07 はじめての友人
教室に戻った瞬間、賑やかだった空気が一転静かになる。
ルクレツィアはそのまま近くの空いている席に座ったが、周囲に他の生徒が座ることなく、そこだけぽつんと穴が開いたようになった。
――そして、政治戦術の授業が始まる。
教官が黒板の前に立ち、講義を進める。その目がルクレツィアに向くことはなく、まるで存在しないかのように、当てられることもなく飛ばされていく。
(やっぱりわたくし、孤立している……?)
生徒からだけではなく、教官からも――?
入学したばかりだから気を遣われているだけかもしれない。
それでも――
(受け身はいけないわ!)
甘えはいけない。
ルクレツィアは口元を引き結んだ。
その間も授業は続く。
「――では、小規模抗争を未然に防ぐための交渉術について、君たちの考えを言ってみろ」
教官の問いに、生徒の内の数人が手を上げた。
「情報です。相手の背景を知ればこちらが優位に立てますから」「妥協でしょうか。己の取り分ばかり強欲に主張すれば、交渉も決裂してしまいますわ」「対話だと思います。やはり、腹を割っての話し合いが一番です」
生徒たちはそれぞれ己の考えを述べていく。
そして、ルクレツィアも意を決して手を上げた。教官の姿をじっと見つめて。
ぴりっとした空気が教室を走る。
「――では、アルディーニ」
「はい……」
一瞬、声が震えたが、立ち上がる。
「『沈黙』です」
その言葉に、教官の表情が一瞬変わる。
ルクレツィアは続けた。
「交渉においては、言葉よりも、相手の反応を見ることが大切です。自信のない相手は先に話し始めることでしょう。ですが相手も核心を言わないのなら、相応の構えをしていることでしょう。だからこそ、黙ることが最大の交渉術になると思います」
しん――と静まり返った教室に、ひときわ澄んだ拍手が響く。
そちらを向くと、優雅に微笑む少女と目が合った。
ルクレツィアは小さく微笑み、そっと席に座った。
◆◆◆
授業が終わると、先ほど拍手をしてくれた少女がルクレツィアの元へやってくる。
「ごきげんよう、ルクレツィアさん」
そう言って優雅な仕草でスカートの端を摘む。
「わたくしはファルネーゼ侯爵の娘、アンネローゼと申します。以後お見知りおきを」
ルクレツィアは少し戸惑いながらも立ち上がり、同じように挨拶する。
「わたくしこそ、よろしくお願いいたします。アンネローゼさん」
アンネローゼは微笑んだ。
「先ほどの回答、さすがでしたわ。教科書的ではない実践知識――わたくし感動してしまいましたわ」
「いえ、家で見聞きしたことから、思ったことを述べたまでで――」
いま思えば一般的ではなかったかもしれない。
それでも彼女は拍手してくれて、いまこうして声をかけてくれている。つまり間違いではなった。
「――ルクレツィアさん、食堂でお昼をご一緒いたしません?」
その言葉にルクレツィアは喜びと衝撃を受けた。
同い年の女の子とお昼を一緒――そんなの初めてだ。
(これはもう、親友では――? い、いえいえ、し、慎重に動かないと……暴走は危険よ、ルクレツィア! まずはご学友になるのよ!)
