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第20話 山の端

蓋のあとに、父が山へ戻ります。俺は、端までです。奥ではありません。

 閉じた鍋が持たないと分かってから、七日と少し。父が、朝、斧を見た。見た斧は、雪の日から棚にいた。いた斧を下ろす日は、山の日だ。山の日に、俺の靴も見た。見ることは、今日の許可だ。許可のある日でも、奥はだめだ。だめは、穴の日から動いていない。動いていない線を、山でも守る。


 数え七つの春は、境まで一人で行けた春だ。行けた足でも、山の奥は穴に似ている。似ている場所へ一人は、守りではない。父が短い枝を渡した。槍ではない。道を払う枝だ。払う道は、焼け跡の手前だ。手前までなら、連れていく、と言った。連れていく、は、置いてけ、の反対に見える。見えるだけで、前ではない。前は、斧だ。斧は、父だ。俺は袋だ。袋でいい。


「端までだ。奥の穴は、だめだ。獣の道も、だめだ」


 父は短く言った。端。口。境。高いところ。同じ種類の言葉だ。奥は、穴だ。穴へは、土の日も入っていない。入っていない線は、山が開いても動かない。母は袖を持たなかった。持たずに、弁当の葉を二つ出した。二つ。父の分と、俺の分だ。出したまま、


「遅くなったら、叫べ。端の木までだよ。穴は、行くな」


 と言った。叫ぶ声も、空気だ。届くか、は風次第だ。今は届く距離だけ歩く。届かない奥へは行かない。俺は葉を袋に入れた。入れて、靴の泥を一度払った。払う役は、子どもでもできる。できる役だけして、出た。


 父の後ろを歩いた。後ろだ。前ではない。焼けた斜面は、靴の裏がまだ黒い。黒い草が、春の風に乗らない。乗らない草の上を、谷風が一本、高いところから降りる。降りる風は、ある。暴れていない。乗る端が、見える。見える日でも、奥の口は見ない。見ないで、端の木まで行く。端の木は、火の日に残った一本だ。残った木の下が、今日の石だ。石に、袋を置く。置く位置が、境の石に似ている。似ていても、待つ相手は隣村ではない。待つ相手は、父の斧だ。


「ここで待て。音がしたら、叫ぶな。下がれ」


 父は短く言った。ここで待て。口で待て、と同じだ。同じを、山の端でも繰り返す。繰り返す人が、奥へ入る。入る背中を、俺は追わない。追わないことが、いちばん大きな仕事だ。待っているあいだ、葉を一枚、壁側へ寄せた。一度目、寄る。二度目、寄る。三度目、寄らない。四度目、寄る。再現は、まだ半分だ。半分が、人の目の外でも半分だ。目の外でも、急に上手くはならない。ならなくていい。蓋が持たなくても、葉は寄る。寄るものと、持たない蓋を、混ぜない。


 奥から、斧の音がした。音も空気だ。空気は、端まで届く。届く音の向きで、父の位置が分かる。分かるだけで、近づかない。近づかない距離が、許可だ。許可の横で、焼け跡の匂いがする。匂いは、獣の日より薄い。薄い匂いを、横へは落とさない。落とす相手が、いない。いない朝は、待つのが仕事だ。


 死んだ枝が、一本、上から落ちた。落ちる向きが、待つ位置だ。落ちるものに、端はある。端は、斜面を降りる谷風だ。俺は木の陰から、その端だけに乗った。枝を飛ばさない。飛ばす力はない。落ちる向きだけ、袋のある場所から、すでに黒い草のほうへずらす。一度目、ずれない。二度目、枝が横へ落ちた。三度目、落ちない。四度目、落ちた。再現は、まだ半分だ。半分で、袋は潰れなかった。頭も、白くならなかった。父は、奥にいる。いる人は、見ない。見ない日は、木が外れた、でいい。光は、木に渡す。渡す相手が、今日は空を見ない。見ない空の下で、俺は口を閉じた。閉じていることが、子どもが前に出ない、だ。


