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第1話:黒鞭の女王様とムチムチの下僕


 目の前で閃光弾が炸裂したような眩い光に飲み込まれた瞬間、身体の芯に響く重低音が天地の感覚を吹き飛ばした。


 朽ち果てた古城が崩れていくように霧散する身体は、世界と自分との境界を曖昧に溶かしていく。痛みも苦しみもないが、拡張された精神は際限ないことで徐々に希薄になっていく。


 俺は、死んだのか……?


 思考のみの声にならない問いかけは、反響することのない無彩色の空間に吸い込まれていった。プラネタリウムを楽しんでいるうちに、いつの間にか眠ってしまった時のように、一切の光のない空間では瞼を閉じているのか、開いているのかわからなくなる。


 いやいや嫌々、ちょっと待ってくれ! 

 俺にはまだやり残したことが沢山……。


 と考えた所で、すぐに思い浮かんでくる後悔など俺にはなかった。


 毎日をダラダラと過ごし、ある意味死んだように生きていた俺に、夢や目標なんてあるわけがなかった。自主性など疾うの昔に失われてしまったので、周りに合わせて流される生活の果てに、どんな場所に行き着こうと構わない。


 俺が何かを成し遂げる側の人間ではないことは、これでの生活の中で自分が一番よくわかっていた。憧れという言葉がもたらす刺激よりも、身の程にあった生活による安寧の方を選んだのだ。


 自分の意志で何かを掴み取ろうと努力した覚えのない俺には、死に際になって「こんな所で終われない」と消えゆく命を繋ぎ止めるだけの執着は皆無だった。


 心残りがあるとすれば、後悔といえるようなモノや死んでも死にきれないと言えるようなモノがないこと自体だろう。


「それを探し求める時間はこれまで十分にあっただろう」と言われたらと、「仰る通りです」と口を結んで小さくなるしかない。


 与えられた砂時計から零れていく砂を眺めるだけで、散々時間を浪費しておきながら、唐突に取り上げられた途端に「ここで終わりなんて聞いてないぞ」と文句を言うのは贅沢な我が儘なのだろう。


 しかしながら、ここで大人しく「はい、わかりました」と素直に命を手放せるほど、俺は物わかりの良い人間でもなかった。


 俺はまだ死にたくない。死んでも死なない!


 このまま流れに身を任せて、意識を失ってはいけないことだけは確かだった。気を抜けば一瞬で消失しそうな意識を、この世界に引っ掛けておくための何かを探そうと、俺は必死に辺りを見渡した。



 やがて、遥か向こうに差し込む暖かな一筋の光を見つけた俺は、きっと無様な姿だとしても、全身全霊で藻掻きながら何もない空間をひたすら泳いでいった。


 ……


トゥクントゥクン、トゥクントゥクン。


 最初に戻ってきた感覚は、脈打つ心臓の力強い鼓動だった。そこから送り出される熱い血液を介して、手足の感覚が明確になってくる。


 身体を支える脚の下に硬い地面の感触、倒れないようにバランスを取る両手は微かな風を捉えている。そして、徐々に回復する視力が結んだ像に、俺は言葉を失った。つい先ほどまで校舎の屋上に居たはずなのに、荒れた大地の上に立っていた。


「生きてるんだよな……?」


 確か俺は、屋上で雷に撃たれて……。


 ぐるりと辺りを見渡すと、爆発による噴煙なのか白い煙と土埃が視界を遮っている。まさか、あの一瞬で校舎が吹き飛んだとでも言うのだろうか。それとも俺だけ? いやいや、そんな馬鹿な。と冷静に考えた時、屋上にはもう一人いたことを思い出す。


「鏡美さん?! 鏡美さんっ!!」


 何度声を張り上げても、帰ってくるのは不気味なほどの静寂だけだった。落雷の影響で耳がやられたのか、平衡感覚を邪魔するような甲高い耳鳴りが続いている。


 荒野に只一人で立ってるという突拍子もない出来事に、ふと力の抜けた右手から手紙が滑り落ちていった。そのまま突風にさらわれると、空高く昇って行き見えなくなる。


「あっ……」


 落胆の声を出しながら地面にへたり込んだのと同時に、視界はさっと晴れていった。ゆっくり顔をあげると、目の前にはカナダのデヴォン島やチリのアタカマ砂漠のような、火星を思わせる褐色の大地が広がっている。


