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第15話 二度目の荷

土の道の先に、また車輪が来ます。俺は、荷の後ろです。

 口まで一人で戻ってから、三日と少し。土の筋が、隣村のほうまで伸びた。伸びた先で、音がした。山羊ではない。人が前に立つ。車輪が、濡れた土を噛む。噛む音が、口の石まで届く。届く距離に、俺はいた。許可どおり、口まで来ていた。奥へは行っていない。行っていない位置で、荷と逢った。逢った相手は、冬の前の男だ。男は、小さい荷車を引いている。引いている車輪が、泥で重い。重い車が、石のところで一度傾いた。


 数え七つの春は、塩の底を越えた春だ。越えた鍋に、白は薄い。薄い白の上に、男が袋を一つ下ろした。白い。村の井戸より白い。冬の前より、少しだけ多い。多い、と男は言わない。言わないで、


「塩だ。少ない。どこも少ない。それでも、道が出た」


 と言った。道が出た。父が言っていた、分からないほうの話が、分かった日だ。分かった日も、俺は荷の後ろだ。前ではない。男の顔を見る位置ではない。袋を持てる重さだけ持つ。値を切る役は、父だ。空を見る役は、爺さんだ。見る役は、大人だ。俺は、車輪の横だ。


 谷風が、一本、泥の道を撫でた。荷車が、また傾いた。塩の袋が、山側へ寄る。寄ったままだと、次の轍で落ちる。落ちたら、白いものが泥に溶ける。溶けると、薄い鍋が、底のまま春を迎える。底の春は、底の冬より長い。長くなっても、家の残る長さは変わらない。変わらない話を、陰で止める。


 俺は荷の陰で、通っている流れの端に乗った。押して車を起こさない。起こす力はない。袋の寄る向きだけ、道の内側へ薄く戻す。一度目、戻らない。二度目、袋が中央へ寄った。三度目、寄らない。四度目、寄った。再現は、まだ半分だ。半分で、袋は落ちなかった。男が、泥の中で踏ん張った。踏ん張ったあと、空を見ない。見ないで、自分の足を見た。


「今の、足が残った。泥が助けた」


 泥が助けた、でいい。冬の前は、道が助けた、と言った男だ。言う相手が、今日は足だ。足でいい。光は、男の足に渡す。俺は袋を持ち直した。持ったまま、男の目を見ない。見ると、名前が付く。付くと、口までの許可が、口以上になる。以上は、まだ守りではない。塩が来ても、奥の穴には入らない。入らない線は、荷が二度来ても動かない。


 村まで、荷は無事だった。母が塩を一つ摘んで、舌に乗せた。乗せたまま、短く頷いた。足りない。足りないが、ある。ある春と、ない春は違う。井戸で男が水を飲んだ。飲んで、焼けた山を見た。見た山は、雪の下より黒い。黒い山を、男は冬の話のように扱わない。扱わないで、荷の下から壺を一つ出した。出した壺は、蓋がきつい。きつい蓋の中を、俺は知らない。知らない蓋を、男が叩いて見せた。


「向こうの町じゃ、こうして持つ。空気が入らんほうが、持つらしい。わしは中身だけ売る。作り方は、知らん」


 空気が入らん。閉めた小屋だ。閉めた小屋は、無風だ。無風の場所で、俺は今も何もできない。できない蓋を、男が商売にしている。している町が、村の外だ。外は、壁だ。壁の向こうに、蓋の作り方がある。あることを、今日は耳が知った。耳が知っているだけで、手はまだ村にある。手は、それでいい。蓋を開けて中を吹く力は、ない。ない力で、名前を付けない。付けないまま、袋を持つ。


 爺さんが、空を見たまま言った。


「火の話は、もう古い。茅も残った。子どもは、前に出とらん」


 出とらん。陰の話を、空のせいにする役だ。役を、二度目の荷でも続けてくれた。俺は水を汲む役に回った。汲んで、渡す。渡す手が、子どもの手だ。裏返した、とは言わない。蓋を知った、とも言わない。言わない手が、一番いい。男は俺を一度見た。見たまま、荷の縄を直した。直す手が、器用だ。器用な人の後ろは、いつか付く場所かもしれない。今は付かない。今は袋だ。今は村だ。


 父が、値を切って袋を二つにした。二つ。冬の前は一つだった。一つ増えた白を、小屋の棚へ上げる前に、父が聞いた。


「向こうは、まだ荒れてるか」


「荒れてる。領主が、持つ食を欲しがる。持つ食を作れる手は、少ない。少ない手は、高く付く」


 領主。持つ食。高い手。村にない言葉だ。ない言葉が、土の道の先から来た。来た言葉を、俺は碗のように持つ。持つだけで、飲まない。飲まないことが、今の許可だ。父は短く頷いた。頷いて、


