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第80話:リスクマネジメントの死角、答え合わせの時間です

 第7支部の視察を開始して、7日目になる。


 本館1階のロビーは、今日も目に見える問題はない。

 ラテリスが構築した管理体制は堅実に回っていた。ルキアンの件はイレギュラーな出来事だった、ということになる。

 そろそろ視察を切り上げて、休みを取ってもいい頃合いではあった。


「おはよう、カツラギ殿」


 背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。

 振り返ると、銀色の髪を美しく撫で付けた監査官、シヴィリオが立っていた。上質な仕立ての外套を羽織り、その手には革製の旅行鞄のようなものが握られている。


「おはようございます、シヴィリオさん」


 彼は優雅な足取りで、俺の隣に並んだ。


「相変わらず、静かなロビーだな」

「私はあまり他の支部を知りませんが、他の支部もこんなに静かなものなんですか?」

「いや。冒険者が集まる場所としては、ここは群を抜いて静かだ」


 シヴィリオは口元に薄い笑みを浮かべた。


「もっとも、第9支部ほど騒がしい場所も、そうそうないがな」


 そうなのか。俺は第9支部の騒がしさが当たり前だと思っていたし、逆にここに来てからは、ギルドとは本来こういう静かな場所なのかもしれないとも考えていた。そうではなく、俺がたまたま極端な場所を見ているだけだったのか。ということは、ギルドの雰囲気は、第8支部が基準になるのかもしれない。


「ここ数日、貴君の目にはどう見えた?」

「そうですね、数字の上では依然として破綻はありません。ラテリスさんの構築した仕組みは、帳簿上は完璧に機能しています」


 そこで一度言葉を区切った。現場の違和感については、まだ仮説の域を出ていない。シヴィリオに共有するなら、もう少し確証を得てからの方がいいだろう。


「私も一通り目を通したが、確かに数字の上では非の打ち所がない。あの若さでここまでの管理体制を築けるのは、素直に感心できるものがある」

「はい。ですが、現場で働いている人間の方に、少し気になる点が出てきました。詳細はまだ検証中ですが」

「そうか。貴君が『気になる』と言う時は、大抵、気になる程度では済まないのだろうが」


 シヴィリオは含みのある笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。


「先日共有した件だが、昨日、本部より正式な通達が出された。第5支部および第6支部への、人員と物資の支援要請だ」

「ついに、正式な動きがありましたか」

「各支部は、速やかに対応可能な支援規模を報告し、実行に移すことが求められている。もっとも、どの支部も人員には余裕がないのが実情だ。支援の焦点は、物資の供出が中心になるだろう」


 正式な通達が出たということは、もう懸念や予測の話ではない。現実の問題として動き始めている。


「私には、この件で確認しておかなければならないことがある。第7支部が通達に対してどう動くのか、その対応は、貴君の方でもしっかりと確認しておいてくれ」

「承知しました。お気をつけて」


 短く頭を下げると、シヴィリオは微かに口角を上げた。

 彼には彼で、追うべき別の懸念事項があるらしい。それが何かは分からないが、お互いに確証のないことは口にしない性格だ。いずれ、然るべきタイミングで共有されるだろう。


 俺のタスクは明確だった。

 第5支部と第6支部におけるスタンピードの兆候。支援を求められた時、この支部はどう応えるのだろうか。


---


 本館2階への階段を上り、ギルド長の執務室がある廊下へと足を進めた。

 磨き上げられた木の床が、朝の光を柔らかく反射している。いつもと変わらない、穏やかな静けさだった。


 スタンピードの通達が出たが、この支部の日常には何の変化も見られない。

 ここが直接影響を受けるわけではないのだから、それが普通の反応なのだろう。


 重厚な木の扉の前に立ち、ノックを2回。


「カツラギです。少し確認したいことがあります」

「どうぞ」


 数日ぶりに入室したギルド長の執務室は、相変わらず張り詰めた空気に満たされていた。

 ラテリスは無駄なく整頓されたデスクの奥で、書類に目を通しているところだった。淡い朝陽が背後の窓から差し込み、彼女のピンクブロンドの髪を縁取っている。


「おはようございます」

「おはようございます。どうぞ、おかけください」


 彼女は、感情の読めない金色の瞳をこちらに向けた。

 応接用のソファに腰を下ろすと、俺は本題を切り出した。


「本部から正式に支援要請の通達が出たようですが。対応の状況はいかがでしょうか」

「はい。通達はすでに確認しております」


 ラテリスは手元の書類を横へ滑らせ、淀みなく答える。


「当支部は、日々の業務量を処理するための最適な人員数で運営しております。支援に回せる余剰はございません」


 予想通りの回答だった。

 人員の余剰を持たない。それは、彼女自身が推し進めた改革の成果そのものだ。


「前回の第8支部、第9支部のスタンピードの際は、この第7支部から数名の人員が応援に駆けつけてくれました。あれは、当時の支部が過剰な人員を抱えていたから可能だったということですね?」

