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第21話 芽

山の端のあと、畝が緑になります。芽は、まだ薄いです。

 山の端から、七日と少し。畝の土が、割れた。割れた隙間から、緑が出ている。細い。塩の粒より細い。細い芽を、母が朝、数えた。数えて、短い息を吐いた。吐いて、


「出た。薄いけど、出た」


 と言った。出た。種の日の土の下にあったものが、上へ来た。上へ来たものを、山羊が食べる。食べる向きが、柵のほうから見える。見える朝は、手が仕事だ。


 数え七つの春は、種を残した春だ。残した畝が、今日は緑だ。緑でも、俺は撒かない。撒かない子が、今日も袋を持つ。袋は空だ。空なら、七つでも持てる。持てる重さだけ。前に出て芽を守る、とは言わない。言うと、名前が付く。付く前に、畝の端へ下がる。端は、種の日と同じだ。同じ位置でいい。


「縄を足す。子どもは、芽を踏むな」


 父は短く言った。縄。獣の日に直した柵だ。直した柵の内側に、山羊が短い声を出した。声も空気だ。空気は、芽の上でも動く。動く匂いが、緑のほうへ寄る。寄る向きを、中へは戻さない。戻すと、獣の日と逆になる。獣は減った。減った春に、匂いを畝へ返す必要はない。必要は、山羊が縄の外へ出ないことだ。出ない縄は、手だ。手の仕事に、息を足しすぎない。


 母が、隣の子の袖を持った。持って、


「畝に入るな。芽が折れる」


 と言った。折れる。薄い緑は、七つの足でも折れる。折れる場所へ、俺も入らない。入らない位置は、畝の端だ。端で、袋を持ち直す。持ち直す手が、種の日と同じだ。同じでいい。前ではない。


 山羊が、縄のゆるみから首を出した。出した口が、いちばん端の芽に届きそうになる。届きそうな匂いの横に、弱い漏れがある。家側から外へ。炉はない。春の谷風が、柵の板の間を抜けている。抜けている漏れは、穴の割れ目と同じ種類だ。俺は畝の陰から、その端だけに乗った。山羊を飛ばさない。飛ばす力はない。匂いの寄る向きだけ、芽から、すでに掘った溝の外へずらす。一度目、ずれない。二度目、山羊の鼻が横へ向いた。三度目、戻る。四度目、向いた。再現は、まだ半分だ。半分で、母が縄を巻いた。巻いた縄が、残った。残った理由は、母の手だ。手でいい。芽は、折れていない。


 父は振り返らなかった。振り返らなくていい。光は、縄に渡す。渡す相手が、今日は空を見ない。見ない日は、縄が空だ。隣の女が、短く言った。


「今の、縄が間に合った。芽が、残った」


 縄が間に合った、でいい。溝が間に合った、の仲間だ。俺は口を閉じた。閉じていることが、子どもが前に出ない、だ。子が、緑を指して聞いた。


「食べられる?」


 母が、先に答えた。


「まだ。土の下に、もう少しいる」


 まだ。蓋の、まだ早い、と同じ種類だ。同じを、芽にも置いてくれた。俺は茎を拾わない。拾うと、前に出る。出ないで、袋の紐を直す。


 午後、爺さんが畝の端に立った。空は高い。見るものがある日の、見る人だ。俺と目が合う。合わせない。合わせないまま、袋の紐を直す。爺さんは、陰の話をしない。しないで、緑を顎で示した。


「芽は、土だ。風じゃない。山羊は、縄だ。それでいい」


 風じゃない。布の日と同じだ。同じを、俺は頷かなかった。頷くと、ずらした側になる。ならない。ならないことが、守りだ。爺さんは、頷かない俺を見て、短い息を吐いた。吐いて、戻った。戻る背中が、乾いた土を踏む。踏んでも、芽は畝にある。あるうちは、急がない。


 隣の女が、縄の結びを確かめて言った。


「火のあとの畑は、薄い。薄い芽は、一回で終わる」


 終わる。種の日と同じ心配だ。同じを、緑の日にも置いてくれた。俺は余った茎を拾わない。拾うと、前に出る。出ないで、子が芽を指すのを見る。見るだけだ。子が、


「下、上手い?」


 と聞いた。俺は短く言った。


「端」


 端、で足りる。ずらした、とは言わない。言わない子の横で、母が笑った。笑った母が、子の足を畝の外へ戻す。戻す役は、大人だ。


 裏の小屋の扉は、開けない。開けても、閉めたら止まる。止まる小屋に、芽は置けない。置けないことを、蓋の失敗のあとでも忘れない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、緑が増えても減る。減るものと、止まる息を、混ぜない。父が井戸から戻って、


「口は、いい。境は、いい。山は、端だ。畝は、踏むな」


 と言った。いい、と、踏むな。許可と禁止が、同じ口から出た。出た言葉を、覚える。覚えることは、短い。畝の端で袋を持つ。持つことが、芽の日の仕事だ。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、山の夜と同じ太さだ。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね。踏まなかった」


 と言った。上手い、の中身は、畝に入らなかったことだ。縄が間に合った、と言った女の手に、光はある。俺は碗を持った。


「うん」


 母が、碗を下げて聞いた。


「芽、数えたい?」


 俺は袋のほうを見た。見たまま、


「端」


 と言った。端、で足りる。ずらした、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は端、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の外は、音が少ない。少ない音の中で、山羊が一度鳴いた。鳴いて、止まった。止まった柵の外に、緑がある。ある緑を、明日も端で数える。数える春は、種の日より太い。太くなった分だけ、急がなくていい。


 父が、縄を壁へ掛けて言った。


「芽は、土だ。お前は、踏むな。踏まない子が、残る」


 残る。火の年に残った家と同じ種類だ。同じを、緑の夜にも置いてくれた。俺は短く言った。


「端」


 端、で足りる。荷が来なくても、芽はある。ある緑を、町の蓋と混ぜない。混ぜない夜が、村だ。


 俺は端に座った。座ったまま、いちばん端の芽を一度だけ思った。思って、踏まない。踏まないことが、芽の日の、いちばん大きな仕事だ。小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けない家に、緑がある。ある、が、今の事実だ。俺は口を閉じた。閉じたまま、縄の匂いを残す。残して、寝た。





芽が出ました。山羊の鼻は、縄が間に合いました。俺は畝の端にいました。踏んでいません。

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