06.おまえが好きなんだ
ニコがディセルの意外な表情を目撃し、ディセルがニコの隠れた一面を知ったあの日から、数日。ニコは仕入れた情報から何人もの美人Ωのもとを渡り歩いていた。事と次第の当事者でありながらお荷物的存在でもある、ディセルを引き連れて。
どれほど待っていろと伝えてもディセルは頑なにニコの側を離れようとしなかった。そしてローゼンディア領では目にしたことも無かったような容姿端麗なΩに対して、話すら聞く前から事も無げに言い放つのだ。
「違う! このΩではない!」
何が気に入らないのだろう。勿論、昔出会ったΩその人を探しているというディセルの言い分は分かる。しかしどう見ても、ディセル自身に当時の記憶はほとんど無い。
この辺りでそろそろ、身を固めるための合理的結論を検討してみてはいかがだろうか。特に先ほど訪ねた女Ωは素晴らしかった。容姿はもとより、家柄も良く教養もあり、そして突然やって来た横柄な態度のディセルに対してあっけらかんと笑い飛ばす度量まで備えていた。
「ディセル様、絶対にあの御方お薦めですよ! 今からでも戻ってプロポーズされてはどうですか?」
「ふざけるな! 別人と結婚などできるか!」
そうは言われても、せめて男Ωか女Ωかくらいは覚えていてもらえないものかと、ニコは大きく項垂れた。東方でのΩ候補も次第に尽きようとしている。全員違うと言われてしまえば、また1から探し直しだ。
このお坊ちゃんは本気で結婚する気があるのだろうか。そしてニコは果たして下町へ帰れるのだろうか。一生ディセルの部屋の片付けをさせられている未来を思い浮かべて、ゾッとしてニコは首を振った。
「……ディセル様、もっとこう『運命のΩ』様についての……、えー、何と言うか、お好きなタイプとかは無いんですか?」
あなたの記憶力にはもはや期待していない。むしろ好きになれそうな傾向を教えて欲しい。ニコの願いは切実であった。
しかしそんな苦悩を知ろうともせず、ディセルはどこか浮かれたような面持ちを隠そうともしないまま、口もとをムズムズさせて答えた。
「……別に。……なんか、世話焼き? タイプとか? 普段はあまり笑わないとか? 割と、見た目は地味とか? ……オレの言いたいことを、何も言わなくても汲み取れる……とか?」
何だそれは。
この東方に地味なΩなんています? と問い質そうとして、ニコははたと直立してしまった。
何か……、知っているな、その人物。
いやいや。思い直して首を振る。我々が探しているのは、絵にも描けない美しさのΩだ。勿論会話中ディセルの言いたいことを汲み取れるに越したことは無いだろうが、大切なのはそこではない。違うだろう?
なのにディセルは追い打ちをかけるようにさらに付け足してくる。
「……ニコ、おまえ本当にβなのか?」
ディセルの瞳はやや熱を帯びて見えた。
駄目だ、いけない。
さも何でも無いように、ニコは目を逸らしながら答える。
「当たり前ですよ。見れば分かるでしょう?」
「……では昔、子供の頃におまえ、我がローゼンディアの屋敷近くに来たことは無かったか? オレと会って無かったか?」
「無いですね。無いですよ。平民ですからそうそう立ち入れません、領主様のお屋敷になど」
「でもっ……」
「ディセル様」
ニコは涼しい声色を心がけてディセルの言葉を遮った。
「早くディセル様の『運命のΩ』様が見つかりますよう、私は誠心誠意努めるだけです」
次からは東方エリアのやや外れの地域にまで出向かなければならなくなるが、今度こそ必ず気に入るはずだ。
だからどうか、一時の気の迷いでおかしなことを言い出さないでくれ。
無理やり口角を上げてニコは告げた。不満そうな膨れ面をしながらもやけに距離の近いディセルを、できるだけ軽く受け流して。
◇ ◇ ◇
「ニコ、もっとゆっくり歩こう」
この日もまた、ディセルにたしなめられてしまった。ディセルよりも遥かに短いはずの足が、やたらと早回しに動くのだ。気ばかり急いてしまっている自分を内省する。
ディセルはつい先ほど露店商から購入した果物をニコに半分差し出した。今では先に毒見を命じられることも無く、毎日の習慣のように2人は並んで町を歩き、買い食いをし、他愛の無い話をしながら1日を過ごしている。
