36 親睦会への誘い
――ヴァレリオは、今回も律義に空き教室の窓から出て行った。
ひとり空き教室を出たあとも、ルクレツィアの胸の内は少しも静まらない。
中庭に面した回廊には、昼の光が白く差し込んでいる。窓の外では噴水がきらきらと揺れ、遠くからは昼休みの笑い声が絶えず流れてくる。なのに、そのどれもがひどく遠いものに思えた。
(……流れに乗ってくれ、ですって)
先ほどのヴァレリオの言葉を思い出し、ルクレツィアはわずかに眉を寄せた。
――あの男、何か知っている。
知っているからこその言い方だ。
ヴァレリオのことは信じている。
それでも彼は――ルクレツィアの護衛騎士でも――アルディーニの構成員なのだ。
最大限配慮してくれたとしても、最後はアルディーニの意思を優先する。
――ただ、その認識だと。
『破滅ルート』でルクレツィアがジュリアーノに殺されたとき、護衛騎士でもないヴァレリオが自決したことの筋が通らなくなるが。
(あのヴァレリオはどうして、自ら命を絶ったのかしら……)
――その答えは永遠にわからない。そんな未来、絶対に訪れさせないから。
そのとき、背後から穏やかな声がした。
「ルクレツィア嬢。少しお疲れのようだ」
「…………」
聞き覚えのある声にルクレツィアは足を止めた。
振り返ると、ジュリアーノ・ベルナルディが立っていた。
いま一番見たくない顔だった。
「何かご用かしら」
ジュリアーノはわずかに微笑んだ。
「恋した椿に何とか振り向いてもらおうとしている、哀れな男の習性さ」
――夜会の最中ならともかく、昼間の学園で何を言っているのだろう、この男。
「じっと見つめているだけでは、何も手に入らないだろう?」
ルクレツィアは静かに睫毛を下ろす。
「その言葉には同意するわ。でも、わたくしを手に入れようとか考えるのは傲慢よ。わたくしは黙って咲く花ではないのだから」
ジュリアーノはその返答を面白がるように目を細めた。
そしてルクレツィアの隣に並ぶでもなく、ほどよい距離を保ったまま言った。
「朝の新聞は読んだかい?」
「ええ」
「旧知の相手の名が訃報欄にあるのは、心地よいものではないだろう」
「そうね。驚いたわ」
我ながら、なんとも乾いた声だった。
「泣き崩れるほど情緒が柔らかくなくて申し訳ありませんわ」
「いや。むしろその方がいい。裏切者に、君の涙はもったいない」
――裏切者。
またその言葉だ。
ジュリアーノはルクレツィアの近くに裏切者がいると言っていた。
それが誰なのか、ルクレツィアはいままで考えることさえなかった。
もし本当にいたとしたら、とっくに消えてしまっているはずだから。
ジュリアーノは、わずかに声を落とした。
「君は、あれを本当に病死だと思う?」
「……ずいぶん踏み込みますのね」
ジュリアーノは中庭を見下ろすように視線を流し、静かに続けた。
「死は時々、ずいぶん便利に使われるからね」
思わせぶりな言い方をする。
ルクレツィアは彼の横顔を見つめた。
――この男は、ルクレツィアをどこかに誘導したがっている。
「ジュリアーノ様。あなた、何がしたいの?」
真正面からバッサリ斬りこむ。
ジュリアーノは一瞬目を丸くし、そして楽しそうに笑った。
「君を今夜の集いに誘いたい」
「――集い?」
「学園内での内輪の集まりだよ。騒がしい社交の場ではない。気楽な親睦会みたいなものだ。次の生徒会役員にふさわしい生徒を探す場でもある」
「わたくしには関係なさそうですけれど」
「むしろ、君以外に誰がいるんだい?……気晴らしにはなるかもしれないし、あるいは――」
そこで彼はわずかに間を置いた。
「君が知りたがっていることに、少し触れられるかもしれない」
――来た。
ルクレツィアは黙ったまま彼を見つめた。
怪しい。あまりにも怪しい。
だがここでノータイムで飛びつくのは、あまりにも品がない。
「気晴らし、という言葉では動けませんわ。我が家の使用人は、心配性なので。でも――」
ルクレツィアはゆっくりと言った。
「退屈しなさそうではありますわね」
ジュリアーノの目が、ごくわずかに細くなる。
「では」
「わたくしを退屈させたら承知しませんことよ」
ジュリアーノは満足そうに、けれどそれを露骨に見せない程度に微笑み、一通の封筒を取り出した。
「では、今夜お待ちしています」
――それは、招待状だった。
黒い封筒に金の縁取り。やたら手が込んでいる。
本当に、準備がいい。
一礼して、彼はそのまま去っていく。最後まで足取りに迷いはなく、振り返りもしない。
ルクレツィアは短く息を吐き、招待状を見つめた。
罠だ。
それでも行く。
行くしかない。
「夜間外出は許可できない」
すぐ背後から、低い声がした。
振り向けば、少し離れた柱の影にヴァレリオが立っていた。いつからそこにいたのかは聞くまでもない。
灰色の目が、あからさまに不賛成だと言っていた。
「行くわよ」
きっぱりと言うと、ヴァレリオの眉がほんの少しだけ寄る。
ルクレツィアは口元に笑みを浮かべる。
「流れとやらに、乗ってあげるわ」
ヴァレリオはわずかにため息を飲み込むような顔をしたあと、静かに頭を下げた。




