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第17話 種の日

境のあとに、畑が開きます。種は、風に乗りやすいです。

 境の石から、七日と少し。土が、乾いた。乾いた土に、母が種を出した。小さい。塩の粒より小さい。小さいものが、谷風に乗る。乗る先が、畑の外だと、鍋が薄くなる。薄くなる春は、底の冬に似ている。似せる前に、分ける。分ける役は、大人だ。俺は袋を持つ。空の袋だ。空なら、七つでも持てる。持てる重さだけ。前に出て撒かない。撒く肩は、足りない。足りない場所は、捨てる。


 数え七つの春は、境まで一人で行けた春だ。行けた足でも、畑では後ろだ。後ろでいい。父は山へ行かない、と言った。種の日は、家の仕事だ。家の仕事の陰に、立つ。立つ位置は、戸の陰ではない。畝の端だ。端は、部屋の端と同じ種類だ。光が来ない場所だ。来ない場所で、袋を持ち直す。


「布を立てる。種は、おれと母さんだ」


 父は短く言った。布。嵐の夜の茅ではない。風を止める布だ。止める、は、俺の仕事に似ている。似ていても、布は手だ。手の仕事の日は、息を足しすぎない。足すと、名前が付く。付く前に、陰へ下がる。


 隣の女も来た。熱い日の女だ。額は、もう熱くない。熱くない手が、種袋を持っている。持っている横に、小さい子がいる。子は、屋根の日に下にいた子だ。下にいた子の袖を、母が今日も引く。引く母の後ろで、俺は畝を見る。畝の上を、谷風が一本、撫でる。撫でた先に、乾いた土が跳ねる。跳ねた土の上に、種を置けば、外へ行く。行く向きが、見える。見える日は、借りられる。借りられる相手を、飛ばさない。飛ばす力はない。種の落ちる向きだけ、畝の内側へ薄く戻す。


 父が布を竿に結んだ。結んだ布が、一度、裏返る。裏返った布の下で、母が種を摘む。摘む手が、塩の日より慎重だ。慎重な手の横で、俺は漏れの端に乗った。布の裏を、谷の一本が叩いている。叩く力を、止める力はない。叩く向きだけ、布が開いたままにならない側へずらす。一度目、ずれない。二度目、布が腹を見せた。三度目、裏返る。四度目、腹のまま残った。再現は、まだ半分だ。半分で、種が畝の外へ飛ばなかった。母の手が、土をかぶせた。かぶせた土が、残った。残った理由は、母の手だ。手でいい。


 父は振り返らなかった。振り返らなくていい。光は、布に渡す。渡す相手が、今日は空を見ない。見ない日は、布が空だ。隣の女が、短く言った。


「今の、布が持ったな。竿の位置がいい」


 竿の位置。屋根の日の、袋の位置、に似ている。似ていても、息の話にはならない。ならない位置で、俺は袋を開いた。開いた袋に、余った種は入らない。入るのは、石と、折れた茎だ。茎を拾う役は、子どもでもできる。できる役だけする。


 子が、畝の間を走った。走るな、とは言わない。言うと、前に出る。出ないで、見た。見た足が、かぶせたての土を蹴る。蹴る向きに、種が一つ、外へ出た。出た種に、端がある。端は、地面沿いの弱い漏れだ。俺は畝の陰から、その端だけに乗った。種を飛ばさない。飛ばす力はない。転がる向きだけ、畝の溝へ戻す。一度目、戻る。二度目、戻らない。半分だ。半分で、母が種を拾った。拾った母が、


「今の、土が持った」


 と言った。土が持った、でいい。雪がよかった、の仲間だ。俺は口を閉じた。閉じていることが、子どもが前に出ない、だ。子が、俺の袋を見て聞いた。


「下、上手い?」


 下。屋根の日の言葉だ。上手い、の中身を、子は知らない。知らない子に、息は渡さない。俺は短く言った。


「袋」


 袋、で足りる。戻した、とは言わない。言わない子の袖を、母が引いた。引いて、種袋を隣の女へ返した。返す役は、大人だ。


 午後、爺さんが畝の端に立った。空は高い。見るものがある日の、見る人だ。俺と目が合う。合わせない。合わせないまま、袋の紐を直す。爺さんは、陰の話をしない。しないで、布を顎で示した。


「布は、手だ。風じゃない。それでいい」


 風じゃない。氷の日と同じ種類だ。同じを、俺は頷かなかった。頷くと、ずらした側になる。ならない。ならないことが、守りだ。爺さんは、頷かない俺を見て、短い息を吐いた。吐いて、戻った。戻る背中が、乾いた土を踏む。踏んでも、種は畝にある。あるうちは、急がない。


 隣の女が、種袋を閉じて言った。


「火のあとの畑は、薄い。薄いから、飛ばしたら終わりだ」


 終わりだ。塩の底に似ている。似ている畑を、布が持った。持った光は、竿にある。俺は余った茎を袋から出して、畝の外へ置く。置く役は、子どもでもできる。できる役の途中で、子が茎を一本拾った。拾った茎を、俺は受け取らない。受け取ると、前に出る。出ないで、子の手が母の籠へ行くのを見る。見るだけだ。


 裏の小屋の扉は、開けない。開けても、閉めたら止まる。止まる小屋に、種は置けない。置けないことを、蓋の話のあとでも忘れない。塩の袋は、棚の上で白い。白い塩は、種が増えても減る。減るものと、止まる息を、混ぜない。父が井戸から戻って、


「口は、いい。境は、いい。畑は、後ろだ」


 と言った。いい、と、後ろ。許可と位置が、同じ口から出た。出た言葉を、覚える。覚えることは、短い。畑で前に出ない。出ないことが、種の日の仕事だ。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、境の夜と同じ太さだ。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね」


 と言った。上手い、の中身は、撒かなかったことだ。布が持った、と言った女の竿に、光はある。俺は碗を持った。


「うん」


 母が、碗を下げて聞いた。


「種、飛ばなかったね。布のおかげ?」


 俺は布のほうを見た。見たまま、


「布」


 と言った。布、で足りる。土が持った、を、自分の口にしない。しない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は布、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。窓の外は、音が少ない。少ない音の中で、隣の子が一度だけ咳をした。咳は、熱い日より細い。細い声の家に、種袋が戻っている。戻っているものを、数えられる春だ。


 父が、布を畳んで言った。


「種は、土だ。布は、手だ。お前は、畝の端だ」


 端だ。部屋の端と同じだ。同じ位置を、畑でも守る。俺は短く言った。


「端」


 端、で足りる。飛ばさなかった、とは言わない。言わない夜に、小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けない小屋に、種は置けない。置けない壁が、村の壁だ。壁のこちらで、かぶせた土がある。


 俺は端に座った。座ったまま、畝の種を一度だけ思った。思って、増やさない。増やす力はない。ない力で、境の先へも行かない。行かない靴の横で、袋の紐が乾いている。乾いた紐を巻いて、寝る。寝る家に、かぶせた土がある。ある土の下に、種がある。ある、が、今の事実だ。俺は口を閉じた。閉じたまま、布の影を見ない。見ないで、寝た。

種をまきました。布が持って、土が持ちました。俺は畝の端で袋を持っていました。撒いていません。

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