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35 『真実の愛』と現実



 昼休みのざわめきを背に、ルクレツィアは教官見習いの袖を掴んだ。


「――先生、わからないことがあるので教えていただけますか?」


 有無を言わせぬ調子で言って、そのまま人気のない廊下を足早に進む。


 空き教室の扉を開けると、ルクレツィアは彼を中へ押し込み、自分も素早く入って扉を閉めた。

 古い机と椅子が整然と並ぶだけの部屋は、昼の光が差し込んでいるくせに妙に冷えていた。


 ルクレツィアは振り返りざま、真正面からヴァレリオを見上げる。


「知っていることを言いなさい」


 ヴァレリオは表情一つ変えず答える。


「質問が大雑把すぎる」

「では絞ってあげるわ。クラリッサのことを。彼女が無断外泊して欠席して、姿を消している理由」

「その理由そのものはわからない」

「……あなたね」


 詰め寄ろうとしたルクレツィアを、ヴァレリオは静かな声で制した。


「君の知らなさそうな事実を一つ言うのなら――」


 その間の悪さに、嫌な予感がさらに濃くなる。


「クラリッサ嬢は、カフェでのアルバイト時代、ニコロ・ステラマーレに付きまとわれていた」

「……は?」


 空気が止まった気がした。


 ルクレツィアは数秒、まばたきすら忘れてヴァレリオを見つめた。

 言葉が頭に入って、それから意味になり、意味が形を持った瞬間、背筋にぞわりとしたものが走る。


「……もしかして、ニコロ様の『真実の愛』の相手って……」


 ヴァレリオは無言で頷いた。


 ルクレツィアはゆっくり息を吸った。

 確かに以前、クラリッサはカフェバイトを辞めた理由がストーカーのせいだと言っていた。


 ――まさか、こんなところが繋がるなんて。


「……二人は、恋人同士ではないのよね?」


 念のため確認しておく。


「ああ。ステラマーレ令息が一方的に好意を寄せていたらしい」

「好意、ですって」


 ずいぶんと聞こえの良い言葉だ。相手が迷惑し、怯え、アルバイト先を辞めるほど追い回しておいて、好意とは。


 しかもそのせいでクラリッサは経済的に困窮し、地下賭博クラブにまで足を踏み入れている。


 ――そんな男の吐く言葉に、胸を揺らしてしまったのか、自分は。

 そしてそんな一方的で身勝手な片想いのせいで、『破滅ルート』になる未来もあったなんて。


 頭が痛い。激痛である。


「――『真実の愛』って何のかしら……」


 もしあの時の自分がそのことを知っていたら、笑顔でニコロの頬を引っ叩いていたことだろう。


「少なくとも、一方的に押し付けるものではないな」

「……いまの少し、教官っぽかったわ」


 もう少し詳しく話したいところだが、いまそんな余裕はない。


「……ニコロ様は、いまも生きているの?」

「わからない」

「……クラリッサはいま、どこにいるの?」

「それも不明だ」


 淡々と返る答えに、ルクレツィアは唇を噛みそうになる。


「あなた、わたくしを焦らすのが趣味なの?」

「まさか。他にもっと効率のいい趣味がある」

「イモの皮むきでしょう。知っているわ」


 ルクレツィアは軽く目元を押さえた。


「……それでは、昨夜の侵入者とやらは?」

「敵対ファミリアの子飼いだ。君が望むなら名前・略歴・家族構成・所属ファミリア情報まで答えるが」

「……クラリッサのことに関係なさそうなら結構よ」

「…………」


 ――沈黙。つまりは関係ないということだろう。


 ルクレツィアは数歩、空き教室の中を歩いた。


 アルディーニの名で命じれば、王都に潜むファミリアの人間たちは動くだろう。店に、路地に、港に、寮に、噂の下に、潜る者たちが一斉に網を張る。クラリッサを見つける可能性は上がる。


 けれど同時に、王都に混乱をもたらす。

 ステラマーレ家が本当に何かを隠しているなら、向こうにもこちらの動きが伝わる。

 最悪、クラリッサの身に余計な危険が及ぶ。


 ルクレツィアは足を止めた。


「……命令すればいい、という顔をしているわね」


 ヴァレリオは否定しなかった。


「君はアルディーニの姫だ。君の命令一つで、王都のファミリアメンバーは忠実に己の仕事を果たす」


 それは事実だった。重く、便利で、厄介な事実。


 ルクレツィアは目を伏せ、それからきっぱりと首を振る。


「――まだよ」


 その一言で、空気が少し変わる。


「ファミリアはまだ動かさない」


 ルクレツィアは顔を上げた。


「でも、護衛騎士カヴァリエーレヴァレリオ――あなたは動きなさい。わたくしのために」


 ヴァレリオはわずかに目を細めた。

 やがて彼は静かに膝を折るように頭を垂れた。


「――仰せのままに」


 ルクレツィアの胸が少し和らぐ。


「まずは、クラリッサの行方を追って。まだ秘密裏に」

「了解した。ならば君も、しばらくは流れに乗ってくれ」


 ――余計な動きはするな、ということだ。


「いつまで?」

「君の我慢の限界が来るまで」


 その言い方が少しだけ面白くて、ルクレツィアは思わず吹き出してしまった。


「わかったけれど、あんまり長くはもたないと思いなさい」

「わかっている」





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