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第14話 土の道

氷のあと、白が減ります。谷の口へ続く道が、土を見せます。

 井戸の氷が割れてから、十日と少し。窓の外の音が、変わった。雪が食っていた音が、戻る。戻る音は、水だ。屋根の端から、細い筋が落ちる。落ちる先の道が、黒い。黒い道を、母が敷居から見て、短い息を吐いた。吐いて、


「土だ」


 と言った。土。雪の口の、反対側の言葉だ。反対側が来ても、奥の穴は穴だ。穴へ一人は、道があっても禁止だ。禁止は、白が減っても動かない。


 数え七つの冬は、塩の底と、屋根の白と、井戸の氷を越えた。越えた靴を、父が朝、見た。見た。雪の日から、見ていなかった靴だ。見ることは、今日の許可だ。許可のある日は、口まで一人、が戻る。戻る許可を、破らない。破ると、家が残らない。残らない歩きは、守りではない。俺は頷いた。爺さんに頷かなかったことと、矛盾しない。位置の話には頷く。名前の話には頷かない。今日は位置だ。


「口までなら、一人でいい。奥はだめだ」


 父は、嵐の翌々日と同じ言葉を出した。同じでいい。同じを、忘れる冬だった。忘れないために、繰り返す。俺は短い枝を受け取った。槍ではない。道を払う枝だ。払う道は、泥だ。泥の上に、古い轍はない。なくてもいい。轍が付く前に、口まで歩く。歩く先に男がいなくても、石はある。石は、話さない。


 母は袖を持たなかった。持たずに、弁当の葉を一つ出した。出したまま、


「遅くなったら、叫べ。白い日より、道は見えん」


 と言った。見えない、は、雪の口と同じ種類だ。同じ種類の道を、今日は土が助けてくれる。助けてくれる土に、光を渡していい。渡す相手が、道だ。俺は葉を袋に入れた。入れて、靴の泥を一度払った。払う役は、子どもでもできる。できる役だけして、出た。


 一人で、谷の入り口まで下りた。背負われる背中はない。土は、雪のあとの柔らかさだ。葉が、一本の道でしなっている。昔、父の背中から見た木だ。今は、自分の目の高さだ。風は、ある。暴れていない。乗る端が、見える。雪の日は、端がなかった。なかった日を越えて、端がある。ある日だけ、借りる。借りない日を、無理に作らない。


 誰もいない。爺も、父も、母もいない。光を渡す相手が、いない。いない朝は、吹いても名前が付かない。付かないうちに、葉を一枚、壁側へ寄せた。一度目、寄る。二度目、寄る。三度目、寄らない。四度目、寄る。再現は、まだ半分だ。半分が、人の目の外でも半分だ。目の外でも、急に上手くはならない。ならなくていい。雪の下で上手くなったわけではない。上手くならないまま、戻れることが、今日の仕事だ。


 口の石に座った。座って、奥を見た。奥は暗い。穴の口が、焼け跡のほうに見える。焼け跡は、雪の下より黒い。黒い奥に、一人では入らない。中は無風だ。割れ目の運は、毎日はない。毎日ないものに、冬を越えても入らない。入らない、と雪の口で決めた。決めた線は、土でも動かない。俺は袋に、濡れた枝を二本入れた。薪ではない。道の印だ。戻るとき、迷わないための。迷わない道が、春の口だ。春の口は、人を食わない。食わない代わりに、奥を見せる。見せる奥を、見ない。見ないことが、いちばん大きな仕事だ。


 帰り際、隣村のほうを見た。轍はない。ない代わりに、土の筋がある。筋の先に、男の車輪が噛んだ道があるはずだ。はずだ、で歩かない。歩く許可は、口までだ。口までの先に、村の外がある。外は、まだ壁だ。壁の向こうに、塩の男がいるか分からない。分からない話は、冬の前と同じだ。同じでいい。来たら、また後ろに立つ。来なくても、鍋に薄く白が残っている。残っている家へ、戻る。


 家に戻ると、父が棚の縄を直していた。俺は枝を見せた。見せて、短く言った。


「口」


「奥は」


「みてない」


「それでいい」


 それでいい、が、許可の全部だ。上手い、ではない。見方が上手い、でもない。口まで、で止めてくれた。俺は頷いた。頷いても、今日は光が来ない。一人で葉を寄せたことは、石だけが知っている。石は、話さない。話さない石の上に、冬の白はない。ないことが、今日の事実だ。


