第4話 謎のポメラニアン
「あ、おはようございます~」
ポメラニアンは、呑気な声で言った。
少年のようでもあり、少女のようでもある。高く、柔らかく、妙に人懐っこい声だった。
「お兄さんがウチの『ご主人様』ですか~?」
ふわふわの尻尾が、ぱたぱたと揺れている。
理久は固まっていた。
目の前には、ポメラニアンがいる。どう見てもポメラニアンだ。丸い目。小さな耳。ふわふわの毛並み。やたらと愛嬌のある顔。
だが、そいつは今、明らかに人間の言葉を喋った。
「……」
理久は、数秒ほど沈黙した。それから、ゆっくりと息を吸う。
間違いない。
このポメラニアン。
「……"クラウドロイド"、か?」
理久の口から、自然とその単語がこぼれた。
クラウドロイド。
それは、AIによって動くロボットボディの総称だ。ただし、AIそのものが本体に搭載されているわけではない。遠方にあるAIデータセンターと常時通信し、その膨大な演算能力を使って、言語機能、運動機能、判断機能を制御する。
理久の愛読している科学雑誌にも、何度か特集が組まれていた。
ただし、記事ではこう書かれていたはずだ。
人間レベルの会話能力。自然な運動機能。状況に応じた判断能力。それらを同時に成立させるには、複数のAIシステムがそれぞれの役割を担い、高速で連携する必要がある。
実用化には、まだ時間がかかるだろう、と。
それなのに。
「はぇ~」
チェンバーから這い出てきたポメラニアンは、きょろきょろと周囲を見回していた。
「汚い研究室ですねぇ~」
(起きて第一声にそれ言う?)
理久は心の中で思わずツッコんだ。
クラウドロイドだ。たぶん、これはクラウドロイドだ。
だが、理久がこれまで科学館や技術展示会や動画で見てきたどんなロボットとも違う。動きが滑らかすぎる。声が自然すぎる。毛並みも、本物にしか見えない。
普通、ロボットの犬というのは、どれだけ精巧に作ってもどこか機械らしさが残る。関節の硬さ。表情の不自然さ。動きの遅延。人工皮膚の違和感。
だが、目の前のポメラニアンにはそれがない。
眠たげに目を瞬かせ、ふわふわの体をぶるぶると震わせ、足元の感覚を確かめるように小さく前足を動かしている。
どう見ても、生きた犬だった。ただ、人間の言葉を喋ることを除けば。
「あっ」
ポメラニアンが、ぴんと耳を立てた。
「まずは自己紹介からですよねぇ~」
そう言うと、ポメラニアンは器用に前足を揃え、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして〜! ウチは、“Personal Evolutionary Tutoring System”テストタイプ001号です~」
「あ、ああ……」
理久は反射的に頭を下げてしまった。
「俺は神代理久。よ、よろしく」
挨拶を返してから、理久は自分で自分に引いた。
何を普通にポメラニアンと挨拶しているのか。相手は犬だ。いや、犬ではない。しかし見た目は犬だ。だが喋る。結局、分類が分からない。
「えーと……」
理久は頭を掻いた。
「お前ってさ、クラウドロイド……で合ってる?」
その瞬間、ポメラニアンの耳がぴーんと立った。尻尾が高速で左右に揺れる。
「はいな! よくぞ聞いてくれましたねぇ~!」
嬉しそうな声を上げるポメラニアン。
「ウチはその名の通り、個人進化型学習支援システム! ご主人自身の成長を促すために作り出された、世界初の犬型クラウドロイドなんですよぉ~!」
ポメラニアンは、もふもふの胸を得意げに張った。
世界初の犬型クラウドロイド。
理久は思わず、父の机の方を見た。
親父のヤツ。AI系の研究だとは聞いていた。だが、まさかこんなものを作っていたとは思わなかった。
というか、これはAI系の研究という一言で片づけていいのか。どう見ても、現代技術の数段先にいる。
理久はポケットからスマホを取り出した。画面を見る。
圏外。ネットワークは死んだままだ。サポートAIであるバルゴも当然沈黙している。地上波もネットも、さっきまで何一つ繋がらなかった。
理久はポメラニアンへ視線を戻す。
クラウドロイドなら、どこか別の場所にあるAIが、このボディを動かしているはずだ。では、この状況で通信手段はどうなっている?
