39 銃声
ジュリアーノは、怯えている二人の前に立ちながらも、まるで夜会の客へ珍しい収蔵品でも披露するように穏やかだった。
「気に入ってもらえると嬉しいのだけれど」
その声音には、本気の善意が混じっている。
彼はまず、椅子に縛りつけられたニコロへ視線を向けた。
「こちらはニコロ・ステラマーレ。君の名を軽んじ、自分勝手な『真実の愛』を振りかざした、愚かな元婚約者だ」
言葉は丁寧だった。だが、そのひとつひとつが薄く研がれた針のように冷たい。
「婚約破棄のあと、彼は家の中で大人しく飼われていたよ。ステラマーレ伯爵家としても、アルディーニ家の機嫌を損ねた跡取りを外へ出しておくのは、あまりに危うかったのだろうね」
ジュリアーノはそこで小さく肩をすくめる。
「けれど、檻に入れておくだけでは足りなかった。結果として彼は表から消され、訃報が出た」
ニコロは何か言いたげに唇を震わせたが、声にならない。顔色はひどく悪く、以前なら上品に見えた顔立ちも、いまは怯えと疲労で見る影もなかった。
「――それで、あなたが引き取ったの?」
「まさか。拾ったのさ」
――つまり、ステラマーレ家との繋がりはない――少なくとも表向きは。
ジュリアーノは、今度はクラリッサへ目を移した。
「そして、こちらがクラリッサ嬢――彼の『真実の愛』の相手。……いや、相手という言い方は少し不正確かな。実際には、一方的に追われ、怯え、職まで失うことになった被害者寄りの娘だ」
そこまで言っておきながら、彼の声には欠片ほどの憐れみもない。
クラリッサは蒼白な顔でルクレツィアを見つめていた。
「けれど、君にとってはそう単純でもないだろう?」
ジュリアーノはゆっくりとルクレツィアを見た。
「彼女が望んだわけではなくても、結果として君の婚約は壊れた。君の未来は傷ついた。ならば、君を傷つけた者たちとして、この二人を並べることには意味がある」
ジュリアーノは穏やかに言葉を継ぐ。
「そういうわけで、ルクレツィア嬢。今夜の贈り物はこの二人だ。君の誇りを踏みにじった男。君の幸福を壊すきっかけになった娘――」
それから、気の利いたもてなしを締めくくるように、静かに告げる。
「決着は君自身がつけるといい」
ジュリアーノは上着の内側から一丁の拳銃を取り出した。黒く鈍い金属の光が、月明かりを冷たく弾く。
「掃除屋の手配もしてある。ここでのことは、どこにも残らない」
その声音は、あまりにも落ち着いていた。
「ひとりは死んだ令息、ひとりはただの平民。消えても誰もわからないさ」
「これだけの見届け人がいて?」
ジュリアーノは吹き出すように笑う。
「君のところは、犬を人として扱うのかい?」
「……なるほどね」
自分の子飼いを犬と呼ぶ――それはアルディーニの流儀とは相いれない。
ファミリアは、その名の通り家族だ。首領から、末端構成員まで、血で繋がってこそいないが誓いで繋がっている。
だが、この男は違う。
そこを問答しても仕方がない。
考え方の違いというやつだ。
「随分と大仰なプレゼントね」
ルクレツィアはそう言って、差し出された拳銃を受け取った。
ジュリアーノの口元が、満足げにわずか緩む。
その次の瞬間、ルクレツィアは受け取った拳銃を、あっさり取り落とした。
乾いた金属音が響く。
「――重いわ」
不満を呟き、そのまま靴の先で軽く蹴る。
拳銃は石床を滑り、螺旋階段の口へ弾かれ、そのままがん、と鈍い音を立てながら下へ下へと落ちていった。
一瞬、場が凍りつく。
ジュリアーノの微笑みが、ほんのわずかに薄くなった。
「あら、ごめんなさい。でも安心なさい。銃なら持っているの」
そうしてルクレツィアは、制服のスカートの下へ手を伸ばした。
太腿に固定していた革のホルスターから、小ぶりな短銃を取り出す。
もちろん普段は学園に持ち込まない。
だが、今日は特別な夜だから、特別なアクセサリーをつけてきた。
ルクレツィアは短銃を片手にしたまま、ニコロへ向かって歩き出した。石床に響く靴音が、ひどく静かだ。
「お久しぶりですわね、ニコロ様」
「ル、ルクレツィア……!」
ニコロの声は、もはや悲鳴に近かった。
ルクレツィアは彼の前で立ち止まり、銃口を腹へ向ける。
「た、頼む……! クラリッサだけは――」
「動かないでくださいませ。わたくし、銃は慣れていませんの」
――パンッ。
乾いた発砲音が塔の内部に鋭く跳ねた。
ニコロの腹部に弾がめり込み、彼は情けない声を上げて椅子ごと後ろへ倒れる。縄が軋み、木が床へ打ちつけられる音が重なった。
「っ、いや、あああっ……!」
クラリッサの悲鳴が上がる。
ルクレツィアはくるりと踵を返し、ジュリアーノへ銃口を向けた。
その時、彼は初めてはっきりと表情を変えた。
「ルクレツィア嬢、それは――」
彼にとっては青天の霹靂だろう。いままで友好的に接してきたつもりの相手に、いきなり銃口を突き付けられたのだから。
――パンッ。
今度の弾は、まっすぐジュリアーノの胸元へ飛んだ。鈍い衝撃音。彼の身体がわずかによろめき、背後へ一歩退く。
ルクレツィアは目を細める。
「あら、さすがに防弾装備はつけているのね」
ジュリアーノは胸元を押さえながら、低く息を吐いた。その目からはもう、余裕だけではない何かが覗いている。
彼はもう一丁持っていた拳銃を引き抜いた。
同時に、部屋の隅に控えていた男たちも一斉に動き出す。革靴が床を鳴らし、殺気が狭い塔の上階に満ちた。
その瞬間――
高窓のステンドグラスが、派手な破砕音とともに弾け飛ぶ。
月光と色硝子の破片を浴びながら、一つの影が塔の中へ飛び込んできた。
黒い外套が翻り、着地の衝撃を吸い込むように膝を使い、そのまま最も近い男の喉元へ肘を叩き込み、ジュリアーノとルクレツィアの射線上に突き飛ばす。
――ヴァレリオだった。
彼は一瞬たりとも止まらない。次の男の手首を捻り上げ、拳銃を床へ落とさせ、その勢いのまま壁へ叩きつける。もう一人が短剣を抜きかけたが、それより早くヴァレリオの蹴りが鳩尾へめり込み、男は息を失って膝をついた。
最後の一人がジュリアーノの側へ回ろうとした瞬間、ヴァレリオの黒い手袋が襟首を掴み、そのまま容赦なく床へ引き倒した。石に頭を打ちつける鈍い音が響く。
最後に、ジュリアーノの取り出したばかりの銃を蹴りで弾く。
ものの数息で、塔の上階は静まり返った。
砕けたステンドグラスの破片が、月明かりを受けて床に散っている。男たちは全員、呻くことしかできない。
ヴァレリオはゆっくりと顔を上げた。色硝子の粉が金髪にわずかに散り、灰色の瞳だけがひどく冷たく光っていた。