 母が水を汲んで、俺の靴を見た。見た靴が、黒い。黒い泥を、敷居で払う。払って、


「白い、じゃなくなったね」


 と言った。白い、は、雪の夜に俺が言った言葉だ。言った言葉の反対を、母が先に言った。先に言われて、俺は碗のほうを見た。見たまま、


「土」


 と言った。土、で足りる。奥まで行った、とは言わない。言わない子の袖を、母は引きすぎない。引きすぎないことが、許可を守る。


 午後、裏の小屋へ行った。扉の前の雪は、筋になっている。筋の下から、土が見える。父が開けた。開けると、谷の端が入る。芋が動く。動く。雪の日は、開けても動かなかった。動かなかった小屋が、今日は漏れる。漏れる日は、借りられる。借りられるのに、閉めた。閉めた。止まる。口まで一人で行けても、閉めた小屋は無風だ。一人の許可は、通り道のある場所だけだ。通り道のない場所の許可は、まだ出ていない。出ていないものを、冬を越えても開かない。塩の袋は、棚の上で薄い。薄い白は、風がなくても減る。減るものと、止まる息を、混ぜない。


 母が、開いた扉の横で芋を一つ掴んだ。掴んで、


「中、動くね。閉めたら、冬のまま?」


 と聞いた。冬のまま。雪の日の小屋だ。俺は短く言った。


「とまる」


 とまる、で足りる。無風、とは言わない。言わない子の横で、母は芋を籠へ移した。移す役は、大人だ。俺は籠の紐を持った。持ったまま、閉まる音を聞いた。聞いた音のあと、中は動かない。動かない場所を、今日も開けない。父が扉を閉めて、


「男は、道が出たら来る。来たら、荷の後ろだ」


 と言った。荷の後ろ。爺さんの空。口まで。同じ種類の言葉だ。前ではない。俺は頷いた。頷いても、吹いたことにはならない。なるのは、位置だけだ。


 爺さんが、井戸のところで逢った。逢いたくて逢ったのではない。空を見ている人の横を、袋を持って通った。通った足が、止まらなかった。止まらなくていい。爺さんが、短い声を出した。


「口は、開いたな。雪の口は、終わった」


 終わった。終わっても、陰の話はしない。しない人が、空を見ている。見ている空は、白い冬より高い。高い空に、俺は付かない。付くのは、土の道だ。俺は短く言った。


「春」


 春、は、雪の夜に一度言った。言った言葉が、今日は道になった。道になった日も、頷かない。頷かない子を、爺さんは見ないふりをした。見ないふりが、空のせいにする役だ。役を、続けてくれた。続ける人がいるうちは、俺は陰でいい。


 夕方、鍋に塩が溶ける。溶ける音は、底の夜より太い。太い鍋の前で、母が碗を置いて、


「後ろにいるの、今日も上手いね。行って、戻った」


 と言った。上手い、の中身は、奥を見なかったことだ。戻ったことだ。俺は碗を持った。


「うん」


 父が、窓の外を見て言った。


「隣村は、今当分、来る。来ん日も、ある。どっちでも、口は奥じゃねえ」


 どっちでも。男が来ても、来なくても、奥ではない。奥ではない位置を、冬が教えてくれた。教えてくれた冬を、急いで捨てない。捨てないで、泥の靴を端に置く。置く役は、子どもでもできる。


 夜、炉は小さい。上へ逃げる熱は、壁沿いに少し戻る。戻した、とは言わない。鍋の位置が横だ。横の部屋の端は、雪の夜よりマシだ。マシな理由を、置き方にしておく。窓の布が、弱い谷風で一度膨らんだ。膨らんだ布の外に、土の道がある。ある道の先に、口がある。口の先に、穴がある。穴へは、今日も行っていない。行っていない家に、水がある。塩がある。山羊が、柵の中で短い声を出した。声も空気だ。空気は、雪の下よりよく動く。動く日が、戻った。戻った、が、今の事実だ。


 父が、泥の靴を見て言った。


「冬は、越した。越したあとも、奥はだめだ。早い春に、穴へ入る子は残らん」


 残らん。雪の口が人を食う、の、土の日の言い方だ。俺は短く言った。


「口」


 口、で足りる。奥は、見ていない。見ていない冬を、今日で数える。数えた冬の横に、薄い塩がある。ある塩の先に、男が来るか分からない。分からない話を、靴の泥で止めない。止める役は、空を見る人だ。俺は端に乗るだけだ。


 俺は端に座った。座ったまま、口の石を一度だけ思った。思って、奥は思わない。思わない穴は、土の日でも禁止だ。禁止の横で、小屋の無風を一度だけ思った。思って、開けない。開けないことが、春の口での、残った仕事だ。袋の紐が、泥で重い。重い紐を直して、寝る。寝る家に、白い盛り上がりはない。ない冬を越えた。越えた、だけで、急がなくていい。俺は口を閉じた。閉じたまま、靴の泥を落とした。落として、寝た。

道が土を見せました。谷の口まで一人で行きました。奥の穴は見ていません。小屋は、閉めたら今も無風です。

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