06 空き教室での密会
ルクレツィアは空き教室の扉を閉め、静かに振り返った。
そこは備品棚や机の詰まった、薄暗く狭い部屋だった。授業の準備室だろう。
ルクレツィアは部屋の中央に立つ男を見上げる。
彼は何の感情も映さない灰色の瞳でこちらを見下ろしている。微動だにせずに。
「どうしてあなたがここにいるのよ……」
まず一番の疑問を投げかける。
ヴァレリオは相変わらず無表情のまま、ごく当然のように答えた。
「本日から『教官見習い』として採用されている。学園にいるのも当然だろう」
「教官見習い……?」
聞いていない。
一切合切聞いていない。
「いったいどんな手を使ったの……?」
「普通に正規採用されただけだ」
――怪しい。
そもそもルクレツィアが学園に通おうと決めたのは二週間前。王都に到着したのは昨日。いつ採用試験を受けたのか。
だが、彼が正式採用されていると言ったら、正式に採用されているのだろう。
おそらくルクレツィアの知らないルートがあるのだ。もしかしたら裏ルートかもしれない。
「ねえ、どうして『見習い』なの? あなたなら正規教官にだってなれそうなのに」
「正規教官は責任が増える。就業時間も長い」
事もなげに不真面目なことを言う。
「……もしかして、わたくしを監視するためだけに就職したの……?」
「学園内とはいえ、君を一人にするわけにはいかない。生徒として潜入する手もあったが――」
「年齢詐称もほどがある!」
思わず叫ぶ。
雰囲気が大人すぎる。こんな完成された学生はいない。
疑問はまだある。
「どうして眼鏡をしているの? あなた、目が悪かったの?」
「変装だ。度は入っていない」
「変装になってない……」
眼鏡が一つ増えただけで、彼の雰囲気は何も変わらない。
「ちなみに名前はどう変えたの?」
「姓だけ。リヴァータ。ヴァレリオ・リヴァータだ」
「ふぅん……よくある家名ね」
アルディーニ家が工作員に与える家名の一つだ。使い勝手のいい偽名。
つまり、完全にアルディーニ家の潜入監視員モードである。
ルクレツィアは頭を抱えた。
「もしかしてあなた、お父様やお兄様に言われて、わたくしの自由恋愛の邪魔をする気じゃないわよね。わたくしの護衛騎士なのに?」
「君が問題を起こさなければ、私は離れた場所から監視するだけだ。君の邪魔はしない」
「……その言い方だと、問題を起こす前提みたいじゃない。真面目に仕事しなさいよ。教官見習いなのでしょう?」
「学園内の秩序の維持も仕事の内だ」
言いながら、ルクレツィアを見る。
その視線がとても物言いたげで、ルクレツィアは頬を膨らませた。
「人をトラブルメーカーみたいに……」
「自覚があるのなら何よりだ」
「……わたくし、まだ問題を起こしていないわよ?」
廊下で王族とぶつかってしまったけれど。
ちゃんと名乗って謝った。
向こうもすぐに許してくれた。
逃げられてしまったけれど。
「ああ、君自身はまだ何もしていない。他生徒との軽い接触程度、問題にもならない」
いったいいつから、どこから見ていたのか。
まさか最初からか。
ルクレツィアはため息をついた。
「どうして名乗ったら避けられたのかしら……教室でも、皆よそよそしいのよね。やっぱり入学時期がずれているから?」
それ以外考えられない。
そもそもルクレツィアは王都に来るのが初めて。領地からほとんど出たことがなく、学園内にも顔見知りがまったくいない。
――目の前のヴァレリオ以外。
その上、入学時期が遅れたことで、すでに交友関係が出来上がってしまっている。ここから挽回するのは大変だ。
「気にしなくていい。君は何も悪くない」
「ヴァレリオ……」
めずらしく優しい言葉に、ルクレツィアは少し慰められた。
「ただ、人間とはたいていは命が惜しいものだ」
「どういう意味?」
「誓約法があれども、学園内では安全ではない――生徒たちもそれがわかっているのだろう」
ルクレツィアは首を傾げる。
「でも、アルディーニ家はただの田舎貴族でしょう?」
カッシニア島を領地にする地方貴族。
前の記憶では『血のアルディーニ』なんて呼ばれていたけれど、あんな未来にするつもりはない。
いまのアルディーニは、王都の人々が怯えるような存在ではないはずだ。
「…………」
ヴァレリオはわずかに目を細め、視線を落とした。
ルクレツィアはにっこりと笑う。
「すぐに皆さんわかってくれるわ。わたくしは、普通の、何の変哲もない女の子だって」
ルクレツィア自身は無害な少女で、誰かを傷つけるつもりなんてない。
怯えられる理由などひとつもない。
だから、自分の頑張り次第で友達百人もできるはずだ。
(そう、わたくしが頑張るのよ)
少し避けられているからって凹んでいられない。
そう思うと元気が湧いてきた。
「――ヴァレリオ」
名前を呼んで見上げると、目が合う。
「来てくれてありがとう。ちょっとだけ、ほっとしたわ」
素直に感謝を伝える。
過保護だと思うけれど、彼のおかげでいつもの調子を取り戻せたのも事実だ。
「わたくし、頑張るから。あなたは見守っていてね。生徒同士のトラブルに手を出さないでね」
「……了解した。教官見習いの範囲として、見守ろう」
ヴァレリオは小さく頷き、わずかに口元を緩める。
「そろそろ休憩時間が終わる。戻った方がいい。初日から遅刻は感心しない」
そのセリフは正しく教官のもので、ルクレツィアはなんとなくおかしくなってしまった。
意外と彼は、こういう生き方も似合うのかもしれない。
ふと考えてしまう。
――自由になったら、彼はどういう生き方をするのだろう。
楽しく、幸せに生きてほしい。
「そうね。――ところで、何の教官見習いなの?」
「武術だ」
女子生徒には武術の授業はない。つまり授業中に顔を合わせる機会はない。
それがわかると、少し気が楽になった。ヴァレリオの教官見習い姿は見たい気もしたが、やや照れくさい。
(それにしても――いまだに武術の授業とかあるのね。護身と礼節のためとか?)
時代遅れな気がしなくもないが――
「似合っていると思うわ。お互い頑張りましょうね」
そう言って部屋から出ようとして――ふと手が止まる。
入学初日に教官見習いと二人で空き部屋から出てきたら、逢引きとか思われないだろうか。
ふしだらな女生徒と思われないだろうか。
(そ、それは――少し――いえ、かなり困るかも?)
ただでさえ浮いているのに、それこそ距離を置かれかねない。
「ねえ、ヴァレリオ――」
相談しようと振り返った時、彼はすでに開けた窓から身を躍らせていた。
律儀に外から窓を閉めて、その姿が窓の向こう側から下に消える。
(ここ、三階――!)
一瞬慌てたが――ヴァレリオなら三階から降りても大丈夫だろう。
そう思い、そっと窓に鍵をかけなおし、そのまま部屋から出た。