 父が戻ってきた。戻る肩に、細い獣が一つある。一つ。冬の底より多い。多い、と父は言わない。言わないで、端の木を見た。見た木の下に、落ちた枝がある。ある枝を、父は拾わない。拾わないで、


「今の、木が外れた。端は、それでいい」


 と言った。木が外れた、でいい。溝が間に合った、の仲間だ。俺は袋を持ち直した。持ち直して、獣を見ない。見る役は、父だ。槍も、斧も、父だ。俺は枝だ。枝で、道を払って戻る。戻る前に、父が端の木の皮を一度叩いた。叩いて、


「穴の口は、まだ黒い。黒い中へ、子どもは出すな」


 と言った。出すな。水の日と同じだ。同じを、山でも繰り返す。繰り返す人が、前に立つ。立つ人の後ろで、俺は袋を持った。持ったまま、穴の口が焼け跡のほうに見えるのを、見ない。見ない線は、端まで来ても動かない。


 帰り、井戸のところで爺さんと逢った。逢いたくて逢ったのではない。空を見ている人の横を、袋を持って通った。通った足が、止まらなかった。止まらなくていい。爺さんが、短い声を出した。


「山は、端だな。奥は、大人だ。蓋も、町だ。子どもは、袋だ」


 袋だ。三段でも、四段でも、下だ。下を、空を見る人が、もう一度止めてくれた。俺は短く言った。


「端」


 端、で足りる。枝をずらした、とは言わない。言わない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。続ける人がいるうちは、俺は陰でいい。


 家に戻ると、母が獣を受け取った。受け取って、俺の靴を見た。見た靴が、黒い。黒い灰を、敷居で払う。払って、


「穴、見てない?」


 と聞いた。俺は袋のほうを見た。見たまま、


「端」


 と言った。端、で足りる。奥まで行った、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎないことが、許可を守る。後ろにいるのが上手い、と言った母が、今日は端、で止めてくれた。


 午後、裏の小屋の扉を開けた。谷の端が入る。芋が動く。閉めた。止まる。山の端まで行けても、閉めた小屋は無風だ。一人の許可は、通り道のある場所だけだ。通り道のない場所の許可は、まだ出ていない。出ていないものを、蓋の失敗のあとでも開かない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、獣が来ても減らない。減らないものと、止まる息を、混ぜない。父が扉を閉めて、


「口は、いい。境は、いい。山は、端だ。外は、まだ早い」


 と言った。早い。荷の夜も、蓋の朝も、同じだ。同じを、山の日にも置いてくれた。俺は頷いた。頷いても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。位置は、端だ。端の袋の紐を直す。直す手が、境の日と同じだ。同じでいい。前ではない。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、酸い朝より太い。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね。待って、戻った」


 と言った。上手い、の中身は、奥へ入らなかったことだ。木が外れた、と言った父の斧に、光はある。俺は碗を持った。


「うん」


 父が、窓の外を見て言った。


「獣は、減っとる。穴は、まだ暗い。お前は、端だ。端を、忘れるな」


 忘れるな。先だ、を忘れるな、と同じ種類だ。同じ種類を、碗の湯気の向こうで繰り返す。口。境。端。袋。前ではない。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。横の鍋に、細い獣が沈む。沈んだ鍋は、閉じた余りより持つ。持つ相手を、間違えない。窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。膨らんだ布の外に、焼けた山がある。ある山の端まで、今日は行った。行った先の奥は、見ていない。見ていない家に、斧がある。塩がある。種がある。あるものを、明日も後ろで数える。


 俺は端に座った。座ったまま、落ちた枝を一度だけ思った。思って、持たない。持つ役は、父だ。父の横で、小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けないことが、山の端での、残った仕事だ。蓋は持たなかった。町はまだ早い。早い春に、穴へ入る子は残らない。残らない歩きを、しない。しない家で、袋の紐を直す。直して、寝た。

山の端まで行きました。奥の穴は見ていません。落ちた枝は、木が外れました。俺は端で待っていました。外は、まだ早いです。

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