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第81話:一次情報の収集、目と足で見て行こう

 ラテリスとの面会を終えると、本館1階のロビーに下りた。


 業者が発注を拒否しているという事実。その裏にある理由を探るには、ギルドの中にいても見えてこない。外に出る必要がある。

 ロビーで定点監察をしていたヴェリサと合流した。


「カツラギ様。午後の予定は、どうされますか?」

「午後は、少し街を回ってみよう。この第7区の経済が実際にはどう回っているのか、市場調査をしたいと思うんだ」


 データだけを盲信せず、自らの足で歩いて市場の空気を肌で感じる現地調査(フィールドワーク)こそが、仮説の解像度を上げる手段となる。


 俺たちは本館のエントランスを抜けて、第7区のメインストリートへと足を踏み出した。


---


 思えば、視察の枠組みから外れてこの街をゆっくり歩くのは、これが初めてだった。到着したのは夕暮れ時で、翌朝からはギルドの施設群を巡るばかりだったからだ。

 改めて歩いてみると、第7区の街並みは隅々まで洗練されていた。幅の広い石畳の道は清掃が行き届き、建物は周囲の緑と調和するように統一されている。すれ違う住人たちも、どこか余裕のある雰囲気を纏っていた。

 それはある種の優雅さでもあり、同時に、泥臭い生存競争から隔離された箱庭のようにも見えた。


 しばらく街の景観を観察しながら歩いていると、通り沿いに食堂を見つけた。

 時刻はちょうど昼時を回ったところだ。視察という名目であっても、まずは適切なエネルギー補給を行わなければ、午後の思考パフォーマンスは維持できない。


 俺たちはその食堂の、通りに面した開放的なテラス席に案内された。

 白いクロスが掛けられた丸テーブルに、簡素だが手入れの行き届いた木製の椅子。周囲の席には、家族連れや落ち着いた身なりの商人らしき人々が座り、穏やかに食事を楽しんでいる。


 注文したのは、香草を効かせた白身魚のローストと、トマトと数種類の豆を煮込んだスープに、パン。第7区の『自然との共生』という気風を反映しているのか、素材の持ち味を丁寧に引き出した、堅実で良質な料理だった。


「美味しいですね」


 スープを口に運んだヴェリサが、ほっとしたように目元を緩めた。


「そうだな。味付けのバランスがいい。シンプルだが、素材の良さがよく出ている」


 パンを千切りながら、周囲の客層の動線を観察した。

 給仕の動きには無駄がなく、客の話し声も適度な環境音として心地よく響いている。店全体が、この街の経済が健全に回っていることを示していた。


「あら、若いお二人さん。ご夫婦で旅行か何か?」


 不意に、隣のテーブルに座っていた老夫婦の妻の方が、にこやかな顔でこちらに声をかけてきた。


「お食事中にお邪魔してごめんなさいね。とてもお似合いで、見ていてなんだか嬉しくなっちゃってねえ」


 老婦人の言葉に他意はない。この土地ならではの人懐っこい距離感と、満ち足りた生活から来る善意の表れだろう。

 ビジネスの場であれば適当にやり過ごして相手の満足感を引き出すところだが、俺よりも早くヴェリサが口を開いた。


「いえ。私はただの同僚です。そのような関係ではございません」


 カトラリーを置くのもそこそこに、即座に、きっぱりと否定した。

 その声のトーンは冷ややかというほどではないが、誤解の入り込む余地を残さない明確な事実の提示だった。

 老婦人が「そうだったの」と気まずそうに目を瞬かせたので、俺はフォローの言葉を挟もうとしたが、ヴェリサの言葉はそれだけでは終わらなかった。


「ですが、カツラギ様の周囲には、すでに『何人も』そういった親しい関係の方がいらっしゃるようですので。私のような地味な者が加わる余地など、最初からございません」

「何人も、とは何の話かな?」


 聞き捨てならない事実無根の余計な話に、俺は思わず低い声で突っ込んだ。


「第9支部での普段のお姿を拝見しておりますと……ルティアさんに、レナンセムさん。それに先日は、セリウさんにもずいぶんと熱心な視線を送られていたようですし……」


 ルティアやレナンセムとのやり取りは、あくまで業務上の連携や、マネジメントの一環としてのコミュニケーションに過ぎない。

 そして、最後のセリウの1件に至っては、ただの言いがかりだ。あれは獣人の生態に対する人間工学的な興味というか、キャット族という概念に対する純粋な関心であって、他意などない。そう、他意などないのだ。


