23-B
長い沈黙が流れる。
窓から入ってくる街の喧騒と鳥の声だけが、静かに室内に響き続けた。
「フランチェスカ」
やがてその沈黙を破ったのは、シルヴァーノ王子の静かな呼び声。
フランカはその声に反応し、ゆっくりと顔を上げた。
私も、王子の綺麗な顔を見つめる。
「すまなかったな」
「え?」
王子の突然の謝罪に、フランカは困惑の声を漏らす。
「私が、お前を守ってやるべきだった。……お前たちが城を抜け出した後も、私はジゼルやレオーネと連絡を取り合い、お前の様子を聞いていた。お前がフランカ・アルジェントと名乗ることを決めたことも、お前が傭兵を目指し始めたということも、そうやって知ったんだ。……だが、そうしてお前の生活の様子を聞くたびに、思ったよ。なぜ、私はお前のそばにいてやれなかったのかと。なぜ、一緒に城を出なかったのかと」
綺麗な顔が、苦渋に歪んでいく。
「……だが、それはどうしてもできなかった。私は、お父様には逆らえなかった。それに、私がいなくなれば、お父様は騎士団を使って私を探させるだろう。そうなれば、お前も見つかってしまう危険があった。……こんなことは言い訳に過ぎないが、私はお前をこの手で守ってやりたくても、できなかったのだ。すまなかった。許してくれ、フランチェスカ」
それはきっと、王子がずっと心の中に溜め込んでいたものなんだろう。嘘とも演技とも思えない。
妙な動きをすれば、すぐにでもフランカを連れて逃げようと思っていたけど、もうそんな必要は無いと、私は確信していた。
……この人は、本当にフランカのことを大切に思っているんだ。安心した。
彼女の肉親に、ちゃんと彼女の味方がいて、本当に良かった。
「そのようなお顔をなさらないで、お兄様。私は、お兄様のことを憎んではおりませんから。むしろ、感謝しているのです。お兄様がジゼルらに地下道のことを教えて下さらなかったら、私は、今のこの自由を掴み取ることができなかったのですから」
そして、にっこりとまぶしい笑顔を浮かべるフランカ。
「私は、これから傭兵として生きていきます。それを、自分の役割だと思って。ですから、心配なさらないで、お兄様。お兄様は城にお戻りになり、王子としての役割をお果たし下さい」
「フランチェスカ……」
王子は、フランカの決意表明を聞き、複雑な心境を露わにした表情を浮かべる。何かを言いたいけど、それを抑え込んでいるような感じだ。
そんな王子をよそに、フランカはその笑顔を私へ向けた。
「ティナさん。これからも、一緒に頑張りましょうね」
表情にも声色にも、感情のブレは混ざっていない。完全に吹っ切れたようだ。
「……うん。そうだね、頑張ろう」
そう答えたものの、私は迷っていた。
本当に、これでいいのか?
王子は、フランカの味方だ。それに、実の兄妹なんだぞ。こんなにあっさりと離れ離れになっていいのか?
もっと、ちゃんと話し合うべきなんじゃないのか……?
「フランチェスカ。一つ、お願いがあるんだ。聞いてくれるか」
縋るような瞳を、フランカに向ける王子。
「……お願いですか? 何でしょう」
フランカは微笑んではいるものの、ちょっとそっけない態度だ。
王子は躊躇うように視線を落として俯き、やがて意を決したように再びフランカの顔を見て、口を開いた。
「私は、お前を応援したい。傭兵として活躍してくれることを、願っている。……だが、私はその活躍をそばで見ていたいんだ。お前のそばで、お前を応援したい」
「え?」
どういうこと?
「……私は今、傭兵候補生制度を、傭兵採用試験同様、傭兵になるための手段の一つとして正式採用してもらえるように活動しているんだ。お前たちの活躍のおかげで、反対派のの態度も軟化してきていてね。あと一歩なんだよ」
そこで言葉を切り、少し考えてから話を再開する王子。
「オルトリンデで採用されたら、次は他国だ。この国だけが採用しても、意味が無いからね。他国でも、採用試験と同列に扱ってもらえるように働きかけていかなければならない。そのために私は賛同者を集め、オルトリンデの西の街に拠点を置いて、活動を続けている。……フランチェスカ。お前にも、その拠点に来てほしいんだ」
「え……」
フランカの笑みが、じょじょに薄くなっていく。
「そこをお前の仕事の拠点にしてほしい。ほかの者たちには、すでに話は通してあるんだ。もちろん、お前の素性は伏せてね。彼らには、昔世話になった人の娘として紹介してある。……どうかな? もちろん、ジゼルたちも一緒に来てもらって構わない。だから、私のそばにいてくれないか、フランチェスカ」
言い終わると、王子はフランカをじっと見つめ続けた。
フランカは、その視線を戸惑いの表情で受け止める。そして、ついに目を逸らした。
「……申し訳ありませんが、私はこれからもティナさんと共に頑張ることを決めているのです。ですから、そこへは行けません」
フランカは迷いを表情に込めながらも、きっぱりとそう答えた。
それを聞いた王子は、「そうか……」と寂しげに視線を下げる。
……本当に、これでいいの?
