05.初めて見た
東方に至る境界の物々しい関門砦をどうにか無事に通り抜け、一行は第3夫人の育ったという親族所有の屋敷へと辿り着いた。
しかしディセルのみならずニコや他の従者たちも、その佇まいには言葉を失ってしまった。いや、正確には砦からこちらずっと、東方エリアの町並みや家々、暮らしている人々の様子を見るにつけ、皆は一様に不可解な表情に変わりきっていた。
祖父母や叔父叔母たちとの久方振りの再会を喜び合ったあと、第3夫人はやや恥ずかしそうに、申し訳なさそうにこっそりと笑った。
「驚いたでしょう? 東方は他地域との交流を絶って久しいので、文化も経済も酷く遅れているのです。この土地しか知らない者たちにはそれが分からないため、自分たちがさぞ優れているかのように振る舞うのですよ」
「…………い、いえ……」
昨夜町外れの宿を扱き下ろしていたディセルが、明らかに嘘だとは分かる顔ではあってもせめてもの否定の一言を口にできたことは、褒めてやるべき事態だったのかもしれない。義姉の故郷を本人の前でけなすわけには、さすがに。
そうは言っても、東方のこの町並みはあまりにも古めかしく、鄙びて見えた。今いる屋敷もまた、いつの技術だか分からないほど前時代的な造りで、あちこちの傷や隙間が相当な年代を感じさせる。
服や髪もそう。老いも若きも、とても今の流行や洗練を思わせる者はいない。ニコが国立図書館で調べた限りでは、このような時代遅れ……、もとい、クラシックな空気が流れているとまでは読み取れなかったのだが。第3夫人は続けた。
「私には懐かしく落ち着ける風景なのですが、都会育ちのディセル様や皆々には過ごしづらいかもしれませんね。この屋敷に滞在するうちはなるべく不便の無いよう努めさせますが、何かあればどうぞすぐにおっしゃって」
「…………あ、え、はあ……」
「お心遣いまことに恐れ入りますファルファラ様。ディセル様は歴史にも造詣がおありですから、とても興味深くご覧になっておられるご様子です。また、独自の文化が色濃く根づいた風情ある町並みの散策も、非常に楽しみにされておいでです」
曖昧な相槌しか返せないディセルの隣で、ニコはペラペラと嘘八百を並べ立てた。もう良いのだ。嘘だろうがバレていようが何だろうが、一刻も早くΩ探しを始めなければならない。
ニコは親族各方面への挨拶、そして苦笑する第3夫人へのひとまずの弁明を手早く済ませ、与えられた古い使用人部屋へと急いだ。
しかし何故か、ディセルもピッタリとついて来ている。ディセルには当然貴賓室という名の古い別室が用意されているというのに。まあどちらにせよ古いのだが。
「ディセル様、私は早速町へ情報収集に行って参ります。ディセル様は貴賓室でお待ちください」
先ほどの町並みの散策だなんて会話も、勿論方便だ。ディセルは置いてニコだけで出かける準備を整える。しかしディセルの無駄口は一向に止まない。
「なあニコ! 東方って何もかもボロいなーっ! ここにいると服や髪が汚れそうで嫌なんだが!」
「しっ! しばらくご厄介になるんですよ、お控えください」
「だってほら、汚いぞあれもこれも! いつから使っているんだこの抽斗、そのランプも。それに親族たちの服を見たか? 下町の平民たちよりもずっとみすぼらしかったじゃないか」
「変わりませんよ我々と。いいから黙ってください」
「なあなあニコ」
「うるさいですよディセル様。私は忙しいのです」
「おいニコ」
「何です!」
しつこく話しかけてくるディセルを、ニコはついうっかり睨みつけそうになってしまった。しかしそこへ望まない一言を食らい、ニコはデジャヴのごとく顔をしかめて歯軋りをするのだった。
「オレもいっしょに町へ行くぞ!」
「…………げっ」
◇ ◇ ◇
町の宝石店と仕立屋を幾つも回り、ニコは手元の小さなメモに走り書きをしながら足早に歩いていた。どんな町であっても、宝石や服飾を扱う職人たちがもっとも地域の名家について詳しいのだ。
20年ほど前に東方を出たことのある美しいΩについての情報は、おかげで早々に集まり始めていた。
「ああ、つまらん!!」
だがずっと文句を途切れさせない以外には何もせず、ただ隣をついて回っているだけのディセルが、辟易したような態度で空を仰いだ。この男さえいなければニコはもっと身軽に動き回れるのだ。大きな荷物を担がされ、参っているのはこちらのほうだと、つい恨みがましくねめあげてしまった。
