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悪道貴族の愛娘は破滅ルートを回避したい〜婚約破棄されたので自由恋愛を求めて学園に行ったら、護衛騎士の執着が重すぎる件  作者: 朝月アサ


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40/42

40 吊られる男




 ジュリアーノは胸元を押さえたまま、砕けたステンドグラスの破片を見た。床に転がる手下たち。窓辺から吹き込む夜風。自分の掌からこぼれ落ちたみたいに、一瞬で崩れた盤面。


「馬鹿な、どうやってここに――見張りは何を……」


 その声には、ようやく作り物ではない狼狽が滲んでいた。


 ルクレツィアは短銃ドルチェを下ろさず、冷ややかに唇を歪めた。


「簡単なことよ」


 月光の差し込む塔の上階で、彼女の赤い髪がわずかに揺れる。


「塔の壁を外から登って、上でタイミングを待っていたのよ。わたくしの護衛騎士カヴァリエーレは」


 その言い方には、誇らしさがほんの少しだけ混じっていた。


 ヴァレリオは何も言わない。ただ色硝子の粉を肩に乗せたまま、倒れた男たちを見下ろしている。灰色の瞳は冷えきっていて、ここに飛び込んできたのが本当に人間なのか、一瞬だけわからなくなるような顔だった。


 ルクレツィアはジュリアーノへ視線を戻す。


「――ヴァレリオ、この男たちを外に吊るして」


 ヴァレリオは即座に問うた。


「首をか?」


 その問いがあまりにも自然だったので、床に倒れた手下の一人がひっと喉を鳴らした。ジュリアーノの顔からも、ほんの少しだけ色が引く。


 ルクレツィアは眉をひそめる。


「怖いわよ。死なないようによ」

「承知した」

「――登校してきた生徒たちに、ちゃんと見つけてもらえるように」


 静かな声だった。怒鳴りもせず、震えもせず、まるで明日の時間割でも決めるみたいに言う。


 こういう男には、痛みそのものよりよほど効く。

 高く積み上げた自尊心プライドを、人目のある場所で無様にへし折られることの方が。


「待ってくれ! 何故こんな――」

「わたくしは、あなたの作劇の登場人物ではないの」


 ジュリアーノはなお何か言い返そうとした。だがその前に、ヴァレリオの黒手袋が最も近くにいたジュリアーノの襟首を掴み、軽々と引きずり上げる。

 呻き声。床を擦る靴音。抵抗らしい抵抗もできないまま、ジュリアーノは塔の外へ運ばれていく。


 ルクレツィアはもうそちらを見なかった。


 縛られたまま青ざめているクラリッサに視線を向け、ゆっくりと近づく。

 クラリッサは怯えたように肩を震わせたが、その瞳の奥には、助かったという安堵と、ここへ来させてしまったという罪悪感が入り混じっていた。


「ルクレツィア、さん……わ、わたし……」


 声がかすれている。ずいぶん怖かったのだろう。無理もない。


 ルクレツィアは短銃をホルスターにしまい、クラリッサの後ろへ回って縄に手をかけた。きつく結ばれていた結び目を落ちていた短剣で切りながら、できるだけ穏やかな声で言う。


「怖い思いをさせてごめんなさい」


 縄がほどけ、クラリッサは自由になった手首を見る。

 けれどすぐには立ち上がれず、震える指を胸の前で握りしめたまま、ルクレツィアを見上げる。


「立てる?」

「……はい」


 返事は小さかったが、折れてはいない。そこに少しだけ安心して、ルクレツィアは彼女の肩をそっと支えた。


「あの――どうして……彼を……」


 その視線は倒れているニコロに向いている。


「だって、わたくしたち、彼には随分迷惑をかけられたでしょう? 本当はもう一発撃ちたかったのだけれど」


 ルクレツィアの分と、クラリッサの分として。


 そのとき、床の上から苦しげな呻きが漏れた。


 椅子ごと倒れたニコロが、腹部を押さえながら身をよじっている。顔は真っ青で、目尻には情けなく涙まで浮いていた。


「ルク、レツィア……た、助け……」


 ルクレツィアは振り返り、少しだけ首を傾げた。


「生きているでしょう。身体に穴も開いていないわ」


 ニコロは呆然とルクレツィアを見る。


「わたくしが撃ったのはゴム製の弾よ。当たれば大の男も気絶するくらい痛いけれど、死にはしないわ」

「……だから、副会長の銃を……」


 クラリッサが納得したような声を漏らしたが――


「それもあるけれど、実際重かったもの。あんなものを撃ったら、反動で肩が外れるわ」


 それに、どんな細工がされているかわかったものではない。撃った瞬間暴発で手が吹き飛んだら大変だ。


 ルクレツィアはニコロに視線を戻す。


「――表向き、あなたはもう死んでいる男ですものね」


 その言葉に、ニコロの肩がびくりと跳ねた。


「訃報も出てしまったし、いまさらニコロ・ステラマーレとして社交界へ戻るのは難しいでしょう。戻ったところで、どちらの家にも居場所はないわ」


 ニコロは何か言おうとして、しかし何も言えない。ここで否定したところで、自分がすでに「死んだことにされた男」だという現実は変わらないのだ。


 ルクレツィアは少しだけ考えるように視線をずらした。


「――でも、自分よりも彼女の命を優先したところだけはよかったわ」


 ニコロは銃口を向けられながらも、クラリッサの方を案じていた。

 そこだけは、少し感心した。


「だから、そうね……一般人として、パン屋さんででも働いてもらおうかしら」

「……え?」


 あまりにも予想外だったのか、ニコロは間の抜けた声を漏らした。


「朝は早いし、小麦粉まみれにはなるでしょうけれど、真面目に働けばパンは焼けるようになるわ。少なくとも、『真実の愛』よりは人の役に立つでしょうね」


 クラリッサが目を丸くする。ニコロは完全に言葉を失っていた。

 ルクレツィアは、そこでわずかに口元を上げた。


「――それとも、うちの下働きにでもなる?」


 ニコロは喉を鳴らしたが、まともな返事にはならない。

 きっともう、ファミリアと関わるのはごめんだとか思っているのだろう。


 ルクレツィアはそんな彼を見下ろし、ふっと息を吐いた。


「安心なさい。いまここで決めなくてもいいわ。どうせあなたには、もう以前みたいに選べる立場など残っていないのだから」


 塔の外では、男たちの情けない呻き声と、それを黙らせるヴァレリオの足音が交互に聞こえてくる。

 夜はまだ深い。


 けれど、この夜が明けたとき、多くのものが変わっているのだろう。



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