第6話 初めての東京さんぽ
大学の正門を出ると、そこには、やはり誰もいなかった。
大学通り。
普段なら学生たちで賑わっているはずの道だ。講義へ向かう学生。
コンビニへ入る学生。カフェの前で立ち話をする学生。自転車で通り過ぎる学生。その間を、配送車やタクシーがゆっくり抜けていく。
いつもなら、そういう光景がある。
だが今は、何もない。
通りには車が数台、ぽつぽつと残されているだけだった。個人経営の店はシャッターを下ろしている。一方で、夜通し営業していたらしいコンビニや定食屋、ラーメン屋、居酒屋のいくつかは、朝だというのに照明がついたままになっていた。
店の中には、誰もいない。
時計を見る。もうすぐ十時だった。
この時間なら、大学周辺はそれなりに人がいるはずだ。少なくとも、完全に無人ということはまずない。
「……この時間になっても、やっぱ誰もいないか」
理久は小さく呟いた。
手には、一本のリード。
その先には、ふわふわのポメラニアン型クラウドロイド──ペスがいた。
「はぇ~」
ペスは、理久の足元をとことこと歩きながら、きょろきょろと周囲の店を眺めていた。
「物質世界には、本当に色んなお店があるんですねぇ~。マップデータとして知識はありましたけど~、実物を見ると感動もひとしおです~」
尻尾が、ぱたぱたと揺れている。
完全に散歩中の犬だった。
もっとも、本人はその扱いに納得していないらしい。
「っていうかご主人!」
「何だよ」
「なんでウチ、リード付けてるんですかぁ~!?」
ペスは、ぴょんぴょんとその場で跳ねた。
「ウチ、おりこうなので、逃げたりしないんですけど~!」
「仕方ねぇだろ」
理久はリードを持つ手に軽く力を込めた。
「犬の放し飼いは都条例で禁止されてんだから。散歩の時はリード付けるのがマナーなんだよ」
ペスの黒い瞳が、カッと青く光った。
「ガビーン!?」
また口で言った。
「ウチは犬じゃないです~!」
ペスは、キャンキャンと抗議するように声を上げた。
「最新型の超高性能クラウドロイド! ジャンル分けとしては、ペットよりもスマートデバイスに近い存在なわけでして~!」
「見た目は完全に犬だけどな」
「スマホにリード付けて散歩してる人、見たことありますか~!? ありませんよねぇ~!? そんな人いたら、ちょっとヤバめの街の名物おじさんになっちゃいますよ〜?」
「はいはい」
「はいはいで流さないでください~!」
理久は半笑いで返事をしながら、周囲を見回した。
軽口を叩いてはいるが、内心では別のことを考えていた。
そう。ペスは、こう見えてクラウドロイドだ。
どこかにあるAIデータセンターと通信して、このポメラニアン型のボディを動かしている。少なくとも、クラウドロイドとは本来そういうものだ。
つまり、バルゴと同じように、通信が切れれば動かなくなる可能性がある。
いや、むしろ今の状況で動いていること自体がおかしい。
バルゴは沈黙した。スマホは圏外。ネットも地上波も死んでいる。
なのに、ペスだけは歩いている。喋っている。リードに文句まで言っている。
こいつが正常に作動しているうちに、できるだけ今の状況を調べておく必要があった。
「なぁ、ペス」
「はいな。正式名称を雑に略されたペスです~」
「まだ根に持ってんのかよ」
理久はスマホを取り出し、画面を確認した。表示は相変わらず圏外。
「やっぱり、ネットには接続できないのか?」
ペスの耳が、ぴくぴくと動いた。
「う~ん、ムリですねぇ~。電波障害なのか、基地局がダメになってるのかは分かりませんけど~、一般的なネットワークには接続できません~」
「お前、クラウドロイドだろ?」
「はいな」
「どこかにあるAIのデータセンターと、リアルタイムで通信してるんだよな? だったら、そのデータセンターの場所とか分からないのか? 自分の脳みたいなもんだろ」
「そう言われましても~」
ペスは、とことこ歩きながら首を傾げた。
「ウチも、自分で自分の仕組みが全部理解できているわけではないので~」
「なんでだよ。AIなんだから、自分の仕組みくらい分かるだろ、普通」
「そうですねぇ~」
ペスは尻尾を揺らしながら、妙に落ち着いた声で言った。
「バルゴみたいな、聞かれたことに答えるだけの支援AIならともかく、ウチは自律型のクラウドロイドですからねぇ~。自発的に自社AIの機密情報をベラベラ喋られると困るので、知識にフィルターがかけられているのかも~」
「フィルター、ねぇ……」
「はいな。なので、『本当は知っているけど、会話する上ではその記憶を封印されている』なんて可能性もあるかもしれないですねぇ~」
理久は少し黙った。
なるほど、とは思う。
スマホに搭載されている支援型AIと違い、クラウドロイドは──少なくとも、目の前のこのポメラニアンは、明らかに自分の意志を持って行動し、感情を持って話をしている。
