第3話:鳥突猛進
俺はここで死ぬのか。
次々と首をはねられて倒れていく野郎どもの姿が自分と重なった時、目の前に黒い影が立ちふさがった。振るわれた鞭が空気を捉える音を響かせた直後、弾かれた鉤爪は俺の真横の地面に食い込んだ。
「……女王様っ?!」
「威風君、ここは私達に任せて待避しなさい」
「はいっ」
俺は女王様の言うとおりに、背中を向けて走り出した。とは言え、どこが安全な場所なのか皆目検討もつかない。しかし、立ち止まってしまったら、またあの爪の餌食になるだろう。とにかく今は、自慢の脚を駆使して、人がいない方へ全力で逃げるしかなった。
死にたくない、死にたくない、死にたくない!
背後から聞こえる悲鳴に心を殺されながらも、俺は本当の限界が来るまで足を動かし続けた。何度躓いて転ぼうとも、心臓が激しく動いている限りは、起き上がって走り続けた。
「はぁ……、はぁ……!」
脳裏に刻まれ鮮烈な光景を思い出さないように、ただ前だけを見て全速力で駆けた。しかし、脇腹の張り裂けそうな痛みと苦しい呼吸に耐え切れなくなって、足が止まってしまう。ダメだ、立ち止まったら死ぬぞ。振り返る勇気もない俺は、意地でも足を動かして移動を続けた。
果たして、戦場からどのくらい離れられたのだろう。無心で歩き続けていると、周りの雰囲気が変わっていることに気づいた。ふと立ち止まって辺りを見てみると、褐色の地面から一転し、石化したように色を失った木々が浮かぶ不気味な湖の近くにいた。
それは南アフリカのタンザニアにあるナトロン湖を思わせるような光景で、対岸が見えないほど巨大な湖が赤い水を張って広がっている。生き物がいるような気配はなく、時が止まったかのように静かだ。途端に、一人で居ることに不安を覚えた。
「誰か、誰かいませんか?!」
俺の呼び声は、反響しながら樹間を響き渡った。すると、あちこちで無数の羽ばたきが起こり、近くの木が枝葉を揺らす。身構えていると、彫刻のように白い枝の隙間から一羽の鳥が姿を見せた。ソフトボールぐらいのサイズ感で、跳ねるように近づいてくる。
「ピヨピヨピヨ」
「……ひよこ?」
可愛らしい動きと鳴き声だが、よく見ると只のひよこではないようだ。赤い瞳はルビーのように怪しく光り、黄色と黒色の警戒色に染まる両脚の先には鋭い爪が伸びている。鉄色に染まる嘴は獲物の骨まで砕かんばかりの光沢を鋭く放っていた。
「なんだ、コイツ……」
鋭い気配に振り返ると、既に包囲されていた。ピヨピヨと頭を前後に揺らしながら、徐々に距離を詰めてくる。
「えっと、これはヤバいか……?」
ひよこたちの目には、小さくも獲物を狙う獣の怪しい光が宿っていた。走って逃げようにも、足はとっくに限界を迎えている。迎え撃つしかなさそうだが、素手で相手をするのは厳しそうだ。何か武器になりそうなものはないかと、近くに落ちている枯れ木に手を伸ばす。石のように固い枝を竹刀のように構え、今にも飛び掛かってきそうな怪鶏に鋭い視線を向けた。
「ふぅ……」
呼吸を整えながら、相手の動きを見る。怪鶏たちも俺の戦意を読み取ったのか、より激しく羽根をばたつかせると臨戦態勢に入った。可愛らしかった鳴き声も、合唱になると不気味な音色だ。
「ピピピピッ!」
「うぉぉおおおおっ!」
構えた枝を振り回してみるが、石化している所為か見た目よりも重くて扱いづらい。次々と飛びかかってくる怪鶏に、隙だらけの大振りで応戦する。俺の攻撃に微塵の脅威も感じていない怪鶏は、獲物を弄ぶように襲ってきた。
迫力に押されてジリジリと後退すると、不意に地面の感触が変わった。視線を下げると、いつの間にか湖の畔まで迫っていた。粘土のようにぬかるんだ地面は滑りやすく、踏ん張りが利かないため、俺の動きはより鈍くなる。それを好機とみたのか、怪鶏たちが一斉に飛びかかってきた。
「ピピピッ!!」
「くそっ!」
バランスを崩しながらも、バットを振る要領で木の枝を振り回した。しかし、野球経験のない俺には、魔球の如く動き回る怪鶏を正確に捉えることは困難だ。空を切る豪快なスイング音だけが虚しく響き、怪鶏の攻撃ばかりが俺に当たる。
「ピヨピヨピヨッ!!」
「痛っ!」
鋭い爪に引っ掻かれ、全身に細かい切り傷が走る。このままじゃ埒が開かない。水の中なら追っては来られないだろうと、背後の湖の中へ振り返った瞬間、血のように赤い水面がブクブクと泡を吹いた。寸前で飛び込むのを躊躇する。波打ちながら異様な煙を放っている湖の様子に、水の中に逃げ込むのは本当に最後の手段だと本能的に考え直す。
しかし、このまま無作為に枝を振り回していても、悪戯に体力を消耗するだけだ。何か手だてはないか。必死に頭をガードしながら、俺は怪鶏の動きを観察した。異形の姿であることに囚われていたが、所詮は鶏の子どもなのか、動きは直線的で個々の攻撃パターンは予想しやすい。
「ピヨッー!」
「うぉおりゃぁぁあ!」
複数体を一気に相手にするのではなく、一個体に的を絞ってフルスイングしてみた。果たして、羽ばたきながら突っ込んできた怪鶏の横っ面に、強烈な一撃が初めてヒットする。
「ビヨッ!?」
「よっしゃぁああ!」
潰れた声を出し、放物線を描きながら吹き飛んだ怪鶏は、そのまま湖の中に着水した。その瞬間、爆発するように水面が暴れたかと思うと、怪鶏の姿はたちまち見えなくなった。
っ?!
