23 いざ、婚活舞踏会
昼休みの食堂は、今日もほどよく賑やかだった。
磨かれた銀食器の触れ合う音と、あちこちで交わされる談笑。高い窓から落ちるやわらかな光が白いテーブルクロスの上に広がって、いかにも王都の名門学園らしい、上品な昼の時間をつくっている。
ルクレツィアは向かいに座るアンネローゼの顔を見て、フォークをそっと皿の端へ置いた。
「アンネローゼさん、以前話されていた、婚活舞踏会について詳しく教えていただけますか?」
アンネローゼは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに花が開くように頬をほころばせた。
「まあ! もちろんですわ。気になってくださっていたのですね」
「ええ。気にならないわけがないでしょう? 余計な火種が少なくて、しかも良縁探し向きの夜会だなんて」
アンネローゼはくすくすと笑いながら、ティーカップを持ち上げた。
「その前向きさ、とても素敵ですわ。では改めてご説明いたしますね。通称《カメーリアの夜》というのは、学園の外縁にある小さなサロンで月に一度開かれる、婚約者のいない独身男女のための舞踏会ですの。わたくしも、そのカメーリアの会の実行メンバーの一人です」
「学園の外縁、ということは、学院の敷地内ではないのですね?」
「ええ。学院と関わりの深い家が管理しているサロンですわ。ですから、生徒だけではなく、卒業したばかりの方や、縁故で招かれた方もいらっしゃいますの。とはいえ、身元のわからない方は入れませんから、そのあたりは安心してよろしいかと」
ルクレツィアは小さく頷いた。
「ええ、安心しました。仮面舞踏会みたいに、何者だかわからないまま踊るのは少し不安だもの」
「仮面舞踏会も憧れますけれど、婚活には不向きですわね」
「はい。真実の愛を探している最中に、身元不明の詩人や没落伯爵や詐欺師に出会っても困るもの」
アンネローゼは肩を揺らして笑った。
「会場は、椿の花で飾られるのですわ。だから《カメーリアの夜》。大広間ほど大きくはありませんけれど、そのぶん距離が近くて、学園内の公式行事よりずっと私的な雰囲気ですの。最初は立食と歓談、そのあとでワルツ。そこからは自由にお話ししたり、踊ったり。お庭に出てもよろしいし、温室で少し長くお話しする方もいらっしゃいますわ」
「まあ……」
ルクレツィアの目がきらりとした。
音楽、花、夜の灯り、庭園、温室。言葉を並べられるだけで、すでにだいぶ舞台が整っている。これで独身限定というのだから、たしかに学園の中で手探りするより、ずっと合理的だ。
「参加条件は、本当に独身限定なんですか?」
「ええ。婚約成立済みの方は参加できませんわ。もちろん、家同士で話が出ているだけ、という曖昧な段階の方までは完全に排除できませんけれど……少なくとも、すでに表向き婚約者がいる方が堂々と出入りする場ではありませんの」
「素晴らしいわ」
ルクレツィアは思わずそう言った。
「それは本当に素晴らしいわ。売約済みと書いていない殿方ばかりの学園で、火薬庫を歩くように会話をするより、ずっと健全ではなくて?」
「ふふ。まだそのお話を気にしていらしたのですね」
「当然です」
アンネローゼは楽しそうに目を細め、少し身を乗り出した。
「ただ、ひとつだけご注意がありますわ」
「何でしょうか」
「皆さま、本気ですの」
その言い方が少しだけ静かで、ルクレツィアは自然と背筋を伸ばした。
「遊び半分で来る方もいらっしゃらないではありませんけれど、多くは良いご縁を探すために来ています。ですから、軽い気持ちで一晩に何人も期待を持たせるのはよろしくありませんし、逆に、押しの強い方に絡まれることもありますの」
「まあ……わかりました。本気で行きます」
「い、いえ……少しは気楽に構えていた方がよろしいかもしれませんわ」
どっちなのだろう。
とはいえルクレツィアも、ただの遊びで行くわけではない。
本気で運命の出会いを探しに行くつもりだ。
「わかりました。では、楽しむことを心がけます。それにしても、どんなドレスを着ていくべきなのかしら……」
「赤い髪のルクレツィアさんでしたら、深いアイボリーか、黒に近い紺も映えると思いますわ。淡い色もきっとお似合いですけれど、埋もれてしまうかもしれませんもの」
「なるほど」
心のメモ帳に記録する。
「それに、最初の一曲をどうするかも大事ですの」
「どうするって?」
「お誘いを待つか、自分から会話を始めるかですわ」
「自分からも動いていいのですか?」
「ええ、もちろん。とはいえ、女性からダンスに誘うのはタブーですが」
何ともややこしい。