「うちは、鍋だ。外は、まだ早い」


 と言った。早い。雪の口の、春、と同じ種類だ。同じ種類を、荷の男の前で言ってくれた。言ってくれる人が、家にも外にもいる。俺は頷いた。頷いても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。外は、まだ壁だ。壁のこちらで、袋を持つ。持つ春でいい。


 夕方、男は隣村へ戻ると言った。次は、夏の前に来られるか、分からない、とも言った。分からない話は、塩のときと同じだ。同じでいい。来たら、また後ろに立つ。来なくても、鍋に白が残る。残る白の横で、壺の蓋を一度だけ思った。思って、開けない。開けない小屋と、開けない蓋は、似ている。似ていても、今は作れない。作れないものを、急がない。


 男が車輪を回すとき、隣の子が荷の横へ走った。走るな、とは言わない。言うと、前に出る。出ないで、見た。見た子の袖を、母が引いた。引かれた子が、壺を指した。指した壺を、男は見せない。見せないで、短い手を振った。振って、泥の道へ消える。消える背中に、俺は付かない。付く位置は、村だ。村の後ろだ。後ろで、袋を持ち直した。持ち直す手が、冬の前と同じだ。


「付いてくか」


 男は、振り返らずに言った。父が、先に答えた。


「まだ早い。子どもは、口までだ」


 口まで。外は、だめだ。だめを、荷の男の耳にも置いてくれた。置いてくれる人が、家にも外にもいる。俺は短く言った。


「袋」


 袋、で足りる。町へ行く、とは言わない。蓋を作りたい、とも言わない。言わない子の横で、車輪の音が遠くなる。遠くなる音も、空気だ。空気は、泥の道でも届く。届く先に、町がある。ある先へ、今日は歩かない。


 父が、塩の袋を小屋の棚へ上げた。上げるとき、扉は開いている。谷の端が入る。閉めると、無風だ。塩は、閉めたあともそこにある。風がなくても、塩は減らない。減らないものは、俺の仕事ではない。仕事は、落ちそうな袋だけだ。蓋の中の、入らない空気は、まだ仕事ではない。ない仕事を、名前にしない。母が、閉めた扉を見て言った。


「中、また止まるね。塩は、止まっても減らん」


 減らん。男の、空気が入らんほうが持つ、に似ている。似ていても、小屋の止まりは、持つための止まりではない。何もできない止まりだ。できない止まりを、今日も残す。残す壁が、村の壁だ。


「口まで、一人で来い。奥はだめだ。外も、だめだ」


 父が、明日の許可を足した。足した言葉が、村の壁だ。壁は、奥と同じ種類だ。見えない場所へ一人は、守りではない。俺は頷いた。荷の後ろに立てても、町へは付いていかない。付いていかない線は、壺が来ても動かない。


 家で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、上手いね。二度目も」


 と言った。風が上手い、ではない。後ろにいるのが上手い。二度目も。それなら、受け取れる。受け取っても、吹いたことにはならない。俺は碗を持った。


「うん」


 母が、碗を下げて聞いた。


「男が、壺、見せてた。なんか言われた?」


 俺は蓋のほうを見ない。見ないまま、


「空気」


 と言った。空気、で足りる。入らんほうが持つ、を、そのまま言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎない母が、今日は空気、で止めてくれた。止めてくれる人が、家にも外にもいる。爺さんの空が、男の耳の先で、子どもは前に出とらん、と言ってくれた。言ってくれるうちは、壺の話は町の話だ。町の話は、壁の向こうだ。向こうを、今は見ない。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。横の鍋に、新しい白が残っている。残っている春は、底の冬より長い。長くなった分だけ、急がなくていい。窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。荷車の轍は、泥に深い。深い轍の先に、隣村がある。隣村の先に、町がある。町の先に、領主がいる。いることを、今日は耳が知っている。耳が知っているだけで、足はまだ村にある。足は、それでいい。


 父が、窓の外を見て言った。


「付いてく、は、まだ先だ。先だ、を、忘れるな」


 忘れるな。雪の口の、春、と同じ種類だ。同じ種類を、二度目の荷の夜にも置いてくれた。俺は頷いた。頷いても、壺の蓋は作らない。作らない手が、袋の紐を直す。直す春でいい。


 俺は端に座った。座ったまま、壺の蓋を一度だけ思った。思って、作らない。作る場所は、閉めた小屋だ。閉めた小屋は、無風だ。無風では、今も何もできない。できない壁が、村の壁だ。壁のこちらで、袋の紐を直す。直す手が、冬の前と同じだ。同じでいい。前ではない。奥ではない。外ではない。俺は口を閉じた。閉じたまま、荷の縄を思った。思って、寝た。

塩の男が、二度目に来ました。荷は落ちませんでした。壺の蓋の話を聞いて、外はまだ早い、と父が言いました。俺は、荷の後ろにいました。

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