――学園の中央庭園に面した食堂のテラス席は、開放的で優雅な空間だった。
白いパラソルが等間隔に並び、籐編みの椅子と丸いテーブルが置かれて、生徒たちが仲の良い相手と談笑しながら食事をしている。
磨き込まれたタイルの床は陽光を反射してきらきらと輝き、テーブルには花を活けた小さなガラス瓶がさりげなく飾られていた。
庭園からはローズマリーの香りと噴水の爽やかな水音が風に乗って届いてくる。
空は明るく澄みわたり、春の陽気が頬を撫でた。
「ルクレツィアさんは、どうしてこちらの学園に? ――もともとは、こちらに来られるおつもりはなかったのでしょう?」
向かいの席に座るアンネローゼが、トレイに乗ったランチセットを食べながら軽やかに声をかけてくる。
ルクレツィアは少し緊張しながらも、銀のフォークを持つ手を止めて微笑み返した。
「婚活です」
アンネローゼの目が一瞬丸くなる。
「こ、婚活ですか……?」
「はい。決まっていた婚約話がなくなってしまったので、こちらに『真実の愛』を探しに来たのです」
「――まあ、素敵……応援しますわ、ルクレツィアさん」
ルクレツィアははにかみながら頷いた。
「ですが、お気をつけくださいませ。この学園にいる生徒のほとんどは売約済み――婚約者がいますので。下手にお近づきになると、トラブルの火種になりますわ。大炎上ですわ」
「そ、そんな……?」
思わぬ情報に戸惑う。
そんなトラブル起こしたら、学園生活どころではない。
――婚約者持ちには関わらないと、固く胸に誓う。
とはいえ。
「見分け方はないのかしら……? 決まった指に指輪をしていたり、ネクタイのピンの差し方が違うとか……いっそ額に売約済みと書いていたり」
冗談めかして言うと、アンネローゼが楽しそうに笑う。
「まあ、ルクレツィアさんったら。額にタトゥーなんて、とっても素晴らしい発想ですわね」
「そこまでは望んでません!」
さすがに消えない印まで付けさせたくない。
アンネローゼはくすくす笑っていた。
「そうですね……純粋な婚活をお望みなら、独身限定の夜会に参加するのが一番ですわよ。すなわち婚活舞踏会です」
「こ、婚活舞踏会ですか」
――あまりにも赤裸々である。
(憧れるけれど……ヴァレリオが許してくれるかしら)
ヴァレリオだけではない。
別邸の使用人はすべて父の命令に忠実な構成員でもある。あまりに大胆なことをすると、苦言どころか制裁が下るかもしれない。ルクレツィアにではなく相手に。
さすがにそれは、少し気後れする。
「い、いまはまだそこまでは……」
「そうですわね。もう少しこの学園に慣れてからの方がよいかもしれませんね。もし気になりましたら、お声掛けくださいね」
「ありがとうございます……」
ルクレツィアは涙がにじみそうになった。なんて優しいのだろう。こんな彼女と知り合えたことが嬉しすぎる。
ふと、アンネローゼが顔を上げた。
「――あら、殿下たちご一行ですわね」
視線の先には、王族の第三王子リカルドとその婚約者である公爵令嬢コルネリアの姿があった。噴水の縁に佇みながら、何人かの生徒たちと談笑している。
(さすが王族……高貴オーラがすごいわ……)
その時、リカルドと一瞬だけ視線が交わる。
驚いたように目を見開いた彼が、小さく手を振る。ルクレツィアは反射的に、そっと手を振って微笑み返した。
「……第三王子殿下は穏やかな方ですが、婚約者であられるコルネリア様は少々気の強い御方です。そうでなければ王族の婚約者など務まりませんから」
アンネローゼがそっと囁く。
「ですので、お気をつけください」
「はい、そうします」
――もとより王族に近づくつもりはない。しかも婚約者がいる相手になんて。
――彼自身には少し惹かれるけれども。
「……ルクレツィアさん、恋もまた生存戦略。時に相手を奪うのもまた戦術の一環ですわよ」
アンネローゼの言葉がガツンと響く。
(た、確かに……)
元婚約者は、他に好きな相手ができたから婚約破棄したいと言ってきた。
結婚の約束をしている相手がいるからといって、身を引く必要はないのかもしれない。
――恋とは生存戦略。敗者は滅びるのみ。
けれども。
「……そうかもしれません。でも、わたくしは、人の恋愛を邪魔するつもりはありません」
略奪すれば、婚約者を奪われた女性が生まれる。
その女性が婚約者を愛していたら、どれだけ悲しく辛いだろう。
自分の行いでそんな思いをする女性が生まれるのは嫌だ。
それに、婚約者がいるのにほいほい乗り換えてくる男性も嫌だ。
そんなのは『真実の愛』ではない。
「ルクレツィアさんは純情な方ですのね。あなたに選ばれる殿方は、きっと幸せですわ」
「そ、そうでしょうか……」
「ええ、もちろん。よろしければ、明日もお昼をご一緒してよろしいですか?」
「はい!」
初めてできた友達は、春の日差しのような、あたたかく優しい存在だった。