「ここどこ……?」


 ポケットからスマホを取り出した俺は、インカメに視線を向けた。いつもならフェイスIDで直ぐにホーム画面が開くのだが、しばらく待っても反応はない。黒い液晶は情けないアホ面を反射するばかりで、電源ボタンを長押ししてもうんともすんとも言わなかった。


「マジか、壊れた?」


 全体を確認してみたが、画面が割れていたり、変形していたりといった外見上の異常は見られない。一度SIMカードを取り外して再起動を試みたが、やはり応答はなかった。


「詰んだわ、これ……」


 恐らく雷の影響で内部回路が壊れたのだろう。自分で修理できそうにないとなれば、もはや無用の長物なのだが、直ぐには捨てられないのが人の性というものだ。


 銅鏡並みに見難い鏡と化したスマホをしまい込んだ俺は、頭を抱えて立ちすくむ。こういう時、どうすればいいんだ。放心状態でしばらくいると、それまで気に留めなかったが右腕に痺れるような感覚があることに気づく。


 見てみると、手の甲にはシダの葉のような模様が赤く残っている。恐らく皮膚に電気が流れた痕だろう。雷に打たれた傷痕である雷紋は、右手から背中の方へ伸びているようだった。


「良く生きてたな、これ」


 身体を走る雷紋の禍々しさに対し、着ていた制服は少し焦げた程度で原型を保っている。他の装飾品はどうか確認すると、幸いにも腕時計は過酷な環境に耐える性能で有名な製品であるためか、唯一無傷で時を刻み続けている。メイドインジャパンの信頼性に感嘆しながら、これからのことを考える。


 これが噂の異世界転生……? 

 いや、姿は変わっていないから異世界転移か?


 ふとそんな言葉が頭をよぎる。セオリー通りなら異世界人のとファーストコンタクトというイベントが自動発生するはずなのだが、いつまで待っても人っ子一人現れず、草木もない荒れた大地に野晒しで放置されている。


 異世界転移じゃないってことなのだろうか。

 となれば、紀元前までタイムスリップとか?

 それとも人類が滅びた近未来とか。


 冷静に自分の状況を俯瞰できるようになってきた俺はこの場に居続けても事態は好転しそうにないと判断し、少し歩いてみることにした。太陽を基準にしようと考えたのだが、殆ど真上にある時間帯なので当てにならなかった。


 取り敢えず適当に進んでみたが、次第に真っ直ぐ進んでいるのかわからなくなってくる。360度同じ様な光景が広がり、時折吹き付ける突風が砂地に残る足跡を消し去っていた。


「なるほど、こうやって人は遭難するんだな」


 立ち止まった俺は、他人事のように自分の状況を客観視する。何か目印になるような物はないだろうか。遠くに眼を凝らすと、遥か前方に位置する陵丘が白い帯で縁取られているように見えた。


「何だあれ……?」


 スマホが生きていればカメラでズームできるのに。仕方なくじっと目を凝らしていると、背後からバイクのふかし音が響いた。飛び上がるように振り返ると、数百メートル程後方にちらつく光の点が、土煙を棚引かせながらこちらに向かって一直線に走ってきている。


「えっ、ちょっと、俺のこと見えてるよな?!」


 徐々に大きくなっていく光の塊は、真っすぐ俺に向かって進んできている。直撃を免れようと左右に走ってみるが、バイクのヘッドライトはサーチライトのように狙って逃さなかった。


「おわぁぁぁああああ!」


 視界は白い光で満ちていき、これは死んだと覚悟を決める。衝撃に備えて身を硬くしていると、猛スピードで向かってきていたバイクは俺を吹き飛ばす直前で急停車した。


 タイヤに弾かれた砂粒が頬を叩き、巻き上がる砂煙が呼吸の邪魔をする。咳込みながらヘッドライトの眩しさに顔を手でおおっていると、ドゥドゥドゥとうなり声を上げていたバイクのエンジン音が止まった。


