18-B
「おいっ、くそっ、暴れんじゃねぇ!」
私は必死に、男の靴裏から逃れようともがく。
もがけばもがくほどに、靴裏と地面の固さが鈍い痛みを運んでくるけれど、そんなことどうだっていい。
冗談じゃない! 売り物にされるなんて……!
「大人しくしろっ!」
私の側頭部を踏みつけていた男の足がどく。
「うぶぅっ!」
と思ったら、その固いつま先が、私の腹部を蹴りつけてきた。
まださっきの痛みもほとんど引いていないところへ、まるで刺すようにめり込んでくるつま先。
「ごはっ、ごぼっ、ごほっ……」
口の中に広がるのは、血の味。地面にも、咳をするごとに赤い飛沫が散る。
「あっ、あぐ……あうぅ……」
痛い。気持ち悪い。力が入らない。視界がじわりと滲む。涙が溢れる……。
「おい」
「いっ……!」
私のそばにしゃがんだ男は、またしても私の髪を掴み、歪んだ笑みを私に見せてくる。
「顔殴ったら価値が落ちちまうからなぁ。腹で我慢してやったんだよ」
苦しむ私を見て、男は笑みを深める。そして私の髪を投げ捨てるように放し、立ち上がる。
「よっと」
男の足が、また私の上に乗ったかと思いきや、蹴られてうつ伏せにさせられた。
「うぅっ!」
そのすぐ後に、なんと男は私の背中に馬乗りになった。重い……! どういうつもりだ、こいつ!
「てめぇは、どっかの街からさらってきた3人のガキ共と一緒に、金持ちのオヤジに売り飛ばす」
「――!」
3人のガキ? こいつ、やっぱり……!
「こんなガキ共のどこがいいのかわかんねぇが、変態共にはたまらねぇらしい。商品が一つ増えたところで、文句は言わねぇだろ。お前を売った金の一部は、この腕の治療代にでもさせてもらうぜ」
「……」
このままじゃ、本当に売り飛ばされてしまう。
そんなことになったら、もう傭兵を目指すどころじゃなくなる。それに、家族にも会えなくなってしまう。
そんなの、嫌だ……!
でも、今の私にはどうすることもできない。抵抗すれば、また殴られる。
痛みがまだ引かない。もう殴られたくない。苦しい……。
……フランカを、信じよう。彼女がきっと、助けを呼んで戻ってきてくれる。
それまでは、大人しくしていよう。
「そういやお前、なんで警官の格好なんかしてんだ? まさか、本当に警官ってわけじゃねぇんだろ?」
「!」
どうしてバレた?
「……」
いや、何にせよ、こんな奴に答えてやる必要は無い。話すのも嫌だし。
無視を決め込もうと思ったら、「言えよ、こら」と腕を捻り上げられた。
「うぁぁ、痛い! 痛い痛い! やめてっ!」
あまりの痛みに、また涙が滲んできた。
「なら、質問にはちゃんと答えろや。わかったか。あ?」
くそっ、従うしかないのか。悔しくて、腹が立って仕方ない……!
「……ここに、入り込むため」
「ここって、暗黒街へか? なんでわざわざこんな場所に入ろうなんて思ったんだよ」
そんなこと、こんな奴に言っても理解されるわけがない。それどころか、きっと笑われる。
でも、何か言わなきゃまた痛いことをされる。
「……ある傭兵を、探しに来たんだよ」
この街のどこかにいるノエリア。私たちは彼女に内緒でこちら側に来てしまったのだから、出会ったらマズいんだけど……。
「ある傭兵? なんて傭兵だ? 名前を言ってみろよ」
? なんでそんなこと聞くんだ? まぁいいや。
「ノエリア……」
「あぁん? ノエリアだぁ?」
突然、男は大きな反応を見せた。
「お前、いや、お前と一緒にいたさっきの女も、ノエリアの知り合いか? ……もしかしてお前ら、ノエリアの弟子かなんかか?」
弟子……か。
当たらずも遠からずってとこかな。一応、コクリと小さく頷いておく。
「へぇ~。あいつが弟子をねぇ」
こいつ、ノエリアの知り合いか?
どうしてこんな奴が、ノエリアと知り合いなんだ?
誰なんだ、こいつ。
「俺に手も足も出なかった分際で、剣の師とはな。笑えるぜ」
「……!」
待って。今こいつ、なんて言った?
手も足も出なかった? ……どういうこと?
「……あんた、ノエリアさんに何したの」
胸が圧迫されて、思うように声が出ない。それでも、聞かずにはいられなかった。
「あ? そんなもん決まってんだろ。斬ってやったよ。腹をざっくりとな」
「――!」
鼓動が激しくなる。
……斬った?
「殺したの……?」
恐る恐る、問う。すると男は、「さぁな」といい加減な返答をする。
「一緒にいたほかの奴らは斬り殺してやったが、あいつだけは昔のよしみで、すぐに殺さずに、散々痛めつけた後に斬ってやった。見届けてはいねぇが、もう死んでんじゃねえか?」
こいつ……!
ドクンと、激しく心臓が脈動する。
腹の痛みが吹き飛んだ。と同時に、全身の力が戻ってくる。
許さない……!
