だ。許可のある日でも、奥はだめだ。だめは、端の日から動いていない。


 数え七つの春は、音の届く春だ。届く、は、穴の日に母が言った。叫べ。叫ぶ声も、空気だ。空気は、境でも、端でも届いた。届いた向きで、人の位置が分かった。分かるだけで、近づかない。近づかない距離が、許可だ。今日は、口まで一人でいい。一人の口で、奥の音を聞く。聞く役は、吹く役より前に出ない。出ない位置で、袋を持つ。


「口までだ。端の木まで、おれは行く。音がしたら、叫ぶな。待ってろ」


 父は短く言った。待ってろ。口で待て。境で待て。端で待て。同じ種類の言葉だ。今日は、口で待つ。待つ子が、後ろだ。母は袖を持たなかった。持たずに、弁当の葉を一つ出した。出したまま、


「遅くなったら、叫べ。ただし、父さんのほうへは追うな」


 と言った。追うな。山の日と同じだ。同じを、口でも繰り返す。俺は葉を袋に入れた。入れて、靴の泥を一度払った。払う役は、子どもでもできる。できる役だけして、出た。


 一人で、谷の入り口まで下りた。土は、硬い。葉が、一本の道でしなっている。風は、ある。暴れていない。乗る端が、見える。見える日でも、奥の穴は見ない。見ないで、口の石に座る。座る位置が、境の石に似ている。似ていても、待つ相手は釘ではない。待つ相手は、斧の音だ。


 誰もいない。爺も、母もいない。光を渡す相手が、いない。いない朝は、吹いても名前が付かない。付かないうちに、葉を一枚、壁側へ寄せた。一度目、寄る。二度目、寄らない。三度目、寄る。四度目、寄る。再現は、まだ半分だ。半分のまま、寄せる手を止めた。止めたあとに、聞く。聞くことが、今日の仕事だ。


 奥から、斧の音がした。細い。山の日より遠い。遠い音も、空気だ。空気は、口の石まで届く。届く向きが、焼け跡の手前だ。手前は、端の木だ。端の木まで、父は行った。行った先の奥へは、音が続いていない。続いていないことを、石の上で確かめる。確かめるだけで、歩かない。歩かないことが、いちばん大きな仕事だ。


 隣村のほうからも、音がした。鶏ではない。車輪でもない。人が、何か叩いている。叩く音は、境より遠い。遠い音の中身は、分からない。分からない声に、乗らない。乗る相手は、先にある流れだけだ。流れの先が村の外でも、俺は石にいる。石の上で、二つの音を分けた。斧は、山だ。叩きは、隣だ。隣の先へは、境でも入っていない。入っていない線を、耳でも守る。


 爺さんが、後ろから来た。空を見ている人が、今日は口まで下りてきた。下りてきた人の横を、俺は見ない。見ないまま、袋の紐を直す。爺さんは、陰の話をしない。しないで、石のほうを顎で示した。


「今の、斧だな。端だ。奥じゃない。耳がいい」


 耳がいい。風がいい、と同じ種類だ。同じなら、受け取れる。受け取っても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。俺は短く言った。


「口」


 口、で足りる。分けた、とは言わない。言わない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。続けて、


「隣の叩きは、境の先だ。先は、聞くな。聞くと、行きたくなる」


 と言った。聞くな。見るな、と同じだ。同じを、耳にも置いてくれた。俺は頷かなかった。頷くと、聞いた側になる。ならない。ならないことが、守りだ。爺さんは、頷かない俺を見て、短い息を吐いた。吐いて、空を見た。見る役を、続けてくれた。


 父が、端から戻ってきた。戻る肩に、細い薪が三本ある。三本。獣ではない。ない日の火は、家の壁からだ。壁から取れた火より、今日は山だ。山の端まで行った人の音を、俺は石で待った。待った位置を、父は見ていた。見て、


「叫ばなかったな。音は、届いとる」


 と言った。届いとる。穴の日の、叫べ、が、今日は逆だ。逆でも、空気は同じだ。同じを、息にしない。俺は袋を持ち直した。持ち直して、薪を持たない。持たない手が、後ろだ。


 家に戻ると、母が薪を受け取った。受け取って、俺の靴を見た。見た靴が、黒い。黒い泥を、敷居で払う。払って、


「父さん、見えた?」


 と聞いた。俺は袋のほうを見た。見たまま、


「音」


 と言った。音、で足りる。端まで行った、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は音、で止めてくれた。


 午後、裏の小屋の扉を開けた。谷の端が入る。芋が動く。閉めた。止まる。止まる小屋では、斧も届かない。届かない場所の許可は、まだ出ていない。出ていないものを、耳が良くても開かない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、音が増えても減らない。減らないものと、止まる息を、混ぜない。


 母が、閉めた扉の横で聞いた。


「隣の音も、した?」


 俺は袋のほうを見た。見たまま、


「遠い」


 と言った。遠い、で足りる。辿った、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。父が扉を閉めて、


「口は、いい。聞くのは、口までだ。先の音は、おれだ」


 と言った。聞くのは、口まで。境の先の叩きは、爺さんが止めた。止めた線を、父も置いてくれた。置いてくれる人が、家にも外にもいる。俺は頷いた。頷いても、隣の叩きを辿らない。辿らない紐を直す。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、芽の夜と同じ太さだ。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね。待って、戻った」


 と言った。上手い、の中身は、追わなかったことだ。音が届いた、と言った父の斧に、光はある。俺は碗を持った。


「うん」


 父が、窓の外を見て言った。


「耳がいいのは、助かる。ただし、行くのは、足だ。足は、口までだ」


 足は、口まで。耳と足を、混ぜない。混ぜないことが、届く音での守りだ。俺は短く言った。


「口」


 口、で足りる。分けた二つの音を、碗の湯気の向こうで混ぜない。混ぜない夜に、小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。膨らんだ布の外に、口がある。口の先に、斧の跡がある。跡の先の穴は、聞いていない。聞いていない家に、薪がある。芽がある。あるものを、明日も後ろで数える。俺は端に座った。座ったまま、隣の叩きを一度だけ思った。思って、辿らない。辿らないことが、届く音での、残った仕事だ。袋の紐を直して、寝た。

谷の口で、斧の音を聞きました。端までで、奥ではありません。隣の叩きは、辿っていません。俺は石で待っていました。

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