 視界に浮かぶ光の残像の中、ハーレーダビッドソンの運転席には真っ黒なライダースーツを着た女性が座っている。女性は俺に向かって棘付きの鞭を向けると、高らかと言った。


「私の前に飛び出してくるとは良い度胸だねぇ。お前さんが次のお客様かい?!」


 飛び出すも何も、俺はただ道路も何ない荒野を歩いていただけだ。寧ろ突っ込んできたのはそちらではないか、と思いながらも返す言葉に悩む。


 さながらレディースの総長に捕まってカツアゲを受けそうな状況ではあるが、ようやく出会えた第一異世界人だ。無礼な態度で怒らせるわけにはいかない。まずは相手を観察し最適解を見つけよう。


 よく見ると、格好は単なるライダースーツではなく、寧ろナイトクラブの女王様のようだった。機嫌を損なわせたら最後、何をされるかは想像できないが、今のピュアな俺には別れを告げることになるだろう。


「おやおや。許可があるまで喋らないとは、しっかり教育されてるじゃないかい」


 沈黙を貫く俺に、女王様は何故か嬉しそうにしている。言葉や表情に敵意は感じられないので、悪い人ではなさそうだ。黒髪に映える真っ赤な唇にグラマラスな体型、艶のある落ち着いた声色は大人なお姉様系で、心の中のMっ気を刺激される。 


「あの、すみません。ここは何処なのでしょうか……?」

「お黙りっ!」


 俺の問いかけに女王様は大きな鞭を地面に打ちつけた。すると、その後ろから「んおおぉーっ」と野太い歓声が聞こえる。ヘッドライトの眩しさに気づかなかったが、大勢の下僕を引き連れていたらしい。バイクの後を走っていたのだろうか。ハアハアと届いてくる荒い息遣いは二重の意味に聞こえた。


 全員が黒いブリーフ姿で、お揃いの首輪の先はバイクに繋がっている。更には黒いロープで身体を縛り、目隠しをして猿ぐつわまで咥えている。一体どんなプレイだと困惑するしかない。途端に、変な人たちに声をかけてしまったと後悔が生まれた。


「質問してるのは私の方だよ? 君が次のお客様かい?」

「お客様……? いや、多分違います。俺は只の高校生と言うか、学校の屋上にいたはずなんですけど」


 俺の言葉に「なるほどね」とどこか遠くを見つめる女王様。しばらくあって、試すように問いかけてくる。


「……君」

「はい……」

「ここがどこだかわかるかい?」

「いや、すみません。本当にこの状況が飲み込なくて……」

「はじめは皆、そうだろうねぇ」


 バイクから降りた女王は、四つん這いになって椅子代わりになっている小太りな男に鞭を打ちつけた。黒い閃光を背中に受けた男は、悲鳴にも似た歓声を上げて喜んでいる。


「この世界じゃ誰もが自分自身を見失い、何者であったかを忘れて、終わることのない悠久の苦しみに囚われる」

「はぁ……」


 何の話をしているのかサッパリだ。困惑する俺の代わりに、鞭で打たれた別の男が「うぐっ」と陶酔した表情で声をこぼす。


「私はそんな愚かな人間たちに、進むべき道を示す者だよ」


 恐らく女王様としての設定なのだろう。取り敢えず静かに話を聞いてはいたが、バイクのライトが眩しくてイマイチ内容が入ってこない。


「あの、すみません。一先ずその、バイクのライトを消してもらえませんか?」

「ふふふ、そんなに私の存在が眩しいかい?」

「いや、そういう意味じゃなくて、物理的にといいますか……」

「不安になることはないよ。ここにいる奴らは皆、私に目を奪われているんだからね」

「あの、本当に違くて」

「コイツらを見てみな、どいつもこいつも嬉しそうな顔して」


 と女王様はハイヒールの踵で足蹴にする。踏まれた男は、痛みに悶絶しながらも嬉しそうな声を上げている。俺は一体何を見せられているのだろうか。


「お前さんも素直になりな。私の鞭が欲しいと」


 その声に、男たちが動物のような嬌声を上げる。その度に「五月蠅いよ!」と別の男が鞭で打たれていく。


「さて、それじゃあその白い服を脱ごうか」

「はい?」


 その言葉を合図に、最前列にいた男たちが一斉に襲い掛かってくる。その動きは小太りな体型からは想像できない程に素早く、再びハイビームとなったヘッドライトの眩しさに目を背けた瞬間、あっという間に周囲を囲まれ、身構えた時には地面に押さえつけられていた。


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