「……ない」
「あ?」
「許さないっ!」
「ぅおっ!」
男の足を掴み、全力で身体を回転させる。
男のバランスが少し崩れたところで、さらに身体を回転させ、その勢いを借りて男の足を突き飛ばす。
「てめっ」
男の下から抜け出した私は、すぐさま立ち上がって周囲を確認。取り落とした剣を見つけるや、拾い上げて構える。
「……うっぜぇ」
その瞳に剣呑な光を宿し、私を睨みつけてくる男。鼻面にシワを寄せ、剣を構える。
「大人しくしてろっつったろうが。どうやら、相当痛い目見ねぇとわからねぇようだな。ガキめ」
逃げるべきかと一瞬迷ったけど、その考えは次の瞬間には吹き飛んでいた。
私の意志が、その思考を許さなかった。
痛い目を見せる? やれるもんならやってみろ!
「絶対に、許さないっ!」
地を蹴って駆け出す。男も、動いた。直後、かち合う剣と剣。
やっぱり、力は強い。確かに、力比べなんてするだけ無駄だ。
刀身の角度を変え、力を抑えると共に前進。
「何っ?」
滑るように動く私に、男は一瞬戸惑いを滲ませた。その顔を睨みながら、瞬時に力を込め、剣を振る。
「くっ」
しかし、その攻撃は横へ跳んで躱される。
直後、男の刺突。速さはあるけど、避けられないほどじゃない。
身体を横へ捻って躱すと、体勢低く男の斜め横へ跳び、地についた足に力を込め、男の刀身をくぐるように逆方向へ跳びつつ、剣を振る。
「ぐっ!」
手応えあり。だけど、すんでのところで後ろへ跳ばれたせいで、私の攻撃は男の腹をわずかに撫でた程度だ。飛び散る血も、わずか。
止まるな! 攻撃の手を休めちゃ駄目だ!
着地した瞬間に身体を捻って剣を構え、足のバネを使って男へ肉薄。回転の勢いを借りて剣を振る。
しかしそれは軽々と受け止められ、弾き返される。そして放たれる一閃を、立てた剣で受け止めた私は、その衝撃を借りて身体を回転させつつ前進し、男の首を狙ってさらに一閃。
けれど、それも身体を反らされ躱される。
直後、男は崩れた体勢のままで蹴りを放った。慌てて腕で防ぐけど、かなりの威力に横へ飛ばされる。
「くそっ」
細かいステップで間合いを取りつつバランスを立て直し、すでに眼前にまで迫ってきていた男に向かって剣を振る。だけど、やっぱり剣で受け止められる。
全然、攻撃が通らない……!
「……確かに、しぶとさだけはノエリアにそっくりだ。身のこなしもそこそこ。だが、てめぇは俺には勝てねぇ。なぜだかわかるか」
ぐぐっと剣を押し込み、男は笑う。
「力だよ。単純な腕力の差だ。てめぇの力じゃあ、俺の剣は弾けねぇ。攻撃したってそいつを止められちまったら、そこで終わり。意味ねぇんだよ」
そんなこと、もう充分わかってるんだよ!
だけど、私は戦う。戦わなくちゃいけないんだ!
戦って、こいつを倒す。ノエリアの敵を取るんだ!
「うるさい。絶対に許さない。絶対に、私は負けない!」
後ろへ跳び、男のバランスをわずかに崩す。
そして再び前へステップ。そのまま剣を振る。攻撃の軌道上には、男の頭部。
斬る! 絶対に斬ってやる!
「そうかよ」
私の攻撃を頭を下げて躱した男は、私の斜め前に一歩跳び、着地した足を軸に低い回し蹴りを放った。
「うあっ!」
膝の裏を蹴り上げられ、大きくバランスが崩れる。
「!」
後ろへ倒れゆく私の視界が、突然暗くなった。私の顔に触れるのは、熱い何か。
それが奴の手のひらだと気付いた時には、私は後頭部から地面に叩きつけられていた。
「がっ、……はっ」
視界が明滅する。
それでもどうにか意識を保ち、倒れたまま地面を転がり、男の踏みつけを回避。気力を振り絞って立ち上がる。
……けど、もう膝がガクガクだ。頭を強打したせいだろう。
「弱ぇくせにしぶてぇな。まぁ、そのしぶとさもそろそろ終わりのようだが」
余裕の笑みを浮かべながら、悠然と歩み寄ってくる男。
「まだ、……まだ、私は負けてない」
フラフラしながら剣を構えようと腕を動かす。
「――!」
そうしてようやく、自分の手に剣が無いことに気付いた。
視界を動かせば、それは私が叩きつけられた場所に転がっていた。
「寝とけ」
「――!」
そして気付けば、男は眼前。
逆光で黒く塗り潰された顔、そこにある口が、ぐにゃりと弧を描いた。
「ひぃぐっ!」
腹部に、強烈な衝撃。身体が浮くほどの一撃。
「ぐぉ……あぁ……」
お腹を押さえたまま、私は地面に崩れ落ちてゆく。
と同時に、視界が急激に暗くなっていき、その後のことは、もうわからなかった。