「全員、ただの仕事上の付き合いだ。君が想像しているような関係ではないよ」

「またまたぁ。お兄さん、案外隅に置けないねえ」


 俺の生真面目な反論は、老婦人のからかい混じりの笑い声に呆気なく掻き消された。

 当のヴェリサは涼しい顔をして、白身魚のローストを口に運んでいる。


 何故この女性は、普段はあれほど自分に自信がない様子を見せるくせに、俺の周囲の人間関係の機微においては、観察眼が鋭いのだろうか。

 俺は小さく息を吐き、コーヒーを喉に流し込むことで、これ以上の不毛な弁明を打ち切った。


---


 昼食を終えた俺たちは、本来の目的である市場調査へと移った。


「ヴェリサは装備には詳しいのかな?」

「いえ、私は冒険者をしたことがありませんし、魔導師関連のものしか分かりません」

「そうなのか。俺は全く戦えないから見た目の印象でしか分からないな」


 とはいえ、俺には『警告色視』があるから、何か問題があれば気づくことはできるのだが。


「ですが、素材の鑑定はできますよね? ガンド様が褒めていらっしゃいました」

「まあ、彼ほどではないが、人並みにはできる感じだよ」


 赤く光ったところを確認するだけなので、ズルい話ではある。


 最初に立ち寄ったのは、メインストリートから少し入った裏通りにある、冒険者向けの武器防具屋だ。

 乾いた鐘の音を響かせて店内に入ると、金属と革、それに防錆油の匂いが微かに漂ってきた。


 店舗の規模はそう大きくないが、陳列のレイアウトは理にかなっていた。入り口近くには初級者向けの革鎧などが配置され、奥に進むにつれて中級者向けの鉄の武器が並んでいる。商品の回転率を意識した、自然なABC分析が機能している証拠だ。

 棚の隅に埃を被っているような不良在庫は見当たらず、実用品がきちんと動いている店であることが窺えた。


「いらっしゃい。お二人さん、見慣れない顔だね。何かお探しで?」


 カウンターの奥で手入れの作業をしていた、エプロン姿の恰幅の良い店主が顔を上げ、声をかけてきた。


「ええ、街を見て回っていまして。品揃えの良いお店ですね。実戦で使い勝手の良さそうなものが揃っている」

「へへっ、お兄さん、見る目があるね。この辺りは初心者から中堅の冒険者が多いからな。見栄えのいい装飾品みたいなもんより、長く使える実用品を切らさないようにしてるのさ」


 俺は陳列を眺めながら、さりげなく問いを投げた。


「街の雰囲気がいいので、お客さんも多いんでしょう。商売も順調そうですね?」

「ああ、ありがたいことに変わりなくやってるよ。この辺りは穏やかな街だからねえ。まあ、デカい魔物を狩ってくるような連中は少ないが、その分、毎日コツコツと稼ぐ真面目な奴らが多いからね」