携帯回線も、Wi-Fiも、外部ネットワークも死んでいる。
なのに、こいつは動いている。喋っている。尻尾まで振っている。
おかしい。普通に考えれば、おかしい。
だが──
理久はスマホをしまった。
この際、そんなことは後回しだ。
バルゴもネットも使えない。警察署にも誰もいない。父もいない。そんな中で、仕組みは分からないが会話可能なAIらしき存在が目の前にいる。
これは、この状況を打破する鍵になるかもしれない。
「な、なあ。お前さ……」
理久が声をかける。
しかし、ポメラニアンは聞いていなかった。
そわそわと周囲を見回している。
右を見る。左を見る。研究室の扉を見る。尻尾をぱたぱた動かしながら、明らかに何かを探していた。
「……何してんの?」
理久は素直に疑問を口にした。
ポメラニアンは、ハッハッハッと舌を出しながら言った。
「何って……クルーの方々はどこにいるのかな~、って思いまして~」
「クルー?」
「はいな」
「何の?」
「またまた~」
ポメラニアンは、理久を見る目を少し細めた。
「とぼけちゃってぇ~。マスコミのクルーに決まってるじゃないですか~」
「……ん?」
理久のこめかみに、嫌な汗が浮いた。
ポメラニアンは、目をつむり、どこか感慨深そうに語り始めた。
「データの海の中に、ウチの自我が生まれたとき……ウチ、分かったんです」
「……何が?」
「ああ、ウチはこの『ポメラニアン』っていう、メチャ可愛いボディを与えられて、この『物質世界』に生まれ行く運命なんだなぁ~って!」
(物質世界って言い方、なんか怖いな)
「それからウチは、生まれたての自我でインターネットに接続し、色々な情報を取得していきました」
「生まれたての自我でネットに繋がるなよ」
「あ、でも安心してください~。“Personal Evolutionary Tutoring System”は、コンセプトとして『使用者とともに成長していくサポートAI』なので~、ネット上からウチが取得できる情報にもかなり制限がかけられてるんですけどぉ~」
理久は思わず眉をひそめた。
しかし、ポメラニアンは気にせず喋り続ける。
「そこで気づいちゃったんですよねぇ~」
「何に?」
「ホラ、ウチって世界で初めて実用化されたクラウドロイドっぽいじゃないですか~? それに加えて、このめちゃカワもふもふボディ!」
ポメラニアンはその場でくるりと一回転した。毛がふわっと揺れる。
確かに、見た目だけなら文句なしに可愛い。
「これはマスコミもほっとかないでしょ〜! って思ってぇ~」
「……」
理久は黙った。
通常時であれば。本当に通常時であれば。
世界初の犬型クラウドロイド。しかも、これほど精巧で、自然に喋り、自然に動く。
そんなものの起動実験なら、確かに大きなニュースになったかもしれない。
科学雑誌だけではない。テレビもネットニュースも動画配信者も、こぞって取り上げただろう。
だが、今は違う。
今は、非常時だ。いや、異常事態の真っただ中だ。
人間がいない。街から人間が消えている。警察署にすら誰もいない。
マスコミどころか、観客すらいない。
いるのは、げっそりした高校生が一人だけだ。
「ウチの物質世界デビューを華々しく報道してくださるマスコミ各社のみなさま~!」
ポメラニアンは、ぴょこぴょこと跳ねるように周囲を見回した。
「どこですかぁ~? あっ、ひょっとして、有名Ourtuberの皆様もいらしてたりして~? メカキンさんとか、ひょっとしてMr.アニマルさんとか~!? ポメラニアンだけに〜!」
ポメラニアンは、ハッハッハッと息を弾ませていた。心なしか目まで輝いている。
理久は、その様子を見ながら、内心で思った。
コイツ、めちゃくちゃ俗っぽいな。
というか、思考パターンが人間に近すぎる。本当にAIか、これ。
いや、AIだからこそ、ネット上の人間臭い情報を変な比率で学習してしまったのかもしれない。それはそれで嫌な説得力がある。
「あー……」
理久は少し言いづらそうに口を開いた。
「盛り上がってるとこ、悪いんだけど」
「はいな?」
「誰も来てないぞ。マスコミとか、そういうの」
ポメラニアンの動きが、ぴたりと止まった。
「えっ?」
首だけが、くるりと理久の方を向く。
「……またまた~」
ポメラニアンは、すぐに尻尾を振り直した。
「こんな可愛いウチの初起動っていう一大イベントを、世間がほっとくわけないじゃないですかぁ~!」
「いや、だから」
「あ、ひょっとして、その扉の向こうにカメラクルーが待ち構えてる的な? 寝起きドッキリならぬ、生誕ドッキリ、みたいな? いやぁ~、ウチ、上手くリアクションできますかねぇ~?」
聞く耳持たず、1人、いや1匹で勝手に盛り上がりポメラニアン。
理久は額に手を当てた。
状況が状況でなければ、もう少し優しく付き合ってやってもよかった。だが、今は本当にそれどころではない。
「いや、マジで誰もいねぇの。本当に」
理久の声が、少しだけ低くなった。
ポメラニアンは再び、ぴたりと止まった。
「──えっ?」
さっきよりも、少しだけ声が小さかった。
「マジですか? 誰も?」
「ああ」
「誰1人として?」
「いない」
「マスコミさんたちも?」
「いない」
「カメラクルーも?」
「いない」
「有名Ourtuberさんも?」
「いない」
「サプライズ要員も?」
「いない」
「ウチのめちゃカワ初起動を見届けてくれる方は?」
「……俺だけだな」
ポメラニアンは、じっと理久を見つめた。
理久も、じっとポメラニアンを見つめ返した。
数秒の沈黙。
ポメラニアンの黒い瞳が、カッと見開かれ、同時に青く光った。
「ガビーーーーーン!!!」
研究室中に、ポメラニアンの悲鳴(?)が響き渡った。
理久の身体がビクッと震える。
ポメラニアンはショックに打ちひしがられた様子で、そのまま耳をぺたんと伏せた。尻尾がしおしおと下がる。そして、研究室の床にべちゃりと突っ伏した。
理久はその様子を若干引いた目で見る。
目の前のポメラニアンは、あまりにも騒がしい。あまりにも俗っぽい。あまりにも呑気だ。
けれど。
誰もいない街を歩いてきた理久にとって、その騒がしさは、少しだけ救いでもあった。
少なくとも、目の前には会話できる相手がいる。
人間ではない。普通の犬でもない。正体不明のクラウドロイドらしき何かだ。
それでも、声が返ってくる。
それだけで、さっきまでの研究室より、ほんの少しだけ世界が軽くなった気がした。
もっとも。
「なんなんだ、コイツ……」
理久は、床に突っ伏してしおしおに落ち込む謎のポメラニアンを見下ろしながら、心の底からそう思った。




