23-A
フランカの、いや、フランチェスカ王女の兄、シルヴァーノ王子。
そのシルヴァーノ王子が、今まで新聞の写真でしか見たことのなかったシルヴァーノ王子が、今、私の目の前にいる。
あまりに突然で、あまりに理解不能な展開に、私もフランカ同様、固まってしまった。
……どうしてこの人、こんなところにいるの?
「じゃあ、ティナから渡すね」
「……! えっ、あっ、はい!」
その声に硬直が解けた私は慌てて立ち上がり、王子の前へ。
鼓動がヤバい。激しくなりすぎて、気持ち悪くなってきた。
両手に、いや、身体の至るところにじわりと汗が滲む。
「君の活躍は聞いてるよ。よく頑張ったね」
「あ、はい! あ、ありがとうございます!」
うわわわっ、……王子の目が見れない。
自分の意に反して、眼球があっちこっちに泳ぎ回る。
「おめでとう」
そうして差し出されたそれは、この9ヶ月間、私がずっと追い求めていた物。
「……」
そっとそれを受け取り、見つめる。
手のひらサイズで、角の丸い長方形のそのカードの色は青。
一番上に「No.03132180215+」という謎の数字があり、その下に私の名前や出身地などの文字が印刷されていた。
その横に、白抜きで大きく「E」の文字。
……これが、マーセナリーライセンスか。
いや、初めて見たというわけじゃないけど、これが自分自身の物なんだという現実が頭の中に染み渡って実感に至るまで、かなりの時間を要したんだ。
これが、私が傭兵であることを証明してくれる物。
そうだ。私はもう、傭兵なんだ……!
「……ありがとうございます!」
そうしてようやく、私はその一言を、王子の顔を見て言うことができた。
「では、次はフランカだ。こっちにおいで」
「――!」
歓喜に打ち震えたのも束の間、私はこのとんでもない現実に引き戻された。
「フランカさん……」
囁くように声をかけると、彼女は半開きだった口を閉ざし、ぱちぱちとまばたきをしてから私を見る。
その目には落ち着きがなく、彼女の心の動揺を如実に表していた。
「どうした?」
王子に声をかけられ、フランカは「いえ……」と視線を下げたまま立ち上がる。
そして、王子の前に立つ。
「お前も、よく頑張ったね」
優しい、王子の声。その声に、フランカはゆっくりと顔を上げた。
「おめでとう」
差し出されたマーセナリーライセンスを、フランカは両手で受け取る。
「あ、ありがとうございま――」
「――!」
フランカの言葉が終わる前に、それは起きた。
王子の右手が、フランカの左手をがしっと掴んだんだ。
身体をビクッと震わせるフランカ。
一体、何を――
「本当に、よく頑張ったな。……フランチェスカ」
「――!」
それを聞いた瞬間、私の身体は反射的に動いた。
左腕を伸ばしてフランカを後ろへ下がらせ、彼女を守るように王子の前に立ちはだかる。
そして、キッと王子を睨みつける。
……バレてる。
フランカが自分の妹であることを、この人は知ってる。
なんで? やっぱり、髪の長さを変えた程度じゃ、肉親には通用しなかったのか。
……いや、そんなことより、どうする?
おそらく、この人はここに1人では来ていない。騎士団の人間を連れてきているに違いない。
フランカを連れ戻すために。
どうする? 今は武器を持ってない。
騎士団の包囲の中を、丸腰でフランカを守りながら抜け出すことなんて、果たしてできるのか。
いや、待って待って!
そんなことしたら、私はもう傭兵どころじゃない。完全に犯罪者だぞ。
そんなことになったら、私だけの問題じゃない。家族にも迷惑がかかる。
……でも、フランカを城に戻させたくない。
……どうする? いや、迷ってる暇は無い!
私は彼女を、……守る! 彼女だけでも、逃がすんだ!
私の一連の行動に、王子は驚いたように目を丸くしていたけど、私に睨まれてすぐに、表情を緩めて微笑を浮かべた。
「……落ち着いてくれ、ティナ。私は、フランチェスカを捕まえに来たわけじゃない」
「――?」
そんな言葉、信じられるわけがない。
「それなら、それを証明して下さい。今すぐに!」
私はフランカを押しながらじりじりと後退しつつ、声を荒げた。
すると王子は、「証明か……」と呟き、悩むように腕を組む。
「……今すぐには証明できない」
その答えに、私はフランカの腕を掴む。いつでも逃げ出せるように、身を構える。
「だが、少し私の話を聞いてくれ。そうすれば、きっとわかってもらえるだろう。私が、フランチェスカを城へ連れ戻しに来たわけじゃないということを」
「そんな時間稼ぎに――」
「ティナさん」
「――!」
フランカは私の言葉を遮り、自分の腕を掴む私の手に触れた。
驚いて彼女を見ると、静かな光を湛える双眸と出会う。
「私は、お兄様のお話を伺いたいです」
「え……?」
王子の言うことを信用するって言うの? 何を考えてるんだ。
こんなことしてる間に、完全に包囲されたらどうする。捕まっちゃうよ!