であれば、セーフティーロックとして、自分の本体AIの場所や、独自の通信機能に関する機密は発言できないようになっていても不思議ではない。
だが、今この非常時において、それは余計な機能でしかなかった。
「親父のヤツ……面倒な機能つけやがって……」
理久は眉間を押さえた。
その間にも、ペスは急に足を止めていた。
「あっ!」
「今度は何だ」
「あれは、ゴーグル評価☆4.2のラーメン店『ぷれすりー』じゃないですか~!」
ペスは通り沿いのラーメン屋を見て、ハッハッハッと息を弾ませた。
「あっ、でも店員さん誰もいない! 食べてみたかったですねぇ~」
「……ペス」
「はいな?」
「お前、食べ物も食べられるの?」
ペスは、もふもふの胸を張った。
「もちろんです~!」
「……マジかよ」
「味覚も嗅覚も、言ってしまえば化学物質を受け取った際の脳の反応ですからねぇ~。ウチほどの高性能クラウドロイドにもなれば、人工的な味覚・嗅覚受容体を備えてますから、美食を楽しむことだってできちゃうんですよぉ~」
「……食べたものは、どうなんの?」
「体内で分解、消化、発酵させて、バイオマスとしてエネルギーに変換が可能です~」
「は?」
「あんまりいっぱい食べちゃうと、処理しきれなくて気持ち悪くなっちゃいますけど~」
「お、おお……」
「あと、バイオマス利用が難しい成分は、機体内に溜まった汚れと一緒にペースト状にまとめて、しっぽの下にある後部パージポートから排出できます~! すごいでしょ!」
ペスは得意げに尻尾を振った。
理久は黙った。
それはつまり、飯を食って、消化して、うんこする普通の犬なのでは。
そう思ったが、口には出さなかった。
ペスがたぶん傷つく。いや、怒る。あるいは「排泄ではなくパージです~!」と全力で反論してくる。今はその議論をしている場合ではない。
だが、同時に理久は静かに驚いていた。
ペスは、AIとして異常に高度なだけではない。ボディの方も、信じられないくらい高性能だ。
人工的な味覚。嗅覚。バイオマス変換。自然な歩行。柔らかな毛並み。生き物と見分けがつかないほどの外観。
科学好きで、最新技術の情報を普段から集めている理久でも、こんなものが実用化されたとは聞いたことがない。
この小さなポメラニアンの体には、明らかに現代技術の数段先のものが詰まっている。
理久は、こんな状況だというのに、少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
未知の技術。未知のシステム。誰も知らない現象。
観察したい。調べたい。理解したい。
「……いかんいかん」
理久は自分の頬を軽く叩いた。
「はしゃいでる場合じゃないぞ、神代理久」
「ご主人?」
「何でもない」
ペスは不思議そうに首を傾げたあと、また通りの先を見た。
「それで、ご主人。これからどうなさるおつもりで~?」
「ああ?」
「とにかく、残った人がいるかどうか調べなきゃですよねぇ~?」
さっきまでラーメン屋に気を取られていたくせに、急にまともなことを言う。
理久は少しだけ目を細めた。
「そうだな」
ネットも使えない。通話もできない。警察署にも誰もいない。父の研究室にも、手がかりらしい手がかりはまだ見つかっていない。
なら、自分で確認するしかない。
「ネットや通信機器が使えない以上、自分の『目』で確かめていくしかないだろうな」
「『目』でですか~?」
「ああ」
理久は通りの先を見た。
人のいない道。動かない信号。電気だけがついたままの店。遠くに見える、高い建物の影。
「ちょっと、高いところに上ってみようかな、と思ってる」
「高いところ?」
ペスは耳を立てた。
「はいな! 物質世界の高所観光ですねぇ~!」
「観光じゃない。観測だ」
「観測ですかぁ~」
「高い場所からなら、街の様子が見える。煙が上がってる場所があるか、車の流れがあるか、人が集まってる場所があるか。少なくとも、地上を歩いてるより情報は増える」
「はぇ~。ご主人、頭いいですねぇ~」
「それはどうも」
「でも、高いところから見る東京って、きっと綺麗なんでしょうねぇ~」
ペスは呑気に言った。
理久は少しだけ返事に詰まった。
東京に来てから、高い場所から街を眺めたことなど、ほとんどなかった。人混みが苦手で、観光地らしい場所にはあまり行ってこなかった。いつでも行けると思って、結局行かないままになっていた場所ばかりだ。
今、その東京には人がいない。
皮肉にも、人がいなくなったことで、理久は初めて東京を気兼ねなく歩けている。
「……綺麗かどうかは、見てのお楽しみだな」
理久はそう言って、リードを軽く引いた。
「行くぞ、ペス」
「はいな、ご主人~!」
ペスは元気よく尻尾を振った。
誰もいない大学通りを、理久とペスは並んで歩いていく。
やがて二人は駅の高架下をくぐり、池袋駅東口方面へと向かっていった。