 店主は顎をさすりながら、人の良さそうな笑みを浮かべた。

 彼の言葉に淀みはない。資金繰りに困っているような気配は感じられなかった。

 冒険者の懐事情が悪化していれば、こうした装備品の買い替え需要は真っ先に冷え込むはずだが、店主の口ぶりからはそのような兆候はない。


 俺は適当に会話を切り上げると、短剣を一つ購入して店を出た。


「特に変わった様子はありませんでしたね」

「ああ。もう少し回ってみよう」


---


 その後も、俺たちは通りを歩きながらいくつかの店舗を覗いて回った。


 革製の防具や靴を扱う工房、日持ちのする保存食を小売りしている商店、冒険者向けの細々とした雑貨を置いている店。

 どの店を回っても、得られる感触は最初の店と同じだった。経営に困っている様子はなく、棚には商品が行き渡っている。街の商売は普通に回っていた。


 十数件ほどの市場調査を終えて最後に訪れたのは、メインストリートから外れた路地にある道具屋だった。

 ポーションや松明といった、ダンジョン探索に必要となる消耗品を扱う店であり、第7支部が発注を断られた物資と重なる領域だ。


「ここを最後にしようか」

「どの店も、特に気になることはありませんでしたね。カツラギ様は何か気づかれましたか?」

「いや、君と同じ感想だな。自然豊かで、落ち着いた街だ。老後はここに定住するのも悪くないな」


 スローライフを送るなら田舎がいい。といっても、日本に比べたらこの世界は外国で暮らすような感覚だから、どの街に住むのも悪くはなさそうなのだが。


「老後……ですか。大家族になりそうですね」

「えっ?」


 ヴェリサがよく分からないことを言ったが、気にせず道具屋に足を踏み入れた。

 店内には、色とりどりの液体が入った小瓶や、乾燥させた薬草の束が所狭しと並べられていた。

 ここもまた、品薄になっている様子は見られない。棚は商品で満たされており、埃を被ったような古い品は見当たらない。店の奥からは、薬草をすり潰す小気味良い音が聞こえてくる。


「第7区にはあまり来たことがないんですが、この辺りは冒険者さんもよく来られるんですか?」


 棚のポーションを手に取り、カウンターに立つ初老の店主に尋ねた。


「ああ、うちはこの辺じゃ長いからね。常連さんが多いんだ。顔なじみの冒険者が、ダンジョンに潜る前にポーションを買いに来て、帰りにまた補充していくって感じだね。おかげさまで毎日やっていけてるよ」


 冒険者の出入りに異変がある様子はない。客足が遠のいているような焦りも、店主の口調からは感じられなかった。


「これだけ商品が揃っていれば、冒険者も安心でしょうね。では売り切れて、手に入らなくなることもあるんですか?」

「そりゃ、たまにはあるよ。でも付き合いのある問屋から、決まった日にちゃんと届くからね。在庫で困ったことは、最近じゃ記憶にないね」


 店主はのんびりとした口調で答え、俺が買ったポーションを手際よく紙で包んでくれた。

 納品の遅れがないということは、調達期間(リードタイム)が正常に機能しているということだ。


 この店も、困っている様子はなかった。


---


 帰路を歩きながら、得られた情報と自分の考えを整理していた。


 今日の調査で確かめたかったことは、業者が第7支部からの発注を断っている理由だ。

 セリウの『入ってくる量が減っている気がする』という肌感覚と、業者が発注に応じないという事実。この二つが同じ根を持っているのだとすれば、その原因は市場の側にあるのか、それともギルドの側にあるのか。


 俺は、いくつかの可能性を想定していた。

 市場の在庫が本当に枯渇しているのか。他区からの買い占めが起きているのか。あるいは、商取引に支障をきたすような事件や規制が発生しているのか。

 実際に街を歩いて回った結果、そのいずれも該当しなかった。武器屋も、道具屋も、仕入れに困っている様子はない。棚には商品が行き渡り、サプライチェーンは正常に機能していた。この街の経済は、何の問題もなく回っている。


 ならば、答えは一つだ。

 在庫はある。仕入れもできる。それなのに、ギルドには回さない。

 業者は疲弊してなどいない。彼らは単に、何らかの理由で納品を見合わせているのだ。

 問題は市場の側ではなく、ギルドと業者の間にある。第7支部だけが、街の経済の輪から外れている。


 だが、その『何らかの理由』が何なのかは、まだ見えていない。

 もう一歩、踏み込んだ調査が必要だ。


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