「……ニコ、おまえよく見ると割と……意外と、ほら、あれだな」
「あれでは分かりませんしあれでもないしそれでもないです」
「あれはあれだ。あー、その……意外と……」
「何も言わなくて結構です。ほらディセル様、もうすぐですよ」
余計な発言をさせまいと、ニコは進行方向を指差した。
最近のディセルはどうにもおかしい。夜も遅くなるまでニコが使用人部屋へ戻るのを許さないし、こうして歩いているときには妙にこちらばかりを見てくるし。挙げ句の果てに、その視線はまるで絡みつくようにニコの全身を痺れさせてくる。
「……ニコ、話があるんだが」
「いいえ、聞きません。もうすぐ次のΩの住むという屋敷です」
「聞け」
「嫌です」
「ニコ!!」
ディセルは尚も進もうとするニコの両肩を掴み、グッと顔を近づけてにらみつけた。こんな風に上から押さえつけられてしまうと、体格差のあるニコには抜け出せる術など無い。
「……駄目です、ディセル様」
「オレは、本当はおまえが……」
「駄目です!!」
何せディセルの望む通り言いたいことを汲み取れる優秀な従者として、日々共に過ごしてきてしまっているのだ。
この先は聞きたくない。言わせるわけにはいかない。
「ディセル様! 私の任務は、あなたの『運命のΩ』様を探すことです。それ以上のことはご容赦ください」
だがディセルのほうはもう、感情の限界を迎えていたのだろう。
「仕方ないだろう!! ……オレはおまえが好きなんだニコ!!」
やめてくれ。
……やめてください、本当に。
ニコは目を伏せた。
分かっていた。いつからか、他の誰よりも自分がこの主の特別になりつつあったことを。見くびらないでもらいたい。人の心を読むのはニコの十八番なのだ。
だが同時に、認めるわけにはいかなかった。ディセルは指折りの有力豪族の次男だ。美しく優れたΩと結婚して子を為さなければならない宿命だ。どう逆立ちしたって、βの自分に子供は産めない。
「ニコ、オレはおまえがカワイイ。おまえといるときがオレにとっては、1番気の休まる時間なんだ」
それは、従者であるニコの立ち回りがただ卓越していただけだ。ディセルは毎度気が利かないと怒鳴っていたけれど、そうでもなかっただろう?という自負はある。
「……ディセル様、『運命の……』」
「Ωの話はいい! オレはおまえに言っているんだニコ!! βのおまえにだ!」
ああ、顔はいいしいい匂いがするし。クラクラと脳幹を揺さぶられてニコは、強くこめかみを押さえた。
もしもニコがβではなかったら。それはディセルも口にしていたことだ。本当にβなのかと。
けれども紛うこと無き、ニコは平凡でどこにでもいるただのありふれたβなのだ。
「……ディセル様の『運命のΩ』様をお探しします。私は、この命に替えても」
静かにニコは返した。
「…………それが、おまえの返事か」
それ以外にどう返せと言うんだ。何を言えと、平民βに?
「……ディセル様のお幸せなご結婚が、私の願いです」
嘘ではない。そのために雇われたし、そのための給金を頂戴してきた。
ディセルは俯いて両手の拳を握り、唇を噛んでいるようだった。お気に召さない対応には、いつもならばすぐに怒号が飛んでくるはずだが。しかし今はそれも無い。
「…………ニコ」
絞り出すようにディセルはニコの名を呼んだ。胸が痛い。目の奥も脳もとても痛い。ディセルは深い溜め息を吐いた。下を向いたまま。
「出発前に、あのネックレスをまた作り直させている。それだけは、せめて受け取れ」
「……赤い石の、元はピアスだったあれですか? しかし私は金属アレルギーで……」
「肌には触れさせないようにする。オレの気持ちだ」
「…………」
そう言えば、何故ディセルはあの赤い石にこだわるのであろうか。ピアスが駄目で、ネックレスも駄目で、さらにまた作り直させてまで?
「……ニコ。次に会うΩも、オレはきっと気に入らないだろう。おまえが隣にいるのだからな」
恨みがましい目で、ディセルはニコを見た。それは世間で噂される我が儘次男でも、ニコのよく知るあほ坊でもなく、胸に決意を秘めた1人の男の目であるように思えた。
◇ ◇ ◇