湖にはピラニアのような肉食動物でも潜んでいたのだろうか。ほんの数秒で何事もなかったかのように静寂が戻ると、後には食べられなかった骨と羽が浮かんでくる。あのまま湖の中に逃げていたら、俺の方があんな風になっていたのかもしれない。
怪鶏たちは一羽やられた程度では怯む様子がなく、むしろ俺が一方的に蹂躙される存在ではないと認識を改めたようで、より激しい集団攻撃を仕掛けてきた。その動きは一段と速くなり、これまで本気を隠していたとわかる。とは言え、ワンパターンで動き回っている事に変わりはない。
「うりゃぁああああ!!」
「ゴゲェッ?!」
タイミングさえ見極めれば、ヒットを量産する事は可能だ。豪速球に空振りをすることも増えたが、寧ろ、バントの容量で適切な位置に構えているだけでも、向こうからぶつかりに来てくれる。相対的な運動量が増したばかりに、俺がバットを力一杯振るわなくてもその衝撃は十分に大きい。
「ジャストォォオオオオ!」
雄叫びとともに、軽快とは言い難い鈍い音を響かせる。ファールボールのように打ち上がった怪鶏たちは、次々と湖に飲み込まれていった。気づけば怪鶏は、残りを片手で数える程まで減っている。
奴らのスピードは仲間が減る度に加速しており、既にピークに達していた。もはや普通の鶏が出せる移動速度ではなく、動きを目で追うことはできても、身体を反応させることはできなかった。
「ピヨピヨッ!!」
「クッソ……」
もはや構えているだけでは力が足りず、簡単に弾かれてしまう。打ち返せないならと攻撃の勢いをどうにか受け流しているが、怪鶏の身を挺した体当たりは身体がのけぞる程の衝撃がある。
「流石に厳しいか……」
盾のように使っていた木の枝は、その度にボロボロに削られている。このままでは砕け散ってしまうのも時間の問題だった。他に武器になりそうな物は落ちていないか。猛攻に耐えながら地面を探っていると、湖に喰われた怪鶏の残骸が陸地に打ち上がっているのを見つけた。原型は殆どなく、身体の一部分のみが残っている。それは嘴や爪といった硬い部位ばかりで、奴らも武器として使っているパーツだ。その色味通りに、鉄のような金属でできているため食べられなかったのだろう。
体力的にも、大きな得物を振り回す余力はない。しかし、素手で立ち向かえるほど、易しい相手でもないことは明白だ。いよいよ限界を迎えた木の枝が突撃によって弾けた瞬間、俺は地面に飛びついた。手を伸ばした先にある嘴が、どう役に立つのかはわからない。しかし、直感を信じて指先にはめてみる。思った通り、サイズ感はピッタリだ。
いわゆるフィンガーリングのように右手の指先を武装した俺は、サイドステップの要領で次の突撃を躱すと、そのすれ違い様に右腕を振り上げた。鋭い嘴の切先が怪鶏の皮に引っ掛かり、筋肉をスッと裂いていく感触が指先から伝わる。
「どうだっ?!」
「ピエェェエッ?!」
甲高い悲鳴が背中越しに聞こえた。狙い通り、カウンターが入ったようだ。振り返ると、血飛沫を飛ばしながら走っていた怪鶏が勢いよく地面に転がり、少しの痙攣の後に動かなくなった。
「これならいけるっ!!」
「ピェェエエエ!!」
爪を構えた俺は、次の攻撃に備えた。しかし、ビギナーズラックは最初の攻撃だけで、カウンターは中々決まらない。まともに受け止めたら最後、簡単に身体の一部を持って行かれそうなほどの勢いに、全身が緊張して動きが硬くなっている。回避行動に専念するのが精一杯で、反撃が間に合わない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
恐怖と疲労と緊張で、呼吸が荒くなっている。限界を超えた足にはいよいよ力が入らなくなり、ぬかるんだ足元に滑って体勢が崩れた。その隙を見逃さず、黄色い弾丸が赤い閃光を残して真っ直ぐ突っ込んできた。