ルクレツィアは少しだけ顎に手を当てた。
「――それではルクレツィアさん、男性の好みについて聞かせていただけますか?」
「えっ、どうして?」
「好みのリサーチは必要ですから。お似合いの方がいれば、ご紹介もできますし」
「なるほど……」
ルクレツィアは思わず真顔になる。
そして真剣に考える。
「そうね……まず、一途であることは大前提です」
「まあ」
アンネローゼは嬉しそうに頷いた。
実際、婚約したのに『真実の愛を見つけたんだ』と言って婚約破棄してくるような男性は、もうこりごりだ。
「それから、いざという時には頼りになる方がいいわ。優しいだけでは困るし、強いだけでも嫌。きちんと会話ができて、でも無駄におしゃべりではなくて、放っておかれるのは嫌だけれど、何もかも管理されるのはもっと嫌で……」
言いながら、ルクレツィアは自分の言葉が案外具体的なことに気づいた。
「ずいぶん、はっきりしていらっしゃるのですね」
アンネローゼがにこにこと言う。
「そうかしら?」
「ええ、かなり」
ルクレツィアは少しだけ目を細めた。
「でも大事でしょう? 結婚相手なのだもの。ただ素敵な顔で微笑んでいれば満足、というわけにはいかないわ」
「ええ、そこは本当にそうですわ」
アンネローゼは自分のカップを両手で包むように持ちながら、やわらかく笑った。
「わたくしは、話を笑わずに聞いてくださる方がいいですわ。一緒にお菓子を選んでくださって、わたくしがくだらないことを言っても、ちゃんと受け止めてくださるような」
「あなた、本当に恋愛小説みたいなことを言うのね」
「ルクレツィアさんだって似たようなものですわ」
「わたくしはもっと現実的よ」
「どのあたりが?」
「……頼りになるところとか」
「それを世間ではロマンと言うのでは?」
ルクレツィアは返答に少し詰まり、わざと視線を逸らした。
「とにかく。条件整理はできたわ。あとは実地確認ね」
「まあ、言い方がやはり少し商談ですの」
二人で笑ってから、ルクレツィアはふと何気ない顔を作った。
「そういえば、舞踏会には学園の有名な方々もいらっしゃるのかしら」
「有名、ですか?」
「ええ。たとえば生徒会の方とか。副会長殿下のような」
アンネローゼのまつげが、ほんの少しだけ揺れた。
さっきまで軽やかだった空気が、そこだけ半歩ぶん静かになる。
「……ジュリアーノ様、ですのね」
「ええ。どういう方なのかしらと思って」
ルクレツィアは何でもない顔でそう言った。
アンネローゼは困ったように、少し言葉を選ぶ顔になる。
「とても有能な方ですわ。礼儀正しくて、どなたに対しても穏やかで、生徒会のお仕事もお早いですし、困っている方には手も差し伸べてくださいますの」
「まあ……ずいぶん完璧な方なのね。女子人気も高いのでしょうね」
「高いですわ。とても。でも……熱烈なお話は、あまり聞きませんの。もしかして……理想が高すぎるのかもしれませんわね」
アンネローゼの瞳が、ルクレツィアを映す。
「……ルクレツィアさんは、ジュリアーノ様のような殿方はお好みで?」
一瞬、答えに迷う。
好きではない、と言うのは逆に興味を持たれかねない。
好ましい、と言えば世話を焼かれかねない。
「――どうかしら? 非の打ちどころがなさすぎて、逆に近寄りがたいかもしれないわ」
「まあ、ルクレツィアさんが近寄りがたいだなんて――意外ですわね。でも、少しわかりますわ」
共感され、少しだけほっとする。
アンネローゼは静かに続けた。
「あの方はどこか、遠い感じのする方ですから」
「…………」
ルクレツィアはふと紅茶を見つめた。
そこに映る自分の顔は、暗い。
(ジュリアーノ様には、これからも近づかないようにしないと)
破滅ルートでの未来では、ジュリアーノは――記憶の中では自分の名前を名乗ってはいなかったが――『復讐』と言っていた。アルディーニにすべてを奪われた復讐として、ルクレツィアを壊すのだと。
だが、その未来はもう消失している。
ルクレツィアが元婚約者の処刑を回避させたことで、未来は変わっている。
今後も、アルディーニ家を暴走させなければ、犠牲者が生まれることもなく、ジュリアーノがルクレツィアを狙う理由もなくなる。
ヴァレリオも死ぬことはなくなる。
(積極的に関わろうとしなければ、距離を縮めることもないわ。いまは婚活舞踏会のことだけ考えましょう)
――とはいえ問題は。
ヴァレリオが保護者か教官見習いの顔でやってきて、睨みを利かせないか、ということだが。
(来るのはもう、確定事項みたいなものよね)
――彼の行動は、もうずいぶんわかりやすくなっていた。