「はい。それは非効率な運営の結果であり、たまたま有事に転用できただけのことです。平時の非効率を、万が一の事態のための備えだと正当化するのは、経営上の怠慢です」


 ラテリスのロジックには、1本の太い筋が通っている。

 企業経営においても、『無駄を省くこと』と『リスクへの備え』は常にトレードオフの関係にある。彼女は迷うことなく前者に極振りし、現在の利益を最大化させているのだ。


 シヴィリオが言っていたように、どの支部も人員には余裕がない。それは事実だろう。

 だが、『結果として余裕がない』ことと『余裕がないことを設計思想として肯定している』ことでは、意味が根本的に異なる。


 前者は、状況が変われば柔軟に対応する余地がある。後者は、そもそも対応するための思考回路が存在しない。有事に余裕がないのと、平時から余裕を持つ気がないのは、全く別の問題だ。

 今この場でそれを指摘したところで、話は平行線になるだろう。彼女にとっては、それが正しい経営判断だからだ。


「人員の件は理解しました。では、物資の支援についてはいかがでしょうか?」

「物資の手配につきましては、先日、スタンピードの兆候が報告された時点で、当支部と取引のある複数の納入業者に対して、ポーションなどの備品の追加発注をすでにかけております」


 その言葉に、俺は思わず目を見張った。

 通達が来る前に、すでに動いていたのか。有事の気配を察知した時点で自支部の在庫を取り崩すのではなく、必要な支援物資を調達して右から左へと流す。支部のリソースを一切損なうことなく、本部からの要請にも応える算段だ。

 見事な手回しである。ラテリスは合理的でありながら、支援自体を放棄しているわけではない。効率を維持したまま対応できる手段を、すでに実行に移していたのだ。


「それは、素晴らしい判断ですね。先手を打たれていたとは」


 俺が率直な評価を口にすると、ラテリスは表情をわずかに硬くしたように見えた。


「ですが、状況は芳しくありません。打診を行った業者の大半から『発注を受けられない』という回答が返ってきております」

「それは、どのような理由でしょうか?」

「『在庫が確保できていない』『人員不足のため対応が難しい』といった定型的なものです。具体的な理由までは明かされておりません。残りの業者にも打診を継続させていますが、色よい返事は期待できないでしょう」


 第7支部のような大規模な取引先からの発注を、大半の業者が一斉に断るなどということがあり得るだろうか。


「原因については、まだ分析中です」


 ラテリスにも、業者が断る理由が掴めていないようだ。

 本当に在庫がないのだとすれば、原材料の調達が滞っていることになる。

 だが、この支部のクエストは通常通り回っており、冒険者が素材を納品している以上、市場に商品が流通していないとは考えにくい。


 他の区からの大量買い付けによって在庫が押さえられている可能性はあったが、スタンピードの兆候が報告されたのはつい先日のことだ。それだけの短期間で、第7区の在庫が枯渇するほどの買い占めが起きたという話は聞いていない。


 では、在庫はあるのに納品できない何らかの事情があるのかというと、この区で商取引に支障をきたすような事件や規制が発生したという情報もない。

 人員不足という回答にしても、第7区の商業規模を考えれば、大半の業者が同時に人手不足に陥るとは考えにくい。(てい)のいい断り文句として使われている可能性の方が高いだろう。


 ここで、一つの疑問が浮かんだ。

 倉庫でセリウが漏らした『入ってくる量が減っている気がする』という肌感覚に、業者が第7支部からの発注に応じないという報告。

 この二つは、同じ根を持っているのではないだろうか。第7支部に物が集まらなくなっている――その原因が、どこかにあるはずだ。


 平時に最適化された仕組みが、有事でも機能するのかどうか。答え合わせの結果は、予想とは違う方向を指していた。

 それは、仕組みそのものの問題ではない。この支部と外部との間で、何かが起きているのだ。


 帳簿の数字だけでは分からない。

 自分の足で、この街の市場を確かめるしかないだろう。


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