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24 カメーリアの夜




 月に照らされたサロンは、遠目にも華やかだった。


 白い石造りの小さな館の窓という窓から金色の灯りがこぼれ、外壁を伝う蔦のあいだから、椿の赤がぽつぽつと浮かび上がっている。

 玄関へ続く石畳にはすでに何台もの馬車が並び、降り立つ若い男女の衣装が夜気のなかでゆるやかに揺れていた。


 その少し手前で、アルディーニ家の馬車が音もなく停まる。


 扉が開いて最初に降りたのは、専属メイドのエリサだった。濃紺のドレスに白いエプロンという控えめな装いだ。

 可憐な侍女にしか見えないのに、警戒の仕方は少しも可憐ではない。


 続いてルクレツィアが下りる。

 今夜は、深いアイボリーのドレスを選んだ。燃えるような赤髪がいっそう鮮やかに映えるように。


 そして最後に馬車から降りたヴァレリオを見て、ルクレツィアは思わず目を細めた。


 黒の礼装。白手袋。無駄のない仕立て。立ち姿は相変わらず静かすぎるほど静かだ。けれど今日は、学園で教官見習いとして振る舞う時の眼鏡をかけていない。


 そのせいで、もともと整っていた顔立ちが容赦なく晒されていた。

 淡い金の髪、灰色の瞳、冷えたように見える横顔。護衛というより、どこかの名家の跡取りが何かの手違いで付き添いの位置に立ってしまったみたいな見映えだった。


 ルクレツィアは馬車の脇で彼を見上げ、小さく息をつく。


「教官見習いが、わたくしの付き添いとして婚活舞踏会に現れるのは、さすがに少し変ではなくて? せめて、もう少し他に説明のつく立場はなかったのかしら」


 呆れ半分、牽制半分で言ったつもりだったが、ヴァレリオは顔色ひとつ変えなかった。


「今日は教官見習いではない。学園の外だ。あの肩書は置いてきた」


 あまりに当然のように言うので、ルクレツィアはすぐには言い返せなかった。だが、納得したわけではない。


「まあ。では何なの? まさか本気で、眼鏡を外したから別人に見えるとでも思っているのではないでしょうね。そんな逆変装、通るわけがないでしょう」


 ヴァレリオはほんのわずかだけ間を置いた。図星ではないが、完全に否定しきれない時の沈黙だった。


「別人に見えるとは思っていない。ただ、教官といえどプライベートはある。プライベートまで詮索されるいわれはない」

「その理屈、通じるかしら」

「多少強引でも支障はない。君を守るためだからな」


 さらりと言われ、ルクレツィアは眉を寄せる。


「でも、その顔でわたくしの後ろに立たれると、殿方たちが怯むでしょう?」

「それは好都合だ」


 即答だった。


「……婚活のための舞踏会だという話、ちゃんと聞いていたわよね?」

「聞いた上で言っている。質の悪い男を先に落とせるなら、悪い話ではない」

「ふるいにかける気満々だわ、この護衛騎士カヴァリエーレ様」


 思わず扇で口元を隠すと、横で控えていたエリサが静かな声を差し挟んだ。


「旦那様のお考えにも近いかと。この程度で怯む程度の方であれば、あとあと困るでしょうし」

「エリサ、どちらの味方なの?」


 ルクレツィアが振り返ると、エリサは表情ひとつ変えず、ルクレツィアのドレスの裾をそっと整えた。


「お嬢様の幸せの味方です」


 それは何とも微妙なところである。


「ですが、今夜のお嬢様は大変お綺麗ですので、多少柱が一本増えたところで問題ないかと」

「――柱」


 ルクレツィアがぴたりと止まり、ヴァレリオが初めてわずかに眉を動かした。


「……誰が柱だ」


 低く返した声に、ルクレツィアはおかしそうに笑う。


「あなた以外にいないでしょ。なるほど、壁の花ならぬ、壁の柱ね。会場の隅に立っているだけで存在感がありそう」

「不名誉だな」

「でも否定しきれていないでしょう?」


 ヴァレリオは答えなかった。

 その代わり、サロンの入口へ視線を向ける。

 すでに何人かの目が、こちらへ向いていた。


 それもそうだろう。アルディーニ家の馬車が着いた時点で注目は避けられない。そこへ、赤髪の令嬢と、控えめな装いの侍女、さらに妙に見映えのする長身の男まで揃っているのだ。静かにしていても、目立たないはずがない。


 夜気にまぎれて、ひそやかな声が流れる。


 アルディーニ嬢だ。

 本当に来たのね。

 あの男は誰だ。

 教官見習いに似ていない?

 まさか、こんな場所に来るはずがないわ。

 でも、ずいぶん目を引く人ね。


 ルクレツィアはそうした気配を敏感に拾い、すっと顎を上げた。


「……ほら。もう見られているわ。あなたのせいで余計に目立つじゃない」


 半ば責めるように言うと、ヴァレリオはごく自然に答えた。


「君だけで十分目立つ」


 ただの事実を述べた、という顔で言う。

 少しだけ頬が熱くなるのを感じ、ルクレツィアは目を逸らした。


「それは慰めのつもり?」

「事実を言っただけだ」


 ルクレツィアは小さく息をつき、扇を開いた。広げた扇の向こうで、エリサがごく静かに目を細めている。あれは面白がっている時の顔だ。


「参りましょう。ここで立ち止まっていても仕方がないもの」


 そう言って歩き出す。半歩後ろにエリサ、そのさらに後ろにヴァレリオ。


 入口の給仕が一瞬だけ息を呑み、それでもすぐに完璧な微笑みに戻って扉を開く。


 椿の香りと灯りとざわめきが、三人を迎え入れた。

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