「ティナさん。お願いです」
彼女の顔には、もう動揺は無かった。王子の言葉に対して、何ら迷いを抱いていないってことだ。
「…………わかった」
私は、王子を信じる彼女を信じることにして、腕を解放する。
「ありがとう、ティナ」
王子はホッとしたようにそう言うけど、妙な動きをしたら今度は問答無用だ。
私はフランカの前から身体をどかし、2人を向かい合わせる。
「座って話そう。大切な話だからね」
そう促され、私たちは椅子に腰を下ろす。王子も近くの椅子を持ってきて、私たちと向かい合う形で座る。
そして、フランカの顔を見つめながら、すぐに話を始めた。
「……フランチェスカ。私は、全て知っていたんだよ。お前が城を抜け出すことを考えていたことも、抜け出してからどこへ身を隠したのかということも。それから、どのような生活を送っていたのかということも。全て」
「!」
「えっ?」
大きな声を発して驚くフランカ。私だって信じられない。
「お前や、お前に付いて行った使用人たちは、使われていない地下道を通って城の外に出ただろう。夜とはいえ、城周辺の警備は万全。その中を見つからずに移動するのは不可能に近い。だが、あの地下道にだけは警備の目が無かった。お前たちは、すんなりと城を抜け出すことができたはずだ」
その時のことを思い出しているのか、フランカは視線を伏せて黙り込んでいる。
「あの地下道の存在は、王族の中でも限られた者しか知らないんだよ」
「えっ?」
フランカは勢いよく顔を上げ、王子を見つめる。
「……どういう、ことですか?」
「私が教えたんだ」
「誰にっ!」
「ジゼルと、レオーネの2人に」
「――えっ?」
目を見開くのは、フランカだけじゃない。私も、驚愕した。
「じゃあ、あの2人は最初からあなたと通じてたってことですか?」
思わず口を挟むと、王子は「まぁ、そういうことだ」と頷いた。
……そんな素振り、全く無かった。
フランカをちらりと見れば、目を見開いて唇を引き結んでいる。
どうやら、ずっと一緒にいた彼女にすら全く悟られないほどに、彼らは完璧な演技を続けてきたんだろう。
特にレオーネ。あいつ、ああ見えてなかなかの役者だな。
あれだけフランカを心配して、試験にもくっついてきたくせに、あれも演技だったってことだよね。
本当に、全然わからなかった。
「ジゼルたちに、お前が城から抜け出す策を練っていると聞かされ、私はすぐに協力することを決めた」
「なぜですか?」
「……あのまま城に残っていても、お前が不幸になるだけだと確信していたからだ。お父様は、本気でお前を他国の王族と結婚させようと考えていらっしゃった。お父様にとってお前は、あくまで政治の道具なのだ。そしてそのお考えは、お前が城を出た今も変わっていない」
フランカの喉から、言葉が詰まった音が聞こえた。
「だが、お父様は積極的にお前を探そうとはなさらなかった。出て行ったものは仕方ない。まるで、厄介払いができてよかったと思っていらっしゃるようだったよ」
……だからか。
だから、フランカは城の外で平穏に暮らすことができたのか。
「お前が城を脱走したことを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。知れ渡れば、騒ぎになる。そう確信されたお父様は、早々に手を打たれた。城では、お前はブリュンヒルデ王国へ留学に行ったことになっているよ」
……なんだ、そりゃ。そんなの、本当に、厄介払いじゃないか。
国王に、娘に対する愛は無いのか……?
いや、無いからこんなことになっているのか。
でも、これじゃああまりにも、フランカが可哀想だ……。
「……そうですか。わかりました」
酷く静かな声が流れた。感情を全部押し殺したような、そんな声。
見れば、フランカは王子に笑みを向けていた。それは、いつもの笑みだ。溢れる感情を抑え込んでいるようには見えない。
そう見えないからこそ、少し不気味でさえあった。
こんな事実を聞かされ、この人は一体、何を思うのだろうか……。
「私はもう、城へは戻りません。……城を出た時から、そう思い続けてきたのですが、やはりまだどこかに迷いがあったのだと思います。ですが、その迷いもきれいに無くなりました。吹っ切れました。今はとても、清々しい気持ちです。……でも、一つだけ気になっていることがあります」
「……なんだ?」
「お兄様。……お母様は、どうされていますか? お元気ですか? お変わりありませんか?」
お母様って、王妃様のことだよね?
……あれ? 私、王妃がこの国に存在しているってこと以外、何も知らないぞ?
名前も知らない。見たことも無い。
「ああ、お変わりない。元気だよ」
「……私のこと、心配していらっしゃいますか?」
王子は首を振る。
「いや、お母様には、お前が城を抜け出したことを伝えてはいない。ほかの城の者と同様、留学に行ったと教えられているはずだ」
それを聞き、フランカは一瞬、ものすごく寂しそうな顔をした。
だけどすぐに、その顔は笑みの下に隠れて消えた。
「そうですか。でしたら、その方が良いでしょう。余計なご心配をおかけする必要はありませんからね」
それきり、フランカは俯いて黙り込んでしまった。その横顔には、必死に保っているような微笑が残っている。
それを見つめていた私は、どうしようもなくいたたまれない気持ちになった。