「……何がです、ディセル様」
不貞腐れた表情でこちらを見下ろすディセル。ついでに辺りを見回し、わざとらしい溜め息と共に頭を振る。
「めぼしい宝石なんて無いじゃないか! 服も古いデザインばかりだ。つまらんつまらん!!」
「しっ! 店の者たちに聞こえます」
「聞こえても構わん! このオレを誰だと思っているんだ、せっかくこんな東方くんだりまで来てやったというのに!」
誰もあなたに来て欲しいなどとは思っていないのだ、ニコを筆頭に。だがニコは青筋が浮き出てしまいそうなこめかみに指を添え、かろうじて冷静に答えた。
「……ディセル様、ですが東方の人々が美しいという噂はまことでございますよ。Ωはもちろんαも、そしてβですらも皆優れた容姿を持っている様子。きっとディセル様の『運命のΩ』様も、ここにならいらっしゃいますね。宝石や服よりも、もっと人をご覧なさいませ」
あらためてニコは町の人々に目をやった。服装こそ垢抜けないが、目鼻立ちや髪や体型については、小さな子供たちや中年、老人に至るまでもが大変に整っているように見える。そして第3夫人の言うように、自分たちの生まれに誇りがあるのだろう、振る舞いにもどこか品がある。
「そうか? どいつもこいつも取り澄まして、気位が高そうな態度が鼻持ちならないけどな」
悪態をつくディセルに、それは同族嫌悪でございますよ、とツッコミたい衝動を呑み込むニコだ。しかしディセルは続けた。
「それよりも、おまえこそ人ばかりではなく、もっと町を見たらどうなんだ、ニコ」
「え?」
ディセルが道行く先を指差した。
「見ろ。軒先に青い花が咲いているぞ。ほらあっちにも。それに歴史が好きなのはニコのほうだろう。少し歩く速度を落とせ」
確かに、青い花がちらほらと他の草花に混じって咲いている。ニコはディセルの意外な言葉にふと足を止めた。
ノスタルジックな東方の町並みの真ん中で、嗅いだことの無い香りや感じたことの無い空気に包まれていることを、今さらながらに感じて大きく息を吸う。そうだ、こういう悠然とした情緒が、ニコは昔から好きだった。
「ニコ、こうしておまえと2人で町を歩く機会なんて今まで無かったな。もっとゆっくり行こう」
ディセルは微笑んだ。
何だその顔は。初めて見た。
吸ったままニコは、しばし息を止めてしまった。
いつもは自身の喜怒哀楽でのみ動いていたディセルだ。主に怒でいる時間が長かった。ディセルの怒号に怯え涙ぐんでいたメイドたちに、今のこの顔を見せてやりたい。
彼は優れた特別なαなのだと、あらためてニコは思い知った。
「ディセル様……」
「あ!! おいニコ、向こうで珍しい果物を売ってるぞ! 喉が渇いた腹が減った! あれを買って食おう!」
うっかり見惚れてしまっていたニコに、ディセルは腕を振り回して騒ぎ始めた。……ああ、いつも通りだ。
「……ディセル様、口に入るものは信頼できる馴染みの商人からしか受け取らないと、先日一見の業者を屋敷から追い出しておられたではないですか」
「うるさい! 今は仕方がないだろうあれを買うぞニコ! おまえが毒見しろ!」
ハイハイ、とニコは露店商からディセルの指差す果物を購入した。あまり見たことのない色と形だ。花といい果物といい、東方では植物も固有の進化を遂げているのだろうか。
「……ん、甘いし瑞々しくて美味しいですよ」
「早くよこせ!」
ディセルはニコの齧りかけの果物を奪い取ると、歯形の上から大きな口でかぶりついた。よほど喉が渇いていたようだ。
「フン、わあわあらな」
まあまあだな、と言いたかったのだろう。口いっぱいに頬張り過ぎて上手く発音ができていない。おかしくなってニコは、思わず吹き出してしまった。
「アッハ……、アハハハハディセル様!」
するとディセルは、口も手も足も止めてボーッとその場に立ち止まってしまった。種でも口に入ったのだろうかとニコがそちらを見上げると、ディセルは何故か頬を赤く染めて真っ直ぐにニコの瞳を見つめていた。
「……ニコ。おまえがそんな風に笑うのを、初めて見た」
奇しくもそれは、数分前にニコが感じていたのとまったく同じ所感であった。
◇ ◇ ◇