いや、私はもちろん、フランカとこれからも一緒に頑張っていきたい。その気持ちは変わることはない。
……そう思っていた。今の今まで。
だけど、王子の様子を見て、彼の言葉を聞いて、それが揺らぎ始めている。
王子は、自分の手でフランカを守れなかったことを、ずっと悔やんでいたんだ。
だからきっと、今度こそはという思いがあるんだと思う。
……その思いを、無視できない。
そして思う。
私とフランカは、この先もずっと一緒にいていいのだろうかと。
「行ってあげなよ、フランカさん」
「えっ?」
私の言葉に、当然フランカは驚く。見開いた目で、私を見る。
「……私たちは、そろそろ離れるべきなのかもしれない」
「そんなっ!」
フランカは勢いよく立ち上がった。
「決めたではないですか。これからもずっと、2人で頑張っていこうと。なぜそのようなことを仰るのですか、ティナさん!」
私も立ち上がる。そして静かに、フランカと向かい合う。
「……これまでずっと、私たちは一緒だった。実際、2人だったからこそ乗り越えられたこともたくさんあったよ。でもさ、それって裏を返せば、2人じゃなきゃ駄目だったってことでしょ? 自覚は無くても、私たちはお互い、相手に甘えてたところがあるんじゃないかな」
こんなこと、言いたくないのに。でも、言葉が止まらない。
「だから、私たちはそろそろ離れるべきなんだと思うの。いつまでも一緒にいたら、私たちはきっと成長できない。……フランカさんは、そうは思わないの?」
「ティナさん……」
今にも泣き出しそうな、フランカの顔。そんな顔しないで。見つめるのが辛いよ。
「……フランカさんと一緒にやっていくのが嫌になったわけじゃないの。これまでずっと一緒に頑張ってきたんだもん。これからもずっと一緒にいたいって思ってる。でも、でもね、それじゃ駄目なんだって気付いたんだ」
視界が滲んでぼやける。フランカより先に、私の目から涙が流れていた。
「ごめんね、勝手なこと言って。……決めてたのにね。一緒にやっていこう、って」
私は歯を食い縛り、俯いた。床に、ぽたぽたと涙が落ちる。
「!」
次々に流れ出る涙に、何かが触れた。
それは、フランカが取り出したハンカチだった。
「フランカさん……」
「泣かないで、ティナさん」
そう言って微笑み、私の頬を伝う涙を優しく拭い取るフランカ。
「ティナさんの仰る通りです。……このままでは、私たちは成長できない。その通りだと思います。ですから私、行きます。お兄様についていきます」
「本当か、フランチェスカ!」
王子も立ち上がる。言葉を求める王子に対し、フランカは「ええ」と頷いて見せた。
「お兄様のもとで、私は傭兵として働きます。それと、よろしければ、お兄様のお手伝いをさせていただけませんか。自ら経験し、私も傭兵候補生制度は素晴らしいものであると思いましたから」
「……あ、ああ。もちろんだとも!」
嬉しそうに、何度も頷く王子。その様子に、自然と笑みが浮かぶ。
……そうだ。これで良かったんだ。
「だが、本当にいいのか、フランチェスカ。ティナも……」
私たちの顔を交互に見つめる王子。それに対し、フランカも私も、「はい」と頷く。
そしてフランカは、「そうだ」と何かを思い出したように続けた。
「お兄様。その拠点へ行く前に、1日だけ時間をいただけないでしょうか」
「?」
真剣な目で、王子を見つめるフランカ。
「ティナさんやティナさんのご家族には、とてもお世話になりました。ですから、ちゃんとお別れをしたいのです。ですから明日1日だけ、時間を下さい」
「フランカさん……」
私も、急に別れるのは寂しいなと思っていたところだ。
「わかった。では、明後日またここへ来てくれ。門の近くで待っているよ」
「ありがとうございます、お兄様」
フランカの笑顔は相変わらずまぶしくて、それが少し、寂しかった。
その後私たちは、新米傭兵のための書類が何枚も入った大きな封筒を受け取り、王子と別れて支援協会本部を後にした。
路面電車に乗ってカランカの駅へ行き汽車に乗るまで、私とフランカは一言も言葉を交わさなかった。
別に、仲が悪くなったわけじゃない。
だって、私たちはここまでずっと手を繋いだままで来たし、今も、汽車の座席に並んで座って、肩を寄せ合っているのだから。
お互い、言葉が見つからなかったんだ。何を言ったらいいのかわからなかった。
でも、こうして触れ合うことで、心が繋がっていることを確認できる。私たちには、もうそれだけで充分だった。
私たちはそのまま、2人だけの世界に浸り続けた。
ずっとこの時間が続けばいいのにと、何度も思ってしまった。
モンテスの駅に着き、汽車から降りてようやく、私たちは繋いでいた手を放した。
そしてホームで立ち止まり、向かい合う。見つめ合い、微笑む。
「帰ろう、フランカさん」
「ええ。帰りましょう、ティナさん」
離れることが決まったというのに、私はなぜか、フランカとの仲がより深くなった気がした。
きっとフランカも、同じ事を感じてくれているはずだ。
私の決断は間違っていなかった。
そう、信じたい。




