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29 恋のおまじない



 カメーリアの夜から数日後。

 サン・アルベルト学園は、何事もなかったような顔で朝を迎えていた。


 もっとも、人の口に戸は立てられない。


 華やかな舞踏会の最中に令嬢が倒れ、会が途中で打ち切りになったともなれば、噂にならないはずがないのだ。


 表向きには「気分を悪くした参加者が出たため」「運営側の判断で早めにお開きとなった」とだけ処理されている。さすがはカメーリアの会と言うべきか、余計な泥はほとんど表へ漏れていない。


 それでも学園という場所は、半端な秘密ほどおいしく味わう。


 石造りの廊下をルクレツィアが歩けば、少し離れたところでさざめきが起き、視線が寄る。ひそひそと交わされる声は耳に届くほどではないが、十分にうるさい。


(やっぱり、選択を誤ったかもしれないわ)


 生徒会副会長ジュリアーノのダンスの誘いを受けたこと。

 そのあとで、ヴァレリオ教官見習いによく似た男と踊ったこと。


 その二つが、ルクレツィアの注目度をあからさまに引き上げていた。


「ルクレツィアさん!」


 柔らかな声に呼び止められ、ルクレツィアは振り向いた。


 薄桃色のリボンを揺らしながら小走りに近づいてきたのはアンネローゼだった。

 いつもなら春の花そのものみたいに明るい彼女だが、今日はその愛らしい顔に、しゅんとしぼんだ影が差している。


「おはよう、アンネローゼさん」

「お、おはようございます……!」


 返ってきた挨拶は妙に頼りない。胸の前で両手をぎゅっと握りしめたまま、アンネローゼはおずおずと眉を下げた。


「その……先日は、本当に申し訳ございませんでしたわ……」


 やはり、と思いながら、ルクレツィアは小さく息をついた。責める気はなかったので、できるだけやわらかい声を選ぶ。


「アンネローゼさんのせいではありません」

「ですが、わたくしがお招きした会で、あのようなことが起きてしまって……」

「主催したからといって、参加者の恋愛感情まで管理できるものではないでしょう?」


 きっぱり言うと、アンネローゼはぱちりと目を瞬かせた。


「恋愛感情……」

「ええ。あれはどう見ても、毒そのものより感情のほうが厄介だったもの」


 その言葉に、アンネローゼは少しだけ頬をひきつらせた。思い当たる節が多すぎる顔である。


 華やかな婚活舞踏会のはずが、蓋を開けてみれば嫉妬と見栄と三角関係の煮こごりだったのだ。主催者としては、頭を抱えたくもなるだろう。


 それでもアンネローゼは、まだ納得しきれないように肩をすぼめた。


「それでも……何か、お詫びをしたくて」

「お詫び?」

「はい!」


 そこでぱっと顔を上げるあたり、やはり切り替えは早い。落ち込む時は全力で落ち込み、立ち直る時もまた全力。アンネローゼという少女はそういう生き物なのだろう。


「ですから、本日は特別なお力をお借りしましたの。お昼休みを楽しみにしていてくださいね」


 特別なお力。


 その言い回しに、ルクレツィアはほんの少しだけ嫌な予感を覚えた。


 そして、そういう予感は大抵よく当たる。


◆◆◆


 昼休み。

 学園のトラットリアは、昼の光と生徒たちのおしゃべりでほどよく賑わっていた。焼きたてのパンの匂い、皿の触れ合う音、誰かの笑い声。どこを切り取っても平和そのものだ。


 その一角で、アンネローゼは胸を張って宣言した。


「コルネリア様をお呼びしました」

「どうしてわたくしが……?!」


 半歩遅れて響いた悲鳴めいた声に、ルクレツィアは静かに目を向けた。


 アンネローゼの後ろから姿を現したコルネリアは、今日もきっちりと整えられたレース付きの制服姿だった。

 背筋はぴんと伸び、髪も乱れなく、いかにも完璧な令嬢といった佇まいである。


 だが、表情だけは完璧にはほど遠い。呼ばれた理由に納得していない顔を、これでもかというくらい隠していなかった。


 アンネローゼはそんなことお構いなしに、にこにこと言う。


「コルネリア様は、恋のおまじないのスペシャリストですから」

「どどど、どうしてそれを?!」


 コルネリアの声が一段高くなる。


 アンネローゼはきょとんと首を傾げる。


「え? だって、コルネリア様はリカルド王子殿下と婚約なさるために、たくさんおまじないを試されたのでしょう?」

「そ、それは……」


 言葉に詰まった時点で、ほぼ答えは出ていた。


 どうやら事実らしい。


 ルクレツィアはまじまじとコルネリアを見る。コルネリアはその視線を受けて、ますます居心地が悪そうに目をそらした。


 ――ルクレツィアは反省した。

 王子と公爵令嬢の婚約だから、てっきり政略的なものから始まって、そこから愛情が育まれたのだと思っていた。


 だが、婚約が成立する前から、コルネリアの愛情と努力があった。


 ――なんて、素晴らしいのだろう。


「コルネリア様は勝者ですのね」

「勝ち負けの話ではなくてよ?!」


 即座に飛んできた反論に、アンネローゼが「まあ」と小さく笑う。


 ルクレツィアは首を傾げた。


「違いますの?」

「違いますわ! 恋は戦ではありませんの!」

「でも、コルネリア様は勝ち取られたのでしょう?」

「そ、それは……」


 勢いよく言い返したはずなのに、後半で急に歯切れが悪くなる。


 そこへアンネローゼが元気よく頷いた。


「そうです、恋は戦です。そして戦は準備がすべて。準備をするのは早いうちの方がいいですわ。のんびりしていたら、負けてしまいますもの」

「ですから勝ち負けの話ではないのよ?!」


 ルクレツィアはその様子を眺めながら、口元へそっと指を添えた。


「勝者の余裕……」

「余裕ではなくて、訂正ですわ!」

「わかりました。それより――」


 ルクレツィアは素直に問いかけた。


「素敵な殿方との恋を成就させるのに、一番効果があったのはどんなおまじないですか?」


 その瞬間、コルネリアは一瞬だけ視線を泳がせた。


 アンネローゼがぐっと身を乗り出し、ルクレツィアもつられて少し前のめりになる。


 やがてコルネリアは、観念したように唇を開いた。


「……思いを込めて作ったお菓子をプレゼントして、食べてもらうことよ」

「…………」

「…………」


 妙な沈黙が落ちた。


 まわりの食器の触れ合う音だけが、やけに澄んで聞こえる。


 コルネリアが眉をひそめる。


「なによ」


 ルクレツィアは真顔で答えた。


「手作りのお菓子をプレゼントして、食べてもらうまでのハードルが高いです、先生」

「先生ではありませんわ!」


 アンネローゼも、こくりと頷いた。


「かなり高いですわね」

「そのくらい仲良くならないと、恋なんて叶うはずないでしょう?!」


 ――それは、反論の余地がないくらい正論だった。



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